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名無しの権兵衛  作者: 蘇我栄一郎
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妨害工作という名の破壊工作

 陽が昇り始めた頃から更に一時間が経過すると、民家のそれぞれから人の姿がチラホラと目につく様になる。誰も彼もが雪かきを目的に外へと出ているらしく、手には先が平べったいスコップを持っていた。

 フワフワした雪なら軽いので、一見しただけでは楽な作業に思える。しかしそれは、一番上の空気と触れる部分だけがフワフワとしていて軽いだけであり、雪が積み重なる最も下の部分は、雪自体の重みによって押し固められ、その結果氷の様に硬く、その部分を除去するのには非常に多大な労力と時間が必要となる。

 北海道に住む者達にとっては、雪掻きとは地獄の作業なのだ。例えるならば、賽の河原で子供が延々と石を積み重ね続けなければならない様なものと似た行為だと言えるだろう。

 何せ、積もった雪を除去しても、冬である限りは再び雪は降るのだから、まさに地獄の作業なのである。

 そんな中にあって雪掻きが目的でない者と言ったら、これでもかと非常に目立つ事この上ない。事実、黒い厚手の服を着込む連中がゾロゾロと目立って移動しており、それが否応なしに名無しの権兵衛の視界に入る。


「おっとっとぉ。アイツは小樽の街中で見た大男だな。相変わらず着込み過ぎでねぇの?」


 着込みに着込んだ服のせいで、真ん丸になった体格の長身男性。顔は寒さ対策の布で隠され見えないが、小樽の街中で情報収集していた大男で茶髪のCIA諜報員と姿が重なる。

 その人物を視界に映した名無しの権兵衛は、その姿に呆れつつも見付け易いその容姿に笑んだ。


「さてさて、君達は何処に行っくのっかなぁ?」


 冷え過ぎたトラック内にて、まるでその寒さを感じさせない口調で、しかも実況しているかの様に軽快に口ずさむ名無しの権兵衛の目前で、CIA諜報員と思わしき六人は二台のトラックへと三人ずつに分かれて乗り込む。そして乗り込むなり直ぐにエンジンを始動させ、暖気も何のそので移動し始めた。

 何処に向かうのかは一切不明だが、名無しの権兵衛も彼らに倣ってエンジンを始動させると、そのトラックの背を追う形でアクセルを踏み込んだ。

 尾行しているのがバレぬ様に、一キロ以上も後方から追う名無しの権兵衛。これでは普通なら尾行など出来ないが、雪に覆われたこの北海道なら可能となる。何せ、雪の上にはCIA諜報員が残したタイヤの跡が残っているのだから、それを目印にすれば容易い話なのだ。

 見渡すばかりが真っ白い世界で、太陽に照らされた影響で一面に広がる雪は銀色に輝いてその表情を変化させる。感心する程の美しさを見せる雪景色に、名無しの権兵衛は機嫌良さげに煙草を吸いつつハンドルを握り続けた。

 そうして運転する事丸々一日、寝ずに運転し続けたCIA諜報員がトラックを止めたのは、急勾配の目立つ山々の麓だった。しかも名無しの権兵衛がそのトラックに追い付いた時には、トラックは放置されて足跡だけが山へと続いていた。

 山々が目立つせいで他には特徴を見出だせないというそんな場所で、何故トラックを止めるばかりかそのトラックを放置して何処かへと徒歩で移動しているのかは謎だ。順当に考えればCIAのアジトがあるのか、もしくは裏切り者達のアジトがあってそこで合流するのか、その二つの内一つだろうとは思えるが、その詳細は足跡を追って確かめるしかない。

 しかし、自身が運転していたトラックを此処に放置するというのは悪手だ。折角バレない様に慎重を期して此処まで追跡して来たのに、第三のトラックがCIA諜報員に見られれば怪しまれるばかりか追跡自体がバレかねないからである。


「このまま俺もトラックを止めて追跡したいとこだが、奴らが引き返して来たら俺のトラックがバレっちまうし……。どうすっかねぇ」


 今は雪が降っていないとは言え、また何時雪が降り始めるか分からないのだから、足跡が残っている内に早く追跡を始めたい名無しの権兵衛としては、苦虫を噛んだかの様な顔で煙草を口に咥えたまま少々思案する。

