罠だろうが何だろうが知った事じゃない その三
「第二次世界大戦中、我々は上からの指示でドイツ軍を調べていた。それは初めこそスパイ活動は上手く運び、その際に入手した情報は全て本国に事細かく報告していたよ。しかし、次第に我々の仲間がスパイとしてバレて捕まる者が続出し、数多くの仲間が処刑されてしまう。そんな状況でのスパイ活動というのは、精神的にも肉体的にも非常に厳しいもので、徐々に心がやさぐれてしまうのだ。新しい人員の補充もままならないし、色々と投げやりになるのも当然だと言えるだろうさ。
そんな時に、冗談かと思わずにはいられない報告を部下から耳にした。ドイツ軍の中には、とある特殊な秘密部隊が存在するとね。それは外枠だけ聞けば普通の報告なのだが、その中身が異常だったんだ。なんでも、その秘密部隊は超能力者や不可思議なパワーを持つ遺物などを本気で集めていると、そんな報告だったのだよ。
我々は超自然的な力という存在を当初は信じていなかった。馬鹿なドイツ軍人が与太話をしているとしか認識していなかったのだ。しかしそれも、ドイツの秘密部隊が本当に超能力者を発見した事で我々の認識も変わった。……いや、変わらざるを得なかったと言った方が正しいか。
それからはドイツの秘密部隊が入手した情報を、それこそ大金をばら蒔いて手に入れるのに躍起になった。同じCIAの別組織には悟られないよう必死になってな」
顔の殆どを赤黒く変色させて倒れ伏す三葉の横で、月夜はCIA諜報員からの執拗な拷問を受けていた。三葉も拷問を受けたのだろうが、月夜が受けた拷問は更に陰惨なものだったと判断するのは容易い。何故なら、月夜の姿を見れば一目瞭然だからだ。
爪をペンチで乱暴に剥がされたのか、無事な爪は右手の親指のみでそれ以外の指は血だらけ。左目の眼球は潰されて摘出されたのか、その瞼の中身は伽藍堂になっている。そして肋骨も数本が折られているせいで、非常に呼吸が荒くなっていた。酷い、惨い、と表現しても尚、言葉足らずとしか言えない様相だ。
「CIAにも様々な組織があってね。我々黒き猟犬は、そのCIAの数ある組織の中でも最も予算が少ない組織になるのだよ。だからこそ他のCIA連中を出し抜いて、CIAの全組織を束ねる力が欲しいんだ。要は、下剋上という訳さ。
人員の補充もままならない、スパイとして活動する費用すら少ない。それでいて情報を必ず取って来いと無茶振りをする上の連中に取って代わろうと、そう考える切っ掛けになったのがドイツの秘密部隊になるのだが、彼ら秘密部隊には非常に感謝しているよ。何せ、誰でも不老不死になれる方法がこの北海道にあると発見したのだからね。
だがしかし、運良く戦争が終わって我々が此処に来ても、中々情報が入手出来なくて実に苦労させられたよ。それこそ、あの人魚伝説が不老不死の力を得る方法なのだと当初は本気で信じていたし、調べれば調べる程に雲を掴むような話になってくる始末だったからね。
良く考えられた噂だよ。緻密に計算され、この国に初めから存在する人魚伝説を巧みに利用し、それっぽい言い伝えで道民に余所者を注意させるくらいだ。……『南から流れ来た存在は、一度に複数の災いを招く。決して先祖の地に招くなかれ、決して先祖の地に入れるなかれ、決して先祖の地に侵入される事なかれ』、だったかな?
