罠だろうが何だろうが知った事じゃない その二
洞窟内を進みつつ敵を発見する度に素早く始末するその行動は、最早作業なのではと、そう思わざるを得ない程に淡々としたものになっていた。敵を発見、意識を逸らす、音を立てず接近して即座に始末する。この三工程で確実に一人ずつ淡々と排除しているのだから、確かに誰が見ても作業としか思えないだろう。
しかしそれを行っている身のケンゴウからしたら、決して作業とは言えないものであり、小さなミスすら許されない針に糸を通す様なシビアなものだった。それ故に、ケンゴウの精神的負担はそれ相応のものとなるのは必定。
「おい、大丈夫か?」
それなりに疲労が溜まっているのではと、そう考えた名無しの権兵衛が真っ暗闇の中で静かに相棒へと尋ねた。自分だったなら、もうかなりの疲労が溜まっているだろうと考えたからこその言葉である。
しかしケンゴウは然したる疲れを感じさせない様子で、一言「問題無い」と答えるだけであり、実際にその歩を進めるペースは一切緩まない。
大したものだと言わざるを得ないケンゴウの精神力を前にして、名無しの権兵衛としては驚くと共に、内心で手放しに称賛する。
ともあれ、そうして進んでいると名無しの権兵衛が火を点けた食料庫へと辿り着く。そう、此処から先は確認していない領域となるのだ。
だからであろうか、ケンゴウは此処でランタンを取り出し灯りを点けた。敵に発見されるリスクと音を立てるリスクを天秤に掛け、それならばランタンの灯りでバレてしまう可能性を選択したのだ。もしランタンの灯りがバレてしまったとしても、敵だってランタンを使用しているので即座にバレるとは思えないという考えもあっての選択であろう。
冷静に状況を考え、最善の選択を取り黙々と音を立てずに進むケンゴウは、それこそ忍などのそれの様で、実に頼もしいと名無しの権兵衛には思えた。そしてそれから暫くして、洞窟内の姿は少し変化を見せ始める。
ゴツゴツとした壁は几帳面に整えられ始め、とても洞窟内とは思えない様相と化していたのだ。それと同時に、暗闇の向こうからは敵のものであろう話し声がチラホラと二人の耳に入り始めたのである。
それを合図にしたかの如く、二人は此処からが本番なのだと気を引き締めた。厳しい状況での戦闘も考慮出来るからこその切り替えであり、アクシデントに対する気構えでもある。
「声の質からするに、恐らく三人だ。私が素早く殲滅するから、貴様はその後に来てくれ」
「待て待て。それはちょっち不味い」
「何がだ? 私がたった三人に手子摺るとでも?」
「いや、そうじゃねぇよ。お前の実力はもう十二分に理解してるつもりだ。
だが、この先の洞窟内の形状が分かんねぇだろ? 実際、此処まで声が響いて来るのに少し違和感があるしよ」
「どういう意味だ?」
怪訝そうに首を傾げて尋ねるケンゴウに、名無しの権兵衛は人差し指を自身の口に運び瞼を閉じて沈黙した。それを見て益々怪訝そうに眉間に皺を寄せて不思議そうに見つめるケンゴウ。
そうして数十秒すると、名無しの権兵衛がニヤリと微笑んだ。
「多分だけどよ、この先には地底湖があるじゃねぇかと思う」
「何故そう思う? 水の音など一切しないぞ」
「確かに水音とかはしねぇんだけっども、声が何かに遮られているような気がしねぇか?」
「……その遮っているのが水だと言いたいのか?」
「確実とは言わねぇ。言わねぇけど、もし地底湖があるのなら危険だ。地底湖の形状が擂り鉢状になっているのなら、迂闊に落ちてしまえば二度と上がれねぇかもしんねぇぞ」
名無しの権兵衛が気になったのは、音が硬い壁や地面に反射して二人の場所まで聞こえるのに際して、どうも聞こえ方が不自然だと感じたからだ。しかしそれが水のせいだとは普通気が付けるものではないのだが、何かしら確信している様子で、それならばとケンゴウは一応頷いた。
「それならばどうする? 白兵戦はやめて銃で確実に進むのか?」
「人質を取られている状況で、ドンパチして警戒を強めるのは良くねぇ。何とかならねぇか?」
「ふむ。………投擲術で殺れん事は無いが、確実に脳を破壊するか喉の舌骨を破壊するかしなければ、恐らく声を発する間を与えずに殺すのは難しいだろう」
