第四話 リア・ノインの知らせ(中)
今度は一週間以内に何とか。
週一のペースでいけたらいいと思っています。
「――以前に使用の申請をされて、私が許可を出したことが原因なのだけど」
廃棄されたアーリに関する申請。
存在を知っていたのは、風の民だけだ。
ならば、リア・ノインに申請を出したのは必然的に風の民で――風の民ならば、アーリにも辿り着ける。
「もの好きな住民が居るのか?」
イーシャと同じような判断をしたらしい。
カタストロフが口を開いた。
「そう。もの好きではないけど、今のアーリには非公式な住民がいるの」
「非公式、ですか?」
何故だろう。
非公式という言葉が出てきただけで、アーリに対し、一気にきな臭い印象を受ける。
「ええ。調査の結果、アーリが墜落してしまったとしたら、その子達がとても困った事になるわ」
「その子達――と、言う事は子供が住んでいるのですか?」
イーシャは信じがたい気持ちで聞き返した。
精霊を宿す民は、ヒトや獣の民とは違い、なかなか子供が授かりにくい。それもあって、次代を作る子供はよほどの特殊な事情がない限り、自分の子供でなくても周囲から大切に扱われる。
子供の自立心を養うために、あえて、そうした許可を出しているのか?
イーシャはそう考えたが、違ったらしく、リア・ノインは大きく首を振って否定した。
「違うの。事情は長くなるから後で説明するけど、今のアーリに住んでいる者達の中で、ハーピィなのは一人だけよ。今の特殊な補助が消えて、アーリ全体を浮かせ続ける事になった場合、たった一人では支えきれない。緊急時の備えはしているようだから、無事に脱出することは出来るだろうけど、生活の場がなくなってしまうわ」
「……それは珍しいな」
カタストロフは一瞬の間を挟み、呟いた。
しみじみと感心したような声だ。
イーシャの数十倍以上生きている彼にとっても、今回の件はなかなか聞かない状況であるらしい。
どうやらリア・ノインの『その子達』という表現は、風の民以外の民族の人間が住んでいるという意味合いだったようだ。
「どういう経緯でそんな事に……」
獣の民であるバーン族は、たとえ追放されても、自立精神も開拓精神も旺盛なので自力で一から住居を作ったり、そうでなければ近郊にあるヒトの生活圏内で働いたりすることを選ぶ。
労働場所を求める以外で、わざわざ他の民に住居の事で助けを求めるというのは、考えにくい。
だから、アーリに住んでいるのは十中八、九、ヒトだ。
おそらく、隠れ住まなければいけない理由がある。
そこまでは理解出来たが、どういう経緯かさっぱり分からない。
そんな疑問をくっきりと顔に浮かべたイーシャに対し、リア・ノインは事情を語りだした。
「ねぇ、イスフェリア。知っている?
スノーン大陸では、今でも奴隷と言う存在が正式に身分として確立されて、認められているの。借金から自分の身を売り奴隷に落ちたものと、罪を犯して奴隷におとされた者。大きく分けるとその二つらしいわ。
犯罪奴隷は顔に、借金奴隷は腕に。家畜のように、所有国や場所を現す焼印を押されていて、すぐ分かるように区別しているのよ」
イーシャは思わず顔をしかめた。
カタストロフも露骨に顔を歪めている。
「……奴隷なんて存在が未だに存在する事は知っていました。ですが、焼印なんてものを、本当に人間相手に?」
「ええ。私は実際に見たの。ロキの――アーリの使用許可を求めて来た相手の腕に、焼印がされていたのを」
イーシャはハッと息を飲んで、目を見開いた。
驚いた様子の彼女に構わず、リア・ノインは話し続ける。
「……ロキは一族は違うけど、私と同郷の人間だから、直接本人から聞いてスノーンに旅立った事も知ってたのよ。一度かければ長期間維持を続ける術をかけて、翼を隠し、彼は夢の民のふりをしてスノーンへ向かった」
これはブルートゥス大陸内であったとしても、珍しい事ではない。
風の民の感覚では、主張の激しいヒトは興味の対象になりやすく、翼を隠してヒトに扮する事で、より身近に接する事が出来るようにするためだ。
「――スノーンでの旅の途中で、ロキは薬を盛られて。
術をかけ直しているところを見られたせいか、夢の民の基準で顔が良い部類に入っていたせいかは分からないみたいだけど、とにかく正規の手続きではない愛玩用の奴隷として売られたそうなの。
正規の手続きを得ていない闇市の商品として奴隷にされたせいで、買い取られた先でも薬付けにされて――粗悪品が混じったおかげで正気に戻って脱走するまで、一年以上奴隷として扱われる生活を送らされた」