 それに心配なのはそれだけではなく、そもそもこの事態が罠の可能性もある事だった。追跡者である名無しの権兵衛からしたら、絶対に考慮しなければならない可能性の一つである。

 しかし、罠であろうと罠でなかろうと、それを確かめるには進むしかないのが道理であり、その決断は結局のところ勘で判断するしかない。

 悩ましい問題だ。引くか進むかの決断は、それ即ち死ぬか生きるかの結論に直結しているのだから、悩みに悩むのが当然であると言えるだろう。

 そうして暫し思案した名無しの権兵衛は、追跡続行を選択した。此処で引き返すのは惜しいと、そう思ったのだ。

 そしてそれならばトラックはどうすのかと言えば、思い付いたのはトラックを雪で覆い隠すという単純な策であった。発想が貧困過ぎて、まるで子供が考えたと思える様な策である。

 だがこの作戦、意外と馬鹿にしたものではない。何故なら、実際にトラックを雪で覆うと、これが見事な程に分からなくなるのだ。

 それを実際に目で見て気を良くした名無しの権兵衛は、もっと分からぬ様になるまではと考え、せっせと雪を盛りに盛って、最終的には完全に雪で覆い隠してみせた。


「おぉし、これでバッチリだろ!」


 一仕事終えた事でやりきった感を露にする名無しの権兵衛は、煙草を咥えるなり火を点けるとCIA諜報員の足跡を追って歩を進め始めた。

 何処に向かって足跡が続いているのかは謎だが、その謎を解明したい欲求に支配されているせいか足取りは非常に軽い。ズムッ、ズムッと足が雪に沈むのも苦に感じない様子で、先へ先へと足早に進んで行く。

 そうやって二十分も進んでいると、名無しの権兵衛の視線の先に、大人の象がギリギリ入れるくらいの大きさの洞窟が現れた。非常に大きな洞窟で、足跡はその洞窟に続いており、足跡を残した者達が洞窟内に入って行ったのだろう事は明らかだ。

 これで足跡を残していたCIA諜報員達の行き先が、完全に判明した事になる。だが、その事実を突き止めた名無しの権兵衛の表情は、とても明るいものとは言えず、それどころか非常に暗いものだった。洞窟という事実が最悪で、彼にとっては都合良くなかったのである。

 これは少し考えれば誰にでも理解出来る事なのだが、もしも洞窟内が一本道であると仮定した場合、洞窟の奥から向かって来た敵が居たのなら、それをどうやり過ごすのかが問題になる訳だ。その時に選べる選択肢は、急いで逃げるか、はたまた声を出される前に仕留めるかの二択になるだろう。

 だがしかし、急いで逃げるを選択した場合、自分が潜入し始めた後に洞窟へと足を踏み入れた敵が居たなら、当然鉢合わせして戦闘となるのは必至だろう。そして、声を出される前に仕留めるを選択した場合では、そもそも洞窟の奥から向かって来た敵が多ければ、当然独りでは対処出来る筈も無い。

 これが一本道の洞窟ではなかったとするのなら、この心配は杞憂であると言えるが、それが分からないからこそ名無しの権兵衛の表情は暗かったのである。洞窟内部の情報が無い以上は、潜入するには最悪の場所と言えるだろう。

 冷静に考えるならば、当然ここで追跡を中止するべきなのは間違いない。リスクを計算すると、それが最良の判断だと言わざるを得ないからである。


「追跡は此処までが限界、っとくりゃあ………どうすっかねぇ」


 名無しの権兵衛が取れる選択肢は二つで、一つはこの場でひたすら待つというもの。二つ目は、一旦最寄りの町に戻って身を潜めるというもの。

 前者はいつ出て来るのか分からない者達を待つには寒過ぎて現実的ではないし、後者では最寄りの町にCIA諜報員が姿を見せなければ意味は無い。それどころか後者の場合であれば、知らない内に別の場所へと移動している可能性すらある。

