第十二話 火 対 水
今回短いです。
戦闘描写、初めて書きました。
途中から出てる人は、今回短かったせいで予定より出番が繰り上がり、あるキャラの不幸度を上げています(w
イーシャの質問に、スアウは黙って立ち上がった。
いつの間にか、スアウの右手には布を巻いた大鉾が握られている。
左手で持っていた氷が瞬時に水へ変化し――おもむろに、スアウはその冷水を頭からかぶった。
スアウに触れるやいなや、水はまるで空気に溶けたように消えて、その代わりだとでもいうように彼女の髪が硝子のごとき色彩へと変質する。
首飾りが突然切れて、バラバラと空で弾けた真珠が音を立てて床に落ちた。
「……いい度胸だ。スアウ」
ドラクロの顔から見る間に笑みが消え、その眼がギラリと険悪な光を放つ。
嫌な予感に、イーシャはササッと後方に三Mほど退避行動を取った。
「ちゃっちゃと片つけるか!!」
がなると同時にドラクロは翼を広げ、床を蹴った。
彼のだらりと垂らしている両手の爪が二十セトほど急激に伸びて、たちまち金属のように硬化する。
凶器と化した右の貫き手を、ドラクロは迷う事無くスアウの胴体めがけ突き出した。
スアウは黙したままその一撃を避け、先程までイーシャの居た位置に見かけを裏切る力強さと俊敏さで回避する。
勢いのついていたドラクロの爪は、一瞬前までニンフ族長が座っていた場所に風穴を開けた。
風穴から亀裂が放射状に広がり一秒も経たぬ間に、その大きさに見合って頑丈だったはずの長椅子が半壊する。
「……な、何事ですか?!」
イーシャは困惑もあらわにそう言った。
突然始まったドラクロとスアウの戦闘の意味が、さっぱり理解できない。
「おいおい。イーシャちゃん、スアウが戦闘態勢に入りやがったの見てたろ。あの水はともかく、使い切りの魔道具で増幅か。なら、大鉾も何かあるな。周到に小細工使ってまで俺に勝ちにきてやがる」
イーシャにも、半壊した長椅子にも見向きもせずにそう答えると、ドラクロはスアウに襲いかかった。
対するスアウは突撃してくる彼ではなく、観戦状態に入っていたイーシャに向けて左手を掲げる。
マズイ。
イーシャの長年戦場で磨かれた勘が、生命の危機を激しく訴えた。
武器を持って会議に出る事など禁止されていたから、当然『紅の刃』は自室に置きっぱなしである。
退避には既に遅く――スアウから放たれた水が、イーシャから空気を阻んだ。
いったい、自分の身に何が起こったのか。
イーシャは、しばらくの間把握出来なかった。
肌に触れる水の冷たさに驚き、空気を求めて闇雲に頭を振り、手を動かす。
息苦しくなった頃、ようやくイーシャは悟った。
彼女の頭を、ぐるりと水が覆っているのだ。
水球が、頭の先から首元まで。
ごぼり。
イーシャの口から洩れた空気の泡が、浮かんで消える。
ニンフ以外の人間を殺すのに、大量の水は必要ない。バケツ一杯ほどあれば充分に事足りる。
イーシャは歯を食いしばって息を止め、これ以上空気が出ていかないように心掛けた。
いつの間にか、スアウがすぐ隣に居て。
水の膜ごしだったが、イーシャの目に、ドラクロが巨大な炎を吐きだしたのが見えた。
よくよく見ると、ドラクロは両腕と両足に渦巻くオレンジ色の炎を纏っている。
イーシャの目の錯覚ではない証拠に、ドラクロの足下の絨毯が焦げて、その下の白い石床が覗いていた。
他に被害が無い事から、その炎はきちんと制御されているのだろう。
スアウは手に持った大鉾を、無造作に迫りくる火炎に向けて突き出した。
結果は、刀身部分の布が一瞬で燃えて落ちただけで。
対消滅を起こしたように炎が消える。水蒸気すら発生していない事で、瞬時に同質量の水の魔力で対応したのが見てとれた。
軽量化の呪もかかっているのか、スアウは軽々と苦にした様子も無く扱っている。
剥き出しになった大鉾の刀身は、金属では無かった。
深い蒼の、磨き抜かれたような美しい輝きを放つ――巨大なダイア。
水属性を持つ、通常敵わないはずの格上相手の力を打ち消すほどに、強い『力』ある武器型の魔道具。
