第二十一話 交渉(前)
なんとか書けました!!
長くなりすぎたので、次話に続きます。
時間をかけた割に残念な文章になってないか、心配です。
元のよりは無理のない文になってるんですが……自信がない作者でした。
「策を練ってる時間はないって事ですね」
ドラクロの予測に、イーシャは素早く頭を回転させながら移動した。
このまま突っ立っていれば、スアウが扉を開けた時点で自由を取り戻した事が分かってしまう。
即座に扉を閉めて鍵をかけ、緊急事態とニンフ達を招集されるのはマズイ。
外から首だけ出して、部屋を覗きこまれない限り発見されない入り口真横の壁に、イーシャは寄り掛かった。
彼女の行動の意味に気付いたか、ドラクロはすぐ隣、カタストロフは扉で完全に見えなくなる死角――イーシャ達の逆位置に移動する。
「クー、貴方、具体的にどんな事が出来るの?」
それによっても取れる手立ては変わるのだ。
現在の魔法では絶対出来ない事も可能であるなら、スアウに交渉が出来るようになる。
「海竜王の負傷が一番ニンフ達にとって赦しがたい事。だから、その問題さえどうにかなるなら、宣戦布告した水の民にとっても最小限の責でこの件は和睦に持っていけると思うの」
「……ディアマスとスアウに対しては、それで上手くいくかもしんねーけど。他のニンフ達が納得すっかは別だぜ?」
カタストロフに対するイーシャの意見に、ドラクロは難しい顔で口を挟んだ。
「約束の五十年が過ぎても、ニンフ達を三十年思い留まらせられてたのはスアウが族長だったからだ。あいつがディアマス――と、いうかメイザスに恩義を感じていて、盟約の象徴を担ってたから、他の奴等もずっと我慢してたんじゃねーかな」
「? スアウ様が象徴、ですか?」
反旗を翻すと決めた現族長の処分、改めてディアマスに加盟、そして水の民が有する独自技術の一部解放。
それが、イーシャの考えた水の民に架せられる最小限の責だ。
ディアマスとしても無意味な戦闘は避けたいし、水の民が加盟した事で入ってきた利益は膨大な金額に及んでいる。
反乱が盟約にも認められていた権利である事も合わせると、これくらいが妥当だ。
あまりきつい責を架してしまうと、水の民とは講和にさえ持っていけない状態になる。
「え? イーシャちゃん知らねーの? メイザスが盟約までこぎつけたの、人魚狩りにあって死にかけてボロボロだったスアウを助けて帰したから、当時の族長が会談する気になったんだぜ」
「……交渉王が潰した奴隷市で偶然ニンフを助けた点は歴史でも習いましたが、名前までは知りませんでした。スアウ様がそうだったんですね」
なるほど、確かに象徴だ。
どれほどヒトにニンフ達が凄惨な目に遭わされたのか、身を持って知っているスアウは差別と妄執による被害者の象徴であり、平穏を早期に願う無言の催促でもある。
ドラクロは水の民の加盟以前から、火の民族長を務めている。
当時の事情に詳しいのは、無関係な立場ではなかったからだろう。
もしかすると奴隷市壊滅の際、メイザス王に同行していたのかもしれない。
闇の民との盟約成立直後に遭った事件だ。可能性は十分ある。
「そーだな。当時のスアウは別に上役じゃねーし、記録にゃ残んねーか。
とにかく、人魚狩りにあって帰って来れた奴はそういない。とっ捕まった先で咽喉を薬で焼かれたり、子供が産めない身体にされたり…………他にも色々と惨たらしいメに遭わされ続けたのに、同じ夢の民であるディアマスを信用して庇ってたのがスアウだったんだよ。
そのあいつに罰を負わせる――うん、駄目だな。海竜王の件が上手くいって退く事をよしとしても、スアウ処罰の件が広まれば、またすぐにニンフの暴動が起こるんじゃね?」
イーシャは、がっくりと項垂れた。
彼女もドラクロと同意見だ。
スアウはディアマスが信用に置けるという、水の民に対しての象徴でもある。
そのスアウが、もう少し待ってみよう、きっとこれからは良くなっていく――というように説得していたから、渋々従ってた者達はきっと多い。
彼女自身、海竜王の負傷が無かったら、あと百年は待ってもよかったようなことを言っていたし、実際説得していたのだろう。
だからといって、反乱の責任者の処分なしでは、ディアマス側に折り合いがつかなくなる。
スアウと引き換えにしても構わないほど価値があるモノを差し出せば、なんとかなるかもしれないが水の民が秘宝を持っている保証はない。
とは言え、海底は宝の宝庫でもある。
もし秘宝たりえる者が存在しなかったとしても、水の民総出で探せば見つからないとは言い切れない。
「それで? クー、貴方はどんな事が出来るの?」
「今、理想的に欲しがられてる力は回復関係だな? 適性は低かったが俺には必要だったし、対象が自分以外の回復魔法も幾つか使える」
「そう!! その力が欲しいのよ。現存する魔法で回復呪は存在しないから」
痩せた土地に活力を注ぐ精霊魔法、尽きた魔力を他者から融通される事で回復する呪はある。
神聖魔法も存在するが、それは魔物に対して有効な『力』の付与であったり、体力を消費して自己回復能力を一時的に上げる類であって、いわゆる癒しの魔法は存在しない。
癒しの魔力は生命の精霊の領域。
生命の精霊は確かに存在するのだが、精霊が見える民族でもめったに発見出来ないほど世界に馴染みきっていて、術として作動させるのが非常に困難だ。
