其の五
男目線に戻ります。
「ため息をついちゃいけない。幸せが逃げちゃうからね。でも、自分のしたいことを制限するのも良くない。泣きたかったら、泣いていいんだ。」
小さいころ、親に何度もそう言われた。幼いころはよく理解できていなかったと思うけど、今となっては昔話の一つに過ぎない。
僕が生まれたのは、とある市だった。人が多いわけでもなく、かといって少ないわけでもない、普通の町。小さい子からお年寄りまでいる、普通の町だった。都会ではないけれど、田舎でもない、そんな感じだ。
その頃はまだ毎日を幸せに暮らしていた、と思う。もうだいぶ前だから、記憶が少し曖昧ではあるけれど。優しくて、少し抜けているところもあるけれどしっかりとしたお父さん。しっかり者で、何をやらせてもこなしてしまうようなお母さん。そんな二人の間にできた、一人の、普通の子供だった。
赤ん坊から幼稚園児に。そして小学生、中学生、高校生……
そうして普通に育っていくはずだった。ただの幸せな家庭に生まれた一人の子供として。
小学生の時、お母さんが倒れた。病気で。病名は覚えていないけど、何回も手術をしなくてはならないような。日に日にやせ細っていくお母さんを見るのは、つらかった。
お父さんもたくさん仕事を抱えていて、どんどん不健康そうな見た目になっていった。でも、「俺が頑張らなくちゃ、今はだれが頑張るんだ」って言って、休もうとしなかった。ため息もついていなかった。
僕に言っていたことを自分でも実行しようとしていたのか、ため息をつく暇すらなかったのかはわからない。
そして、お母さんが死んだ。痩せて痩せてもう骨と皮だけしかないようなお母さんのことは、今でも覚えている。最後に言った言葉が、「ため息をついちゃいけない。幸せが逃げちゃうからね。でも、自分のしたいことを制限するのも良くない。泣きたかったら、泣いていいんだ。」だった。
僕は泣いた。まるでこの世界を僕の涙で沈めようとでもするかのように。
泣いて泣いて泣いて、泣いた。目が赤くなろうと、のどがガラガラになろうと、僕の涙は止まらなかった。
そして後を追うようにお父さんも死んだ。交通事故だった。疲労のせいで判断がつかなくなっていたとか何とかで、道路に飛び出したらしい。
もうその頃の僕には、泣く気力も残っていなかった。ただ人のもろさを、世界の残酷さを嘆くことしかできなかった。
幼くして、両親を亡くした。それからの生活は何もうまくいかず、ただ辛かった。
僕は「生きている」のか、自分でもわからなかった。このころからだろう。生きている「感覚」を他人に求めるようになったのは。
驚くほどに冷たい自分と、怒りに燃える自分とが、僕の中に混在していた。
自分の求めるものを手に入れるためには、手段は選ばない。たとえそれが、人を殺めるものだったとしても。
それでも僕は、ため息をつくことはしなかった。
フフフ……ハハハハハ……
自分で妄想しても笑いがこみあげてくるよ。こんな幼少期を過ごしていたら、さぞ面白い人生を歩んでいただろうに。僕の両親が小さいころに他界しただって?そんなこと、あるはずないじゃないか。
全部僕の、妄想だ。君も、そう思うだろう?
話しかけた先に、人はいない。