猛獣と女の子2 ~命懸けの悪戯~
私の名はフェルティオ。
ロウディーン帝国の第一皇子であり、尚且つ次代のロウディーンを担う皇太子でもある。
こう言っては何だが、私は自他共に認める見目秀麗な容姿と、まずは右に出る者のない明晰な頭脳を持ち、繊細な我が身に似合わず剣の腕も相当立つ。でなければ時折、本物の殺意をもって対峙して来る弟のザガートからこの身を守る事などできはしないのだ。
ザガートが実の兄である私に殺意を抱く理由―――それは王家に付き物の王位を狙ってとか言うどろどろとした辛気臭い話ではなく、奴が森で拾って来た片恋(実は両想い)の娘に私がちょっかいを出したからである。
だが私としては心外だ。
ちょっかいを出したとザガートは思っているが、実際には男女の仲になった訳でも無理矢理手篭めにしようとした訳でもない。しかもこの私が、腕に抱いた娘の唇にすら触れてはいないのだ。
まぁあの時、実際に娘の唇に触れていたなら、私は間違いなくザガートの剣で串刺しになっていたのだろうが―――。
それよりも一つ気になる事がある。
それは、何故あの娘が私に靡かないのかという事だ。
これ程の権力と容姿を兼ね備えた私に抱かれたいという女は数知れず、だというのにあの娘は皇太子である私の頬を打ってまでそれを拒否した。それも単にザガートへの忠誠や恋心故かもしれないが……どうも納得いかない。
あの猛獣とさして変わりないザガートに奇跡の女人が現れた事は、兄としても大変好ましく諸手を上げて喜びたい所なのだが、この私に靡かない娘がいたという事実が私の誇りを傷つけ闘争心に火を付けるのだ。
かと言って、本気で手を出せばザガートは間違いなく私を殺すだろうし、抵抗する娘を無理矢理手篭めにすると言うのも性に合わない。ましてそこまでしてザガートを怒らせる理由もない。
と言う訳で(?)私は嫉妬するザガートという、あの娘の出現によって意外な表情を見せるようになった可愛い弟の姿を楽しむため、ある悪戯を思い付き再び奴の屋敷を訪れた。
勿論命の危険を伴う為、救助要員(身代わり)となる魔法使いのアルフォンスを従えてである。
決して大量に机に積まれた書類に嫌気がさし逃げ出した訳ではない。
純粋に、可愛い弟の慌てふためくであろう姿を目にして英気を養うために……いやいや、おもちゃにする為に、でもなく……まぁいい。
兎に角、私は嫌がるアルフォンスの首根っこを掴んでザガートの屋敷へと赴いたのである。
*****
突然の来訪にも関わらずかの娘は笑顔で我々を迎え入れた。黒騎士団の団長であるザガートは城にある鍛錬場で騎士達の訓練に携わっていたにもかかわらず、どこでどう聞きつけたのか一目散に帰宅したようで、私の到着と同時に馬の蹄の音も荒々しく単騎で帰宅して来た。
そして現在、私達は娘の入れたお茶を前に場の雰囲気を楽しんでいる。
私はザガートの警戒心を解く為、必要以上に娘に近寄らず、とりとめのない話をしながら時間を潰した。
その間もザガートは神経を研ぎ澄まし、私の出方を伺っている。
そんなに警戒せずとも大したことは企んではいないというのに―――有能な弟に少々嫌気がさすが、自分の前科を思い起こせば致し方ないのやも知れない。
ふと娘に視線をやると、娘は薄っすらと微笑みを湛えある一点をみつめていた。
その視線の先にあるのは、眉間に深い溝を刻んで腕と足を組み椅子に腰を下ろしているザガートの姿。
黒騎士団の団長ともあろう者が私を警戒するあまり、火傷しそうな程に熱く注がれている娘の恋する視線にまったく気が付いていない様子。
暇を見つけては魔物の巣くうアトラスの森に入り、常に神経を研ぎ澄ます事を身に付けている筈のザガートにしては極めて珍しく、同時に、火傷しそうな程の視線を注がれながらも全く気付いていない様子に大丈夫かとさえ言いたくなる。
このままでは恋の成就もまだまだ先、最悪すれ違ったまま年老いてしまうのではないかと妙な心配に駆られる。
何のもくろみもなく注がれる純粋無垢な恋する乙女の視線。
思えば私に注がれる女達のそれは、少なからず打算を含んだものばかりだ。
私が王太子であるから、優秀であるから……私が見目麗しく罪作りな容姿をしているから―――女達は私に付属する飾りに深い興味を抱いている。まぁ私とてそれを分かって相手をしているのだが。
何の見返りも求めない娘の視線を浴びるザガートが、少々羨ましくさえ思えて来るのは何故だろう?
