第1話 その女神、AB型につき
目を覚ませば、何もない空間が広がっていた。
物がないにも程がある。これでは、そこに空間があるのかすら分からない。
軽くゲシュタルト崩壊を起こしそうな景観が、目の前に広がっていた。
(ん? あれ?)
ゲシュタルト崩壊云々は抜きだ。
それ以前に、何故俺に意識があるのだろうか。俺は死んだはずだが。
いや、案外死んでなかったのかも。実は死ぬ間際に見る夢とか?
……そりゃねーか。
そうだ、確信を持って言える。俺は死んだ。
猛烈な寒さと飢えで、多分……死んだ。死んだと思う。死んだと思いたい。
最後は割りと呆気なかったが。
そうでなければ、今のこの状況は説明がつかない。
今、この状況。意識はあるし、白い空間が見える。
だが瞼はない。瞼があれば、目は閉じられる。
だが、どれ程目を閉じようとしても視界が暗転しない。
(若干、気持ち悪いな)
だが、とりあえず分かったことがある。確実に死んだのに、意識がある。
恐らくは、魂みたいなもんだろう。
と言うことは、だ……。
(転生、キタコレ!)
この後神様とか登場して、異世界転生!
チート貰って俺Tueee!
なんやかんやでヒロインゲット!
バカの一つ覚えみたいなハーレム展開!
そんなものが俺にも来るのかー。
なんか感慨深いものを覚えるなー。
(……いや、ないわ)
生憎と、俺の頭はそんなラノベに支配されていない。
「死んだと思ってたけど目が覚めたから転生ktkr」なんて、夢見すぎにも程がある。
確かに、夢は見ていたい。
現実は厳しすぎるし、ストレスは溜まったまま発散されないからな。
だから、俺は夢を見る。
例え今まさに、死にかけていたとしても。
『目が覚めましたか?』
ふと、柔らかな声が耳を打つ。心地よい声。恐らくは女性か。
だが姿は見えない。
耳どころか、体もない。軽く前後不覚の魂では、どこから聞こえてくるのかもかわからない。
が、とりあえず返事はしておく。
(あ、おはようございまーす)
ホームレスになってから、滅多に喋らなかった俺。
実に、半年ぶりの会話である。
この場合、口もないから「喋った」とは言えないが。
だがとりあえず、会話の第一歩はクリアだ。
何事においても礼儀正しく。それが社会の常だ。
まあ、死んでまで守りたいは思わんがね。
『すでに気付いてはいるでしょうけれど、アンタ――違う、貴方は既に死んでいます』
(はいはい知ってますよー。ようやく死ねましたー)
俺が年相応の生活を送れていたら、死にたくはなかっただろう。
未練もたらたらだったはずだ。
だが、俺はホームレス。
家族もどっかへ消えたし、もうどうでもいい。
『あっそー。話早くて楽だわ~』
偉くものぐさな女神だ。どこにクレームいれようか。
てか、口調変わってますよ。
『女神口調疲れんのよ~』
(さいでっか……)
気だるげな声で語る事情に、少し闇を見たような気がした。
『時間も押してるし、さっさと話進めるわよ』と置いて、女神っぽい人は自己紹介を始める。
懐かしいな。自己紹介なんて中一の春以来だ。
どこ小だとか、何々が好きとか。そんな他愛もないこと紹介してたっけな。
『薄々気付いてると思うけど、私は女神ヴィストレア。
そして、その、ここは『名もなき世界オブスクア』。創世、間もない、赤子の世界、だったっけ……?』
あ、やっぱ転生パティーンか。
いくら早く死にたいと思ってたと言え、流石に「はいそうですか」と信じることはできない。
なんでもすぐ信じれる、ラノベの主人公が羨ましいね。
つまり、これは夢だな。
てか、自己紹介から後。
世界観説明の件から、全部棒読みなんですけど。
『だったっけ?』って、不確定要素含んでんぞ。
それに何か辿々しいし。取説みたいなんでも読んでいるのだろうか。
『うるさいわね! いいから聞いてよ!』
(ハイ、すんませーん)
この自称女神様(笑)は、割りと万能じゃないのかもしれない。包み隠さず言えば、無能。
ナカーマである。
『包んでよ! そこは包んでよ!』
(あのスイマセン、話進めて貰っていいっすか?)
