泥棒の本性?
名無しの権兵衛とケンゴウが不老の力を得る為の処置が開始されてから一日後、ケンゴウの入っている筒は一切の変化を見せないものの、名無しの権兵衛が入っている筒だけは少々の変化を見せ始める。その変化が何かと言えば、筒から発生し始めた異音だった。
ズゴッ、ズゴッと幾度も不気味な音を発し続け、しかもその次の瞬間には、筒を満たしていた薄緑色の液体が自動で抜かれ始める。抜かれた液体が何処に行くのかは定かではないものの、少なくとも液体が筒の中の底にある無数の管に吸われているのは間違いない。
そうして緩やかな速度で液体が抜かれ始めてから凡そ三十分もすれば、名無しの権兵衛の首下までが露になり、その途端に名無しの権兵衛の瞼がピクリと動き、二十四時間ぶりに瞼が開かれる。だが、その二十四時間ぶりの目覚めは最悪だった様だ。
名無しの権兵衛は盛大に顔を歪ませ、苦悶の表情で咳き込み始めたのである。
「ゴハッ?! ゴホッゴホッ?! オェッ、ゥオエッ?!」
二十四時間もの長時間を眠り続けていたのだから、きっとその目覚めは爽やかなものなのだろうと思えば実際にはそうではないらしく、肺を満たす液体が邪魔で呼吸出来ない様で、薄緑色の液体を懸命に吐き出している。どう考えても、これは爽やかな目覚めではない。最悪の目覚めであると断言出来るだろう。
液体に頭まで浸かっていた時は、肺の中を満たす謎の液体のお陰で酸素の問題が無かったのだが、その効果は液体の水位が下がって顔が露になると無くなる様だ。
「ハァハァハァ……ウェッ。あ〜、二日酔いみてぇに頭がボンヤリするのは何なんだ?」
誰に向かって放った発言でも無いただの独り言を呟きつつ、名無しの権兵衛は隣の筒に入っている相棒を確認する。しかしそちらは未だに筒全体が液体に満たされており、まだまだ目覚めの時ではないのだと悟らせるのには充分であった。
「どうやら俺が先に目覚めちまったみたいだな。相棒はまだ夢の中だし、目覚めるまでは静かにしとくかね」
目覚めたばかりであるが、名無しの権兵衛の脳裏に浮かんだのは裏切り者達の処断の事であった。他にやる事が無い今、契約の一つを済ませる事を考えるのが生産的であるからに他ならない。
しかしそれを一人で行っていたら、目覚めたケンゴウが怒髪天になるだろう事は馬鹿でも容易に察せられる。何せ、人斬り鷹藤と蔵人の二人との死合いを、ケンゴウは心の底から楽しみにしているのだから、それを邪魔したとあってはただで済む筈が無い。だからこそ名無しの権兵衛は、ケンゴウが目覚めるまでは大人しくしておく事に決めた様だ。
だがそうすると、それはそれで名無しの権兵衛にとっては重大な問題が浮上する。それはもう切実な問題であり、名無しの権兵衛が最も忌避する問題であった。
「何して時間を潰すかが問題だ。暇な時間っつうのだけは勘弁して貰いたいね」
例えば、監視をしている最中に監視対象が全く動かず暇な時間が出来るというのは別に何ともない。他にも何かを行っている最中なら、その時に出来た不意の暇な時間ならどうという事もない。何故ならば、どう転ぶか分からない結果を楽しみにしながら待つというのは苦にならないからだ。
だがしかし、そうじゃない暇な時間というのが心底名無しの権兵衛は嫌いなのである。それこそ金銭を払ってでも暇を潰したいと思うくらいには、本当に暇な時間というのが苦手だったりするのだ。
そんな名無しの権兵衛にとって、何時目覚めるのか分からないケンゴウをただ待つというのは本当に辛い時間だと言っても過言ではないだろう。その証拠に、全ての液体が抜けると同時に筒が上がると、自由になった名無しの権兵衛は暇を潰す為にソワソワとし始めたのだ。
濡れた服を着たまま、目につく見慣れぬ物を手に取って眺めていたかと思うと、次の瞬間には別の見慣れぬ物を手に取って何やら思案している。その仕草から鑑みるに、まず間違いなく暇潰しに不可思議な代物の用途を手にして考えているのだろうとは察せられるのだが、あくまでも暇潰しに考えているのが理由なのか分からないが、完全なる集中は出来ていない様で、次から次に手を伸ばしては中途半端に集中して使用用途を思案していた。
そうして暫くは時間を潰すものの、それとて一時間にも満たない短時間のものであり、結局やる事が無くなってしまった名無しの権兵衛は船の様な金属塊の内部から出てしまう。相棒のケンゴウの寝顔を見続けていても、全く目覚める気配が無いからだ。
何やら手持ちぶさた感を隠しきれない様子で外に出た名無しの権兵衛は、誰か周りに居やしないかと思い、洞窟内へと無遠慮に声を響かせる。
