狂人の凶刃
名無しの権兵衛が破壊工作兼妨害工作をして逃亡した後の洞窟内では、轟々と燃える食料庫から発生した煙によって阿鼻叫喚の地獄絵図となっていた。
ただでさえ暗い洞窟内において黒煙が発生した事が要因となり、視界は最悪で、しかも洞窟の出入口が一つしか存在しなかった事も重なって、外に向かって進む事すら困難となっていたのである。
誰も彼もが咳き込み、中には嘔吐すらする者が続出する始末。息苦しい洞窟内から脱出したくとも、黒煙が邪魔して視界は悪く呼吸すら満足に出来ない。
だがそんな地獄絵図において一切冷静さを失わず、それでいて黒煙など発生していないかの如く、普段通りに振る舞う異質な者達が二人居た。
「アメリカの犬は何処だ?」
「奥のスペースにて休んでもらっとる。あそこは空気孔が複数あるから大丈夫じゃろ。犬の相手は八助がしておるしな」
「そうか。……それにしても、コイツらは本当に役立たん者達ばかりだな。不死の力を得ておるクセに、何故こんなにもパニックになる必要がある?」
「ヒヒヒヒ。そこまで言う事もなかろうよ。確かに不死の力を得ておってこの様は情けないが、首を斬り落とされたり身体の損壊が酷過ぎた場合などは死ぬんじゃ。それに、無酸素でもな」
鷹藤と蔵人の二人は、まるで黒煙を気にしない素振りで会話をしているが、実はただ単純に呼吸を止めているだけである。両者共に剣術で鍛えた肺活量でもって、五分間もの時間を無呼吸でいられるという特技を持っているのだ。しかも、その五分間を激しい無酸素運動も熟せる次元で。
だがそれ以外の者達がそんな特殊技能を持っている訳もなく、鷹藤と蔵人以外は死を感じて混乱の極地となっていた。しかし、特殊技能がなくとも助かる道はある。
深く掘られた洞窟などでは必須となるのが、洞窟内の酸素を調節出来る空気の通り道。それが空気孔である。
もしもその空気孔が存在しないとなれば、洞窟内の酸素が低下し、人間がその状況下での酸素を一呼吸でもすれば昏倒してしまうだろう。そして最悪の場合、その一呼吸で死んでしまう事も珍しくはない。
それを防ぐ為の空気孔というのは、深く掘られた洞窟では当然必須となるものなのだ。それ故、当たり前だが此処にもその空気孔は一定の距離毎に存在していた。
現在最も多くの空気孔がある場所はCIA諜報員が使用しているものの、他にも空気孔があるスペースはそこそこ存在する。深い洞窟内では必要不可欠のものとなるのだから当然と言えば当然だが、洞窟内の空気を新鮮に保つ為にはどうしても空気孔が必要となるのだ。
それを異常な混乱の中で思い出した者達は、我先にとその孔に群がり始める。助かる為に全員が必死の形相で、仲間を払いのけてまでも新鮮な空気を求めて殺到した。
それから暫くして、食料庫の火が消えたのか黒煙が薄くなっていき、軈て完全に洞窟内の空気が綺麗になっていく。
そうして洞窟内を動くには問題無くなった頃、心底不機嫌そうな鷹藤が不気味な笑みを浮かべる蔵人を伴って問題の食料庫を目にする為に自ら赴くと、その有り様に激高する。
「どうなっている! 何故食料庫から火が出た?!」
激高する鷹藤と粘ついた笑みを浮かべて沈黙する蔵人の二人を前に、部下の者達は揃って無言のままに俯く。それが更に鷹藤を苛立たせる事になるのだが、ここで迂闊な言葉を漏らせば狂人として実働部隊員全てに恐れられている蔵人に斬られてしまうと分かっている為、誰も口を開く事はしない。
だがそうして居れば居る程に、激高する鷹藤の怒りは凄まじいものとなっていくのは必然で、軈て我慢の限界に達したらしい鷹藤が刀を抜いてしまう。しかも怒りは一周してしまったらしく、口調は静かなものへと変化していたのだから部下の者達にとっては最悪だった。
「何も言わんという事は、此処には死人しかおらんという事。ならば全員死んでおけ」
