第十話 称号は氷魔王
今回だけで、なんと五千二百字を超えました……(汗
最高記録です。
作者は宗教観は人それぞれだと思っていて、信じている方にケチをつける気は全くありません。
もし今回の話を読んで、御不快になられた方がいらっしゃるなら申し訳なく思います。
「現時点より、本日二例目の議題をかける。イスフェリア」
レスクの指名に、イーシャは立ち上がった。
「国王陛下、そして各民族長様方。今回はご多忙な中、時間を割いていただき、ありがとうございます」
イーシャは族長達に向けて、上座から順番に目礼をすると、再び椅子に座った。
前置きはなしにして、さっさと本題に入る。
「――私の軽率な振る舞いに対する責めは受けますが、それは後ほど。
まず先に、お答えを願います。彼について、情報がある方は挙手を」
ドラクロ、フィアセレス、オーウェンの三人が手を上げた。
上座からだと、あのイラついている様子からして悪い事を聞かせられそうだ。
年齢順にしよう。
そう、イーシャは判断した。
「では、フィアセレス様、オーウェン様、ドラクロ様の順でお答えください」
「……カタストロフ――いと高き、至高神ジオフィードを父に、先天性特異体質『魔王』である闇の民を母に持つ存在の名。母親と同体質で、異名は氷魔王」
そう答えたフィアセレスの声は冷静だった。
その瞳はうっとりと、カタストロフの姿を映している。
イーシャは内心冷や汗ものだった。
完全な神ではないが、なんだか物騒な単語が出てきた気がする。
『魔王』って。
「その体質者について、私は知りません。お教え願えますか?」
「それならば私から説明しよう。闇の民にしか出ない特異体質だ」
オーウェンが渋い声で説明を引き受けた。
「あまり知られていない事だが、我々闇の民は強弱の差はあれ、常に大気中の瘴気や魔素を体内に取りこみ、浄化して己の魔力に変換する体質だ。
『魔王』は『魔を制す王の器』の略で、この能力が及ぶ範囲が極めて特化し、自らの意思で自在に範囲指定を行える者の事を示す。生まれる確率は千年に一人だ」
よかった。そんなに物騒なものじゃない。
イーシャは安堵した。
つまり、全ての闇の民は長生きの者ほど魔力が強くなっていく体質持ちで、『魔王』は桁違いに魔力があるという事だ。
二代目国王ヴィルリドの『精霊に愛されし者』ほど、反則な体質ではない。
それにイーシャは心当たりがあった。
カタストロフが常に発する、恐ろしく澄んだ力波――あれは、体質のせいだったらしい。
「歴代の『魔王』の体質者は、至上の一人を除き、左右色違いの瞳で、必ず片方が金を持ち生まれる。現在、闇の民の元に『魔王』はいない」
畏怖と、恍惚が混じったような眼差しで、オーウェンがカタストロフを見つめた。
「至上たる氷魔王カタストロフ様。御尊顔を拝見しても宜しいでしょうか?」
イーシャはギョッとした。
今カタストロフに素顔をさらされては、非常に困った事になる。
レスクを含めた各族長達が魅了されて固まり、話を聞くどころではなくなってしまうだろう。
「俺は別にかまわんが、後にしろ。闇の民と風の民は平気だったと思うが、違うのもいる」
自分の事であるというのに、カタストロフは熱心な様子ではなかった。
実感が無いのだろうか。
つれない言葉にも、オーウェンは笑顔を崩さない。
闇の民と風の民が平気な理由はなんなのか。
イーシャは少し気になった。
風の民の理由は分かる。彼等は聴覚がヒトの数倍発達している代わりに、弱視だからだ。
色素と、大雑把な形が分かる程度の視力しかないと聞く。
闇の民が平気な理由は何なのだろう。
「氷魔王カタストロフの逸話が、幾つか残ってた。氷大陸を作ったのはソイツだ」
じろり。
ドラクロは、ぐさっと突き刺さりそうなほど鋭い目つきでカタストロフを見やると、とんでもない事を言い出した。
「――灼熱大陸同様、砂漠化が進行していたエストキリアで出現した砂の邪竜討伐で、大陸半分を覆っていた大砂漠ごと絶対零度の凍土へ変化させ、氷に閉じ込めた邪竜を滅ぼした。
そこまでは良かったが。
広範囲の凍土化の影響を受けて、残り大陸半分とレノン島が二百年かけて永久凍土に飲み込まれた。氷魔王の異名はこの出来事からだな」
イーシャは目を見開いて、カタストロフを見た。
なんだその神話並みの力は。
レノンの名に、ぴくりとスアウが耳ビレを動かした。
凍土都市レノンはニンフの三大都市の一つである。
