不相応な俺の切望は
俺、広瀬晃は、頭はよくない。が、勘はいいほうなのではないかと思っている。
その人が今どんなことを考えているのか、大体の雰囲気でわかるのだ。心が読めるというよりは、空気が読めるといったほうがいいのかもしれない。
だから、皆がよく言うスクールカーストではいつも中の上に位置しているし、人付き合いも多いほうだ。でもそんな俺でも、身近な人間の気の狂いに気付けなかった…というより、見ていないふりをしていた。
「広瀬晃人さんですね。放火の容疑で逮捕状が出ています」
父は、社会の歯車として動き続けることへのストレスを感じていた。
詳しいことは知らないが、周囲から心無いことを言われ続けてきたのだという。
―――そうして募った黒い感情は、一人息子を除くある一家全員の焼死という最悪の形で表に出た。
俺と妹は、二人きりになった。
***
「兄貴、プリン買ってきてー」
「お兄ちゃんそんな都合いい男になった覚えないわ」
「確かに都合いいじゃなくてどうでもいいだな」
俺の妹の広瀬香奈は、いつからか男勝りのガキ大将のような話し方をするようになり、大勢の女子や子分たちにモテるようになった。
バレンタインに俺以上のチョコを貰って来た時はさすがにへこんだ。
「あーあ、昔はかわいい妹だったのになー」
「現実を受け止めろ」
「いやだいやだ! 俺の妹はもっとかわいいんだあ!! 」
「アホか」
香奈の服装は、くたびれたTシャツにショートパンツ。俺の妹は戦闘力はまさしく破壊的な数値だが、女子力はやっとこさチンパンジーに勝つ程度。男の気配がしないのは、安心ではあるが心配でもある。すっかり父親目線になってしまったことに苦笑いをこぼした。
…そう、父親。
「ああそうそう、近々英治の家に行こうと思ってんだけど」
「え、英治兄んとこ? 私も行っていい? 」
幼いころからの付き合いからか、香奈は英治のことを慕っている。それはもう実の兄弟のように。異性としては意識していない。…はず。
い、いや、だめだし。いくら英治でも、妹はやらねーし。
「本人が来いって言ってた」
「やったー…でもなんで? いつもは私に行くなんて言わないじゃん」
「おう、実はその日な…」
***
今日は×月○日。
―――親父が、犯罪者の烙印を押された日だ。
「やあ、親父? 」
あれから随分経ったな。
「香奈は悲しいよって泣かなくなったしさ、俺だって普通に学生楽しんでる」
でも、ダメなんだ。
「忘れられないんだよ、あの日のこと」
刑事が、冷たい目でドアを開けたあの日。
「何が起こってんのか、まったく理解できなかった」
俺はあんたの苦しみに薄々気づいていたけれど、気づいていないフリをしていた。
「申し訳ないとは思ってる。…けど」
一言だけでも、文句を言わせてくれ。…一言だけ―――。
「―――っんで、あんな馬鹿なことしたんだよ…クソ親父ぃ…ッ!!! 」
俺はただ一人、もうこの世にはいない父に向って叫び、泣き崩れた。
***
図書館というのは、一人で落ち着くことのできる素晴らしい場所だ。
以前英治に意外だと驚かれたが、別に俺は本は好きだし、静かな場所も嫌いじゃない。
英治は、友達だ。
俺たちは兄弟二人、英治は一人。今ではクリスちゃんがいてあいつも明るくなったが、昔なんて絶望の淵から今にも飛び降りそうな、そんな悲愴な表情が本当に見ていて痛ましかった。家族がどうして亡くなったのかなど、聞く気もおこらなかった。
―――初めて英治を見た時、仲間だと、そう思ったのだ。いや、当時の俺は、何でもいいから何か縋れるものが欲しかった。それで、辛い目にあっているのが自分たちだけでないと、もっと辛い思いをしている奴がこんな身近にいるんだと、彼の絶望を、境遇を見下し、そうすることで自分の心の平穏を守った。
今でこそ英治をそんな目で見ることはないし、親友だと思っている。けれども、同じ親を失った者同士という歪な仲間意識を、俺は未だ捨てきれずにいた。
「○×町、放火事件」
図書館のコンピュータルームの一室、ディスプレイの検索画面を前にして俺は呟いた。
ずっと目を背けてきたことに、向き合わないといけない気がしていた。今更であるし、知ることに何か意義があるわけでもない。
でも、そういう問題ではないのだ。
知らなければ、いけないのだ。
「…うし」
深呼吸をして、昔の足跡をたどっていくように一文字一文字を打ち込んでいく。
『○×町 放火事件 ○月×日』
ヒット。
『解決済み。犯人は広瀬晃人三十二歳男性。ある家に火を放ち、救出された長男以外を全員焼死させたという。判決は死刑。広瀬はそれについて特に何も言及せず、終始俯いたままだったという。』
「ネットはすごいな…どっから情報仕入れてんだか」
締め付けられるような心を誤魔化すように、ひきつった笑いで軽口をこぼす。
『△月□日、死刑が執行された。』
淡々とつづられた文章に何故かひどく責められている気がして、もう見たくない、という思いが俺を襲う。いや…それとは別に、何かすごく嫌な予感がする。これ以上読んだら絶対に後悔するという、根拠のない確信がある。
つばを飲み込み、画面をさらに下へとスクロールさせていく。
―――そして俺は次の瞬間、自分の目を疑った。
瞬きもせず『それ』を見た後。
「―――ぅぅうあああぁぁぁああああっっ!!! 」
―――頭を血が出るほど掻きむしり、血走った瞳を見開いて、絶叫した。
『被害者:阿武隈川花恵 阿武隈川純一
生存者:阿武隈川英治 』
***
嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだ。
同じ境遇だと、親近感を覚えていた。だからこそ声もかけたし、仲良くもなれた。家族がいない悲しさ寂しさは、俺が一番わかるなどと思っていた。一番の親友だと、心からそう思っていた。
それが、たった一つ、たった一つの事実によって、瓦解する。
仲間意識?