 どちらを選んでも難しい結果になるだろう事は容易に想像出来る事で、都合良くいく未来でもなければどちらの選択肢も最悪のものだと言えるだろう。


「見張るには最悪のロケーションだし、身を潜めて待つってのも無理っぽい。……うむうむ、どういたしましょうかね」


 眉間に皺を寄せて悩むものの、名無しの権兵衛の胸中では好奇心が盛大に疼いていた。冷静にリスクを計算する脳とは別に、どうにも冒険心というものが沸々と沸いて仕方ないらしい。

 暫し悩んだ後に決断を下した名無しの権兵衛が選んだ選択肢は、どちらでもなく好奇心の赴くままに洞窟内へと足を踏み入れる事に決めた様だ。その証拠に、「ちょっとだっけよ〜。アハンウフン、先っちょだっけなのよ〜」と不埒な事を呟きつつ歩を進め始めたのである。

 どう考えても進むべきではないのに、進む決断を下してしまった名無しの権兵衛。この決断はやはり好奇心というものもあるのだろうが、それ以上に目覚めてからの数日をじっと過ごしていた反動なのだろう事は明らかだ。

 ケンゴウが隣に居たのなら、きっとこの決断に待ったを掛けていただろう。しかし悲しいかな、此処にケンゴウは居なかった。

 そうしてとうとう洞窟内へと足を踏み入れ、足下を照らす為に用意してあるのだろうランタンに火を灯し、ちょっとだけの筈がどんどん奥へと進むのだった。

 だがしかし、やはり敵と遭遇する危険がある事はちゃんと認識しているらしく、その足取りは摺り足であり非常に慎重なもので、ソロリソロリと進んで行く。一歩進み耳を澄ませ、何も聞こえないと判断すれば再び一歩進む。

 そうやって十メートルを進むのに五分程も掛けて、気付けば百メートルも洞窟内を進んでしまった名無しの権兵衛の耳に、とうとう話し声が聞こえ始める。ボソボソと何を話し込んでいるのかは定かではないものの、確かに人の声なのは間違いない。

 それを耳にした名無しの権兵衛は、素早くランタンの灯りを消す。そしてそのまま暗い洞窟内を足下に注意しながら進み、軈て話し込む声が一言一言はっきり聞こえ始める距離になると、それにつれて話し込んでいる者達の人数も判断出来る様になった。

 個々の声の高さや質から鑑みるに、恐らく六人程が居ると判断した名無しの権兵衛は渋面を浮かべてしまう。一人や二人なら倒せる自信があるが、流石に六人もの人数を自分一人の手によって相手に出来ると思う程には自惚れていないからである。


「死体の処理をした奴の話ってもう聞いたか?」


「あぁ、その話はさっき聞いたよ。悲惨な状態だったらしいな」


「いやいや、悲惨な状態どころじゃねぇよ。殺された奴は、細切れだったらしいぞ」


「うへぇ……。想像しちまったじゃねぇかよ」


「想像する程度ならマシだ。オレなんて処理した張本人だぞ」


「お前だったのかよ! ……うわぁ、お前ついてねぇな」


「同情するなら酒を奢ってくれ。もう酒で忘れるしかねぇんだよ」


 死体、細切れ、処理、等々のどう考えても穏便ではないワードの連続に、知らず知らず怪訝な表情を浮かべるも真面目な様子で会話の続きに耳を傾ける名無しの権兵衛。

 すると段々話の矛先が変化していき、次第に話の内容はCIAと合流しただとか蔵人は気が狂っているだとかのゴシップネタになる。そして終いには全員が酒を飲みに行こうと言い始めてしまったかと思えば、洞窟奥へと声や足音が消え去った。

 それを確認してほくそ笑む名無しの権兵衛は、これ幸いと自身も先に進み始めてしまう。どう考えても危険過ぎるのだが、もう好奇心には抗えない様だ。

 そうして暫く真っ暗闇の中で音を立てない様に細心の注意を払いながら進んで行くと、軈て視線の先に松明であろう灯りが無数に照らすスペースへと辿り着く。しかもただ明るいだけではなく、壁には扉が複数存在していたのだ。

 名無しの権兵衛はその扉に耳を当てて、物音などがしないかと確かめた。しかし、不思議と何も聞こえはしない。どうやら会話などが聞こえない事から考えて、恐らくは食料庫であったり武器庫であったりするのだろう。