『誰のせいよ!』
全部夢かもしれないが、俺が意識を取り戻してから一向に話が進まない。
確かに俺のせいでもある。だがそれ以上にこのアホ女神、御しやすい。
それはもう、おだてられれば木にも登る豚のように。
『誰が豚よ!』
耳聡くも、憤慨するヴィストレア。
こんな感じで、話が一向に進む兆しはない。
とりあえず、趣旨ぐらいは説明してほしい。
これ以上は色々と面倒だから、素直に聞いておこう。
『で、今は創世直後だから、何もかも出来てないわけ。生物もまだいないわ』
渋々、と言った様子でヴィストレアは語る。
せっかく黙ったんだから、もうちょっとフレンドリーにしてくれてもいいだろうに。
まあ夢だからいいけど……ってそこじゃない!
そんな世界に俺を転生させんのかよ!?
それ陸海空があるだけじゃね?
そんな面倒事はご勘弁願いたい、積極的に。
『さっきから転生転生言ってるけど? アンタ何言ってんの?』
(……ハイ?)
と、思っていたら偉く頓狂なことを言いやがる。
話は一つに纏めてくれ。ただでさえ混乱して何もわからないんだ。
喋るなら、今北産業で。
『死にたいと思って命まで投げ出した癖に、死んでもう一回命をもらおうなんて、虫が良すぎるんじゃないの?』
人生嘗めてるんじゃないわよ、と続ける女神様。
確かに、ごもっともだ。生きる気力もなくして、それで実際死んで。
そんな奴が新しい命もらおうなんて、確かに人生も命も嘗めてる。
世の中には、生きたくても生きられない人がいる。
何の罪もない赤ん坊が、この世に産まれ出ることなく死んだりしている。
そんな理不尽があるってのに、俺は軽々と己の命を捨てた。
申し訳ない。それしか言う言葉は見つからない。
(申し訳ないです……)
『よろしい。ようやく立場をわかってきたようね!』
自分の非を認め、しおらしく謝罪する俺。
だがそれすら馬鹿馬鹿しいと思える返事を、ヴィストレアは投げ掛けてくる。
もういいよ、立場理解しましたよ。
(それで、姿は見せてくれないんですか?)
『アンタ何言ってんの?』
その「アンタ何言ってんの?」は口癖なのだろうか。
何にせよ、あまりいい気はしない。
直した方がいいと思います。
『う、うるさい! 生物はいないって言ったでしょ?
私の姿は、今はないのよ。生き物がいないからね。
生き物が生まれたら、その姿になれるわ。それまでは不可視よ』
(なるほど)
この無能な女神にしては、中々わかりやすい説明だ。
『しばくわよ』
(すんません)
『私だけじゃないわよ? 他の神だって、アンタだって、まだ不可視の者。生物が生まれるまで、お預けね』
お預けね、って言われても大して待ち遠しくないのは何故だろうか。
何にせよ、俺かどうなるのかは教えてもらいたい。
いい加減、この白い空間も疲れた。
(それで、転生もなしに俺は何をすればいいんですか?)
『よくぞ聞いてくれたわ』
ニヤリ、とヴェストレアが笑ったような気がした。
得心の笑みを含んだ女神ヴェストレアの声が、虚無の空間に響き渡る。
悪戯好きの子供のように無邪気な声。
とてもじゃないが、女神の声とは思えない。
強気な所といい、抜けた所といい、この女神はどこか人間臭い。
『このオブスクアは、まだ創世直後。
生命の神リーブンが空と海と大地を創っただけで、まだ生物はいない』
どゆことよ?
悪いが俺は、そこまで易々と全部を察する勘も持ち合わせていない。
高校在学中、忌まわしいことに俺の回りはカップルだらけだった。
少し喋ったことのある奴から、果ては親友だった田中まで。
気づけば回りはカップルだらけ。
だが俺がそれに気付いたのは、退学も間近に迫った11月のことだった。
俺は極めて鈍感である。
(生き物がいないってことは、つまり植物もないってこと?)