これは本当に良く考えられた言い伝えだ。道民には、同じ日本でも北海道より南から来る余所者を監視させつつ注意を払うように仕向ける一方で、南に住む人間、或いは外国に住む人間には、人魚伝説の言い伝えであるかのように誤認させる。本当に上手い手だと感心すらするよ。
しかし、この緻密な策を考えた者も、まさか自身の腹の中に裏切り者という虫が出るとは露とも考えなかったのだろう。ククク、逆転ホームランというやつだ。我々としては非常に有り難い申し出だった。
だが、ここでまたしても問題が浮上した。君達にとっては裏切り者達である実動部隊の面々には、不老不死を得る為の装置が何処に存在するのか分からないと言うじゃないか。目隠しをして、耳栓までして、そうして秘密の場所まで連れて行き、そこで処置を済ませると聞いたよ。呆れる程の秘密主義だが、不老不死の力を隠すと考えれば頷けるというものだ」
長々と喋る事によって、月夜の思考する余力を奪いたいのだろう。関係する事から関係しない事まで喋る白人の男は、少しずつであっても月夜を追い込もうと必死なのだと察せられる。
そう、つまりはそんな風に拷問する側が必死になるまで月夜は拷問に耐えていると言い換えても良い。美しい美女が、見るも無惨な姿にさせられても尚、固く口を閉ざしているのだ。
「誤解しないで欲しいのだが、我々は君達を素直に称賛しているのだよ。そして、我々は君達が独占する特殊な装置を渡せとは言っていない。つまり、我々と共有しようと話を持ち掛けているのだ。
それなのにその力を、君達が独占して譲ろうとしない。だから君がそんな状態に追い込まれているのだが、それは理解しているかね?」
月夜が苦しそうに息している中、まるで自分がした行為は仕方がない事なのだと言いたげな様子の白人の男が、それこそ月夜を拷問した張本人であるのにも関わらず、月夜を気遣うかの様に問う。
それに対して月夜は、残された右目に力を込めて白人の男を精一杯に睨んだ。声を出す余力が残されていないのか、或いはその余力を残しておきたいのか、それは判然としないものの抵抗の意思を確実に示して見せたのだ。
「君は自分の立場を理解していないようだ。それとも私の拷問が君に合っていないからこそ、こうやって君は未だに自分の立場が理解出来ていないのかな? それなら彼と代わっても構わないが、どうする?」
彼というのは、月夜が拷問される以前に三葉を拷問していた男の事だ。二メートル近い筋骨隆々の男で、茶色の髪に隠れた鋭い目が特徴的である。
腕を組んで胸を張る事で、元々大きな身体を更に大きく見せる男をチラリと見て、月夜は挑発的な笑みを浮かべた。それはまるで、好きにすれば良いと、そう言っている様に見える。
「まだまだ気力が尽きる素振りは無いか。これでは君を過小評価していたと認める他無いようだ。そこそこ肉体的ダメージを与えたので、後は思考する力を奪うだけだと考えていたのだけどね。
拷問の内容は変更だ。パイソン、君に任せる」
胸を張り腕を組んでいた男が、パイソンと呼ばれるなり小さく頷いた。そして一言「クロウはその間に何を?」と、嗄れた声で月夜に拷問していた人物、つまりはクロウに尋ねる。
すると心底不愉快そうな表情を浮かべ、クロウは何やら思案する様に瞼を閉じた。
「あの鷹藤とやらを、全面的に信用するのは危険だ。どうも腹に一物抱えているような気がする。蔵人とやらは別だがな」
「つまり、鷹藤を見張るという事か? 他の者に見張らせておけば良いのでは?」
「いや、あの男を過小評価するのは不味い。痛い目に合うのは御免だ。しかもこの状況では尚更にな」
「……分かった。此方は任せろ」
「なるべく気絶しない程度に殴り続けろ。そして気絶したら、一度私の所に報告に来てくれ」
クロウは言うだけ言うと、パイソンの反応を待たずに拷問部屋から出て洞窟深部へと歩を進めた。その事から察するに、パイソンの上司だと考えられる。そしてもしかしたら、黒き猟犬という組織の中でトップに立つ人物であるのかもしれない。
