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名無しの権兵衛  作者: 蘇我栄一郎
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捕囚の身

「月夜様! 大丈夫ですか?! 月夜様!」


 真夜中かと思える程に真っ暗な一室で、月夜の名を呼ぶ声だけが虚しく木霊する。地面や壁はゴツゴツとしており、とても家屋の中に居るのではないのだと、そう肌で理解するのには容易い程には冷たく無機質であった。

 そんな一室において何度も何度も呼び続ける声に誘われ、気を失っていた月夜が意識を浮上させ始める。


「うぅ………こ、此処は?」


「もう目を覚まさないのではないかと心配しました! 三葉(みつば)です、分かりますか?!」


「え、えぇ。連絡が取れなくなって心配してたんだけど、無事だったのね?」


「はい。囚われていますが、何故か命を奪うつもりは無いようで拷問の類いもありません。ただし、このままという事はないと思われます。情報を得る為に、拷問の一つでもあるのではないかと」


「そうでしょうね。でもそれより不味い事態だわ。既に私達は餌とされているのよ」


「餌? それではまさか、月夜様が囚われたのはアタシのせいで!?」


 自分が餌として月夜が釣り上げられた事を悟り、暗闇に包まれる牢獄の中で項垂れてしまう三葉。自分が捕まらなければこうはならなかったのだと思いつつも、自分自身を責める気力さえ湧かないらしく気落ちしてしまう。

 あの時にこうしていれば、いや、あの時にあぁしていれば、そんな後悔の念ばかりが心を支配し、何も言葉に出来やしない。しかし月夜は違うらしく、暗闇の中で鈴が鳴る様な微かな笑い声を響かせる。


「フフ。大丈夫よ。何も問題にはならないわ」


 普通ならばただの慰めの言葉にしか聞こえないその言葉であるが、三葉には不思議と心を鷲掴みにされる様な力が感じられた。まるで本当に一切の問題が無いと感じさせる様な、それでいて恋する乙女が口にするノロケ話の様な、そんな奇妙な印象を与える月夜の言葉だった。

 三葉は不思議とその言葉を耳にして少しの気力を取り戻すと、何かしらの策があるのではと思案する。そうでなければ、これ程に月夜が自信を持って言う訳がないと考えたのだ。

 そして、ふと気付く。鷹藤や蔵人達の中において、此方側の(スパイ)が潜んでいる事に。その者を思い出すなり、三葉も月夜に負けず劣らずの様子で完全に気力を取り戻す事に成功した。

 だがそれと同時に、疑問も一つ浮かぶ。月夜は恋する乙女の様な印象を与える声音をしていたが、(スパイ)である八助に果たして恋心を抱くだろうかと。

 確かに八助は人の感情の機微に敏感で、それ故に話していて嫌な気持ちになった事がない人物だった。しかし八助の顔は凡庸で、特に優れた技能も無かった筈。そう思うと決して月夜が恋心を抱く人物には不適格であり、三葉にはとても月夜が八助に惚れているとは思えなかった。


「あの、月夜様は身の安全を確信しているように感じられるのですが……」


 疑問に思い考えれば考える程に深みに嵌まった三葉は、思わず答えを知ろうと月夜へと尋ねていた。どうしても身の安全を確信している月夜の根拠を知りたかったのだ。

 しかし尋ねられた当の本人は、鈴の鳴る様な笑みを浮かべるのみで、その核心に至る答えを口にはしない。その代わりにただ一言、「あの御方にお任せすれば大丈夫よ」と、そう告げただけだった。

 それを耳にして三葉は再び思考の海へと沈み、“あの御方”が誰なのかを思案する。“あの御方”という言い方からして、その謎の人物を敬っているのは三葉にも容易に察せられるのだが、そうするとやはり八助は違うという事以外には何も分からない。

 はて、それならば果たして誰なのだろうかと、そんな風にどんどん思考の海へと沈み込む三葉は、知らず知らず自分が餌として月夜が捕まった事の罪悪感から解放されていた。これを月夜が意図していた訳ではなかろうが、三葉からすると実に有り難い事であったのは間違いないだろう。

