骨太の愛は見果てぬ夢で終わらせない(続編投稿しました)
「私より強い男でなくては」
それが女王オルガの決まり文句であり、齢三十歳を過ぎた頃からは悩み事となった。
そして現在、泣き言になりつつある。
「私より強い男がいないの~~~~!!」
いつもオルガの傍らにあったフレデリクは、さめざめと泣くオルガの愚痴を黙って聞いていた。
(たぶん俺が本気を出したら、結構いい線いくと思うんですけどね?)
しかし、試してみましょうと提案することはできなかった。実力が伯仲しているだけに、死闘となってどちらかが命を落としかねない。冗談でも、手合わせなどするべきではないのだ。
フレデリクがやきもきしているうちに、オルガは拗ねた。人生そのものに。
「もういいんだ。私には可愛げというものがない。たとえ私より強い男が現れて、見事私を打ち負かしたところでその男の好みが私であるとは限らない。というか、その男が私を選ぶ可能性は絶望的に低いだろう。たいていの男は『華奢で可憐で守りたくなるような美女』が好きなのだ。すべてにおいて私とは真逆の……」
鍛え抜いた肉体を持つオルガはたしかに華奢ではなかったが、フレデリクから見れば十分に可憐であったし、もし自分に守られてくれるならこの世のすべてから守り抜いて甘やかしたいタイプの女性であった。
しかし、フレデリクはそのことをオルガに告げることができぬまま、ある日突然戦場に散ることになった。
奇しくも、ほとんど同じ瞬間にオルガもまた四方から放たれた弓矢を避けることができずに討ち取られてしまっていた。
こうして、最強の王として名高かったオルガは命を落としたのである。
(オルガ様……あなたをお守りしたかった……)
ひとびとが彼女の名を呼ぶ。悲壮な声で。その嘆きを聞きながら、フレデリクは目を閉ざした。
生まれ変わったら、次は彼女に告白したい。気持ちを受け入れてもらう前段階として彼女を打ち負かす必要があるというのなら、全力で勝ちを取りに行き圧倒的な武力で制圧した上で愛を告げよう。
そして言うのだ。
今度こそ、あなたを守らせていただきたいのです、と。
* * *
どうやら自分は、前世の記憶を持ったまま生まれ変わったらしい。
フレデリクがそのことに気づいたのは、アチェロ公爵家の嫡男として婚約者を選ばねばならないという会話を父としている最中のことだった。
現在の名前はルネ。そこはかつてオルガとともに生きた国とは遠く離れた国であり、時間的にも百年以上の隔たりがあった。
もしかしたら、フレデリクからルネとなる間に、別の転生があったかもしれない。ミミズとかオケラとか。その記憶は蘇らなかったが、フレデリクだったときの記憶ははっきりと魂に刻み込まれていたようで、まるで昨日のことのように思い出せた。
(オルガ様をお慕いしていた。いま思い出したのには、何か意味があるのでは? オルガ様もまた、私のお近くにいらっしゃるのでは……!!)
前世フレデリク、今生ではルネとなった青年は自分の考えにいたく興奮した。絶対にそうに違いないと確信した。
オルガは近くにいる。非業の死を遂げ、離れ離れになった自分と再び出会い、結ばれるために。
そこで「お前さえ良ければこの話、進めようと思う」と言っている父に待ったをかけた。
「父上、王家の末の姫リーザ様との婚約はお待ちください。私は心に決めたひとがいるような気がしてきました」
父であるアチェロ公爵は、息子の珍妙な言い訳を耳にして渋い顔となった。
「婚約を回避したいのだとしても、その言い方はあまりに適当過ぎないか。心に決めたひととやらは、いるのかいないのか」
「います。俺より文句無く強い女性です」
アチェロ公爵のもっともな疑問に対し、ルネは即答した。
フレデリクの記憶が蘇ったルネの中には、在りし日のオルガの勇姿がある。強さにこだわりつつ、自分のこだわりの強さに泣いていたフレデリクの愛しい女王だ。
(絶対に探し出して、今度こそ甘やかす……!)