カタストロフは周囲の空気にかまわず、ぽん! と、拳で手のひらを打った。
「おー。そうか。海竜王に会いに行ったのって、邪竜退治に必要だったからだな」
彼の口から出てきたのは、すっきりした様子と違って重大な言葉だった。
記憶喪失者に、以前の記憶について戻ったかと尋ねるのは多大なストレスを与える行為である。
医者にカタストロフの症状について相談した際、そう注意を受けたので、イーシャは一度も戻ったかどうか聞いていない。
その口振りからして、どうやら記憶の一部は戻っていたようである。
「……あの方と、何か、関係ある?」
かすれて消えそうな弱々しい声。
頷くか首を振るか耳ビレを動かす以外に、スアウの反応を見た事が無かったイーシャは軽く驚いた。
スアウの声など、初めて聞く。
感情の読みとれぬ目が、カタストロフへ真っ直ぐに注がれていた。
「近海の水の精霊に大勢力を借りる必要があったからだ。協力があった方が、話に時間を使わずにすむからな」
「エストキリア……凍土化してくれた事、感謝します。レノン、わたし達の安息の地になった」
ヒトが寒さのあまり近づいて来ないから。
暗に、スアウはそう語っていた。
人魚狩りは水の民達にとって、文字通り死活問題なのだ。
いくらディアマス政府が厳しく取り締まっても、迷信を信じるヒトが後を絶たない。
「――氷魔王カタストロフに対する評価は、総じて高いが、人格は神に対して反抗的と見做されている」
ドラクロが語り出し、話題を元に戻した。
「何らかの失敗で、神々の不満と怒りを集め、封印された。神々に逆らった咎人、極め付きの愚か者。そういう意味合いで、火の民の文献では伝えられている。その封印を解く者には、神々の呪いが刻まれるとも書いてあったな――で? イーシャちゃん。身体は大丈夫か?」
カタストロフに対する刺々しい様子とは裏腹の軽さで、ドラクロは尋ねてきた。
呪いについては、イーシャも考えた事がある。
神の造った遺跡であるのは間違いなかったからだ。
その結果、無いという判断を下した。
カタストロフに対する周囲が引き起こす問題には困っていたものの、半日は一緒に居る事で、むしろイーシャの心は穏やかだった。
怒りも悲しみも、さして長く持続しない。
今までは、彼の超絶美形っぷりのせいだと思っていた。
目の保養という言葉がある。つまり美しいものは、それだけで周囲の心に潤いを与えるのだ。
実際は、それのみが理由ではなかった。
カタストロフが『魔王』だからだ。
魔素は怒りや悲しみや憎しみといった、負の感情の集まり。
彼自身が意識してやっていたかは別として、片っ端から吸収され浄化されていたのだろう。
ドラクロにゆっくり首を振って見せると、イーシャはカタストロフに目線を移した。
「これまでの話に、どういった感想を持たれましたか?」
イーシャが敬語で話しかけたからだろう。
カタストロフの口元が、一瞬引きつった。
失礼な反応だ。
ここは公式の場である。
将軍として参加しているのだから、普段の接し方がどうあれ、誰が相手であれ、地位の品格が疑われるようなことはしない。
「封印理由以外は、俺の事を言っていると納得できる。時折、記憶の切れ端のようなものが頭に思い浮かぶからな。幾つか当てはまった。ただし、封印理由は違うと断言する。そんなくだらない理由で、俺を封じるような余裕なんざなかったはずだ」
はっ。
カタストロフは鼻でわらった。
思いっきり、馬鹿にしていると分かる嫌な嘲笑い方だ。
「あいつらは弱い。当然の役割を果たしているだけで、お前達に崇められるような、ご立派な民族でもない」
彼を除く全員の顔に困惑が浮かんだ。
数秒経って、ドラクロの顔に赤みが差す。目の鋭さが増し、オレンジの瞳孔が縦に裂けた。
あ。マズイ。
イーシャは冷静にそんな事を思った。
「不老不死にして圧倒的な能力を持つ世界の守護者たちを神聖化して崇め奉るのは当然のことだろうが! 弱いだって!? 大陸を沈め、気象を変えるような集団のどこがっ!?」
それが他者であっても、ドラゴニアは自身が認めている強さを否定されると怒る。
瞳孔の形が変わっているとなると、憤激しているという状態だろう。
飛びかかっていかないのが不思議なくらいだ。
苛立ちが収まらないのか。
ドラクロは勢い良く立ち上がり、ばさりと皮膜質の翼を大きく広げ、尻尾を一振りした。
メキメキと音を立て、彼の座っていた椅子が砕け、破片が誰もいない壁側へと矢のように飛んでいく。
