第14話:ゴードンの傷跡
カインに提案された夜から、三日が過ぎた。
私と彼の間にどんな会話があったのか、ゴードンとリーシャは知らない。ただ、リーダーであるカインが「しばらく戦闘はなしだ。森で薬草とか鉱石をのんびり集めるぞ」と宣言したことに、二人は戸惑いながらも黙って従っていた。
私たち『赤錆の剣』は、本当に素材採取の依頼だけを受けるようになった。戦闘がないため、私の【サンクチュアリ・フィールド】が暴走することも、悪夢にうなされることもない。穏やかすぎるほどの、静かな日々が流れた。
だが、あの初めての戦闘依頼が残したわだかまりは、まだ私たちの間に重くのしかかっていた。ゴードンは以前よりも口数が減り、リーシャは何か考え込んでいるのか、ぼんやりと遠くを見ていることが多くなった。
私も、彼らにどう接すればいいのか分からない。あの悪夢で見てしまった、彼らの魂の傷。それに触れることは、許されない禁忌のように思えた。
私たち四人の間には、まだ気まずい空気が漂っていた。
その日、私たちはギルドから少し離れた『嘆きの森』と呼ばれる場所の近くで、依頼品の薬草を採取していた。依頼書によれば、この森の周辺には、目当ての薬草が群生しているらしい。
「しかし、なんでまたこんな縁起の悪い名前の森なんだ?」
ゴードンが、毒づくように言った。その声には、普段の彼にない苛立ちが滲んでいる。
「さあね。昔、何か悲しい出来事でもあったんじゃないの?」
リーシャが、淡々と答える。
私も、その不吉な名前に、何となく胸騒ぎを覚えていた。
森の入り口に近づくにつれ、ゴードンの様子がさらにおかしくなっていった。彼は何度も足を止め、まるでその先に進むことを身体が拒絶しているかのように、険しい表情で唇を噛む。
「おい、ゴードン。どうした?」
彼の異変に、カインが声をかけた。
「……いや、なんでもねえ」
ゴードンはそう言って歩き出すが、その足取りは明らかに重かった。
やがて、森の麓に広がる、打ち捨てられて久しい小さな廃村が見えてきた。かつては宿場町として栄えたのかもしれないが、今は壁が崩れ、屋根が落ちた家々が、墓石のように立ち並んでいるだけだ。
その廃村を見た瞬間、ゴードンの足が、ぴたりと完全に止まった。
「……リーダー、悪い。俺は、これ以上は行けねえ」
彼の顔から、血の気が引いていた。肩は小刻みに震え、その巨体がかえって痛々しく見える。
「今日はもう帰ろう。ここじゃ、ろくな薬草も採れそうにねえしよ」
そう言って、彼は無理に陽気に振る舞おうとする。だが、その声は上ずり、瞳は怯えに揺れていた。
リーシャも私も、彼のただならぬ様子に、どう声をかければいいのか分からず、ただ黙っていることしかできない。
カインは、何も言わずにゴードンの顔をじっと見つめると、やがて短く言った。
「……分かった。今日は戻ろう」
カインがそう決断すると、ゴードンは露骨に安堵のため息を漏らし、一目散にその場から踵を返した。
その日の夜、宿屋に戻っても、ゴードンは一人、酒場の隅で黙って酒を煽るだけだった。
私が自室に戻ろうと廊下を歩いていると、偶然、カインの部屋の扉が少しだけ開いているのが目に入った。中から、男たちのひそやかな話し声が漏れてくる。
盗み聞きは悪いと分かっていながら、私は足を止めてしまった。
「……悪かったな、リーダー。取り乱しちまって」
ゴードンの、いつになく弱々しい声だった。
「別に構わん。だが、一体何があった。あの村は、お前にとって何か特別な場所なのか」
カインの静かな問いに、しばらくの沈黙が続く。やがて、ゴードンが、重い口を開いた。
「あそこは……俺が昔いたパーティーの、リーダーが眠っている村なんだ」
彼の声は、震えていた。
「俺は、今のあんたと同じように、あの人の背中をずっと追いかけてきた。親父みたいな人だった。強くて、優しくて……。でもある日、ダンジョン攻略の時、俺が『行ける!』って判断して突っ込んだせいで……あの人は、俺を庇って、再起不能の重傷を負っちまったんだ」
その言葉に、私の心臓がどきりと跳ねる。
あの悪夢で見た光景。血の海に沈む、屈強な男の姿。それが、彼の言っているリーダーなのだ。
「あの日以来、俺は自分の判断が信じられなくなった。俺が斧を振るえば、誰かが傷つく。俺が決断すれば、仲間が不幸になる。そう思うと、いざって時に身体が動かなくなるんだ……」
ゴードンの声が、嗚咽に変わっていく。
「あいつが……リーダーが眠ってるあの村に、今の俺は、合わせる顔がねえんだよ……!」
壁の向こう側から、男の慟哭が聞こえてくる。
私は、その場に立ち尽くしていた。
彼のトラウマの、そのあまりにも重い現実を知ってしまった。
ただ「可哀そう」と同情するだけでは済まされない、魂に刻み込まれた深い、深い傷跡。
私は静かにその場を離れ、自分の部屋に戻った。ベッドに腰を下ろし、窓の外の暗い夜空を見つめる。
彼の苦しみに、自分に何かできることはないだろうか。
カインの言葉が、脳裏に蘇る。
『お前のもう一つの能力、【アイテム創造】に活路を見出すことだ』
私は、無意識に自分の両手を見つめていた。
この手が、もし、本当に彼の心を少しでも救えるのだとしたら。
そう、願わずにはいられなかった。