「もっしもーし! 目覚めのキッスが欲しいんだけっども、麗しの美女はどっこかなぁー?」
名無しの権兵衛のセクハラ発言が洞窟内に響くと、それを合図にしたかの如く金属音が響いた。金属製の何かを地面へと落としたかの様な音だ。
その音の発生源へと名無しの権兵衛が視線を向けると、ポカンとした表情で呆ける月夜の姿が目に映った。名無しの権兵衛が要求する麗しの美女にピッタリだが、何故ポカンと呆けているのかには名無しの権兵衛も怪訝な表情を浮かべる。
「どったの?」
「え? いえ、あの………もう良いの?」
「もう良いのって聞かれても、何がって聞くしか俺には選択肢が無いんだけど?」
何を疑問に思って尋ねられているのか分からない名無しの権兵衛には、他に口にする言葉が無い。
それを尋ねた側の月夜が理解したからなのか、額に手を当てて苦笑したかと思うと口を開く。
「フフフ。私が聞きたかったのは、もう処置が終わったのかって事よ。でも処置が終わらなければ出られない筈だし、此処に居るって事は処置が終わったって事で間違いないわね」
「で、何を呆けてた訳よ?」
「処置が終わるのがかなり早かったから。確かに人によって早い遅いの違いはあるけど、貴方は早過ぎなのよ。それはもう驚くくらいにはね」
「ちょい待ち。それってヤバい?」
早過ぎと言うのだから、何かしら問題があるのではと咄嗟に考える名無しの権兵衛は流石と言える。言葉のニュアンス的に、どう考えても良い事とは捉えられない。
しかしそんな名無しの権兵衛の心配は無駄だった様で、月夜は苦笑しつつ首を横に振って否定する。
「いえ、問題無いわ。処置が終わらなければ液体が抜かれる事は絶対に無いのだし、ちゃんと不老の力を得ている筈よ」
目に見えてホッと胸を撫で下ろす名無しの権兵衛を見て、改めて月夜は苦笑した。力を得た直後は本当に力を得たのか実感が湧きづらいので、不安になる気持ちも分かるらしい。
嘗て自分が通った道なのだから、その不安も十二分に理解出来ると、そう考える月夜は優しく微笑んだ。
「あ、それは兎も角、不老の力を得た反動で食欲が増してると思うから、その為の食事を用意しておくわ。奥に行けば住居スペースになってるから、そこで待ってて」
一方的にそう告げて何処かへと移動し始めた月夜の背を見送りながら、あれは良い女房になるだろうなと取り留めの無い事を考える名無しの権兵衛。
だがそれは束の間の事で、すぐに脳内は食事の事で一杯になってしまう。そしてその想像に促され、住居スペースになっているらしい洞窟深部へと足を進め始めた。
船を模した様な金属の塊が複数ある洞窟内部分は、ただのだだっ広い空間となっているのだが、その先へと足を進めてみれば洞窟内の壁部分には見事な彫刻が施された居住区が広がっていた。和と洋が巧みに融合された彫刻で、いったいどれだけの年月を掛けたのか分からない程に細かで厳かな細工が施されている。しかもそれだけではなく、真に驚くべき事は、未だに彫られているのが途中の部分がある事だ。
そこに足を踏み入れた名無しの権兵衛は、思わず感嘆の声を漏らす。どれだけの年月を掛けて築かれた物なのか、そう考えると心から素直に称賛の言葉が浮かび、知らず知らず見惚れてしまう。
「こりゃスゲェや。そっくりそのまま持って帰りたくなっちまうな」
厳かで美しい彫刻が目立つものの、一応は居住区という事もあってか、所々に生活を感じさせる匂いが感動している名無しの権兵衛の鼻を刺激した。ポツポツと明かりがついている所も見受けられ、本当に此処で生活しているのだと認識させられる。
まるで和と洋の神殿などを連想させる厳かな空間なのだが、そこには確かに人々の生活が感じられ、どこか少し奇妙な気分に陥り、そのチグハグな印象に好奇心が盛大に刺激されてしまいワクワクさせられる名無しの権兵衛は、思わず笑みを深くする。
此処に歴史学者などが居たら、きっと興奮で気絶してもおかしくないと、そう内心で考えながら彼は壁の彫刻を優しく撫でた。決して壊さない様に、それでいて悠久の時を感じさせる彫刻からその長い年月に何があったのかと尋ねるかの様に。
そうやって彫刻との間に心を通わせた後、名無しの権兵衛は漸く居住空間の奥へと再び歩を進め始める。しかしそうは言っても、やはり見事な装飾の彫刻から簡単に視線を外せる訳もなく、視線は壁へと向けられたままであった。
そうして、まるで心が洗われるかの様な気持ちで歩をユルリユルリと進めていると、そんな神聖な雰囲気を払拭する光景が名無しの権兵衛の視界に唐突に入り、その途端に先程までの時間が嘘かの様にだらしない表情を浮かべてしまう。何故なら、アコースティックギターで裸体を隠す美女が突如現れ、妖艶な笑みでもって出迎えてくれたからだ。
