04 夕闇の衝撃
伊豆諸島沖に浮かぶ島に造られたラクニルは、その役割に応じていくつかの地区に分かれている。
最も大きいのが島の面積の七割を占める八つの校区だ。他にも本土への連絡船が発着したりコンテナヤードがあったりする『港湾地区』、発電所や浄水設備などが集約された『工業地区』、大学など専門的な研究機関が集まった『研究地区』などがある。
中でも、校区の次に生徒に関わりがあるのが『商業地区』である。
各校区の生活は、娯楽に関して言えば最低限の水準すら満たしていない。学ぶという目的がある以上、その手の施設や店舗を誘致する事ができなかったのだ。
よって、その問題点を解決するのが『商業地区』という訳である。
カラオケ、ゲームセンター、大型書店、趣味用の専門店など、各校区では受けられないサービスや買えない商品を補うための施設がこれでもかと詰め込まれている。放課後や休日には暇を持て余した生徒達で賑わっていた。
「(そう言えば、今日は金曜日だったな)」
駅の出口から放牧された羊みたいに溢れ出す生徒に混じり、石瀧圭一は人の多さに辟易とする。
金曜日は他の平日よりも商業地区を訪れる生徒の数は多い。土日は更に人が増える。最終帰宅時刻に合わせて早めに設定された終電に生徒が殺到するため、週末の夕方は都市部の通勤通学時と同じく混み合うのが当たり前となっていた。
それぞれの校区の夏服を着た生徒が楽しそうに喋りながら歩く様子は、さながら大型連休中の観光地だ。あまり人混みが得意ではないため、用がなければ近づきたくないというのが本音だった。
多くの生徒がアミューズメント施設が詰め込まれた建物へ向かう中、石瀧は全く別の方向へと足を向ける。商業地区用の連絡バスが行き来するロータリーを回り込み、片道二車線の道路を渡ってオフィスビルが建ち並ぶエリアへと入っていく。
「(この辺りはラクニルって感じがしねぇよな。目隠しされて連れて来られれば、普通に本土の街と間違えそうだぞ)」
乗用車が行き交う道路や、企業名が入ったビルの看板。どれも校区では見られない光景だ。並んでいるお店もサラリーマンをターゲットにしたチェーンの飲食店や居酒屋ばかりで、高校生が足を踏み入れても面白味に欠けてしまう。
歩行者信号を待っていると、隣で立ち止まったクールビズのサラリーマンに奇異な視線を向けられた。この辺りは滅多に生徒が立ち入らないエリアだ。訝しむような目で見られても仕方がない。
首を縮めつつも、気にしていない振りをして進んでいく。
少しすると、周囲の雰囲気がガラリと変わった。
先ほどまでのオフィス街が都市部の高層ビル群ならば、この辺りは背の低い雑居ビルが建ち並ぶ猥雑なエリア。まるで空き店舗やシャッターや目立つ地方の小さな商店街だ。すれ違う人も服装や雰囲気だけでは身分を想像できなくなってきた。夕焼けに照らされて濃くなった影が、街から漏れ出す闇に思えて不気味だった。
「(いかにも怪しさ満載って感じだよな。ドラマのセットって言われても信じられるくらいの完成度だぜ)」
錆び付いたアーケードの下を通り、古い商店街を奥へと進んでいく。
国と六家界術師連盟によってラクニルが創設されたのは今から約60年前で、この辺りのエリアが建設されたのはその当時だ。今では多くの会社が新しいオフィスビルに引っ越しており、新しい居住者もいないため、こうして時間に置き去りにされてしまったのだ。
大通りから細い路地に入って視界に飛び込んできたのは、古いビルの壁面にスプレーを使って描かれた落書きだ。何年も掃除されていないのか、地面には潰された吸い殻が貼り付いている。安っぽいネオンやケバケバしい書体で飾られた看板には、古いドラマでしか見た事のない昭和の香りが残っている気がした。
スマホの地図アプリを使って、キャットから教えてもらった住所を表示させる。
調査対象である絵野静菜は第二校区の高等部二年生ながら、危険な薬物である『界力活性剤』の取引に関わっている可能性がある。今回の任務ではその真偽をはっきりさせる事が目的となる。
「(界力活性剤……肉体に負荷を掛ける代わりに、自分の限界を超えた力を得るための薬物。スポーツ選手がドーピングをするみたいなモンだろうけど、みんな本当にそんなに力が欲しいのか?)」
正直な話、ラクニルに通う生徒にとってどこまで需要があるか分からなかった。
ラクニルは界術師を育成する学園だが、その目的は社会で一般人と共生できるだけの制御法と倫理観を教える事であり、異能力者の戦闘員を社会に供給する事ではない。よって、特殊な事情でもない限り、界術師としての技能を高める必要性は低いのだ。