実質の死刑宣告にも等しい言葉が告げられた瞬間、先程までとは打って変わって沈黙を貫いていた部下達の口が軽くなった様で、食料庫前で並び立っていた者達が一斉に喋り始める。
「じ、自分達はこの事故とは無関係です!」
「そうですよ! ただ火事の原因を調べようとしていただけで、別に火事を起こした訳じゃありません!」
「し、調べた限りですと、火事が発生する直前に六名の者達が酒と食料を持ち出していたのが分かりまして、その者達に尋ねようかと思っております!」
事ここに至って漸く喋り始めた部下達だったが、それを遅いと言いたげに鷹藤は躊躇無く部下の一人を相手に刀を振るった。それによって死にはしないものの、斬られた部下の腕が宙を舞う。
その光景を斬られた本人も他の面々も全員が呆けた様に眺めるが、それも束の間の事で、斬られた者が痛みによって悲鳴を上げると呆けていた全員が鷹藤と蔵人から一斉に距離を置く様に離れた。そして鷹藤の刀の間合いに残ったのは腕を斬られた者だけとなり、鷹藤は悲鳴を上げながらのたうち回る者を見下ろしつつ冷淡な口調で口を開く。
「それで、その六名の者達が原因だと?」
この時期の北海道の様にゾッとする冷たさを感じさせる鷹藤を前に、部下の面々は揃って首を上下に振るった。本当はその六人が絶対に原因なのだと突き止めた訳ではないのだが、早くこの場から逃れたいという内心の意見が一致した結果だった。
「ならばその六人を手早く始末しろ。結果は報告しなくとも構わない」
無関係の六人が悲惨な結末を迎える事が決定した瞬間だが、部下達は自分が助かった事実が何より大事らしく、心底ホッとした様子で胸を撫で下ろす。そして、もう此処には用はないと言いたげに場を後にして去って行く鷹藤の背を無言で見送る面々。
だが鷹藤とは違って蔵人はまだ用が残っているらしく、粘ついた笑みを浮かべて未だにのたうち回る者を視界に入れ佇んでいる。
「ふむ。これは中々痛そうじゃな。ヒヒヒ、辛かろう痛かろう苦しかろう。わしは紳士じゃからのう、楽にしてやろうではないか」
粘ついた笑みを携えつつ告げた言葉に、部下の面々はビクリと身体を強張らせた。しかし腕を斬り落とされた者は痛みに思考が支配されている様で、蔵人の声を耳に入れる余裕が無いらしい。
それを理解しているのか理解していないのかは不明だが、蔵人はそれはもう嬉しそうに満面の笑みを浮かべて刀を抜く。そして漸く今の蔵人の異常さに気付いたのか、地面の上をのたうち回っていた男が逃げようと考え上半身を起こした。
だが時既に遅く、立ち上がる間もなく横に振るわれた刀によって首を斬り落とされ、首から血煙を噴出させながら上半身が地面へと崩れ落ちた。
「ヒャハハハ、見事な程に血煙が出たぞ! しかし、これでもう二度と痛みは感じんだろうて。
ところで、六人の始末は八助にやらせると良い。アイツにも楽しみをやらんと、また小言を言われかねんからのう」
部下の楽しみを考えて譲っているつもりなのだろうが、これを八助が聞いたら頭を抱える事は明らかだ。八助はあくまでも蔵人の趣味嗜好に合わせる事で自分の身を守っているに過ぎず、決して人殺しが好きな訳ではないからだ。
だがしかし、人殺しという仕事を与えられれば、それを理解した上で殺らねば自分が殺られる事態に陥りかねないのだから、八助にはどうしようもないとも言える。それ故にやりたくない事に対して頭を抱え悩まなくてはならないのだろうが、実働部隊の隊長という地位に座しているのだから逃れられない現実だ。
ともあれ、ズレた認識でズレた優しさを見せる蔵人は、言いたい事とやりたい事を済ませたのか、粘ついた笑みを顔に張り付けたまま立ち去って行く。その後に残された部下達には蔵人の耳障りな笑い声が脳内に、そして首から大量の血液を流す物言わぬ死体だけが残り、ただただ静寂だけが支配する場になった。