スノーン大陸ではヒトしか、存在していない事になっている。
これはここ百数十年の事で、単なる住み分けの結果だ。
スノーンで帆船の技術が発達した結果、異民族争いを避けてブルートゥスへ移り住んできたのである。
ブルートゥスでは戦乱が頻繁に勃発するものの、能力主義の気風が高い。それ故に、民族的な差別はスノーンにあるものと比較すれば、かなり程度が低いのだ。
妄想を現実のものと思い込んでいる一部の者によって、人的被害を受け続けている水の民に対しても、スノーンで暮らすより数段マシな状況という話を聞いた事があるから、相当なものだろう。
実際は表に出ていないだけで、ごく少数隠れて暮らしている者や先祖還りぐらいは現在も存在しているだろうが、そんな土地で風の民とバレてしまった――非常に特殊で希少で高価な商品として扱われただろう。
ロキは文字通り愛玩用――鑑賞するモノとして人間外の扱いを受けたのか、それとも長期の性的虐待を受けたのか。
その点に関しては、ロキがしゃべらなかったのでリア・ノインも詳しい事は聞かず、知らないそうだ。
「どうやって逃れたんですか? 正気を奪う薬の類は、精神だけでなく身体へのダメージも大きいものが殆どでしょう? そう上手く逃げれるとは思えません」
「ああ。それは簡単よ。ロキは唄った。憎悪と殺意をこめて、全力でね」
あっさりとした口調で言ってきた、リア・ノインの答えに。
イーシャはこの上なく納得して、思わず片手で額を軽く抑えた。
実は風の民は、火の民に次いで怒らせてはいけない民族である。
あまり一般的に知られていないのだが、狂乱の歌声には、その時唄い手が込めた想いが歌に、発生した魔力の奔流に宿って、抵抗に失敗して聞いている他の民の精神に影響を及ぼす。
唄い手が見事なほど、強力にだ。
つまり。
風の民に倒すべき敵として認識を受けると、精神を破壊された廃人が大量生産される。
長きに渡って自由を奪われ、モノとして虐げられて。
正当なその怒りにより、ロキを奴隷として扱った人間はその報いを受けた。
「ロキは、私と一緒に族長の候補に挙がった事もある程の唄い手なの――全力で唄って、悪意を込めた歌を聞かせることで、屋敷中の夢の民全てを精神崩壊に導いただけ。薬のせいで、命を奪う余裕まではなかったから、すぐに追手をかけさせないためにそうしたみたい」
一夜にして数十人単位の廃人が出現。
風の民に詳しい者が多いと思えないスノーン大陸では、都市伝説の一つに数えられているのではないだろうか?
イーシャはそんな感想を抱いた。
「ま、自業自得ね。奴隷制度を悪用してロキを、他の夢の民達を長年虐げていた者と、どんな事情があれ、他人の不幸を助けもせずに黙って眺めて従っていた者達だもの」
リア・ノインはあっさり言い切ると、カップを手にとり、中身の紅茶を啜って咽喉を潤した。
「――ロキは故郷に戻って来て、しばらく大人しく静養してたわ。薬のせいで、髪と翼の色が変色するぐらい身体の中がボロボロだったから。でも、赦していなかったのよ。自分がそうだったように、不当に貶められている人間が居る状況を」
彼を直接貶めた者達は既にいない。
自分自身の能力で、逃走と同時に復讐は完了していたから。
それでも、身体を万全にするためにゆっくりと静養している間に、ロキから奴隷制度というものの負の影響は沈静化しなかったようである。
「……だから、私に黙認して欲しがった。スノーンの各地にある闇市場にいる奴隷を連れ出して、追手の来ないアーリに住まわせる事を」
ようやく本題に入った。
そうイーシャは、言いにくそうに目を伏せたリア・ノインの様子から判断した。
「ロキは自分がしようとしている事が、結局のところ、私怨で犯罪行為だときちんと分かっていたわ。決意が固くて、説得は出来ないと私は判断した。私が許可を下ろさない事で、他の、より危険のある場所に元奴隷達の街を作ったら――それを考えたら、黙認という形で許可した方がいいと思ったの」
リア・ノインは無茶だと言って、非合法の奴隷を連れ出す事自体、諦めさせる説得はしなかったようだ。
可能だからだろう。
ロキは既に、ヒトに対して最も効率の良いその方法を私怨で行使している。
きっと彼は躊躇わず、美しい声で精神を破壊する呪歌を唄う。
そして――最終的にリア・ノインは族長として、己が民族に所属する一員の希望を重視したのだ。
交流の殆ど無い大陸の、一部の夢の民の利益よりも。