生命の精霊の力を借りているつもりで、術者自身の生命力を大量消費してしまい死亡したり、もっと悪いと治療したい対象から生命力を奪ってしまい、傷は治っても衰弱して死んでしまったという本末転倒な例が数多く存在する。
そんな超危険な博打に近しい魔法は認められず、存在しないという事になっているのだ。
「そうか。海竜王は代替わりしても記憶を受け継ぐし、一応俺と面識がある事になる。治療までは、よほど交渉が下手くそでも持っていけるだろ」
問題はその先にある。
「……! おい、スアウが近づいて来たぞ。おしゃべりは止めとけ」
ドラクロの警告に。
イーシャは壁に張り付き、息を殺して扉が開くのを待った。
一人でやってきたスアウは、扉の傍で陣取っていたイーシャにあっさり組み抑えられた。
物理的な衝撃に、スアウの手からすっぽ抜けた巨大弁当箱が床を滑る。
ドラクロは、当たり前のようにそれを拾った。
開けっぱなしになった扉の裏側に立っていたカタストロフが、素早く扉を閉める。
スアウの抵抗は、本当に僅かな間の事だった。
すぐに、彼女を押さえつけているのがイーシャで、ドラクロと共に自由になっている点に気付いたからだろう。
じっと居なかったはずのカタストロフを眺めていた。
弁当の蓋を外し、中身を食べ始めたドラクロを無表情の中に少しの呆れを浮かばせて見るカタストロフは繰り返すが、目にした者の意識を奪う素顔である。
そうと分かりにくいが、スアウは意識が飛んでるのかもしれない。
スアウの顔を覗き込むと、案の定反応が無かった。
抵抗しても無駄と悟ったわけではなく、第三者がいる事から状況が変化したと気付いたわけでもない。超絶美形に魅入って硬直しているようだ。
イーシャは少し考えた末に、スアウの視界を塞ぐように立った。
カタストロフにも、スアウに背を向けるように指示する。
暴れられないように服のベルトか何かを使って拘束する事も数秒検討したが、それでは彼女が望むような話し合いにならない。
相手を拘束して行うのは交渉と呼べるものではない。
脅迫、あるいは恫喝だ。
カタストロフが鍵を外側から掛けていたこの場所に居る時点で、既に水の民達の計画は破綻しているのだ。
わざわざ余計な反発を招くような行為はしない方が良いだろう。
今回は三対一であるし、スアウはあの鉾型魔道具を所持していなかった。
無力化するのは容易い事だ――と、イーシャは判断した。
「――水の民ニンフ族長スアウ!!」
イーシャは腹の底から声を出した。
びりびりと響く大声に、瞬き一つしていなかったスアウの身体が僅かに動く。
スアウはゆっくりとした動作でイーシャの様子を眺め、ドラクロを拘束していた残骸を見つけると大きな瞳を曇らせた。
肺の中の空気を全て絞り出すような、長く深い溜め息を吐く。
「残念……身動き出来なくて嫌々わたしの手で食べるドラクロを見るの、楽しかったのに……」
え? まず気にしたのって、そっちなの?
予想外の発言に、イーシャは驚いた。
拉致監禁していた二人が解放され、新たに一人追加されている状態なのである。その危機的状況を見て、その言葉が最初に出てくるとは思いもよらなかった。
驚いているイーシャにかまわず、スアウは立ち上がった。
その瞳は凪いでいて、常のように彼女が何を考えているのか読みにくい。
「イスフェリア。説得なら、無駄」
淡々とした様子でそう言って、スアウはゆっくり首を振った。
その切れ切れの声はいたって穏やかで、揺るぎない。
「不測の事態。それが何? 切り札が無くなって、勝機が更に零に近づいても、わたし達の心を蝕んだ憎悪が色褪せる事無い。既に投げつけられ続けていた石、投げ返した。もう黙って、なるべく当たらないように祈って避け続けるなんて、出来ない」
打って変わって深刻な内容。
どうやら先程の珍妙な発言は、会話の主導権を取るためのものだったらしい。
それにしても。
イーシャは一つ気にかかる事があった。
ドラクロは一旦、食べるのを止めてくれないだろうか。
それほど大きくないものの、彼が忙しく物を食べる音が、空腹のせいか妙に耳に着くのだ。
そのせいで、スアウが作り上げている深刻な空気が台無しである。
「赦す事は出来ない。そう言った。世界に逆らう愚かな同胞がいると嘆いたその口で、わたし達にまた元の虐げられる生活に戻れというの? あの方が負った傷が治るわけでもないのに?」
「治るなら、反乱を止めると?」
欲しかった言葉に、イーシャは真面目な顔で尋ねた。
まずはスアウの言質を取りたい。
彼女の質問にスッと、スアウの眼が細まる。
ちらり、とドラクロを――正確には、その傍でこちらに背を向けているカタストロフを見やった。
「……なるほど。氷魔王が出来る?」
「必要があって覚えたそうです」
双方とも、何を、とは聞かなかった。分かり切った質問だからだ。
「……条件、なに?」
「反乱を止め宣戦布告を撤回する事、ディアマスに再加盟する事、この反乱の首謀者かその人物に引き代えてもディアマスが欲しがるような財宝の類を差し出す事、水の民の独自技術を一部譲渡し知識を解放する事――ですかね。
それならディアマスの上層部も納得すると思います」
スアウは黙り込んだ。
長年に渡って蓄積した過激な差別被害による鬱屈と崇める対象を傷つけられた水の民の怒りは、骨の髄まで達しているのだ。
納得のいく代価を貰ってもやはり納得出来ないという者は、必ず出る。
それでも、スアウは水の民ニンフの族長である。
避ける事の出来る戦いで、無為に散る手段は取りたくないと考えるだろう。
そして、この交渉内容は理不尽な請求ではなかった。