其の一
僕は昔から、人が何かをしているときに「ああ、自分は生きている」と思うことが出来る奴だった。
小さい頃は、親が料理をしているのを見て「このご飯を食べられる僕は生きているんだ」と思い、学校に通うようになってからは友達が喋っているのを聞きながら「僕は今生きているからこうやって話を聞いていられる」と思うような奴だった。
何というか、「感覚」に近い。自分が何かをやり遂げて「俺は生きているんだ」という「実感」がわく人とは違い、人が自分に何か関係のある動作をしているのを見たり聞いたり触ったりすることによって「生きている」からこうしていられるという「感覚」を感じていた。
もしかしたら、僕が何を言っているのかわからない人がいるかもしれない。でも、それだって感覚で、僕にとってはそれが「生きている」感覚になる、というだけなんだ。
変だという実感はあった。道徳で「生きること」みたいな授業の時、皆決まって言うのは「この時間が自分にとって大切な時間だから、生きている」「ただ単に、死ぬのが嫌だから生きている」といった内容のものばかり。僕だけが、「ほかの人がそういっているのを聞いたときに生きていると感じる」という周りとかみ合っていないことを言っていた。先生も親に「あの子はなかなか面白い子でしてね、皆同じように考えることを一人だけ別の視点から考えることが出来る子なんですよ」とかなんとか言ったらしく、帰ってくるなり親に「あんた、変わってるんだって?」と言われたことを覚えている。
少し話がそれたけど、何が言いたいってそんな僕も大きくなっていった、ということだ。
今は普通に暮らしている。バイトしたり、趣味の時間にあてたり。残念ながら、まだ趣味が生きている理由になるほど熱中はしていないんだけれど。
そして、彼女が出来た。
彼女が、僕に「生きている」感覚を思い出させてくれる人だった。この時独り立ちはしていたから、僕にとって唯一無二の存在だったろう。
ほんの些細なことでも、僕は「感覚」を味わうことが出来た。一緒にいるときのほんの一瞬でもいい。家で過ごしているときの一秒間だけでもいい。
そのくらい、僕は彼女から生きる喜びをもらっていたような気がする。
そして、僕は彼女のことがどうしようもない位好きになってしまっていた。
もちろん前から好きだったのだが、もう感情が抑えられないレベルで好きになってしまっていた。
彼女の発する言葉の一文字一文字、彼女の呼吸だけでも僕はあのなんともいえない「感覚」にいざなわれるようになった。
どうにかして、どうにかして彼女を手に入れたい、と思った。
でも、結婚という形にはならないだろうな、とも思った。
彼女はもう、この世にいないのだから。
あの「感覚」は、思い出すだけでゾクゾクするものだった。
何の抵抗もしない一人の女の首を、正面から絞めるという、ただそれだけの話にすぎないのに。
君の憎悪に満ちた顔が、侮蔑と罵りと断末魔の声が、そしてこの世と別れを告げたときの顔が。
僕をあの「感覚」へといざなった。それは今までのどれよりも深く、いつまでも揺蕩っていたくなるような感覚だった。
今の僕は、きっと狂っているのだろう。彼女が死んだという意識も特に持たなかった。
ただ僕に感覚を味合わせてくれるおもちゃが一つ減っただけだ。
君は、僕のことを恨んでいるかい?いや、恨んでいるだろうな。そうじゃなきゃ、僕はこの感覚を今感じていないはずだから。なあ、そうだろう?
君と僕しかいない部屋で、だんだん匂いを放ち始めてきた君の死体に、僕は話しかける。