 その事実を名無しの権兵衛はニヤニヤとした笑みでもって確信し、その扉の一つを躊躇無く開く。


「お邪魔しちゃったりしなかったり〜。……ワァオ、武器の山ではあぁりませんか」


 刀や鈍器といった物を中心に、他にも無数の武器が棚や木箱に入れられて保管してある。銃や手榴弾は少ないものの、それでもそこそこの数を揃えているのが見てとれた。

 名無しの権兵衛はそれら武器の山を見て悪戯っ子の様な笑みを浮かべると、CIA諜報員の車の荷台で行った所業を再び開始する。鼻歌混じりに一丁の撃針を抜き、念の為に弾詰まりの細工をし、今度は更なる念の入れ様でアイアンサイトを鑢で削る事すらした。もう意地でも目標に当てさせないと言いたげな悪辣さで、全ての銃に細工をする始末。無論、手榴弾の雷管を抜く事も決して忘れない。

 きっと銃撃戦になった時には愕然とするだろうその悪戯行為は、敵対勢力を削るには最高の結果をもたらしてくれるのは間違いない。そう、間違いないのだが、それをやった張本人はそれでも足りないと言いたげに少し不満顔であった。

 ともあれ、それでも一応は武器庫でのやるべき事の全てを終わらせると、武器庫から出て今度は隣の扉を開く。


「今度は食料の山じゃございませんか。こりゃこりゃ有り難うごぜぇますだ」


 目の前に敵の食料があるのなら、名無しの権兵衛ならば胃袋へと躊躇無く詰め込む様な人間だ。出来るだけ敵にひもじい思いをさせられれば最高だと考える様な人間なのだから当然である。しかも、武器庫での悪戯では物足りないと感じていたのだから尚更だった。

 ハムやら燻製肉やらと一切選り好みせず、満面の笑みで胃袋へと次々に放り込む。そして勿論、酒の類いも同様であり、高級な蒸留酒を目にした場合はポケットへと詰め込む事すらする。


「こら旨い、あぁ旨い旨い。ほんでオマケにこれも旨い」


 最早口の中はパンパンで、本当に味の判断が出来ているのか聞きたくなる様相だ。しかしそれでも名無しの権兵衛の手や口は一向に止まらず、どんどん食料が胃の中へと消えていく。グッチャグッチャとマナーを無視した咀嚼音が響き、時折噎せて咳き込む音が食料庫に木霊する。

 そうしてズボンのベルトを外してまで食べ続け、漸く満足するまで食べ終えると、今度は食料庫内部をグルリと見回し思案に耽る。そして何を思い付いたのか、今度は蒸留酒を手に取り無造作に割り始めたのだ。

 高そうな酒瓶を一本投げ、その背徳感に「ニョホホホホ」と奇妙な笑い声を響かせ、再び高そうな酒瓶を新たに手にして投げる。パリンッ、ニョホホホホ、パリンッ、ニョホホホホ、パリンッ、ニョホホホホと、そんな風に延々と繰り返し続けた。その姿はまるで、気狂いのそれである。

 それをひたすら繰り返して食料庫が酒の匂いで充満する頃になれば、名無しの権兵衛は満足そうな笑みを携えつつ煙草を口に咥えた。そして煙草に火を点けて必要無くなった火の点いたマッチは、酒の匂いが充満する食料庫へとポイッと気軽に投げ捨てる。

 そうとなれば当然、酒瓶を無数に割った食料庫内は火の海になってしまうのだが、その光景をニンマリとした笑みで眺めた後の名無しの権兵衛が取った行動はトンズラであった。それはもう韋駄天もかくやと言った様子で、壁に掛かっていた松明片手に全力疾走である。

 食べ過ぎて膨れた腹で、しかも「ニョホホホホ」と笑い声を上げながら韋駄天の様に軽やかで素早く駆けて行く名無しの権兵衛は、そのまま自身のトラックまで止まる事なく駆け続け、運転席部分だけ雪かきして露出させると直ぐ様に乗り込み、エンジンを始動させて最寄りの町を目指し逃亡した。

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