ルネの決意は固い。
想い人がいるということについて、アチェロ公爵は「お前、今までそんなことはひとことも言っていなかったじゃないか」と半信半疑の様子であったが、最終的に折れた。
ならばまずはどこの誰かを明らかにして、連れてきなさい、と。
言質を取ったことに勢いを得たルネは、オルガ探しを開始することにした。
だが、その前に。
このときルネ十六歳。次期公爵として必要な教養は着々と身につけてきたが、たしなみ以上に武芸を磨く必要のない時代に生まれたこともあり、前世の自分から比べると手も足もひ弱でいかにも頼りない。
これでは、たとえ首尾よくオルガに出会っても打ち負かすことができない。オルガの性格を考えれば、たとえ前世の記憶がなかろうとも、今世でもまたムキムキに体を鍛えているに違いないのだ。軟弱な外見で吹けば飛びそうなルネが近づいたところで「私より強くない男なんて!」と門前払いを食らってしまうだろう。
「まずは体を鍛えるところからだな」
ルネは早速、過酷な修行を始めることにした。
* * *
社交界デビューをまさに数日後に控えたその日、リーザは突然思い出した。
自分が最強の女王オルガであった前世を。
(あっぶなかったですわ……!! このままだと前世と同じルートに入るところでした……!!)
物心ついたときから、体を動かす遊びが好きだった。王家の末の姫として生まれたリーザに対し、「女の子なのですから、もっと女の子らしく」とたしなめる者もいなかった。
世情は安定しており、政略結婚の必要性も薄い。しいていえば、国内の裕福な貴族と縁組ができれば、生涯変わらぬ生活水準で暮らしていけるだろう。両親である国王夫妻はそのように考えていたので、リーザに必要以上に干渉し、うるさく言うことがなかったのだ。嫁ぎ先が見つからないなんてことは万が一にも無いと安心しきっていたし、それどころかよほどの相手ではない限り本人の希望であれば認める心づもりでいた。
そのくらい、リーザはのびのびと育てられていた。期待をかけられていないとも言えたが、愛情は感じられたのでリーザは変に拗ねることもなかった。
好きなだけ体を鍛え、剣を振り回し、馬に飛び乗って弓を射て、超人の名をほしいままにして迎えた十六歳、まさに最強の道を突き進んだ前世を思い出したのだ。
オルガは、現在のリーザの倍の年齢に達した頃、最強で超人のまま「もう強い弱いどうでもいいから甘やかしてくれる伴侶がほしい」と毎晩ひそかに枕を涙で濡らしつつ戦場に散ったのだった。
「もうあんな人生はこりごりよ。何が『私より強い男はいないのか! ガッハッハッハ』よ。悪夢だわ。今生では可憐で華奢で守りたくなるような美女になるのよ。ええ、ここで間違えてはいけない。可憐で華奢で守りたくなるような美女は、騎乗で矢を射ない、剣で叩き落さない」
前世、最後の瞬間――
四方から矢を射られ、数本叩き落としたものの避けきれなかった何本かがぐっさりと自分の体に刺さった。
リーザは思い出しながら、細い指で喉をさする。どこが致命傷だったかはわからないが、額や首に命中した感覚までまざまざと思い出してしまった。
(前世よ。遠い時代。もう矢を射掛けられることなんてない。備えなんて必要ない。だけどどうしても胸騒ぎがするの)
か弱い乙女であって良いのか。一に鍛錬、二に模擬試合。平和な世の中とて、最低限突然の実戦にひるまないよう腕に覚えがあってしかるべきではないか。今生では王位継承権からは遠くおそらく玉座に座ることはないが、王族の生まれである。何があるかわからないではないか。
その気持ちに、リーザはなんとかふたをしようとした。
最強の女王オルガとなるまでに費やした時間、流した血は多かった。人生の大部分を鍛錬と実戦に捧げてようやく比類なき強さまでたどりついたのだ。その過酷さを覚えている。
