同盟
酒と煙草を買い込んで戻って来た名無しの権兵衛を港町に入る少し手前で出迎えたのは、名無しの権兵衛の相棒であるケンゴウと初対面になる眼帯を付けた男の二人であった。
真夜中の道路脇にポツンと佇むその二人を視界に入れた名無しの権兵衛は、ケンゴウは兎も角として、その隣に立つ見知らぬ人物を見て訝しげな様子でブレーキを踏みトラックを止めた。
態々港町に入る手前で待っていたのも気にはなるのだろうが、それよりもケンゴウの隣に立つ男が何者なのかが一番気になるようで、運転席の窓を下げるとケンゴウに向けて声を投げ掛ける。
「ちょいちょい、こんな所でどったの? お隣の方はお知り合い?」
煙草を咥えたまま顔だけを車外に出して問い掛ける名無しの権兵衛。寒い外気に晒された顔が、その瞬間から赤く色を付け変化した。
そんな名無しの権兵衛を見て、どこか探る様な視線を向けて興味深そうに見詰める眼帯の男を他所に、ケンゴウは淡々とした口調で隣に立つ人物の説明を始める。
「元々は北海道の西側を縄張りとしていて、第二次世界大戦後には北海道全域を自身の縄張りにして活動している仁侠組織のトップ、名を勝二郎。組織の名は、竜武会。総員千五百人を越えるヤクザ組織だ。
此度そのヤクザ組織である竜武会と、CIAや裏切り者連中との戦闘において同盟を結ぶべきかと考え連れて来た」
出来る限り要点を纏めて告げたその言葉に、名無しの権兵衛は少し戸惑う様子を見せた。その理由は単純明快で、余りにも突然過ぎた話だからだ。
これは人によりけりかもしれないが、友人を介してとは言え初めて出会った人物をそう容易く信頼したりはしないものだろう。少なくとも、名無しの権兵衛からしたら無理な話であった。
「あ〜、突然言われても困るんだけっども……。えぇと、取り敢えずコンテナ船の調査が済んでから、それからもう一度話を聞かせて貰うって事で良いか? 順序良く事を進めておきたいからよ」
突然同盟関係を結びましょうと提案されても、名無しの権兵衛からしたら少し困る事案だ。簡単に初対面の人間を信頼出来る訳が無いし、何よりCIAの本気度を調べている真っ最中なのだから、この状況で更なる問題が増える事を好ましく思わないのは当然であった。それ故の玉虫色の返答、問題の先送りという訳だ。
だが、名無しの権兵衛の言葉を耳にしたケンゴウは、首を左右に振る事でその要望を即座に否定する。……と言うより、否定せざるを得なかったと言い換えた方が正しい。
「既にコンテナ船はこの港町には存在せん。いや、正確には一隻残っているが、もう一隻は逃亡してしまったのだ」
「へ? 逃亡ってどういう事? いや、一隻はっていう言い方から察するに━━━」
「あぁ、そうだ」
少ない情報だけであっても、紹介されたばかりである人物の素性を思い返したりして、それなりに現在の状況を直ぐに理解したのだろう。恐らく、少ないピースでケンゴウが勝二郎を紹介する事になった流れも予測しているのだと察せられる。
それを理解しつつ内心で流石だなと感心するケンゴウは、名無しの権兵衛の言葉を遮り肯定の言葉を口にすると、隣に立つ勝二郎へチラリと視線を向けてそのまま言葉を紡ぐ。
「貴様が酒と煙草を買いに行ってから二時間程した後、勝二郎とその配下の者達が一隻のコンテナ船へ侵入。その結果、一隻は制圧に成功するものの、もう一隻には逃げられてしまったのだ」
「ちょ、ちょっち待って。……あ〜、やっぱりそういう話になる訳ね。それはマジで困るんだけっども」
ケンゴウの言葉を半ば予想していたのだろうが、その結果を聞きたくなかった名無しの権兵衛は思わず頭を抱えてしまう。何故なら、これでCIAの本気度を調べる事が難しくなったからである。
だがそんな名無しの権兵衛の反応とは正反対に、ケンゴウは余裕を持った表情を浮かべていた。まるで問題無いと言わんばかりの表情である。
すると当然それを見て疑問に思わない訳もなく、訝しげな様子で余裕そうな表情のその理由を尋ねようと名無しの権兵衛が口を開くその瞬間、ケンゴウは隣に立つ勝二郎から視線を相棒へと戻すと、安心させる為に入手した事実を告げ始める。
「勝二郎の配下が襲撃以前に調べた限りで言えば、二隻のコンテナ船に乗船していたCIA諜報員の数は四人だけだったそうだ。そして船の積み荷のコンテナには機関銃を中心とした武器が入っており、それはどうやら裏切り者達に渡す物資なのだろうと察せられる。
つまり、CIAは極少人数のみの人員を寄越しているようで、本腰を入れている訳ではないらしいと判断出来る訳だ」
「マジでか? 信憑性は?」
