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名無しの権兵衛  作者: 蘇我栄一郎
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獣の目覚め

「月夜の具合だが、正直言ってかなり芳しくない。足や指の爪が剥がされているのは多少の痛みがあったりするだろうが、それは何れ治るのだから問題にはならないだろう。だが、左目の方は大問題だ。眼球は抉り取られておって、回復の見込みがない。それに、執拗に殴られたのが原因だと思うのだが、脳に相当のダメージがあると考えられ、この先目が覚めるかどうかも分からぬ」


 名無しの権兵衛とケンゴウの二人を前に、沈痛な面持ちでそう告げた明智氏郷は更に言葉を続ける。


「それに対して三葉の方は、暫く痣が残る程度で問題ない。一人は重症だが、二人共にこうして帰って来たのは貴殿らのお陰だ。感謝申し上げる」


 暗い表情と沈んだ声では、感謝の言葉を述べられても嬉しくもなんともない。名無しの権兵衛は月夜を本気で口説いていた事も相まって、月夜が無事ではないのだから尚更嬉しくはないだろう。

 事実名無しの権兵衛は、非常に暗い雰囲気で話を聞いているのだから、その心の奥底は怒りや悲しみで支配されているのは間違いない。


「船だか飛行機だか分かんねぇ金属塊の中に、眼球を元通りにするとか脳の損傷を回復させるとか、そんな便利な装置とかねぇのか?」


 月夜の容態を聞き、居ても立っても居られなくなった名無しの権兵衛が、一縷の望みに縋り付くかの様に尋ねた。本当は理解しているのだと察せられるが、それでもそんな都合の良い物が存在するのではと願わずにはいられなかったのだろう。

 だが確かに、不老不死という力を授けてくれる夢の様な装置があるのだから、欠損した部位を再生させる装置があったとしても不思議ではない。部位欠損と不老不死という二つを考えれば、どちらかと言えば部位欠損を回復させる方が不老不死より現実的に思えるからだ。

 しかしやはり現実というのは悲痛なもので、名無しの権兵衛の願いは明智氏郷が無言で首を横に振って否定されてしまう。そうなると当然、名無しの権兵衛は心底意気消沈した様に口を閉じ、ガックリと重い頭を下に向け俯いた。

 心とは別に冷静な頭では理解していたのだが、それでもいざ希望が断たれてしまうと落ち込んでしまうものなのだ。例え頭のキレる名無しの権兵衛であっても、やはりそこの部分は普通の人間とそう変わらない。

 そんな名無しの権兵衛に対して、ケンゴウはと言えば表に感情を出してはいなかった。至極冷静に、そして紳士に、明智氏郷から告げられる真実を受け止めようとしているのだと察せられる。

 それだからこそ、そんなケンゴウだからこそ、気付ける事があった。それは部位欠損した者が、その欠損した部位の代わりに使う物であり、それを使用すれば多少なりともマシになる物。


「完全なる回復が無理なのなら、本物と比べても分からない程に精巧な義眼はないのか? あるのなら、それを用意する事は可能だろうか? 費用なら名無しが幾らでも用意するぞ」


 費用は全額名無しの権兵衛が用意すると述べたケンゴウに、普通ならツッコミの一つでも入れるところであるが、名無しの権兵衛はそれこそ満面の笑みでもって何度も頷いた。

 俺に任せろ、幾らでも用意してやる、例え地球上の全ての紙幣が必要となったとしてもと、そう言い切ってしまいそうになるくらいの大きな頷き方でケンゴウの提案を了承する名無しの権兵衛は、テーブルに身を乗り出して明智氏郷の返答をじっと待つ。


「いや、眼球を回復させる術が無いとは言ったが、別に精巧な義眼が無いとは言っておらんよ。防人の一族として守護しておった物の中に、それがあるのだ。本物の目と変わらぬ機能を持ち、外見も本物の目と遜色がない。それを移植すれば全く問題ないだろう」


「マジでか!? じゃあ目の方は大丈夫って事じゃねぇか! それで、脳の方はどうだ?!」


 明智氏郷の返答で、少しだけ場が明るくなった。それは名無しの権兵衛だけではなく、ケンゴウですら明るい表情を見せたのだから、明智氏郷が告げた言葉にはそれ相応の力があったのだと察せられる。