ともあれ、クロウが出て行ってから一分もしない内に、パイソンは椅子に縛られて動けない月夜を相手に容赦無く殴り始めた。しかし容赦無くとは言っても、クロウが言っていた様に気絶しない程の力に抑えられてはいるのだろう。
見る間に赤黒く腫れ上がっていく月夜の顔は、それこそ誰なのか分からなくなるまでそれ程の時間を要しなかった。顔面を打ち付ける拳が十を超え、更には二十を超え、性別さえ判然としない様になっても未だに気を失わず、月夜は歯を食い縛って苦痛に耐え続ける。
そんな月夜の耳に、洞窟内の遠くで銃声がしたのが確かに聞こえた。しかも一発や二発ではなく、都合五発だ。
一発の銃声であれば、誰かの銃が暴発しただとかの可能性も充分にあるだろう。しかし五発もの銃声となると、暴発というのは考え難い。
そう月夜は考えた。そしてそれは月夜を殴っていたパイソンも同じだったらしく、怪訝な様子で殴る手を止めて耳に意識を集中させている様に見えた。
そうしてそれから暫くして、今度は数えきれないくらいの銃声がし、それが要因となって月夜に確かな確信を抱かせる。罠だと知っていて尚、それを食い破ってまでして自分達を助けに来た人物が直ぐ傍に居るのだと。
そう悟った瞬間、拷問されている最中であっても必死に体力を温存し続けていた月夜が叫んだ。
「み゛づば! い゛ま゛よ゛!」
何度も殴られた事で口腔内がズタズタにされたせいにより、激しく血を吐きながら叫ぶ月夜の声に従う様に、顔全体を月夜と同じく殴られ倒れ伏していた三葉が勢い良く立ち上がった。そしてその事が完全に想定外だったらしいパイソンが満足な反応が出来ずにいると、三葉はそんなパイソンの腰から銃とナイフを素早い動作で引き抜く。ナイフは刃渡り三十センチはあろうかという大振りの物で、銃はコルト・ニューサービスという名称の回転式拳銃だった。
三葉は腫れた瞼を必死に開き、銃の照準をパイソンに向けつつ月夜を椅子へと縛り付けていたロープを切る。
「月夜様。目が………」
「だい゛、大丈夫よ゛」
「私を庇ったせいで━━━」
今にも泣き出してしまいそうな三葉の肩を叩き、月夜は拷問部屋の出口へと視線を誘導した。今はそれどころではないのだと、切羽詰まった状況なのだと、そう言い含めて罪悪感を忘れさせたいのだと察せられる。
月夜の優しさの表れなのだろう。惜しむらくは、今はまともに喋れない事だ。それ故に口で伝える事が出来ず、こうして態度で伝えるしかないのだろう。
それでも月夜の気持ちは伝わった様で、三葉は悲しげな表情を見せるものの扉の方へと月夜に肩を貸しながら移動し始める。
「逃げられると思っているのか?」
「殺されないとでも思っているの?」
パイソンが無表情に問えば、三葉は激情に支配された表情で問い返す。しかし思考まで激情に支配された訳ではなく、冷静に扉まで焦る様子を見せずに少しずつ歩を進める。
そうして扉の目前まで辿り着いたその時、扉の向こう側から三発の銃声と共に勢い良く扉が開かれ、それに驚いた三葉がパイソンに向けていた銃を開かれた扉の先に立っていた人物へと咄嗟に向けてしまう。そう、銃口をパイソンから外してしまったのだ。
その瞬間を逃がさず、パイソンは三葉との距離を一気に詰めつつ握り込んだ拳を振り上げた。タイミングからして、これはまず避けられない攻撃だったと言っても過言ではない。
だが意外にもその拳が振り下ろされる事はなく、それどころかパイソンの身体は拷問部屋の奥へと吹っ飛んだのだった。その理由は扉を開けた人物に起因するものであり、モーゼルC96という名称の銃にリロードしながら、パイソン目掛けて躊躇無く名無しの権兵衛が前蹴りを放ったからである。
「待たせたな」
囚われた姫を救出する為、危険を承知で此処まで来た男が優しい声音を拷問室へと響かせた。
三葉「ダサッ!?」
名無しの権兵衛「………ま、待たせたな」
三葉「ダサいのに、何故言い直したの!?」
名無しの権兵衛「……………………」
三葉「え、これが”あの方“!? こんな男が!?」
名無しの権兵衛「ケンゴウ、この女は置いて行こうぜ」
ケンゴウ「待たせたな」
名無しの権兵衛「嫌味かよ!」
ケンゴウ「待たせたな」
名無しの権兵衛「もういいよ!」