植物が生まれてないなら、海も大地も死んでるようなものだろう。
プランクトン、大事よ。
まあ、プランクトンがこのファンタスティックな世界にいるかは知らんが。
剣と魔法の世界だ。そんなもん無くとも、色々と勝手に回っていくのだろう。
『生き物がいないから、魔術が発達するかはわからないけどね』
あ、そう言えばそうだな。
えー、俺嫌やー。そんな日本と大して変わらん世界とか。
努力するとことか嫌やわ。
『だから、それを今から説明すんの!』
いいから聞きなさいよ、とヴェストレアは怒りを露にした。
そして続ける。既に聞いたところから始まらないことを祈るばかりだ。
この夢セーブとかなさそうだから、コンティニュー出来なさそうだな。
『そう言えばさっきも言ってたけど、夢じゃないわよ』
(そー言うの良いから、早く進めてください)
『私女神なんですけど! もっと敬ってよ!』
(あーはいはい敬いますよ、めーがーみーさーまー)
『ふぇぇぇ~~! もうやーだー!』
失礼な態度を崩さない俺に、もはやヴェストレアの自尊心はズタズタのご様子。
道端で転んだ子供のように泣きじゃくる。
だが対する俺も、少しアンニュイである。
ああ、話が遠ざかる……。
◇◆◇
その後、嗚咽を漏らすヴィストレアをなだめ、なんとか話を再開させた。
誰の手も借りられず、なんとかなだめた俺はすっかり憔悴しきっている。
しかもこの馬鹿女神。プライドは高いが、涙もろいようだ。
せっかく宥めて話を再開させたが、俺が黙って聞いていたらまた泣き出しやがった。
『ふえぇぇぇ~! もォ~、ばかぁ~!』
「ガキか」と言いたいところだが、これ以上話をややこしくする必要もないだろう。
必死で慰め、ようやくヴィストレアの話を聞けた頃。
俺のやる気は、既に火星あたりを彷徨いていた。
『でッ……ヒック、私はッ!』
話を再開したとは言え、泣きじゃくるヴェストレアの声はまだ拙い。
舌打ちしたくなる気持ちを抑え、要約した内容を以下に記そう。
一つ。
この世界は創世直後で生物はなく、動物程度なら生まれるが人間は厳しい。
そこで、他の世界から人間の魂を連れてくることが検討されている。
二つ。
人間の魂を連れてくるにも、その世界を統治する神の承諾がいる。
その部門は、「生命の女神リーブン」様とやらが担当するらしい。
俺にはあまり関係のないことだ。
そして、三つ目。これが本題だ。
まだ陸海空しかない世界では歴史もなく、これでは生物も生まれない。
つまり、早急に歴史を作る必要があった。
(ん? 生き物によって育まれていく。それが、歴史じゃないのか?)
『実体としての歴史や時間は存在しないわ。便宜上そう呼んでいるだけよ。
結果論で定められたもの、人々が歩んだ足跡を歴史と言うのなら、歴史なんて改まったものはいらないわ』
だそうだ。
すっかり気を取り戻したヴェストレアは言うが、その声音は真剣そのものだった。
『足跡が歴史なら、歴史なんて改まった呼び名はいらない。
ただの過去でしかないもの。今を生きる者達の知恵袋でしかないわ。
私は、そんな過去でしかない歴史が必要とは思えない』
真剣に言うヴェストレアの言葉は、古く伝承に語られた「神の言葉」とは違った。
全知全能の神。全てを知る者が告げる、「真実」ではない。
『未来を育み彩り、そして生命を彩る。それが私の「歴史」よ。
その為には、どんな犠牲だって問題じゃないわ』
それは、一つの思想だった。
(それは――)
「違う」と言おうとして。だが、言えなかった。
そもそも俺に、然したる考えはない。
それに、人であれ神であれ何であれ。
その者が確固として持つ思想を真っ向から否定できる程、俺は全うな人間ではない。
『つまらないわね』
(え?)
自重した俺は、何故かヴェストレアの吐き捨てるような言葉を浴びせられた。
『自分が全うな人間じゃないからって、自分の考えも言えないの?
そんな奴が、一番「まっとうな人間」じゃないわ。
自分の考え位、馬鹿みたいに遠慮せず言えるようになりなさい。
アンタ如きが、人間語るなんて万年早いわ。人間ナメてるんじゃないわよ、若造』
叩きつける様に言って、ヴェストレアが鼻から息を抜く。
その見えない挙動が、妙に人間臭くて、俺は少し違和感を覚える。
この馬鹿なのか聡いのかもわからない女神は、かなり謎だ。
時間はわからないが、感覚的にこの付き合いは短い。
それなのに、この女神が人間のように思えてくる。
(すみません……)
色んなことが綯い交ぜになって頭では、単調に謝ることしかできなかった。
だがそんな俺に向かって、ヴィストレアは言う。
『しっかりしてよね。私達はパートナーになるんだから! 一緒に歴史を創るのよ!』
何故か自信満々だ。
そしてその一言は、複雑に絡まった俺の胸中を掻き乱すには十分すぎるものだった。
そして俺は確信する。
――コイツ、絶対AB型だ!