第十一話 波紋
そろそろ、いろんな事が動きます。
でもまだ伏線……
彼は王城の屋上に来るのが初めてではない。
居心地の良い場所を探すために、王城を一人で散策していた際、立ち寄った事がある。
景色も良く広々として他人がいないものの、また来たいとは思わなかった。それは、この区域全体的に言える事であろう。
空気が悪いのだ。
淀んで凝り集まった魔素を、引き寄せられて漂う微量の瘴気を感じる。
ここはブルートゥス大陸に関わる政治の中心地の上。
空気が淀むのは必然。
彼を呼びだしたのは、そんな空気が香りのように取り巻く相手だった。
「私ごときに時間を割いていただき、光栄です。カタストロフ様」
石の床に迷いなく跪いて、闇の民サレの族長は深く頭を垂れた。
彼にとって、オーウェンのような態度で接してくる者は多く、慣れている。
『魔を制す王の器』であるがために、今は無い民族の混血であるが故に。
父方からは、邪竜対策に便利で壊れにくい生きた道具としてぞんざいに人格を無視され。母方からは『神々』以上の崇拝対象としてこの上なく。
一月の間に思い出した過去の欠片は、戻って来てほしくなかった記憶の方が多い。
「突然ではありますが、私と共に我らが街へいらしてくださいませんか? 貴方様の空白を埋める御役に立てると思うのです」
彼は無言でオーウェンに近づいた。
すっと右腕を伸ばし、低い位置にある濃灰色の髪ごとその額を掴む。
さすがに、彼のこの行動には驚いたのだろう。
跪いているオーウェンの身体が、無意識に逃げようと後ろに退いた。
「……族長として選ばれるくらいだ。瘴気の許容耐久容量もそれなりに高いはず。だというのに、これほど濃い匂いになってるとは!」
額を握った右手に力を込めるのではなく、手のひらを焦点として浄化の力場を凝縮する。
そうすると、接触する事が必要であるものの、彼は個体の奥まで浸透した魔素や瘴気を引きずり出せた。
これが出来るからこそ『魔王』として生まれた者は、サレに尊敬され大切にされる。『魔王』の真価とも言うべき能力だ。
手のひらから流れてくる濃密な魔素の気配に、彼は少し胃がムカついた。
一分程度で右手を離し、指先で軽くオーウェンの額を突く。
蓄積していた消化不良の魔素を急激に解消させられたせいか、サレの族長は呆けたような面構えだった。
「お前がこうなっているんなら、他のサレはもっと深刻だな。そうだろう?」
闇の民の体質は欠陥がある。
世界の一部たる闇の精霊そのものではなく、宿っているだけの肉体がある人間であるがために。
取り込んだ魔素や瘴気に、魂が引きずられやすいのだ。
簡単に言うと、性格が歪みやすい。
魔素を生む戦争があればある程、闇の民は強く悪しく好戦的で残虐になる。逆に戦争のない時代であれば、ややひねくれて斜に構えている程度ですむくらいだった。
差別の少ないディアマスに加わった点からしても、本来のサレは穏やかな暮らしこそ好むと分かる。
「さっき言っていたな。今代の『魔王』はいない、と。俺の後は何人いた? どれだけ長くいない?」
千年に一人の割合で生まれる『魔王』は、闇の民が生きるための安全本能に近い。
民族の正気を保つのに必要なのだ。
戦争が続いても、『魔王』が居れば引きずられる事は無い。だが、この大陸は断続的に争いが続き、いま『魔王』は存在しない――嫌な想像しか湧いて来ない状況だ。
「さあ、オーウェン。本題は何だ? 先に言っておくが、俺は利用されるのが何より嫌いだ」
数えるのもバカバカしいほどに、むしろ生まれ落ちた直後から利用され続け、おそらく今この状態でも光の民に利用されている。
利用されるのには慣れた。飽きるほどに。
だからといって、他人に利用される事が当然だと思っているわけではないし、利用されるのが好きなわけではない。
彼を崇める闇の民は、願いと言う形で来るからまだ選択権がある。
頼られているとはいえ、利用されている事に違いは無く、気分が良いものではなかった。
彼には、断れなかったからだ。
光の民に便利な道具扱いされるより、サレ達に崇められている方が待遇は比べ物にならないほどに良い。