前世のオルガは、美しい淑女たちが噂話に興じ、今はどんなドレスが流行りでどこの化粧水が肌に良くて女のどんな態度に男は弱いかを語り合っているのを「軽薄な」と鼻で笑い飛ばしていた。男とは拳でわかりあえ、筋肉は裏切らないと思い込んでいた。
「あ~~~~あれはあれで信念として一貫していたけど! 思い出すだけで視野が狭く恥ずかしいマッチョ~~~~!!」
実際にオルガは努力のひとであったが、その分噂話に興じる時間はなく、またそのような行為を軽薄なと笑い飛ばした手前「私もまぜて」とも言い出せなかったがゆえに、かなりの情報惰弱でもあった。コンプレックスだった。美しく着飾り笑いさざめく彼女たちのようになりたいとは思わずとも、うっすらとした憧れを抱いていた。生まれ変わってまた自分が女だったら、今度は遠巻きにしていないでそれを楽しんでみたいという気持ちはあった。
そしていま、オルガはリーザとして生まれ変わったのだ。
リーザは、午後の光の注ぐ中、自室の壁鏡の前で自分の姿をじっくりと見てみた。
輝くようなプラチナブロンドに、ぱっちりとした青い目。睫毛は長く鼻筋は通っていて濡れたような色合いの朱唇は小さく可憐である。全体的に筋肉質な印象はないものの、引き締まった体つきで腰は折れそうなほど細い。その割に胸はしっかりとした質感があり、どんなドレスも着こなせそうなスタイルだった。
それは、成長の過程を含めて何年も「そういうもの」として見慣れた容姿であるが、オルガの記憶を通して見るととてつもなく新鮮で血流が良くなるほどの感動があった。
「完璧美少女だわ……。信じられないくらい」
社交界デビューにあたり、さらに磨き抜いて飾りたてればどんな相手の目をも釘付けにすることだろう。
この姿で手が擦りむけるのも構わず木登りをしたり、無茶な乗馬をしていたのがいまや信じられない。無茶に無茶を重ねたあげく、勝手に命の危険があるような場面に陥り、何度かくぐり抜けてきたはずだ。思い出すだけで、叫びながら走り回りそうになる。
「もう絶対に、シーツを柱に縛ってバルコニーから抜け出すなんて無意味な冒険はしない。落ちたらきっと死んでいたわ。暴れ馬を追いかけて『元気がよくていいわね! 私が躾けるわ!』なんて言って飛び乗るのも言語道断よ。あれも振り落とされたら死んでいたわ。いま私が生きている、それだけでもうとんでもない奇跡じゃない……!」
せっかく華奢で可憐で守りたくなるような美少女に生まれ変わったのだ。
リーザは決意した。前世の自分がこだわり抜いた「強さ」に関しては、もうやりきったものとして一度忘れるものとする。
今回は、その粘り強さと諦めの悪さをすべて可憐道に注ぐのだ。可憐の道は甘くない。
そして、やがて跪いて愛を乞う求婚者が引きも切らず列を成す人生になるように、今から不断の努力をするのだ。
まったくモテなかった前の人生の後悔を胸に、今度は「選ぶ側」として君臨したい。
その思いから、縁談はずばっと断った。
「アチェロ公爵家の跡取り? 良縁ですね。でも私は親の連れてきた相手となんとなく添い遂げるのではなく、自分自身のたゆまない努力によって勝ち取った良縁にこそ心が惹かれるのです。これから婚活に粉骨砕身、全精力を注ぎますので、その見合いは不要ですわ」
言っていることは完全にマッチョなオルガそのものであったが、リーザは本気で女の中の女たるふわふわと柔らかくていい匂いがしてほんのりと甘い砂糖菓子のような生き様を夢見ていた。
末の姫に過度な期待はせず、甘やかしてたいていの願いを叶えてきた両親は「なるほどそれならば」と縁談を引っ込めた。
こうしてリーザは、脇目も振らずに可憐道を極めることに邁進することとなった。
* * *
貴族の男というのは、大体にして芸事も鍛錬もたしなみ程度と心得ており、けっして血道を上げて励んでいる姿を他人に見せようとはしない。
