第二十五話 帰還
第二十四話。タイトル訂正しました。
連絡→治療
海竜王の治療は、結局丸三日通して行われた。
正確に言うならば、当初予定していた腹の大傷を治すだけなら半日かからず終わったのだ。
そこで止めて帰っても問題なかったのだが、責任者が同胞の説得に行ってしまい、それにイーシャが着いて行ったのである。
まさか一人でディアマス王城へ帰るわけにもいかず。
特にする事もなくなった彼が、暇つぶしに顔見知りの治療をより進めたのは、水の民にとって幸運な事だっただろう。
傷を塞ぐのより、解毒の方が厄介だった。
未だ完治には至っていないが、もう海竜王自身の自己治癒で充分に事足りる。
体力が戻り次第、水の民の手から離れるだろう。
彼よりも更にすることがない上、水の民を刺激する事を懸念して軟禁状態に甘んじていたドラクロの苛立ちは酷かった。
イーシャが戻ってきたと聞くなり、自主的に籠っていた部屋から飛び出して行ったかと思うと、彼女の襟首を引っ掴んで彼の元に連れて来るほどに。
イーシャはドラクロの事を半ば忘れていたらしく、青い顔で抵抗も無く引きずられてきた。
「イスフェリア。数日のうちに、ディアマスに行く。レスクにヨロシク」
ディアマス側に連絡を入れ、帰還報告をしていると、二人の後を追いかけてきたスアウがそう言った。
戦闘動員にした者全員の説得に費やされる時間は、まだかかるようだ。
民族全体だったら、数日単位は無理であろう。
「海竜王の治療、感謝する。氷魔王カタストロフ殿。ドラクロ、貴方の血も役に立った。今度、火の民にも謝罪とお詫びに行く」
頭を下げると微笑んだスアウに笑顔を返し、イーシャは転移魔法の呪を唱えた。
彼女の魔力では、王都まで持たないので事前に打ち合わせた通り、足元に浮かび上がった魔法陣に、彼の魔力を流し込む。
くにゃりと視界が歪み、閃光と共に元に戻った。
一瞬、身体が宙に浮いて落下する。
転移特有の現象を慌てずにやり過ごすと、見覚えのある儀式室に到着していた。
足元にある大きな転移魔法陣から数M離れた所に、十名ほどの人間が立っているのが目に入った。
ディアマス国王レスクと、その近衛騎士らしい者が五名、他の四名は服装からして文官のようだ。
感動の再会に胸を熱くしていたのは、その場でただ一人だけだっただろう。
その一名――レスクは、愛娘に向かって顔を輝かせ、駆け寄った。
イーシャを抱擁しようとした国王の両腕は、空を掻き抱く。
さっと、無駄のない動作でレスクを避けたイーシャは、にっこりと微笑んだ。
「直接お目にかかるのは数日ぶりにございます、陛下」
「ああ。イスフェリア。私のイーシャ。無事のようで、本当に良かった」
「ええ。私、怪我の一つもございません。これも、カタストロフ殿の助力があってこそです」
じり、とレスクが僅かに彼女から後退した。
つっーぅ、と、その額から汗が流れ落ちて行く。
イーシャの顔には微笑みが浮かんでいるものの、眼差しは冷ややかで、ちっとも笑っていない事に気付いたからだろう。
「陛下。カタストロフ殿の事で、お聞きしたいと考えていた事があります。私、ディアマスは戦時下でも罪なくして投獄はないと学んだのですが、それは誤りであったのでしょうか?」
「いや、誤りではない……法でそう定められておる」
「では、何故、カタストロフ殿を地下牢に収監した愚か者が出たのですか?
一体誰が、投獄する許しを与えたのです?」
イーシャの両手は、いつの間にかレスクの首元に伸び、襟口を捉えて締め上げる準備が整えられていた。
口元には花のような笑み、菫色の瞳に凍てつくような冷たさを湛えたままだ。
近衛達は、ちらりと彼女の手のありかを見たものの、止める気はないようで微動だにしない。
文官達は青い顔で父娘のやり取りを、ハラハラしながら見守っている。
ドラクロは退屈そうに、そんな光景を眺めていた。
父娘の会話に興味がなかったので、彼はさっさとその場を辞す事に決めた。
イーシャを待っているのが面倒臭いというより、体調がいささか優れないからだ。
大股で儀式室から脱出し、何処と意識せず、足の向くまま進む。
廊下を行き交う者達が硬直し、バタバタと倒れ伏していくのも気にならない。
普段なら怪我の有無くらい確認するが、彼は本格的に気分が悪くなってきていた。
他人の様子を確認する気にならず、どうでもいい。
この数日内で、魔素を吸収し過ぎたせいだろうか。
つらつらと、そんな事を考える。
彼はスアウに申し出た通り、レノン滞在中は自己最大広範囲の浄化を毎日行っていた。
大気中のものだけでなく、瘴気転換寸前の海竜王の体内から取り出した魔素も含めると、封印状態のこの身には許容限界値に近かったのかもしれない。
『魔王』は魔素や瘴気による魂の侵食が無いとはいえ、滅びの因子を体内に吸収して、何もダメージが無いわけではないのである。
彼も、それは例外ではない。
魔力の方はと言うと、まだまだ余裕である。
生命の精霊を呼び寄せたまま力を借り受けるのに、ガンガン魔力を持っていかれたが、消耗は現時点での一割程度にしか過ぎない。
ふと気付くと、彼は中庭に辿りついていた。
清浄な場を、疲弊した身体が求めたようだ。
体内のダメージが、澄んだマナを吸収する事によって和らいでいく。
ウトウトと、心地よさに立ったまま眠りそうになり、彼は足早に順路を逸れた。
ベンチを探したが、見つからない。
眠気が限界に来ていた彼は、ふかふかした草の絨毯の上に身を横たわらせた。
あっという間に意識が落ちる。