投擲術でナイフなどを使用して殺す事も出来るだろうが、敵との距離によっては、或いは敵の実力によっては、投げナイフを避けられるか弾かれるかしてしまうだろう。そうなれば当然、敵は声を上げて警戒を強め、その結果バレずに進むというのは不可能になる。
名無しの権兵衛とケンゴウの二人は、ここに来て難しい選択を突き付けられたと言えるだろう。それもやはり地底湖というのが非常に厄介で、戦闘による選択肢をかなり狭めてしまうからだ。
「バレるのを前提に進むしかねぇだろう」
「良いのか? もしバレてしまえば━━━」
「あぁ、それは分かってる。バレれば月夜達がヤバくなるって事は充分な。
だからこそ、此処からは全速力で進むぞ」
「了解した」
今二人が立っている場所から、三葉と月夜が囚われている場所までの距離は不明。となれば、これは最早作戦ではなくただの運頼みである。三葉と月夜が囚われている場所が、出来る限り近い事を願っての突撃であるとしか言えない。
だが、そんな作戦をケンゴウは了承してしまう。それは他にどうしようも無かったからで、それでも自分と名無しの権兵衛の二人なら月夜達を救出出来るだろうという強い実感があったからでもあった。
「コイツを使うのは久しぶりになるな」
ケンゴウは懐から二式拳銃を取り出すと、その銃に予め込められていた弾を確認し優しく銃身を撫でた。この拳銃はケンゴウがアメリカを発つ時に父から託された物で、それ故に思い入れがあるのだと察せられる。
浜田式自動拳銃と呼ばれるこの拳銃は、太平洋戦争中に日本で開発された自動拳銃になり、製造された数も非常に少なく、第二次世界大戦後十年が経過した現在においては、恐らく数百丁しか残っていないだろう希少な拳銃だ。それを何故アメリカに居たケンゴウの父が所有していたのかは判然としないが、磨かれて輝くその銃を見れば大事にされているのが誰の目にも明らかだ。
「へぇ、良い銃じゃねぇか。俺のモーゼルと交換しね?」
「ふん。軽口はそこまでにしておけ」
「ニシシシ。こっからは一切気が抜けねぇし、確かに軽口はやめときましょうかね。
そんじゃ、準備は良いか?」
ニヤリと笑みを深くした名無しの権兵衛が問えば、ケンゴウも同じく笑みを浮かべ「いつでも構わん」と返答した。そしてその瞬間、二人は互いに競うかの様に駆け始める。
地面を駆けるばかりか壁すら駆ける二人は、まるで放たれた弾丸の様だった。体内に内在する全てのエネルギーを燃やし尽くすかの如く、無酸素運動による身体への負荷をものともせず、二人は暗い洞窟を駆け続けた。
そうして進んでいると、無数の松明によって照らされる地底湖が二人の目に映る。危惧していた擂り鉢状の地底湖でなかったのは良いが、そこは幻想的過ぎる光景の場所で、水が透明過ぎて一瞬だけ水が存在しないと勘違いしてしまう程だった。そしてそこに三人の男達が、ボートの直前に立ち何やら話し込んでいた。
洞窟内に発砲音が三度響く。三度とも名無しの権兵衛の手にするモーゼルから発せられた音であるが、その三発は全て男達の頭部へと命中し見事に三つの頭を爆ぜさせた。
それで終わりかと思えば、まだである。良く良く地底湖の先を見れば、ひっそりと一隻のボートが浮かんでいたのだ。
それに気付いたケンゴウは、二式拳銃を構えるなり直ぐ様に引き金を二度引く。それによって放たれた弾丸の行方は、一発はボートの上に立っていた男の直ぐ傍を飛翔して通り過ぎ、もう一発は男の頭部へと吸い込まれる様に着弾した。
ボートの上に立つ男が頭部から花を咲かせると、グラリと身体を傾け地底湖へと落ち、その際に発生した水音が寒々しく木霊する。
「あっぶね。もう一隻のボートに良く気付けたな、お前」
「目につき易い奴なら、貴様であれば確実に始末すると考えていたからな。だから目につき難い奴を探すようにしていた結果だ」
「そりゃ有り難いね。このままその調子で頼んだぜ」
「あぁ、それは任せろ。……それより、此処からはボートでなければ進めんようだぞ」
地底湖の奥には当然かの様に松明が壁に備え付けられており、それが一定間隔でずらっと並んでいた。これでは確かに、泳いで進むなどと無謀な事をする以外ではボートで進むしか他に術は無い様に見える。