僅かに沸き起こった嫉妬に気付かず(と言うか、全てをもっている私が何かに嫉妬するなどあり得ない)、何故か面映ゆさを覚えカップを手にしてみるとお茶が底を尽きていた。
同時に、新たなカップが差し出され、そこには新たなお茶が注ぎ込まれていた。
「お代わりを―――」
「頂こう。」
孤児院育ちだと聞いていたが、意外にも気が付くようだ。
ここに来てから教育されたのかもしれないが、娘の立ち居振る舞いにがさつな点はなく、ゆったりと落ち着いた雰囲気を醸し出していた。
淹れ立てのお茶も熱くも温くもなくちょうど良い温度だ。
「折角彼女が入れてくれたというのにお前は飲まないのか?」
ザガートの目の前にあるカップは手付かずのままになっており、折角のお茶も冷めてしまっていた。
私の言葉に反応し、ザガートはおもむろにカップを手にすると一気に中身を飲み干してしまった。
全く色気も何もない―――
男に、しかもザガートに色気を求めても気色悪いだけだったが、もう少し味わって飲むとか出来ないものだろうか。
思いつつ小さな砂糖菓子に手を伸ばして摘むと、娘の黒い瞳と目が合った。
「食べるかい?」
「いらん。」
娘に聞いたのにザガートが即答する。
「お前は分かっていないな。若い娘と言うものは甘い物を好む習性があるのだ。それを主であるお前に否定されては、それがトラウマとなって一生口にする事を拒みかねないのだぞ?」
と、脈絡のない戯言を口にしてみれば―――それを鵜呑みにしたのか、ザガートははっとして娘を仰ぎ見る。
「食え―――」
「えっ?!」
まるで脅し文句の様な物言いに、傍らに腰を下ろしているアルフォンスも額に手を当て目も当てられないと言った仕草を取っており、娘に至っては目を丸くし唖然としてザガートを見下ろしていた。
「まったくお前ときたら―――女性を相手に脅しをかけるような言い方をしてどうする。見本を見せるからよく覚えておきなさい。」
私は仕方ないとばかりに砂糖菓子を一つ摘むと、椅子を立ち娘の傍らに赴いた。
いったい何をするのかとアルフォンスは私を見上げ、ザガートも訝しげながら様子を伺っている。
「おひとついかがですか?」
過去において、この娘以外の女人を全て悩殺して来た甘い笑顔で問いかける……が、やはりこの娘に効果はないようだ。
娘は私が差し出した砂糖菓子を凝視した後で、どうしたらいいか分からないと言った風に、ザガートに助けを求めるように不安気な視線を向けた。
「貰っておけ。」
素っ気ない言葉にも愛情が含まれているのだろうが、ザガートの口から発せられると脅しや強制の様な威圧感しかない。
だが娘は不安気だった表情を一変させ、ザガートの言葉に笑顔を向ける。
屈託のない、純粋無垢な笑顔に満足そうなザガートの面持ち。
一見何の変わりもない様だが、娘を前にザガートは表情豊かになったようだ。
「頂戴いたします。」
同じく私にも笑顔を向けた娘は、私がさし出した砂糖菓子に手を伸ばした―――が。
娘がそれを手にする事は出来なかった。
なぜなら私がそれを、自分の口に放り込んだからだ。
子供の悪戯の様な行動に、娘もザガートもアルフォンスも、皆が目を点にしている。
アルフォンスは何故こんな行動を取ったのかと疑問の目を向け、ザガートはこれが見本なのかと眉を顰める。
だが次の瞬間、アルフォンスが私の行動を予見し慌てて腰を上げたが一歩遅い。
私は娘の顎を捕えると唇を重ね、口の中にある砂糖菓子を舌で娘の口内に押し込んだ。
驚いた娘は漆黒の瞳を見開いて硬直し、私は柔らかで甘さの伝う娘の唇を一舐めしてからゆっくりと己の唇を離した。
名残惜しいと感じながら―――
さすがのザガートも自分の目の前で起きた事がすぐには飲み込めない様で、唖然とこちらを見上げたままだ。
「これが口うつしと言う食べさせ方だ、よく覚えておくといい。」
私は何か言いたげに口をパクパクさせながらも言葉が紡げないでいるアルフォンスの肩をぽんと叩き―――
「後は任せた―――」
そう言葉を残してさっさと部屋を後にした。
後ろ手に扉を閉め足早に廊下を進んで行く途中で、断末魔にも似たアルフォンスの悲鳴を耳にしたが……まぁあの娘がいる限り何とかなるだろう。
本来ならザガートの嫉妬に燃え狂う様を間近で見てみたい気もするのだが、荒れ狂った奴を前に命の保証はない。多少残念だが、皇太子である私に万一の事が起きればザガートも無事では済まないのだ。
仕方がない、ここは大人しく引くとしよう。
口の中に残る甘い砂糖菓子の味と触れた唇の感触を思い出しながら、私は軽快な足取りで城へと帰って行った。