第二話 スノーンとブルートゥス
前回から非常に間が空いてしまい、申し訳ありません。
「おー。イーシャちゃん、久しぶりだな」
近衛騎士達に重要度の高い書類と判断され、そのまま通されたレスクの執務室で。
入室の挨拶を述べたイーシャに対し、何事か言いかけたレスクの機先を奪う形でドラクロが話しかけて来た。
部屋の主であるレスクは執務机の椅子に座っており、本日の書類仕事自体は終了したのか、机の上に紙の束や帳面などはない。
彼女と同じく来訪者であるドラクロは、レスクと向かい会う形で立っていたが、顔だけ振り返って興味深そうにイーシャを眺めていた。
「お久しぶりです、ドラクロ殿。半年ぶりになりますか」
「ああ。それくらいだったかな」
イーシャとドラクロだけが半年ぶり――というわけではない。
ドラクロがディアマス王都に出てくるのも半年ぶりだ。現に二回の民族長会議を、治安の悪化を理由に欠席している。
「貴方が此処にいるという事は、そちらの問題は無事に収まったのですね」
「当然だ。ワビも受け取って、和解に向けて進んでるぞ」
治安の悪化の原因。
それはドラクロを攫われ、報復を叫ぶ火の民達の怒りである。
事情があったとはいえ、族長を攫われた火の民と攫った水の民の間は、当然ながら非常に険悪な空気が流れていた。
両者の自治区の距離が離れていなかったら、小競り合いが起こっても不思議ではないくらいに。
純粋な戦闘能力は八民族随一である火の民と、水中以外では支援や補助に適性がある水の民では、小競り合いに発展しても一方的な結果しかならない。
基本的に自分よりも弱い者は保護対象か無関心で、細かい事はあまり気にとめないという――悪くいえば大雑把、良くいえばおおらかな気質の者が多い火の民にしても、族長誘拐監禁はあっさりと看過する事は出来ない事態だったのだろう。
人質というドラゴニア的に卑劣な手を使われたとはいえ、格下の水の民であるスアウに攫われてしまったドラクロは押さえとしてはいささか不十分で、火の民族長としての素質を疑われるような危険な立場であったために長引いていたのだ。
水の民側からの謝罪と薬剤原料の報酬の意味を込めて送られていた品物も、反発が強く、受け取ることなく再三送り返していたと聞く。
「どういう手を使って、収めたのですか?」
何処かで治安が悪化した時、同じ手が使えるかもしれない。
そう考え、イーシャはドラクロに尋ねた。
「今年も俺が優勝したからだ」
ドラクロは胸を張って腰の左右に手を置き、誇らしそうな笑顔できっぱりとそう言い切った。
その答えに、イーシャは内心がっがりする。
ドラクロが言っているのは、年に一度行われている族長の座を賭けた武道大会の事だ。その挑戦権は誰にでもある。
火の民の族長は過去に一度も例外なく、この大会の優勝者が務めていた。
それ故、下手をすると族長は一年周期でコロコロと変わる恐れがあり、政治に興味ない人物になる可能性も高い。事実として火の民と同盟した後、しばらくの間――ドラクロが頭角を現すまで、毎年火の民族長は違う人間が務めていた。
幸いな事に、ドラクロはまた連続優勝記録を伸ばしたようである。
スアウに攫われていた事で疑われていたドラクロの強さが公共の場で証明された事で、火の民最強戦士であるという族長としての尊厳を取り戻したようだ。
変わらず族長として問題無いと証明された事で、ドラクロの説得が効果的に作用するようになり、水の民との和解方針を進める事が出来たらしい。
残念だが、強さこそ全てのドラゴニアでないと通用しない手であるので、治安回復効果としてはあまり参考に出来ない。
「そうですか……喜ばしい事ですね」
イーシャの持ってきた書類内容にも、大陸の治安問題は無関係ではないので彼女はそう呟いた。
彼女は笑顔のドラクロから、割って入る会話の糸口と探している様子のレスクに向き直ると、そのまま前進する。
「陛下。イムハールの代官から届いたものです。是非ともご覧ください」
イーシャは手にしていた書類を静かにレスクに向けて差し出した。
レスクが目を走らせるのを見ながら、その場で待機する。
「……ふむ、これは……!」
数行も行かないうちに、レスクは一瞬大きく目を見張った。
しばしして読み終わったのか、退出指示が出なかった事もあって暇そうに二人の様子をうかがっていたドラクロに向けて、スッと書類を差し出す。
「ドラクロ。君も読んでくれ」
ドラクロは書類にさっと目を通すと、やおら両目を閉じ、ごしごしと伏せたまぶたの上からを擦った。再び目を開いて書類を読み直すと、大口を開けて笑う。
「ははは。すげぇ度胸だな、この皇女様」
ドラクロは楽しそうに言うと、口角を上げてにんまりと笑った。