 ともあれ、そんな風に思考の海へと沈んでいた三葉の耳に、暗闇に包まれる牢獄の向こうから突然男性の声が発せられるのが確かに入り、意識が一気に浮上する。


「三葉さん、月夜様。御二人とも御無事ですか?」


「その声は……八助?」


「はい、八助です。良かった、月夜様も目覚められたのですね」


「えぇ。ついさっき目を覚ましたのだけど、まだ時間知覚が曖昧なのが問題ね。私が捕まってからどれくらいの時間が経過したのか分かるかしら?」


「かなり強く後頭部を殴られていたようで、十六時間も気を失っていました」


「十六時間も眠っていたの……? いえ、今はそれより、他の見張り要員がどうなったのかが重要よ」


「見張り要員、ですか? それはこの洞窟の最寄り町で監視していた人員の事でしょうか?」


「えぇ。その認識で間違いないんだけど……」


「それでしたら問題ありません。今は身を潜める事に従事しているので連絡は出来なかったのでしょうが、身の安全は確保しているようです。

 それより、どうかしましたか?」


「八助が気付いていたという事は、やはり鷹藤や蔵人達にもバレていたのかと思って」


「いえ、その可能性はありません。この洞窟で火事というアクシデントがあったので、已む無く最寄りの町に食料や飲料を買いに行った際に自分が気付いただけですので」


 草である八助の言葉を耳にして、月夜は心底ホッとした様子で胸を撫で下ろした。目覚めてから三葉しか同じ牢獄の中に居なかったので、他の者達はもしかしたら殺されたのかもしれないと危惧していたのだろう。

 それに対して三葉はと言えば、自分の間抜けさに呆れていた。何せ鷹藤や蔵人達が気付いていないという事は、自分だけが偶々見付かってしまった結果なのだと理解せざるを得なかったからである。

 なまじ月夜のお陰で気力が回復していた事も相まって、三葉は内心で自分を責めてしまう。自分がしっかりしていれば、月夜も捕まる事は無かったのにと。

 そうやって自分を責め始めた三葉を他所に、月夜と八助の会話は続いていく。


「明智様と連絡を取れるかしら?」


「申し訳ありません。鷹藤や蔵人が気分で拠点を変えていまして、そのせいで自分には明智様との連絡の取りようが無いのです」


「そう、よね。連絡が取れるなら、既に貴方から何度も連絡が来ていても不思議ではないのだし」


「もう暫くしたら、三葉さんと月夜様を逃がします。その段取りに少し時間が掛かりますので、もう少し辛抱して下さい」


「いえ、それには及ばないわ。鷹藤の事だから私達を餌にした罠が張られているのは分かっているけど、それを一切気にせず突っ込んで進む御方を私は知ってるから。しかも、罠どころか敵の中心人物すらも食い殺すような御方で、その時に私達もついでに助けて貰うわ」


 内心で自分を責め始めていた三葉は、再び月夜のノロケにも似た様子の話を耳にして知らず知らずその事に意識が逸れた。それによってまた精神的に助けられた事になるのだが、それを自身の事になるのに露とも気付かず、三葉は“あの御方”とやらの正体が漸く月夜の口から聞けるのだと興味津々の様子で身を乗り出す。

 絶対に聞き漏らしてたまるかと言わんばかりの姿で、心の中で八助に早くその人物が誰なのかを尋ねろと叫ぶ三葉。人の恋心の行方が誰に向かっているのかなどを気にしている状況ではないのだが、やはりそこは女であるからして、どうしても気になってしまう様だ。

 しかしそんな三葉の思惑は上手くいかず、何者かが乱入してくる事によって月夜と八助の会話は唐突に途切れてしまう。


「隊長、此処で何してるんすか?」


 隊長と呼ぶその声から察するに、実動部隊の隊長である八助を呼びに来た部下なのだろう。その声の主に対して、三葉はそれこそこの状況では似つかわしくない仕草を取る。それが何かと言えば、月夜にも聞こえる盛大な舌打ちであった。