居場所を捨てたくなかったから、その頼みを断った事がない。でも今ならば断われるのだ。
さほど干渉されない、新しい居場所が出来たから。
夕食の時間が迫っていたので、二題で本日の会議は終了。
当然ながら、イーシャはこってり民族長達に代わる代わる厳重注意を受けた。
覚悟していたとはいえ、ガリガリイーシャの気力は削られていき。
確実に、本題よりもそちらの方が長かった。
「イーシャちゃん。ちょっといいか?」
会議が終了し退室しようとしていたところ、オーウェンが話しかけてきたので、カタストロフとはそこで別行動に。
今頃、素顔鑑賞でもしている事だろう。
「はい。何か御用でしょうか?」
廊下を歩いていたイーシャが振り返ると、そこにはドラクロとスアウの姿があった。
この二人が一緒に行動しているのは珍しい。
一般的に反属性の者達は、仲が良くないのだ。
この二人だと、ドラクロの方が遥かに年長で能力的にも強いので、偶然遭っても喧嘩腰になる事は無いだろうが。
「私ではなく、カタストロフ殿に用事があられるのでしたら、残念ですけど現在何処に居るかは存じませんが」
どうやら図星だったらしい。
ドラクロは広い肩を大きく落とした。
スアウはそんなドラクロを、ジッと見ている。
会議終了後、ドラクロもカタストロフに話しかけようとしていた。
それが実行出来なかったのは、彼が椅子を破壊した件でフィアセレスに叱られていたからである。
「そうか……じゃあ、居そうな場所教えてくれねぇか? 話があんだよ」
イーシャは少し考え込んだ。
この様子からして、別にドラクロは強者との戦いに胸を躍らせているようではないから、本当に話があるのだろう。
カタストロフは一カ月の間、あまり城内を出歩いていない。
イーシャが訪ねると大抵客間に居たし、一緒に出ても図書館くらいだ。
午前中は外に散歩へ出ているような事を言っていたので、引き籠っていたわけではない。
そういえば――イーシャは思い出した。
カタストロフは中庭について誉めていた気がする。
空気が良い。寝るのにちょうど良さそうだ、と。
「いえ。オーウェン様と一緒に居るのは間違いないですが、あいにく居場所の心当たりまでは……」
「……そーか。手間取らせて悪かったな。探してみる」
更に肩を落とし、ドラクロは覇気のない声で呟いた。
ぴしぴしと、軽く暗緑色の尻尾が絨毯の床を叩く。特に力が入ってないのか、絨毯も床も無事だ。
少しばかりドラクロが哀れに思えて、イーシャは提案した。
「もし、よろしければ、普段カタストロフ殿が普段使われている間にご案内しますが? 闇雲に探されるよりは食事も近い事ですし、すぐ会えると思いますけど」
「本当か!?」
ぱぁぁ。
目に見えてドラクロは喜びを全面的に表情へ現し、イーシャの両手をしっかと掴んだ。
静かなスアウの視線が、掴まれた両手に突き刺さるような強さで注がれる。
「それなら案内頼む。スアウ、お前はどーすんだ?」
少し考えるような間があって、スアウは頷いた。
「……わたしも行く。それより、手は離すべき。イスフェリア、未婚の王女。見られたら変な噂立つ」
「あー。そうだっけ。スマン」
単に見咎めただけのようだ。
スアウの眼差しからは考えが読めないので、少し怖い。
「いいえ。お気になさらず……ではお二方。私の後に着いてきて下さい」
会議室のある王城の本丸区域から、イーシャに与えられた区間までスアウの足を考慮して、ゆっくり歩く。
途中で遭遇した女官に命じて、夕食の手配を整えた。
カタストロフの部屋に辿り着き、扉のノッカーを叩く。
イーシャは、いつものように内部からの反応を待たずに開け、室内を見回した。
居間、主寝室、使用人用寝室、物置き、応接室、簡易厨房、食堂、風呂にお手洗い付き。
一般家族が楽に住める風雅な客間には人気が無く、仮の主の姿は無い。
「まだ戻ってきていないようですね。どうぞお入りください。中で待ちましょう」
貸しているとはいえ、この辺りの区間はイーシャの所有だ。
特に問題は無い。
イーシャはそう言って、室内に足を踏み入れた。
毎日訪問しているだけあって、自室のように勝手はわかる。
応接室に通そうとしたら辞退されたので、居間に二人を落ち着かせると、簡易厨房へ向かった。