「いいぜ。俺は指示する。ちょっと紙一重の提案だと思うが面白いし、ディアマスとしても損じゃねぇだろうしな」
「……確かに。私も提案自体は悪くないと思う」
レスクは静かに頷いた。
「彼女が何を焦っているのか分からないが、こちらからしてみたら願ってもない。かの国との交友を活発化させるという事は、ディアマスが国として認められたという事だからな」
アルシオーネ皇女から届いた内容は、ディアマスとの交友を積極的に深めたいというものだった。
駐屯する親善大使を送り、試験的に留学生を送りたいとの事。
千二百年近く存続するラスス皇国から見たら、建国より百五十年余りのディアマスは新興王国にすぎない。規模が数十倍あろうとも、そんなものだ。
これはラスス皇国に限らず、スノーン大陸の国家から見た評価であった。
そんな状態でスノーン最古の皇国の皇太子の位のある人間が、公式文書を送ってきたのである。
これはディアマス史上初の出来事だ。
イーシャは交易都市であるイムハールの領主として、スノーンの一般人がディアマスを蛮族と亜人の国と見ている事を知っている。
ブルートゥスは戦乱の大陸と言う別名がある事、移動手段の問題で距離が近いハッシュガルドとは異なり、大陸間の直接的な交友はわずかなので、それはある程度仕方がない事だ。
ディアマスの上層部もそれを充分理解しており、大陸を支配し終わって十年以上経ったくらいにスノーンの方から接触があるだろうと考えていた。
それくらい現状維持を保ち、情勢が落ち着いた頃合いを見計らってから交友が進むだろうと。
レスクが焦っているといったのは、この事からである。
イムハールに来る者は商人や船乗りばかりなので、ラスス皇国の具体的な内情までは分からない。
ただ掴んでいる情報からディアマスが見たアルシオーネ皇女は、これといって別段急いて功績を上げる必要のない人間だ。
アルシオーネ皇女は現ラスス皇王の長子で、皇后が産んだ嫡子で皇太子。
競争相手になると思わしき皇族の人間は、妹のベアトリス皇女だけである。その第二皇女の母は側室で既に亡くなっている上、病弱を理由に表舞台に出てきたことはない。
皇太子としての執務も問題無くこなしている。
可能性としては未婚である事から、アルシオーネ皇女の夫――王配となる予定の人間関連で何か問題があり、早期に功績を上げる必要性が発生しているのかもしれない。
「――とはいえ、次の民族長会議で是非を問い、この提案を受け入れることになったとしても色々と情報収集や調整に時間が必要だ。イスフェリア。親書を受け取った事、現在協議中で時間がかかるという点を書いてラススに送ってくれ」
「はい、陛下。そのようにいたします」
「そもそも、スノーンではヒト以外の民族は居ないと聞くし、未だに奴隷などという者が存在する。ブルートゥスの文化を受け入れられるような人材が来ると良いのだが……」
レスクは目を伏せ、疲れたように眉間をもんだ。
スノーンの人間ととブルートゥスの人間の一番の違いは、その二点である。
昔のブルートゥスでも、奴隷は存在した。
敗戦国の民は、そのまま奴隷として戦勝国から扱われたのだ。
しかし、ブルートゥスは実力さえあれば、どんな生まれであろうと最下位の身分であろうとも、いくらでも上に伸し上がれる気風である。
約二百年前、奴隷身分から王に伸し上がった猛者が居た。
その王の手で広められた意識改革によって、人身売買は未だ存在するので実質奴隷と大差ない境遇の人間は存在するものの、制度的な奴隷を作る事は全面的に禁止されたのだ。
ブルートゥス大陸住民にとって、奴隷とは過去の産物でしかない。
「ま、あっちから見てこっちが格下だと思っていよーが、一応国の代表として恥ずかしい態度を取る人間は出してこねぇだろう。本当に交友を深めたいと思ってるんなら」
「それはそうだが……」
楽しそうに笑うドラクロにあっさりとした口調で指摘され、レスクは重い口調で口を閉ざした。
快挙と言っても事態なのにレスクが悲観的なのは、おそらく、この提案を受け入れるにしろ受け入れないにしろ、色々とやる事が山積みだと予測を立てたからであろう。
イーシャも既に、この問題の関係者に組み込まれているため、他人事ではない。
「――私からの用件は以上です。何か御用がおありでないなら失礼させていただきたいのですが、よろしいでしょうか?」
「ああ。構わん」
イーシャは退室の許可を得ると一礼し、くるりと踵を返してレスクの執務室を後にした。
他の小説のネタばっかり浮かんでしまい、なかなか執筆が進みませんでした。本当に申し訳ないです。
読んで下さってありがとうございます。