それでいて、いざ人前で披露しようものならばその出来に関して「玄人はだし」だとか「プロも形無しで真っ青ですな」という称賛を得るのを当然と考えている節がある。そうでなければならない、カッコ悪いと。それで食べていこうという気概があるわけでもないのに、称賛だけは譲れない虚栄心。
「究極の贅沢というものよね。怠惰に生き片手間にやっていても、庶民には到底及びもつかない才覚があると見せびらかしたいだなんて」
頑張っているところを見られるのは恥ずかしいだなんて見栄っ張りの極み、リーザには理解できない。前世のオルガにも理解できることではなかった。そんな曖昧で繊細な高慢さに気を遣うよりも「今日はうっかり五時間も走り込みをしてしまった、ガッハッハ」「さすがです女王陛下、私は三時間で音を上げましたのにワッハッハ」「ガハハ」「ワハハ」と言い合っているほうがよほど清々しいと考えてしまう。オルガの単純明快な思考は、今生のリーザの中にあっても健在であった。
そんな性格であるからにして、自分をふわふわの砂糖菓子にする決意から約二年、絶世の乙女として男性たちからモテることには成功したものの、見事に飽きた。
会話がつまらない。誰も彼もが、砂糖菓子には蜂蜜でもかけておけばいいと考えている節がある。極甘なセリフは胸焼けするほど囁かれた。率直な感想として、鬱陶しいという思いが勝った。
(たまに機智に富んだ会話を仕掛けてくる男もいるけれど、それはそれでいけ好かないのよね。面白い俺に似合いのおもしれー女を探しているだけなのがすぐにわかるんだもの。私はあなたの人生を楽しくするために存在しているわけじゃないのよ)
前世のオルガはモテてみたいと思っていたし、甘やかされたいとも思っていたが、いざその立場になってみると思っていたのと何か違う。
すべてを手に入れることはできないという言葉を、身をもって実感していた。
おそらくリーザは望みすぎているのだ。骨太の愛など、見果てぬ夢。
「どうしても気に入る相手がいないというのなら、お前が最初に却下してみたアチェロ公爵の嫡男はどうだ。本格的な行き遅れになる前に、一席設けて会ってみては」
父王から再打診があったのは、リーザがすっかりふてくされて夜会にも舞踏会にも参加しなくなった頃であった。
「アチェロ公爵家のルネ様……? そういえば、一度もお会いしたことがないように思います」
記憶の隅にその名前はあったが、今の今まで忘れていた。会わなかったからだ。
適齢にして釣り合いとして申し分ないと見合いの席が計画されていたのは知っているが、リーザは会いもせずに断り、その後社交界で本人と顔を合わせることもなかったのだ。
「その……、ルネは少々変わったところがある青年で」
おもしれー男枠……!
ここでリーザは大いに警戒した。だいたい、そういう男の最大の関心事は自分自身である。
しかし、相手を警戒するあまりに父王にそっけない態度を取るのはいけない。ひとまず、話題に無関心ではないと示すために質問で先を促した。
「具体的には、どのように」
「ううむ……。それが、なぜか突然筋肉に目覚めたとかで、脇目も振らずに鍛錬を始めたそうで。社交の場にもとんと出てこない有り様で」
「なにそれ大変好みでございますわ。いえ、なんでもありません」
一瞬、記憶の奥底からオルガの亡霊が現れて何かを口走った。リーザは顔の前で扇子を開いてほほほと笑いつつ、目だけは鋭く父王を見据えて「それはつまり?」とさらに質問を重ねた。
「自分より強い女性に『相手にならない』と求婚を蹴られないために、最強の戦士にならねばという妄想に取り憑かれているとかで。いや、それ以外は実に非の打ち所のない青年なんだ。私も会ったことがあるので知っている。弁舌さわやかで頭のキレもよく、見た目も美人で知られた公爵夫人にそっくりで麗しい。腕力がゴリラなだけだ」
リーザは興奮で血が沸き立つのを感じつつ、頬を染めて視線をさまよわせた。
(弁舌さわやかで麗しく鍛錬を欠かさないゴリラですって? そんな都合の良い男がこの世にいるかしら?)