もうすぐ行われる期末試験でも界力術の技能試験もあるが、成績として重視されるのは本土の高校と同じ学力試験の結果だ。将来的に界術師として職に就くなら話は別だが、大学進学や企業への就職を目指す大半の生徒は界力術の能力にそこまで固執していない。
「(そもそも、ラクニルにいるのは金を持っていない学生だぞ。流行らせたところで見込める利益は少ねぇだろうし、リスクと見合ってるとは思えねぇ。何か隠された目的があるんだろうな。案外キャットが知りたがってるのはそっちかもしれねぇ……ん?)」
スマホが振動を始める。着信だ。画面には『小林真彩』という文字が表示されていた。
「こちら石瀧。どうした小林、何かあったのか?」
『ごめんね、任務中に。ケー君とどうしても話したいって人がいるから電話したんだけど、今は大丈夫?』
「大丈夫だけど、俺と話したい人……?」
『うん、代わるね』
ガサゴソと雑音が入ってから、緊張した女性の声音が聞こえてきた。
『えーと、初めまして。私は斉藤って言います。静菜の同級生で、友達です』
「石瀧です、初めまして」
『別の友達から聞いたんだけど、静菜の事を調べてるって本当?』
「ええ。ちょうど彼女がいるかもしれない場所に向かう途中です」
『そう、なんだ……なら、やっぱり』
言葉の意味を確かめるように、電話口の女子生徒は呟く。
『静菜は、何かやばい連中と関わってるの……?』
「それを今から確かめに行くんです。もしかして、何か知ってる事が?」
『何も知らないよ。だって、静菜は何も話してくれないから……何も、知らない』
消え入りそうな声。
途切れた言葉の余韻に、悲しそうな響きが混じっていた。
『ねえ探偵さん。もし静菜が危ない事に巻き込まれてるんならさ、助けてあげて欲しいんだ』
「……、」
『静菜はさ、良い奴なんだよ。今日だってなんか辛そうにしてたけど、みんなを心配させまいと気丈を装ってた。私達には何も教えてくれないのだって、巻き込まないように気を付けてるんだと思う。私達じゃ静菜を救えない……だから、もう誰かに頼む事しか……っ!』
「分かり、ました……できるだけの事はやってみます」
『……! ありがとう! あ、でも、これって依頼になるからお金が要ったりするの?』
「いえ、必要ありません。とても成功をお約束はできませんから」
『そっか……うん、分かった。なら、静菜をお願いします』
通話が切れる。しばし真っ黒になった画面を眺めてから、スマホをポケットにしまって歩き始める。
「(やっぱり、絵野静菜が面倒事に巻き込まれたって可能性が濃厚だな。俺に何かができるとは思えねぇけど)」
せめて有益な情報を仕入れて、然るべき対応を取ろうと決める。背伸びをするつもりはないが、手を伸ばさないのは信条に反する。
「(えーと、情報ならあのビルに絵野静菜がいるはずなんだけど……)」
放置されたドラム缶の陰に隠れて三階建ての古いビルを確認する。
この辺りが静かなのは、人がいないのではなく、まだ街全体が目覚めていないからなのだろう。その証拠に二階の窓から明かりが漏れていた。迂闊に近づいて見つかりでもすれば、木の枝で蜂の巣を突いたみたいに怖いお兄さん達が出てきてもおかしくない。
キャットによれば、毎週金曜日の放課後にだけ絵野静菜はこのビルに出入りしているらしい。今もあのビルの中にいるかもしれないと思うと少しだけ緊張した。
「(さて、どうするか……ビルに近づいて身体強化を発動させれば、強化した『聴力』で連中の会話を盗み聴けるか?)」
隣のビルの前に路駐されていた乗用車を目指して移動を開始する。何年も整備されてないのか、道路の表面にはアスファルトの破片が転がっていて、意識していても運動靴の裏でジャリジャリと音がした。プロならば問題なく歩けるのだろうが、専門の訓練を積んでいない石瀧には無理な話である。
しゃがみ込むように乗用車のバンパーに背中を預けて、誰にも見られていない事を確認してから身体強化を発動した。
眉間の奥に存在する脳の器官『界力下垂体』に意識を集中。界力に干渉する時に利用する生命力を意図的に身体の一部に偏らせる事で、常人では不可能な運動性能を叩き出すのだ。
ぱっ、と石瀧の全身から弾け飛ぶ青い燐光。これは界力光と呼ばれる現象だ。界力と世界による摩擦のような物で、界力術を発動する時には必ず発生する。また、界力下垂体の性能によって色が変化するという性質もあった。
身体強化を使った直後、今まで理解できなかった極小のノイズまでもが意味のある音へと変換される。投げ売りされた安物スピーカーが、唐突に数十万円はする高級品になったくらいの変化。処理すべき情報量の増加に脳を慣らすために、瞼を閉じて神経を尖らせる。