親友?
見ていて痛ましかっただと?
彼の絶望と境遇を見下し心の平穏を守るだと?
「ふざっ…けんなあああぁぁっ!! 」
笑わせるんじゃない。いや、こんなこと、笑えもしない。
何度思い返しても反吐が出る。
加害者が被害者に向かって何て言い草。
馬鹿みたいに勘違いして、傷つけた相手を身勝手に自分と比較して。
死にたい。今、心の底から死んでしまいたい。
これまでずっと、ずっとずっとずっと、親友を裏切ってきたのだから。
***
「あ、おかえ…」
「…ただいま」
「何があった」
「…一人に、してくれ」
「ちょっ…兄貴!」
引き留める妹の声を無視して、自分の部屋にこもる。
香奈にはこのことを知ってほしくない。否、知るべきでない。俺がこれだけ苦しんでいるのだ。同じ苦しみを、たった一人の家族に味わわせろというのか。…そんなの、耐えられない。
「ああ…結局、自分本位なんだな、俺…」
自分のことしか考えてない、ただの卑怯者だ。
***
「兄貴、ちょっといい?」
「…」
「何があったか知らないけどさ。話して、みたら?扉越しでいいから」
「…ぁ」
「ん? 」
「…友達に、どうしてもあやまりたいことが、あって。その、昔のことで、知らん顔をしようとしたら、でき、ちまうんだ」
「うん」
「で、でもそれはもう取り返しの、つかない、ことで。知られたらもう、友達じゃいられなくなっちゃうと、思うんだ」
「…うん」
「なあ…どうしたらいい? 」
「兄貴」
「俺は、どうしたらいいんだ?…どうするのが正しいんだ? もう…何もわからないんだ」
「…」
「俺は…あいつと、友達でいたいんだ…!まだ、皆と同じように笑ってたいんだよぉ…! 」
俺が嗚咽をこぼしていると、部屋の扉が音を立てて開いた。
「…香菜」
「―――大丈夫だよ、お兄ちゃん」
開いた扉の向こうには、頬に涙の跡を残して、悲しそうに笑う妹がいて。
懐かしい呼び名とともに、俺は温かく抱きしめられた。
***
「もしもし、なんだこんな夜中に」
「あ、英治、あの、さ。聞きたいことが、あるんだ」
「なに? ていうか大丈夫? なんか声変だけど」
「ああいや、ちょっと風邪気味なだけ。それよりさ」
「聞きたいことでしょ? 一体何? 」
「…お前の両親を殺した放火魔って、どう、思ってる…? 」
沈黙。俺は冷や汗を流して、受話器を折れてしまいそうなくらい強く握っている。
そして、電話の向こうで息を吸う音が聞こえた。
「なんで君が、そんなこと知ってるかはとりあえず置いといて」
「…」
「別に」
「……は? 」
あまりに端的に告げられた意思表示に、思わず間抜けな声を出してしまう。
「い、今、なんて?」
「いやだから。別に」
「な…なんでだよ! 」
「おおい、何興奮してんの。…確かに僕は、放火が原因で両親が死んだけど、別にもう恨んじゃいない。今が楽しけりゃそれでいいって、どこの誰が言ったんだっけ? 」
その言葉を聞いて、はっとする。それは俺がある日、自分に言い聞かせる目的も込めて、英治に声高々としゃべった台詞だった。今思えばその時の自分をぶん殴ってやりたい気分だが。
その時、英治は。
「まあ、こういう言い方も何なんだけどさ」
「…」
「君のおかげで、救われたんだよ。だから、一応言っておく」
ああ、そんなの、自分にはひどくもったいない言葉なのに。
「ありがとう」
それは、その言葉は、俺を救ってくれた。
「…俺もだ。…ありがとな」
「なんだそりゃ。じゃ、そんだけなら切るよー」
俺は、ぷつりと途切れた電話を片手に、ごめんと、ありがとうを嗚咽とともに何度も何度も繰り返していた。




