それでも、貴方は書くんでしょう。
小さい頃から、物語を作るのが好きだった。
母に読んでもらった絵本、父と観たテレビ、祖母に聞いた昔話。
幼い私は、その後の物語を勝手に想像しては紙に綴って、自分の世界を創り出していた。
そのうち、その後の物語に頼らず、最初から最後までをすべて自分で創るようになった。
例えば買ってもらったぬいぐるみ。例えば学校で折った折り鶴。
それぞれに名前と性別を与えて、頭の中で会話をさせて、固有のキャラクターとストーリーを創り上げていった。
だから、中学高校と文芸部に入部して小説を書くようになったのも、思えば当然なのかもしれない。
とにかく小説を書くことが好きだった。自分の世界を見てもらえるのが嬉しかった。もっと、もっと書きたいと、もっと上手くなりたいと、がむしゃらに小説を書いていた。ただただ、楽しかった。
この時はまだ、尊敬だとか憧れだとか、対抗心だとか悔しさだとか、そんな感情は無かった。
ただひたすらに、自分の好きに書いていた。自分の、自分だけの世界で、自分だけのために書いて、読んでいた。
中学生の頃、初めて心の底から好きだと、この人の文章をもっと読みたいと、思える人ができた。
高校生の頃、この子より上手く書きたいと、この子には負けたくないと、思える人ができた。
憧れの感情と、好敵手への対抗心を知った。
彼らの小説を読むたびに、ああ、と声が出た。なんて綺麗に言葉を紡ぐんだろう。なんて広く世界を表すんだろう。
彼らのような文章を、私も。
彼らより上手く、彼らより綺麗に、そして何より彼らに認められる文章を、私も書きたいと強く思った。
「どうしてそんなに必死なの?」
それが一番最初。
他でもない好敵手に投げかけられた言葉は、水たまりに石ころを投げたように、心に波紋を呼んで。
「私はそこまで本気で書いてないから」
「夢中になれるっていいね」
「部活、続けるの?」
「私はそろそろ引退しようと思ってる。小説書くのも、もういいや」
寄越せ、と、ただただ心から強く思った。
もういいやなんて一言で投げ捨てられる才なら、その程度の扱いで構わない才なら、私に寄越せ、と。
文章を書くのをやめる人に煌めく才があって、文章を書く私には何も無い。
ずき、とどこかが痛くなった。
あんなに綺麗な言葉を紡げるのに、あんなに広い世界を表せるのに、自らそれを棄てるというそれが、私には理解できなかった。
どうして棄ててしまうの。どうしてあなたに文才があるの。どうして。
気持ちの悪い嫉妬と疑問とがぐるぐる渦巻いて、憧れた人だからこそ、それは一層強くなっていく。
どうして私はいつまで経っても駄目なんだろうと。
同じ時間を過ごしていた筈なのに、私なりに努力して書き続けたのに、いつまで経っても届かない。
ならもっともっと頑張らなくちゃ。そうしてまた書き始めて、無力感も諦観も虚しさも押し殺して書き続けたその結末は、開いていくしかない距離。
憧れには到底届かないと知って、好敵手の眼中に私はいないんだと知って。
私は、私の限界に気づいた。
嗚呼、痛い。
痛いなぁ。
私はこうはなれないんだ。
なんて、茫漠と、漠然と、思って。
涙が出てきた。
「もっと上手くなりたい」
だけどもうなれない。
私には、これ以上を書くことができない。
「これが私の限界」
憧れて追い続けて、いつかは追い越せると思っていた。
そんなの、無理に決まってるのに。
書けば上手くなる、なんて皆言う。きっとそれは事実だと思う。でも、それだって上限がある。そして私の上限は、ここ。
だから私は、ここから先には行けない。
きっとこの先も私を置いて、煌めいて先に進むんだろう誰かの背中を見ながら、ただ広がるだけの距離に諦観を抱いて。
「それでも書き続けるんでしょう」
なんて、声が聞こえて。
たぶん自分のものだけど、それは、痛みと確信を伴って。
きっとそうだ、と思った。
きっと私は書き続ける。書くことをやめられはしない。だって私は、小説を書くのが好きだから。小説を書くことがイコールで呼吸と結びつく程に、言葉に魅入られているから。
だから私は書き続ける。これ以上の痛みを伴ったとき、まだ書き続けるという選択肢を取れるかは、わからない。
だけど、せめて今、書こうと思う今だけは。
下手でもいい。稚拙でもいい。
紡げ。