ギターは胸と下腹部の局所を上手い具合に隠しており、目にしたいところが決して視認出来ない様になっていた。
「うわうわうわぁぁ! 何なぁに、何だっちゅうの?! どうしてこんな所にあられもない姿の美女が居ちゃったりするの?!」
鼻の下を盛大に伸ばしてデレデレする名無しの権兵衛は、その表情のままに魅惑的な裸体をさらけ出す美女に急接近し始めた。そして涎さえ垂らしながら、「いただきまぁーす!」という実にだらしない声を居住区空間に響かせつつ裸体の美女に躊躇なく抱きつく。
だがしかし、名無しの権兵衛の腕は裸体の美女をすり抜け、更には名無しの権兵衛の身体全身でさえも見事に通り抜けてしまう結果となる。その不可思議な現象に咄嗟に反応出来る筈もなかった名無しの権兵衛は、顔面から地面に落ち、したくもない地面との熱い接吻をする羽目になった。
魅惑的な美女が居るのに、何故自分は硬い地面と接吻しなければならんのだ。そう言いたげな様子で涙を浮かべる名無しの権兵衛の耳に、ふと鈴が鳴る様な笑う声が届く。
その笑い声に反応して、情けない姿を晒しながらも笑い声の発生源へと視線を向ける名無しの権兵衛の目に映ったのは、大きなお盆にこれでもかと料理を載せて笑みを浮かべている月夜だった。
「これ、どゆこと?」
「フフフ。さぁて、どういう事かしらね。貴方には何が見えたのかしら?」
意味深な笑みに意味深な言葉。それを目にして耳にした名無しの権兵衛は、眉を八の字のして心底悲しそうな表情を隠しもせず、捨てられた子犬の様な表情で月夜に対して懇願し始める。
「意地悪しないで教えてくれっと嬉しいんだけどぉ」
「ウフフフ。そんな顔をされたら仕方ないわね、教えてあげるわ。
貴方の周囲に、真円に近い金属製の物が円状に並んでるのは分かるかしら?」
月夜の言葉に従って、物悲しげな名無しの権兵衛は自身の居る場所に視線を移す。そこには確かに丸い球体の金属が幾つも円状に、そして等間隔に並んで設置してあった。
しかし、それだけだ。月夜の言う通り、丸い金属が並んでいるのには直ぐに気付けたが、それが何なのかは見ているだけでは何一つ分かりはしない。
名無しの権兵衛からすると、ただの丸い金属の塊に過ぎず、別段興味を惹かれる代物ではないと断言出来る。事実、丸い金属を見る名無しの権兵衛の目には、特に好奇心を刺激された様な色は見えなかった。
だが月夜は意味ありげな笑みを浮かべ、まるで自分の話を聞けば直ぐに興味を持つと言いたげに説明を続ける。
「その球体の金属が、貴方に何かを見せたのよ」
「その言い方だと、俺が何を見たのかは分かんないとか?」
「いいえ、そういう訳じゃないわ。たまたま私が見た時には既に貴方が地面に熱烈な接吻をしていたってだけで、最初から一緒に居たのなら私も貴方が目にしていた何かを目撃していたのは間違いないわよ。
その金属の道具は見る人によっては黄金だったり、盛り沢山の料理だったり、他には家族だったり恋人だったりが見えるのよ。要するに、見たい物を見せてくれる道具って事ね」
「そんじゃあ、見えたのはあくまでも本物じゃねぇって事?」
「正解よ」
至極残念そうな表情で一応の納得はした名無しの権兵衛だが、目前にしていた美女が消えてしまって本当に悲しかったらしく、何故こんな悲しき道具が存在するのかと考えを巡らせる。しかし当然、誰が造った物なのかも分からないのだし、名無しの権兵衛が答えに辿り着ける訳もない。
だがそうやって答えに辿り着けず断念する前に、妖艶な笑みを浮かべる月夜によって名無しの権兵衛の思考は強制的に断ち切られる。
「で、貴方には何が見えたのかしら?」
裸体の美女がアコースティックギターを片手に秘部を隠し、此方に向かって妖艶な微笑みと共にウィンクをしてきたなどと当然ながら言える訳もなく、心底悲しげな表情で固まる名無しの権兵衛。
折角月夜とは良い関係を築けているのに、ここでそんな事を言えばどうなるかなど分かりきった事だ。それ故に名無しの権兵衛は、頻りに瞬きを繰り返しながら立ち上がると、誤魔化す様に腹を何度も何度も大きく擦る仕草を見せた。
「い、いやぁ、腹が空いたなぁ。お、こりゃまた上手そうな料理じゃん! じゃんじゃん!」
「ウフフフ。そ、どうしても誤魔化したいのね。まぁ、それはそれで構わないんだけど。でも、そうは言っても流石に少しは気になっちゃうわ」
名無しの権兵衛が何を見たのかは本当に知らないのか、月夜は意味深な笑みを浮かべてそう言った。そしてその表情をそのままに、居住区にある自身の家へと名無しの権兵衛を促し招き入れる。