岩すら破壊出来ると言われている、火の民の尻尾の威力を初めて目にして。
すごい。
イーシャは場違いにも感動した。
「前提が間違っている。あいつらは不死どころか不老でもない。竜並みに生きるから老化が遅いだけだ。お前達の考えているような存在だったら、そもそも俺は生まれずにすんだ」
あまり動かないカタストロフの表情筋が、珍しくはっきり動いた。
唯一ハッキリと見えてとれる口元に、自嘲の混じった苦々しいものが浮かんで消える。
「弱いっていうのは、別に攻撃力や魔力やらの事じゃない。民族としての、遥か先に繋がっていく生命力の方だ。能力の高いものほど、血の近しい者に欲情する――そんな民族に、長く続く力は無い。
ちゃんと滅びの徴は、顕われていた……俺の後に生まれた奴が一人もいなかった事でな」
イーシャは、ハっと息を呑んだ。
血は、その先の人物の欠陥も引き継ぐ。
近親婚を繰り返す事に問題があるのは、そんな弊害が顕著に出ることが大きい。
後世に血を繋ぐ子供が生まれてこない事は、相当に深刻な問題だ。
イーシャなどより、此処に居る民族長達の方がより身近な話だろう。
長く生きる民族ほど、個体数が少ない。
「とにかく奴等は、お前達に神と奉られるような高尚な存在じゃない。世界だって認めてないから、光の民アルヴなんて正式な民族名があったんだ」
「光の民!? そのような記録は、目にした事がありません」
ガタリ。音を立てて、フィアセレスが立ち上がった。
内容が彼女にとっても衝撃的だったのか、円卓に付いた両手が小さく震えている。
「それに。光の精霊はその性質上、人体に宿る事が出来ないはず……」
「身体に精霊は宿っていない。世界にかせられた役割から、その名を与えられた。
光の精霊が目に見える世界の害悪を灼き、闇の精霊が目に見えない害毒を呑むように。その点については、間違いなく光の民の役目を果たしていたと言えるな。記録については……奴等が抹消したんだろう。より上位に立てるように」
真偽については高位の精霊に確認してみろ。
そう駄目押しのように、カタストロフが言葉を付け加えて。
フィアセレスは力なく、椅子に座り込んだ。
『神』がいないのが事実であるのなら一つ疑問がある。
現実に奇跡は起こるのだ。神と言う人知を超えた存在が起こしているのでは無いというのならば、何故起こるのであろうか。
偶然か必然か。
それだけでは片づけられない、推し量る事の出来ない『力』が働いている場合が多過ぎる。
「……では氷魔王。こういう事なの? 奇跡は、世界そのものが作用していると」
耳目を集める美しい声が、軽やかに響く。
曲の奏べのように静かなソプラノ。
通常はスアウに次いで、必要以外の反応を示さないリア・ノインの言葉に、カタストロフは頷いた。
「そういう事だな。書を読む限りでは、この大陸であまり人気の無い『神竜』――アレが一番説明しやすいな。『神竜』は天寿を全うした極稀な竜が、世界の調節の一部に組み込まれて理や律に反しない程度の力を振るって、 主に夢の民に奇跡を起こしてやってるから」
「何故、夢の民が中心なの? 最も数が多いから? それとも、最も欲深いから?」
イーシャは初めて知った。
リア・ノインは率直な人間であるようだ。言葉を飾らない。
傍に居るレスクやイーシャの存在を、全くもって気にしていないように見える。
「視覚ではなく世界を音色で認識しているお前なら、夢の民がどれほど喧しくて執拗で力強い要求が多いか、よく分かるだろう?」
二人を気にしてないのは、カタストロフも同様だった。
「そもそも他の民は、滅多な事では世界に助けを求めない。助けを求める状況になったとしても、届くほどの力強い『音』を送れる者は多くない」
「そうね。夢の民の音は豊かで鮮烈。獣の民は大きいけど単調。他の民達は、精霊の音が混じっていて世界に近くて。夢の民ほど様々な主張ではないもの」
リア・ノインは半ば伏していた瞼を上げた。
カタストロフを真っ直ぐ見て、まるで花が開くように、鮮やかな微笑みを浮かべる。
「ちょっとした皮肉じゃない? 夢の如く脆く、儚き年月の中、己が願いを叶えしため生きる民……由来からして、世界に最も逆らう存在なのに最も愛されているなんて」
ふふふ。
鈴を鳴らすような美しい声で笑うリア・ノインは、微笑むその姿だけなら、まさに古代夢の民が崇めた天の御使いのように見えた。
読んで下さってありがとうございます!!