そわそわしてきた。絶対に会ってみたい。
一方で、にわかに不安に襲われた。
ルネなる青年は、この平和な時代に強い女を娶る気満々らしい。そのために肉体を鍛えているとあらば、なんらかの比喩ではなくそのままの意味なのであろう。
リーザは、砂糖菓子のような華奢で可憐な乙女になるべく、努力をしてきた二年を思う。その間、過度な筋肉がつくようなことと危ない行為は避けてきた。
二年前の自分ならいざ知らず、いまとなってはルネの描く女性像に合致しないのではないだろうか?
「とても……とても素敵な縁談だと思うのですけれど、私はその方のお眼鏡にかなう自信がありませんわ」
「何を言う。リーザは、どこに出しても恥ずかしくない娘だ。自信を持ちなさい」
「だって、私はそこまで強くないんですもの。きっと負けてしまいますわ。そんな弱い女には、失望しかないでしょう」
父王は黙った。そんなことはない、というひとことが空虚であると知っている顔だった。その顔を見てリーザは、ルネがまさに「筋金入り」なのだと悟った。娘に甘く優しい父が「お前の可愛さにはどんな男だっていちころだよ」という浮ついた言葉さえ言えなくなるほど。
(ぞくぞくしますわ。そんな男の中の男がこの国の、まさにすぐそばにいたなんて。しかも、私が強権を発動すれば婚約者に指名することもできるかもしれないですって……!?)
だがそれはリーザの望むところではない。そんな形で相手を歪めていいはずがないからだ。
「わかりました。早速、体を鍛えるところから始めます」
「待てリーザ。お前は自分で思っているほど、弱くない。ゴリラと素手で戦っても、いい勝負になるはずだ。いまのままでいい、いまのままのお前で一度ルネに会ってみたらどうか」
「勝たなくてもいいんですか?」
「いい勝負ができればルネも納得するだろう。そんな姫君は国内探してもお前以外にいるはずがないのだから」
言い返そうとしたリーザであるが、そこでぐっと言葉を呑み込んだ。
(オルガの悪い癖が出ているわ……! 勝ち負けにこだわりすぎる! そのあげく前世では「私より強い男がいない」と泣きを見ることになったじゃない。今生ではそのこだわりを捨てるのよ、捨てるの……。ゴリラに華を持たせるくらい、やってやれないことはないはずよ!)
腕力で恋愛しない。大切なのは相手がどんな人柄であるのか、まずはそれだけだ。
「わかりましたわ。ぜひルネ様にお会いしたいと思います。私は縁談に前のめりであると公爵家にお伝えくださいませ」
リーザは、笑って父王に告げた。
* * *
ルネにとってその見合いは、気が進まないものだった。
王家の末の姫リーザとの婚約は、一度断っている。その後、華奢で可憐で絶世の美女であるという噂は聞き及んでいたが、ルネの胸には響かなかった。
(あまりにもオルガ様と違いすぎる。きっとその方はオルガ様ではない。オルガ様以外の女性に時間を使っている場合ではないのに)
そう思いながらも会うことを承諾したのは、王家が権力に物を言わせてきたからではない。単純な興味である。かつてオルガがフレデリクにそっと愚痴っていたことを思い出したからだ。男が好きなのは華奢で可憐で守りたくなるような美女である、と。
オルガの夢見た美女像の完成形がどのようなものか、後学のために見ておこうと思い直したのである。
そして「たいしたことなかったですよ」と言うつもりであった。リーザに対しては甚だしく不誠実であるが、ルネが心から慕っているのはオルガただひとりであるから、他の女性を前にしてもよろめかない自信があったのである。