イーシャがずっと休みのたびに探していた、義兄に渡したいと考えていた理想の魔道具がすぐそこにある。
たぶん。きっとアレは『紅の刃』のように――
酸欠で意識を朦朧とさせながら大鉾について推察していたイーシャは、咽喉に冷たい感触を覚えた事に気付かなかった。
スアウとドラクロが何か話している事は理解しているが、声が聴こえない。
遠のく意識の中、イーシャはぼんやり思った。
水気の無い室内で溺死なんてしたら、みんな首を捻るわね。
それを最後に、彼女の意識は暗闇に呑まれた。
深い深い眠りの底で。
イーシャは夢を見た。
これは夢だと分かっているのに、まるで実際にあったことを外から眺めているような、何故か起きているように思考も出来る変わった夢を。
「――この存在こそ咎なり。
知ることなかれ。近寄ることなかれ。見ることなかれ。
触れることなかれ。解き放つことなかれ。
時足らずして。放たれたのであれば、大いなる厄が覆うであろう――」
あのバテユイ樹海にある遺跡の最奥で。
天井にカタストロフが封じられている中心地の真下で、一人誰かが立っている。
イーシャには後ろ姿しか見えないが、腰まである美しい銀髪で、纏った白い衣装とその声からして女性のようだ。
「――我等は此処に示し。残す。
不幸にして幸いなる者よ。我等のコトノハを唱える者よ。
心せよ。覚悟せよ。その身に余りある力を受け止めることを――」
あの時、イーシャが聴いた、口に出させられた『力』あるコトノハを、朗々と響く美しい声で女性が謡う。
ぼんやりとその全身が淡い光に包まれて、ひどく浮世離れした光景だった。
「――理解せよ。識るがいい。聖と邪を開放することを。
願わくば時よ。十全に満ちていよ。大地よ。放たれる力を受け止めてあれ――」
光の波が一瞬取り巻いて、広がる。
遺跡の壁まで広がった光は、溶けるように消え失せた。
「これで良し。あとは、この術式対象となる夢の民が来そうな文献でも、誰かここに連れてきて書かせればいいわね。一つじゃ心もとないけど、複数作らせたらあいつらに怪しまれるし。カーフィはものすっごく悪運が強いから、多分平気」
女性は天井を見上げた。
そこには氷塊と鎖に包まれたカタストロフの姿がある。
問答無用で意識を奪い去るはずの美しい光景に、女性はうっとりとした声で語りかけた。
「だぁいすきよ。可愛いカーフィ。誰よりも愛してるわ。自分よりも世界よりも愛してるから――私は、貴方を優先させる。私のする事、いつか赦してね」
カーフィ。
状況的にカタストロフの愛称だろう。
それなりに本人と仲が良くなければ、そして許されなければ基本的に愛称で呼ぶ事は無い。
銀髪で、カーフィと呼ぶ仲良さげ――というより彼を熱愛する『神』である光の民アルブの女性。
あてはまりそうな人物名を、イーシャは一人だけ知っていた。
エーリス。
目覚めたカタストロフが、イーシャと見間違えた人間。
くるり。
突然女性は振り返った。
しっかりとこちらに体を向けているというのに、何故かイーシャには彼女の顔が見えず、整った口元だけが見てとれる。
「――夢を介して私を見ているでしょう?
そうなるように私が術を組み込んでおいたから。愚かな夢の民。
必要だからラインをあの子と繋がるようにしたけど、さっさと死ぬことね。
すぐ死ぬ脆弱さだから鍵に指定してあげたけど、術式上、仕方がない事とはいえ生きてるうちはずっと、カーフィとラインが繋がってるなんて――なんて妬ましい。ホント、早く死んでちょうだい」
ドロドロに憤激の混ざった、強い口調で女性は嘲笑う。
見えない眼差しから、イーシャの全身の血が引くような強烈過ぎる憎しみを感じる。
「警告よ。カーフィの鎖が消えたら此処に来なさい。わかることがあるわ」
でも、カーフィには言っちゃダメ。
その言葉を最後に、イーシャは夢から覚めた。
エーリス……設定ではもう少し違った性格だったんですが。
奴の不幸の一部と念じて書いたらヤンデレに……(汗