棚から白磁のカップと茶器を取りだし、湯を沸かす。
保冷庫から切り分けられた胡桃のパイを取りだして、いったんイーシャは居間に戻った。
長方形の卓を囲む、コの字型の大きな長椅子にドラクロはどっかりと、スアウは彼の対面となる位置に腰かけていた。彼女の傍、椅子の上に杖代わりが乗っている。
二人にパイを薦めてから簡易厨房に戻り、沸騰した湯を人数分のカップと茶器に注ぎ込んで――イーシャはふと、ある事に気付いた。
ニンフはあまり熱に耐性が無いと言われている。全く駄目というわけではないが、ヒトの基準からするとかなりの猫舌なのだ。
茶葉を茶器に入れ砂時計をひっくり返すと、イーシャは保冷庫を開けた。
思った通りの物――ジョッキ型のケースに入った氷を発見する。
スアウには氷を入れてもらえば良いだろう。自分で飲み加減を決めてもらった方がよさそうだ。舌に火傷は地味につらい事である。
銀色のお盆に茶器と氷のケース、砂時計と湯を捨てたカップを乗せて持ち、イーシャは居間へと戻った。
パイが半ホール分無くなっている。
犯人はドラクロだ。スアウ用のフォークは汚れていない。
「それで、カタストロフ殿にどういった用事がおありでしょうか?」
立ったまま高い位置で三人分の茶を注ぎ、置く。
今回淹れたお茶は、リーンという木の花から作られた物で、薫りも味もほんのり甘く飲みやすい。
イーシャは自分の分のカップを持つと、一人用のソファーへ座った。
「現在あの方の後見は私が引き受けているので、気にかかるのです。ただの好奇心ですので、答えたくないのでしたら、口を閉ざしたままでも構いません」
ドラクロはパイの面積をどんどん減らしていき、スアウは何も手をつけず、冷めろと念じているように真っ直ぐカップの湯気を見ている。
返答は無い。
イーシャがそう考えかけた時、ドラクロが食べるのを止めた。
「俺は詫びに来ただけだ。リア・ノインが氷魔王嘘ついてねぇって保証してたからな。ちと態度も悪かったし」
ハーピィの世界は音で満たされている。
故に、音として放たれた言葉の陰りや濁りにとても敏感で、偽りを見抜く。
「それと、どーせだからどんなツラしてんのか見てやろうかと思ってよ」
ドラクロは軽い調子でそう言って、新たな一切れを口に運んだ。二口めでパイが殆ど消える。
甘党らしい。
イーシャは、そう心の中のメモ帳ドラクロ編に書き足した。
遅いようなら夕食をここで食べると言っていたから、ただ単にお腹が空いているだけかもしれない。
スアウは自分用の皿の上のパイですら、手をつけていない。
ドラクロの食べっぷりに引いてしまった可能性は大だ。パイはもうスアウの分しか残ってない。
彼女は先ほど見た時と違って、左手に氷入りケースを持っていた。
やはり、目の前のカップをジッと見ている。カップから湯気はまだ出ているから、あまり氷を入れて花茶を薄めたくないようだ。
もしや、スアウは甘いものが苦手なのだろうか。
イーシャは唐突にそう思い至った。
確か塩味のクラッカーがあったはず。
そう考え、イーシャが簡易厨房に向かおうと立ち上がりかけた時、スアウは口を開いた。
「……わたし、氷魔王に用、ない。用があるの、貴方達」
「――え? 私とドラクロ様に?」
イーシャは驚いて、しきりに瞬きを繰り返した。
イーシャはスアウと個人的な繋がりは無い。
基本的に軍部の仕事しかしていないからだ。ニンフの問題を扱う部署は管轄が違う。
はっきり言って、スアウと個人として会話するの事体、これが初めてだ。
ドラクロは将軍に任じられた際、彼の方から強さを見に会いに来て手合わせしたから、偶然廊下ですれ違ったりすれば世間話くらいはする。
だが、共同で何か職務を任されているわけでもない。
「どんなご用件でしょう?」
考えても分からなかったので、イーシャは尋ねた。
カタストロフのうけた過去の仕打ちを全部語るとなると、シーン抜きでもR15の指定した方がいいのか考え中。
でも、知ってるパソコンゲームではそういうシーンは抜きで、それっぽい描写があるのに全年齢だったし……ううむ。
残酷表現内でおさまる?
彼は不幸と言うより、悲惨な気がしてきました。