その自信は、リーザ本人に会って脆くも崩れ去った。
美しく結い上げた金髪、可憐な顔立ちを引き立てる上品なメイク。完璧なプロポーションでドレスを着こなした姿はまさに美を極めた奇跡のような乙女であったが。
それよりも何よりも。
(わかる……! すごく鍛えてる……! 動きが玄人過ぎる! 磨き抜かれた筋肉でしかありえないたしかな足運び! お辞儀の角度! っは~~~~~~~~~。これはすごい)
筋肉の発する熱量を感じずにはいられない。
王宮の中庭にて顔を合わせたルネは、呆然としてリーザに見惚れた。
これにはアチェロ公爵も国王もにっこりである。「あとは若い二人で……」と言い残して立ち去った。もちろんその場には侍女や護衛兵が残されたが、全員が若い二人の出会いを盛り上げるべく完全な影に徹して呼吸すらも殺していた。
リーザはしずしずと進み出て、ルネを見上げて自分の口で名乗りを上げた。
「父王が公爵家とのさらなるつながりをとお考えであることは数年前から聞いてはいたのですが、お目にかかるまでにずいぶん日が過ぎてしまいました。リーザと申します」
ルネは感極まって顔を真っ赤にし、目をうるませながら答えた。
「私も長い間重い腰をあげず、とんだご無礼を。これほどの筋肉とは知らず……」
「筋肉」
あっ、とルネは口元をおさえる。うっかり思ったことをそのまま口走ってしまった。
「骨太な女性が好きなんです。戦場ですべてを薙ぎ払うような」
「……変わった趣味だと言われませんか?」
窺うようにリーザに見上げられて、ルネはドキドキとしながら「はい」とかすれ声で答える。
「自分でもそうかなと思うことはありますが、好きなものは好きなんです。前世からずっと」
「前世……」
リーザの瞳の奥で、感情が激しく揺れ動く。めまいがしたように、額を手でおさえた。ふらりと、その体が傾いだ。
「失礼、大丈夫ですか?」
みだりに触れてはいけないとわかっていたが、見過ごすわけにもいかずにルネはとっさにその体を支える。
触れ合った瞬間、前世の記憶は今までにないほど鮮明になった。リーザと再び目を合わせたとき、不意に確信した。
「オルガ様……!?」
「なんですって!?」
リーザの目が、驚愕に見開かれる。それは脈絡無く不思議なことを言われたという顔ではなく、むしろ正確に事態を把握したがゆえの驚きに見えた。
(この方が、オルガ様なんだ)
ルネは顔を紅潮させ、リーザに告げた。
「前世からずっとお慕いしておりました」
「ルネ様は、前世からの私の知り合いなのですか?」
一方のリーザは、オルガであったことを否定しないまでも、疑わしげな様子でルネを見ていた。
(私が誰なのか、オルガ様にはわからないのだ……!)
ショックを受けつつも、ルネは一世一代の告白に踏み切る。
「オルガ様は、いつも『私より強い男でなければ』と言っていましたね。前世の私は、もしかしたら勝てるかもしれないと思いつつ、あなたを怪我させることを恐れるあまりに勝負を挑むことはありませんでした。あなたが『私より強い男と出会っても、その男の好みの女が私とは限らないのでは?』という真理にたどりつき、枕を涙で濡らすようになってから何度も『ぜひともまずは私と手合わせを』と喉元まで出かかっていたんですが」
「待て。お前は何者だ。どこでその話を聞いた?」
リーザの声は一段低いものとなっており、言葉遣いは前世のオルガそのものだった。眼光は恐ろしく鋭く、静かな殺気が全身から漂っている。
(オルガ様だ! あの頃のままの!)