 タイミングを考えろ三下、そう言いたげな舌打ちにギョッとする月夜を他所に八助が少し焦った様子で部下へと応える。


「あ、あぁ。捕まった奴らは大事な釣り餌だからな、生きているかの確認だ」


「なるほど。確かに釣り餌が死んでたら効果半減っすからね」


「それで何か用でもあったのか?」


「蔵人様が隊長を呼んでるんすよ。何か思い付いたらしくて、それを隊長に任せる気でいるみたいっす」


「……それって内容聞いてるか?」


「いや全然分かんないっす。でもどうせ面倒な事だと思うっすよ、いつもみたいな」


 部下からの話を聞いた八助は、それはもう心底嫌そうに溜め息を吐く。部下のいつもみたいなという言葉から察するに、きっと普段から無茶な事で振り回されているのだろう。


「分かった。お前はもう持ち場に戻って良いぞ」


「へへへ。隊長、頑張って下さいね」


「お前に言われんでも頑張るわ。そうでないと困るのは自分だからな」


「仕事が終わったら一杯飲みましょうよ。そんじゃ俺は戻ります」


 苦笑を浮かべる部下はそう言葉を残して去って行き、すると再び牢獄周辺は静寂に包まれた。そしてもう邪魔は居ないと確信した八助が、月夜に向けて声を発する。


「月夜様。自分は仕事が出来たのでこの場を一時去りますが、本当に脱出の件は宜しかったのですか?」


「え、えぇ。大丈夫よ」


「どうかしましたか? 何か戸惑うような事でも?」


「いえ、こっちの話だから気にしないで。それより、八助は八助の仕事に専念してちょうだい」


 月夜は自分の隣に居る三葉の豹変具合に戸惑いつつ、一応それなりの態度で八助へと返答した。それは少しでも心配させまいとする月夜なりの優しさであったのだが、隣の三葉は何故唐突に不機嫌そうな舌打ちしたのだろうかと疑問にも思っていたのは間違いない。

 先程までの自分と八助の会話の中で、何が三葉の機嫌を損ねてしまったのかと考えるのも束の間、八助が最後に「お気をつけください」という言葉を告げ去って行く事で、月夜の思考は名無しの権兵衛についてに移る。

 自分との連絡が取れないと分かれば、名無しの権兵衛ならば直ぐ助けに来てくれるだろう。例え道中に罠があろうとも、強敵が存在しようとも、未知の何かがあったとしても、きっと、そんな風に月夜は一切の疑い無く信じている。

 それなら既に、もう名無しの権兵衛が動いていても不思議ではない。もしかしたらもう直前まで来ている可能性もあるのではないかと、そう思うと月夜の心臓はどんどん強く脈打ち始める。


「三葉」


「は、はい!」


「いつでも動けるように気を張ってなさい。あの御方が助けに来てくれる筈よ」


「あの御方、ですか?」


「えぇそう。あの御方よ」


 恋に恋する乙女とは違って明確に誰かを本気で恋している事を、三葉は月夜の言葉で確信した。そしてそれと同時に、防人の一族で最も美しい月夜がどんな人物に恋しているのかを早く知りたいと願っている自分の気持ちに気付き、こんな状況で何を考えているのかと自分自身に呆れてしまう。

 しかしそれも刹那の事で、やはり気にはなるのだから仕方ないと開き直る。


(やっぱり物凄い美形に決まってるわ! そうじゃないと、月夜様には不釣り合いだものね!)


 三葉が名無しの権兵衛を見て、心底ガッカリするまで後数時間の事であった。

三葉「憧れの月夜様に恋人が?! とうとう人生初めての恋人が?!」


月夜「た、確かに恋人は居なかったけど、恋ぐらいした事があるわよ! ………大昔だったけど」

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