吸い込まれるようにして入り込んだ眠りの中、彼は聴き覚えのある声を聞いた。
レスクを締め上げた結果、カタストロフを投獄した者の名前を聞く事に成功した。
レスクの所に暴挙が伝わった時には、すでにカタストロフは地下牢から姿を消しており。
すでに、愚か者の処分は終わっているのだという。
会議を意図的に邪魔していたようなフシのある人間は、三日前から出て来なくなったそうだ。
タチの悪い食中毒にかかって、会議に出るどころではないらしい。
「アルフがニコニコしておったから、あやつの仕業だろう」
「……そうですか」
王太子は邪魔だと判断したら、それくらい平気でやりかねない人間である。
いたってイーシャも同感で、反論する気にもならなかったので、他の情報を求める事にした。
「それで? 闇の民の対策は進んでいるのでしょうか?」
「あちらが離反宣告以来、動きが無いからな。軍編成を進めてはいるが、具体的な対策にはまだ至ってない」
「そうですか……将は何名ほどを?」
イーシャは自分が候補に入っている事を前提に、尋ねた。
レスクには伝えていないものの、カタストロフはイーシャの味方である。
任命されたら、カタストロフを連れていく気満々だ。
彼を崇拝する闇の民達にとっては、一番戦闘するのに気の進まない相手となるだろう。
「今の地点では二名が決定しておる。総大将は私、副将にラムザアースを連れていく予定だ」
「!? 今回もラムザアース殿下ですか? あの方、グラウニアに定期駐屯中ではありませんか。他の師団を派遣して、呼び戻されたので?」
ディアマスの将軍は己の軍団を率い、三ヶ月ごと交代で、最も激戦区であったグラウニアに駐屯する。
基本、騎士団の番号で回ってくるため、次は彼女が向かう予定だった。
期間も交代には、まだ一月以上あったはずだ。
「ああ。まだ到着しておらんが、軍団ごと呼び戻した。
やる気のある時なら、アルフが一番戦略にしても戦術にしても謀略にしても効果を上げてくれるが、いつもそうと限らん。私に何かあった時、次王はあやつだしな。だからどんな相手でも、アルフの次に戦略が得意で、総合能力的にも安定感があるラムザアースが一番私の副将に向いておるし、今回も任命する」
「そうですか……」
レスクは、ラムザアースを連れて戦場に出る事が多かった。
能力的な相性の問題であって、彼が義理の息子である従弟をうとんじているからではない。
むしろ、レスクは実の息子より養子であるラムザアースの方を気に入っている。
おそらく、レスクはアルフェルクが死んでも泣かないが、ラムザアースを失えば泣くだろう。
レスクの騎士となったイーシャは、主に命じられて戦場に出る事はあっても、主と共に戦場に出た事は数回しかなかった。
将軍に任命されてしまったので、一騎士として着いていけないのである。
レスクはイーシャと同じく前線向きの指揮官であるので、補佐の役目を果たすとなると相性が良くないのだ。
「では、現時点では闇の民との決定的な亀裂はないのですね?」
レスクは大きく頷いた。
良かった。素直にそう思える。
昔からどちらかと言うと敵対的な相手である。
すぐに何かを仕掛けてくるかと考えていたが、現状は慎重路線で行く気らしい。
「一つ、闇の民に対し、行ってみたい事があります。ラムザアース殿下にもご相談の元に行いますので、お許し願えますか?」
「良かろう……無事であったとはいえ、慣れぬ環境で数日過ごしたのだ。疲れていよう。イスフェリア、今日はゆるりと休め」
「御意に」
イーシャは一礼すると、儀式室を出た。
戻って来てすぐにカタストロフが出て行き、話の途中でドラクロが王都入りしていたらしきドラゴニア数人に連れて行かれたので、彼女が他に気にすべき相手はない。
レスクに休めと言われたものの、今後の相談のためにカタストロフを訪ねたが、客間に彼の姿はなかった。
客間に、数日前の戦闘の形跡は一切残っていない。
居間部分の家具と絨毯が違う物に替えられているぐらいか。
特に今はする事が無かったので、イーシャは散歩てがらカタストロフを探した。
数十分ほどして、廊下に倒れている面々を発見する。
全員に怪我はない。
一人を起こして尋ねてみると、案の定カタストロフを目撃したせいだったらしい。
彼に素顔をさらしたまま歩かれると問題になるのは、本人もしっかり自覚があっただろうに、どうかしたのだろうか。
同じような事が数度続き、イーシャはいつの間にか、王城の中庭に辿りついていた。
そういえば前に中庭を誉めていたな。
イーシャは思い出し、そのまま順路に沿って探索を続けた。
カタストロフを見つけられぬまま、籠城戦になったとしても自給自足可能なように食用可能な果実が生るものを中心に作られた中庭を、あっさり一周し終わる。
イーシャは首を傾げた。
いない。図書館にでも行っているのだろうか?
とりあえず、彼女はもう一周回る事にした。
今度は順路に拘らず、木の陰なども慎重に探す。
ややあって、イーシャは探し人を発見した。
カタストロフは、ちょうど低い木の陰に隠れるような位置で寝転がっている。
幸いな事に、イーシャに背を向ける形で寝ていた。
素顔でいると聞いた時に準備したヴェールを片手に、彼女は歩み寄り、声をかけた。
「ちょっと、クー。こんなとこで寝たら駄目よ」
反応はない。
しかし、イーシャは異変に気付いた。
呼吸音が一定ではない。
微かに呻き声が聞こえる――魘されているのか。
随分と苦しそうな様子に、イーシャはしばらく迷ったが、彼の肩に手を伸ばした。