興奮しながら、ルネは饒舌に語った。
「いつもあなたの傍らで聞いておりました。『華奢で可憐で守りたくなるような美女でなければ愛されない』という愚痴も。私がいるじゃないですかと思いながら」
「殺されたいらしいな」
「滅相もない。今生こそはあなたと愛し合いたいだけです。あなたを守れるくらい強い男になったつもりなんです」
無言のまま、オルガが拳を叩き込んできた。それをルネは紙一重でかわす。続けざまに足払いをしかけられたものの、危なげなく飛んでやり過ごした。
「少しはやるらしいな」
青い目に物騒な光を宿して、リーザはルネだけを見つめて言った。
「お褒めに与り光栄の極みです。さらに認めて頂くために、反撃しても?」
背筋にぞくぞくとした快感が走るのを感じながら薄笑いを浮かべ、ルネが尋ねる。
なお、突然殴り合いを始めた若い二人を前に、モブに徹していた周囲は大慌てで「ご乱心だ! お止めしろ!」など叫んで人を集めたり二人を取り囲んでいたが、もはや拳でわかりあうと決めた二人にその声は届かない。
「してもいいが、まずは名を名乗れ! お前はいったい誰なんだ!」
ルネはオルガに出会っただけでわかったのに、オルガはどうしても思い出せないらしい。
ふっと、ルネは寂しげな笑みを浮かべた。
「そうですね。私もあの頃とはずいぶん変わりましたから、無理もないことです」
そしてその場に跪き、両手もついて四つん這いの姿勢となる。
「思い出しませんか?」
うっと怯んだ様子で、オルガであるところのリーザは一歩引いた。しかし、ルネは構わずに叫んだ。
「いつもあなたとともにあったフレデリクですよ! 忘れるなんて水臭い! さあ、この背に乗ってください! ともに戦場を駆けた日々を思い出して!」
たじろいだ様子であったオルガだが、このひとことですべてを悟ったかのように目を見開き「フレデリク――!?」と叫んだ。
「ほ、本当にフレデリク? 生まれ変わっているということは……あなたも」
「ええ、死にました。おそらくオルガ様と同じタイミングで。そしていまこうして生まれ変わったのです。あなたの愛馬のフレデリクですよ。さあ、乗り心地を確かめてみてください!」
言われたリーザは歩み寄り、地面に四つん這いとなっている青年ルネの背にまたがり、涙を浮かべながらその首筋を撫でた。
「ああ、フレデリク……! またあなたに会えるなんて」
「ええ、ええ。思い出しましたか? 陛下のフレデリクですよ。陛下がお望みなら、今生でも好きなだけこの背に乗ってくださいね」
二人の周囲では騒ぎが大きくなり、国王も公爵も呼び戻されてその場に戻ってきていた。
そして、恍惚とした顔で馬になっているルネとその背にまたがる王女の姿を目にして黙り込んだ。見なかったことにした。その場にいた者たちにも「他言無用」と言い含めた。
公爵が、ぼそりと呟く。「息子は、自分より強い女性についにめぐりあったようですな……」と。
およそ余人の理解の及ぶ光景ではなかったが、見合いは大成功のうちに終わった。
やがて、若い二人の婚約は大々的に発表された。婚約者時代の二人は仲睦まじく、これぞ美男美女の理想のカップルと社交界の話題をさらう。
その仲の良さのまま、結婚した。
まことしやかに、二人はときどき馬と女王の役割演技で会話を交わしているらしいという噂が立ったものの、真偽は不明のままとなった。
*最後までお読みいただきありがとうございました(*´∀`*)
*夫婦のことは夫婦にしかわからない系の話を書いてみたいなと……
*また次の作品でお目にかかれましたら幸いです
【追記】
感想ありがとうございます!
作者が嬉々としてネタバレに乗っかっても……と思い感想返信は控えさせていただきますが
馬……
たぶん自分が馬だからどうとかじゃなくて「俺が本気出したら陛下を怪我させちゃうからな」と考えているあたり、あんまり自分が馬であることを問題だとは思っていないような気がします。
今生でも「よっしゃ、近くに生まれ変わった気がする!」ってことだけでガッツポーズしているっぽいので、自分の容姿や身分をまったく気にしていないあたりウルトラポジティヴだなと。
結婚してからも目をキラキラさせて「いいですよ、久しぶりに乗りますか!?」とかやってそう。
Fin
【追記2】
たくさんお読みいただきありがとうございます!
前世系の短編もう少し読もうかなという方にはこちらをオススメします!
「前世鏡で、転生したら絶世の美少女」
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