それを悟った様子の名無しの権兵衛は、ふと少し焦った表情でチラリと腕時計を確認した。
「ボートだと時間が掛かって困るんだけっども、他にどうしようもないし、こればっかりはしゃあねぇか」
三人の男達が倒れ伏す直ぐ傍にボートが一隻あるのだから、それを使用する以外に手はない。さすれば既に結論は出ているのと同義であり、名無しの権兵衛とケンゴウの二人は足早にボートに乗った。しかし乗って気付いたのか、手漕ぎである事に思わず名無しの権兵衛が舌打ちする。
勘弁してくれと、名無しの権兵衛はそんな言葉を情けない声音で洞窟内に響かせ、ケンゴウとの二人でもって一心不乱に漕ぎ始めた。洞窟内で発砲してしまった事により、敵が馬鹿でもない限りは警戒していて当然で、それ故に止まっている暇は無い。だからこそ、急いで漕ぐしかないのだ。
慣れない作業のせいか、バシャバシャと無駄に音が鳴ってしまう。しかしそれを気にしている暇などなく、それはもう無心で漕ぎ続ける二人。地底湖の幻想的な光景を見ている暇も無い。
するとそんな二人の前に、陸地が姿を現す。勿論、姿を現したのは陸地だけではなく、敵が十人も居て、オマケに武装してもいる。
「だぁぁ、クソッ! こっちは急いでるっつうの!」
悪態吐くと同時に、名無しの権兵衛はモーゼルの引き金を躊躇なく引く。相手は十人で、モーゼルから発射された弾丸は十発。しかし流石の名無しの権兵衛であっても、確実に始末出来た人数は五人だけだった。
すると残りの五人全員が、自動機関銃であるトンプソンを構え、その照準をボートに乗る名無しの権兵衛とケンゴウの二人に合わせる。
「やっぱり銃声は気のせいじゃなかった! 撃て撃て、撃ちまくれ!」
「死ね死ねぇぇぇえ!」
「オラァ! 撃ちまくれぇ!」
流石に拳銃で自動機関銃であるトンプソンに面と向かって撃ち勝つのは容易ではなく、一旦ボートの上で身を屈める名無しの権兵衛とケンゴウ。
だがしかしトンプソンの銃声が途切れた瞬間、それを狙っていたかの如く、二人は銃を構えつつボートから乗り出す様にして連続した発砲音を仕返しとばかりに響かせる。そして二人の銃が火を吹く度に、トンプソンを持つ男達が面白い様に頭部から花を咲かして散っていく。
普段の洞窟内での地底湖は、きっと静かでただただ美しい光景が広がる場所だったのだろう。それは遥か永い時の中において、ずっと変化する事なくそうであった筈だ。それが今や血煙が舞い銃声鳴り響く場所となるなど、この場所を最初に発見した者は想像だにしなかったに違いない。
ともあれ、待ち受けていた十人を始末し終えた二人が陸地にボートを寄せて降り立つ。そして大きく安堵の息を吐きながら、自分達が乗っていたボートへと視線を移す。
「うひゃ〜、穴だらけになってらぁ」
「今のは肝を冷やした。運が良かったとしか思えん」
「敵側に射撃の腕が良い奴が居たら、結構ヤバかったかもしんねぇな」
穴だらけになったボートは、二人が安堵からの感想を言い合っている最中に沈没していく。地底湖の深さは、黙視ではそれ程に深くはないのでそこまで恐怖を抱かないが、水そのものの冷たさを考えればそれなりの恐怖を抱かざるを得ない。もしも水に身体が浸かっていたら、今頃は寒さに震えていた筈だ。そして数分もしない内に、寒さによって動けなくなっていただろう。
寒さ独特のそういう恐怖もあれば、ボートがそうなった様に直接的な恐怖も相まって二人は更に気を引き締めた。そう、気を引き締めなければ即座に自分達がボートの様に穴だらけにされると理解させられたのだ。
そんな二人が安堵していたほんの十数秒の後、洞窟の奥から女性の声が聞こえた事で二人の雰囲気は一変してしまう。声は明らかに月夜のもので、その月夜の声が苦痛に耐える様な声音だったからである。
「おい!」
「あぁ。裏切り者のクソッタレどもが仕事中って訳だ」
「皮肉を言ってる場合では━━━」
ケンゴウは思わず言葉を中断した。いや、中断せざるを得なったのだ。名無しの権兵衛から発せられる強烈な殺気に、迂闊な発言が出来なかったのである。
「さぁ、大掃除の時間だ」