名無しの権兵衛が思わず運転席から身を乗り出して尋ねたのに対して、ケンゴウは冷静な様子で隣に立つ勝二郎へと視線を向け「それは貴様自身で確かめろ」と告げて沈黙してしまう。他人から聞いただけの評価より、自分で真偽を確かめた方が良いだろうと、そんな風にケンゴウなりに考えたからこその行動である。
そうして、漸くケンゴウと名無しの権兵衛の会話が終わった事を認識した勝二郎は、笑みを浮かべつつ初めて口を開く。
「ククク、あんたが妙な名を名乗る名無しの権兵衛かい。あんたの相棒のケンゴウから色々聞かせて貰ったよ。
何やら本気でアメ公と対立してるらしいじゃねぇか。しかも売国奴が居て、そいつらをもアメ公と一緒に叩き潰すつもりだって聞いたぜ?」
獰猛でいてどこか悪戯っ子の様な印象を振り撒く勝二郎がそう口にすると、その雰囲気を肌で感じて何故か嬉しそうに笑みを浮かべる名無しの権兵衛が、思わずと言った感じで感嘆の声を漏らす。
「へぇ〜、こりゃ珍しいタイプだ」
「何がだい? 何が珍しいって?」
自分の正義という価値観を最も大事にして行動し、気に入らない事や気に入らない者を命を懸けてでも排除する様な人物だと、そう勘で判断して珍しいと評価した名無しの権兵衛の呟きに、何やら面白そうにニヤリと笑みながら問う勝二郎。
だが名無しの権兵衛はその問いに手を左右に振って答えず、自身の疑問を解決する為の言葉を口にする。
「いやいや、こっちの話。それより、さっきケンゴウが言ってたのは全部事実と考えて良いのか?」
「おうよ。アメ公っつってもカタギの人間を襲うのは問題だからよ、事前に細かく調べさせてたんだ。で、多くの船員が聞き慣れないマフィアとかいう俺達と似た組織だが俺達以上に屑の集団らしいと聞いた後、それ以外の面子はアメリカ政府の犬だと分かったから容赦なく全員を殺すつもりで襲撃させて貰ったぜ」
「マフィア? 聞いた事がねぇ組織だなぁ」
マフィアと呼ばれる組織は、この時代ではアメリカ国内でもまだ広く認知されていない組織であり、勝二郎や名無しの権兵衛達が知らないのは当然であった。アメリカ国内の一般人にも知られる様になるのはこの二年後の1957年の事で、マフィア組織の幹部がニューヨーク州に集合した際、その機会を狙っていたFBIによる大量検挙でマフィアの名がアメリカのメディアにも登場する様になり、その結果として多くの人に認知される事になる。
だからこそまだマフィアという単語とマフィアという組織の実態を正確に知る者は日本には存在せず、それ故に今回の事で初めてマフィアという名を日本人で最初に知ったのは勝二郎や名無しの権兵衛達という事になると言っても過言ではなかろう。
ともあれ、そんな組織の事を端的にとは言え耳にした名無しの権兵衛は、初めて耳にするマフィアという単語を脳に刻み込むかの様にオウム返しに呟く。
「マフィア、ねぇ。怖いお兄さん達の集まりって訳か。
ま、それより、どうやってそこまで詳しく調べたのかが気になるんだけっど?」
相手は停泊していた船から一切降りず、常に船上で生活していた。そんな人物達から情報を得ようとするなら、どうしても直に接触するしか方法は無いだろう思える。そう考えて名無しの権兵衛は船員に直接声を掛ける手段として、物売りに成りきるつもりだった。それに対して勝二郎がどんな手法で情報を得たのか、それが名無しの権兵衛にはマフィアという聞き慣れない組織の名前以上に気になった様だ。
当然と言えば当然である。何故ならば、情報を入手したその手法によって情報の信憑性が大きく変わるからであった。
それを理解しているのかどうかは分からないが、勝二郎は然も当然の様な口調と表情で答える。
「別に難しい事はしてない。アンタがやろうとしていた事と同じ方法さ。ただし、俺の子分達は調理済みの物を品物としていたがな」
勝二郎の至極簡単な説明を耳にして、それでも名無しの権兵衛は素直に感心した様に息を吐く。拷問まがいで無理矢理聞き出した情報ではなく、相手の懐に入って聞き出した情報なのだから信憑性が非常に高いと安心したのだ。そしてそれと同時に、CIAが本気じゃないと確信出来て尚更にホッとした様子である。
勝二郎はそんな名無しの権兵衛の反応を見て、自分の話が全面的に信用されたと理解し、同盟の事を話すには丁度良い頃合いだろうと算段した。しかし生憎にも天候が悪化したらしく、ポツポツと降り始めた雪を理由に仕方なく場所を変える事を提案する。
雪が降っていなくとも夜の気温は常にマイナスで、まるで肌に針が刺さっているかの様に感じる程には寒い。それどころか、そんな寒さの中で長時間外に居る事すら命の危険を明確に感じてしまう程だったりするのだ。それ故に名無しの権兵衛は勝二郎の提案を拒否する理由も無く、ケンゴウと勝二郎をトラックに乗せると直ぐ様チェックインしていたホテルへと移動する。