 しかしやはりと言うべきか、それも束の間事で、名無しの権兵衛の食い気味の問いに対しては否定の意味を込めて首を横に振られてしまい、脳の回復だけはどうしようも無いのだと言外に伝えられてしまう。


「そう、か。……信じて待つしかねぇって事か」


「うむ。某も助けてやりたいが、こればっかりはどうしようも無い」


 明智氏郷の言葉を最後に再び場が暗くなり、ただ沈黙だけが場を支配した。誰も彼もが一様に沈痛な表情を浮かべており、誰も口を開こうとはしない。

 目が覚めるのか、はたまた目が覚めないのか。結果がそんな単純な二つであるのならば、まだ少しは楽観的になれるのかもしれない。

 だが、現実はそう単純なシナリオを用意してはくれないのだ。もし目が覚めたとしても、脳に重大な障害が残らないとは限らないのだから、目が覚めるだけが救いとは言えやしない。

 色々な苦しい現実に直面し、名無しの権兵衛の心は冷めていく。しんしんと降り積もる雪の様に、冷たい何かが名無しの権兵衛の心を覆っていき、心の熱をどんどん奪っていく。

 それに従って、名無しの権兵衛の表情は無へと変化し、最終的には一切の感情を感じ取れない能面の様に冷淡なものへと変わり果てる。その顔を見るだけで、通りすがりの者は鳥肌を立ててしまいかねないと言っても過言ではない。


「月夜が目覚めるかどうかは、信じて待つしかねぇってのは充分理解した。……理解させられたよ。

 なぁ、ケンゴウ。CIA諜報員は全員貰っても良いか?」


 何処に目を向けているのか判然とせぬ名無しの権兵衛が、()()えとする声音で尋ねた。そう、あくまでも尋ねたのだ。

 だが、その声音からはとても尋ねたとは思えない印象のもので、まるで強く”奴らを寄越せ“と告げている様にしか聞こえない。


「勿論だ。奴らは貴様の腕で始末すると良い。だが、簡単には殺すなよ」


「当たり前だっつうの。心底苦しませてからに決まってる」


 冷え冷えとした声音で言葉を口にする名無しの権兵衛は、煙草を一本口に咥えてマッチで火を点ける。そして肺に煙を取り入れると、それを全部吐き出して瞼を閉じたまま口を開く。


「明智さんには悪いが、計画変更だ。本来は奴らを一網打尽にする為、時間を掛けて包囲網を縮めていくつもりだったが、目に付く奴らは皆殺しにさせて貰う」


 ゾッとする声音でゾッとする事を平然と言う名無しの権兵衛に、戸惑い言葉を発する事が出来ない明智氏郷。

 それを瞼を閉じているせいで気付いていない様子の名無しの権兵衛が、了承したと勘違いして更に言葉を続ける。


「雑な作戦になるが……いや、これじゃあ作戦とも言えねぇやな。だが、これでやらせて貰うぜ?」


「わ、分かった。始末した奴の人数を数えておれば、生き残りが居るかどうかは分かるし、それで良い。某達は本来の仕事である監視に努める」


 明智氏郷からしたら否とは言えない雰囲気であり、それが故に名無しの権兵衛の言葉を飲むしかなかった。しかしそれはそれで自身達の勢力に被害が出ないという事実もあって、別に防人の一族としては問題ないと言っても過言ではない。

 戦争で失った人員は、何も新たに補充した実働部隊だけではないのだ。監視の目の人員も空襲により沢山死んでおり、これ以上監視の目の人間を失うのは不老不死の秘術を秘匿し続ける為に望ましくない。

 背筋をゾッとさせる殺気に若干身震いをしつつも、損得を冷静に考えられていたのはそれなりに場数を踏んでいるからであった。無駄に不老の力を得て長生きしてきた訳ではないのだ。


「そんじゃあ、俺は早速動かせて貰うぜ。ケンゴウはどうする?」


「勿論、私も動くに決まっている。貴様の相棒だからな」


「良し。それなら暴れようじゃねぇか」


 自身の懐へと招いた者を傷付けられた結果、本気になった化け物が獰猛な一面をさらけ出した。その被害に遭う者達の最後が悲惨なものになるだろう事は、重力によって果実が下へと落ちる事と等しく、もう変えられない現実となるのだろう。

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