「(クソ、やっぱりここじゃ聞こえねぇか。最悪でもビルの入り口から中を覗き込むくらいはし……ん?)」
鼓膜を揺らしたのは、車のエンジン音。
アスファルトをタイヤが噛む音と共に、硬質化した馬の嗎が次第に近づいて来る。
体を捻って乗用車から顔だけ出してみた先では、黒塗りセダンのヘッドライトが薄暗い道路を黄色く塗り潰していた。慌てて身を隠し直す。このまま隣を通り過ぎられれば見つかる可能性がある。
祈るような気持ちで待っていると、どうやらセダンは目的のビル前で止まってくれたようだ。最悪の状況を回避して、ほっと一息付く。
『着いたよ静菜ちゃん』
『ありがとう。悪いわね、送ってもらって』
「(静菜――絵野静菜か!?)」
電流が走ったみたいに感覚が鋭くなる。
予想外の本命登場だ。
身体強化による青い界力光が乗用車の陰から漏れ出さないように気を付けながら、全神経を強化した聴力へと集中させる。
『気にしないでよ、もう静菜ちゃんはウチらの仲間なんだから』
『そんな事言って、本当は女子高生に顎で使われてムカついてるんじゃないの?』
『まさか。俺らの組織は実力主義だからね、年齢とか立場なんて関係ないよ』
スマホのカメラを起動させて、自撮りモードへと変える。背を預けている乗用車のタイヤの陰から撮影することで、辛うじて後ろの様子が確認した。
黒塗りのセダンに手を付いて喋るスーツ姿の成人男性と、腕を組んで立つ第二校区高等部の夏服を着た女子生徒。薄暗くて分かりにくいが間違いない。絵野静菜その人だ。
第一印象はバリバリと仕事をこなすキャリアウーマンだった。
前髪をセンターで分けた明るい色のセミロング。すっと下りる顎のラインに、真っ直ぐな鼻梁と、鋭く整った顔付き。スラリとした無駄のない身体や、薄いネイルの施された指先は、彼女の几帳面な性格を表しているかのようだ。意志の強さに彩られた大きな瞳は、歳上の男と対等に話している様子も相まって、少女を年齢よりも大人に見せている。
『実力主義、ね……』
シニカルに口許を緩めると、勝気な眼差しを浮かべて肩に掛かった髪を払った。
『なら、いい加減に組織の本部に連れて行ってくれない? これでもそこそこ組織に貢献してるつもりなんだけど?』
『それは静菜ちゃんがラクニルを卒業してからね。静菜ちゃんはあくまでアルバイト。社外秘を教えられるほどこっちも信頼してないんだよ』
『そう。ま、なら気楽な立場で好きにやらせてもらうわ』
スーツを着た男もかなり若手に見えるとは言え、絵野とは十歳近く離れているはずだ。そんな異性を相手に一歩も引かない剛胆さには、思わず舌を巻く想いになった。
「(やっぱり、絵野静菜は裏の組織と繋がりがある。しかも、自分の意志で関わってやがるのか。これじゃあ救うもクソもねぇな)」
動画撮影中になっているスマホに視線を落とす。
少し距離があるせいで音声はハッキリ撮れていないだろうが、データさえ残せば抽出はいくらでも可能だ。後は界力活性剤との関係性を少しでも口にすれば任務完了となる。
『さてと、じゃあ最後に確認させてもらうけど』
スーツを着た男性はセダンの後部座席の扉を開けると、乱暴に何かを引っ張り出した。
『誘拐してきた子は結局どうすんの?』
アスファルトに転がったのは、透き通った水を想起させる女子生徒だった。
茫洋とした黒い瞳に、小さな顔のラインを隠す程度の長さの黒髪ショートカット。縁のない眼鏡が幼い容姿に知的さを付け加えていた。華奢な体躯だが弱々しさは一切なく、むしろ人に懐かない猫のような気高さを感じる。少し気を抜けば水彩画と同じく輪郭が滲むと不安になる程に存在感は希薄で、一時たりとも目が離せなくなった。
「(女の、子……それに誘拐だって!?)」
許容量を超えた現実を目の当たりにして、冷静さが一気に蒸発する。
スーツを着た男性に腕を掴まれた女子生徒の顔面は蒼白だった。逃げだそうと体を捻るも、力不足で振り切れない。目尻に浮かぶ大粒の涙。引き攣った表情には濃い恐怖の色が刻まれていた。
「(オイオイオイオイ! ふざけんなよクソッタレ、こんなの想定外だ! 俺に何とかできる範囲を遥かに超えてるだろうがっ!!)」
つーっと、冷や汗が顎先から汚れたアスファルトに落ちていく。
細い裏路地まで夕焼けは届かないのか、長かった影は地面から染み出してきた夜に埋もれていた。
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