そうして到着するなり真っ赤な炎が灯った暖炉が存在するホテルの待合室に足早に入れば、大袈裟ではなく室内の温度の高さに全員が安堵の溜め息を吐く。そして徐々に身体の末端に熱が行き渡るのを感じつつ、それぞれ思い思いに席に座る。
地獄から一転、天国にでも足を踏み入れたかの様な心持ちになる面々が知らず知らず黙してしまう中、北海道で生まれその寒さに慣れているのだろう勝二郎が逸早く復帰を遂げる。
「さてさて、アメ公や売国奴を潰す同盟をどうするのか、その答えを聞かせて貰えるかい?」
「そうだな。でもよ、答える前にもう一つ聞きたい事があんだけど?」
「ケンゴウと同じで聞きたがりのようだな。だがまぁ、聞きたい事があるなら聞いてくれて構わんぜ」
堂々とした素振りと口調で了承する勝二郎を前にして、名無しの権兵衛は少しおどけた雰囲気を敢えて見せる。
「そんじゃあ、遠慮無く聞かせて貰おっかなぁ」
「おう。どんと来い」
「そんなら聞くけど、どうして初対面の俺達と同盟を組もうなんて思ったのかが気になるね。自分達だけでやりゃ良いだろ? 力も数も揃ってるんだから、ぶっちゃけ俺達の力に頼らなくとも問題無いと思えるしよ」
「クハハハ! 別に小難しい理由はねぇよ。同じ日本人で、同じ目的を持って、同じ敵と戦っている。それなら手を組んで戦った方が効率的だと思うのが普通じゃないか。それにあんたもケンゴウも、二人共にかなりの実力者なのは察せられるしよ。特にケンゴウが別格の強さだってのが同盟を組む大きな理由だな」
名無しの権兵衛も、それなりに武術を嗜んでいる。それこそ一流の武術家を名乗っても問題無いくらいには強い。事実、相棒であるケンゴウも名無しの権兵衛の強さには興味を持っているくらいだ。
しかしそのケンゴウの強さはと言えば、一流の武術家を名乗っても不思議じゃないくらいの名無しの権兵衛を更に上回る程の達人であり、最早その腕前は超一流と言えるくらいだ。それなら確かにそんなケンゴウと手を組むのにはそれが大きな理由と言って差し支えないし、何より大きな利点があると断言出来る為に勝二郎の言葉には素直に賛同出来る。
だが、名無しの権兵衛は勝二郎の言葉だけでは完全に信頼出来ないと言いたげな表情を浮かべた。そして次の瞬間には、その表情を挑戦的なものへと変化させる。
「ん〜、なぁんか隠してねぇか? どうも怪しい感じがするんだけっど?」
「ククク、クハハハハ! 何だよ、おい。ケンゴウも名無しとやらも、突然どうしてこんなに面白い人間が現れるんだよ」
「やっぱり別の思惑があんのね」
少しゲンナリしつつ、名無しの権兵衛は肩を竦めて落胆を露にした。都合の良い話にはそれなりに裏があるのが普通であるものの、やはり例外無く今回もそうかと思いガッカリした様だ。
そんな名無しの権兵衛を見て勝二郎は、大きく首を左右に振って少し大袈裟な素振りで名無しの権兵衛の言葉を否定し始める。
「いやいや、思惑って程の事じゃないさ。俺はよ、強い奴が何よりも好きなんだよ。そしてそんな強い奴と一緒に暴れられるなら尚良い。しかしその強者が切れ者なら、子分達の視野を広げる良い教材になるから尚更に良いと考えただけだ。
つまり、一流どころで切れ者のあんたと超一流のケンゴウとなら、最高に楽しく暴れられるし子分達の良い教育にもなるっつう一石二鳥の思惑さ」
教材やら教育という単語が出たのは、勝二郎が本当に子分達を大事にしているからなのだろうと察せられる。しかし、子分達の良い見本となるかは疑問だ。何せ名無しの権兵衛は相棒にさえも自分の名前や生い立ちなどを隠している様な人物だし、ケンゴウは武術を極める事にしか興味が無い人物なのだから、どう考えたとしても見本には程遠いとしか思えない。
だがそれでも、勝二郎からしたら見るべきところがあると判断した結果なのかもしれない。ヤクザ者にはヤクザ者なりに、普通の者とは違う物の見方があるのだろう。
ともあれ、厄介な思惑という訳じゃないと理解した名無しの権兵衛は、ずっと黙して会話を聞いていたケンゴウへと視線を向けると小さく頷いた。そして一言、視線を再び勝二郎に移して笑みを浮かべながら呟く。
「そんなら仲良し小好しの同盟を組むとしますかね」
名無しの権兵衛「へ〜、珍しいタイプだなぁ」
勝二郎「義に反するヤツァ成敗だ!」
その頃のケンゴウ「早く話が終わらないかなぁ。ハンバーグ食いたくなってきた………勿論、ピクルス抜きのヤツな」