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第12話:共有される悪夢


宿屋に戻っても、重苦しい空気は晴れなかった。

夕食の席では、誰もが必要最低限の言葉しか交わさない。ゴードンはバツが悪そうにエールを呷り、リーシャは俯いたままスープ皿をスプーンでかき混ぜているだけ。カインはいつも通り無表情だったが、その沈黙は普段よりも鋭く、私たち三人の胸に突き刺さった。

私は早々に食事を終えると、「お先に失礼します」とだけ告げて、屋根裏にある自分の部屋へと逃げ込んだ。

硬いベッドに横になり、ぎゅっと目を閉じる。

(駄目だった……)

彼らを守りたかった。役に立ちたかった。

でも、結果として私がしたのは、中途半端な力で彼らを混乱させ、恐怖のあまり足を引っ張っただけ。

「守らせてほしい」という彼らの言葉に甘える資格など、今の私にはない。それどころか、ただのお荷物だ。自己嫌悪の黒い靄が、じわじわと心を覆っていく。

疲労と精神的な消耗からか、私の意識はすぐに闇の中へと沈んでいった。

――それが、地獄の始まりだった。

最初に見たのは、今日の戦闘の光景。血走った目で突進してくるグレートボア。鈍いゴードンの斧。躊躇うリーシャの矢。そして、無力な自分。

失敗の記憶が、何度も何度も繰り返し再生される。

だが、悪夢はそれだけでは終わらなかった。

「ぐっ……!」

突如、右腕に鈍い痛みが走った。グレートボアの体当たりを受けたゴードンが、咄嗟に庇った腕だ。続けて、左の太ももに、木の枝で裂かれたような鋭い痛みが奔る。リーシャが負った傷。

自分の怪我ではない。なのに、まるで自分の身体が体験しているかのように、痛みが現実感を伴って襲ってくる。

それだけではなかった。

(なんで、動けねえんだ、俺の体は……!)

(また、駄目だった……また、守れない……!)

ゴードンの焦り。リーシャの不甲斐なさ。二人が抱えていた負の感情が、濁流となって私の精神になだれ込んでくる。

「やめ……て……」

これは、私の痛みじゃない。私の感情じゃない。

そう思うのに、魂が他人の不幸に汚染されていく感覚から逃れることはできなかった。

そして、悪夢は、さらに深い領域へと私を引きずり込んでいく。

――『お前のせいだ!』

突然、場面が変わる。

薄暗い洞窟。血の匂い。地面には、屈強な体つきの男が、血の海に沈んで倒れている。その男を、若い頃のゴードンが見下ろしている。

『お前の判断ミスがなければ……!』

誰かの罵声が響く。ゴードンの絶望に満ちた顔。

――『どうして、助けてくれなかったの』

場面が、再び切り替わる。

燃え盛る村。煙と悲鳴。小さなリーシャの手を引いていたはずの両親が、背後で奴隷商人の凶刃に倒れる。

『逃げなさい!』

その言葉を背に、振り返ることしかできない幼い彼女の、引き裂かれるような悲しみ。

「あ……ああ……っ!」

違う。

これは、私の記憶じゃない。

私が体験したことじゃない!

なのに、血を流す恩人を見たゴードンの絶望も、目の前で家族を失ったリーシャの悲しみも、全てが、まるで自分のことのように魂に刻み付けられていく。

他人のトラウマを、追体験させられている。

私の力が吸収したのは、ただの痛みや焦りだけではなかった。彼らの魂の最も深い場所に刻まれた、癒えることのない傷跡そのものだったのだ。

耐えられない。こんな地獄には、もう一秒だって。

「いやあああああああああっ!」

私は絶叫して、ベッドから跳ね起きた。

「はっ……! はあっ、ひゅっ……!」

心臓が激しく脈打ち、全身はびっしょりと冷たい汗で濡れている。見慣れた屋根裏部屋の風景。しかし、先程まで見ていた光景が生々しすぎて、どこからが現実でどこまでが夢だったのか、すぐには区別がつかなかった。

壁を、天井を、床を叩きつけたくなるような衝動に駆られる。この魂にこびりついた他人の不幸を、今すぐ引き剥がしたい。

その時だった。

バン! と荒々しい音を立てて、部屋の扉が勢いよく開かれた。

「どうした!?」

飛び込んできたのは、隣室で寝ていたはずのカインだった。彼は私のただ事ではない様子を一瞥するなり、一瞬で状況を察したように、鋭い眼差しで私を射抜く。

「……また、か」

彼の低い声には、苦々しい響きが混じっていた。

彼は私のベッドに数歩で近づくと、錯乱している私の両肩を、強い力で、しかし傷つけないように、ぐっと掴んだ。

「しっかりしろ! ここは宿屋の部屋だ。夢じゃない」

「は……ぁ……でも、あの人たちが……村が、燃えて……」

しどろもどろに、夢で見た光景の断片を口走る私。

その言葉を聞いた瞬間、カインの表情が、凍り付いたように固まった。

彼の黒い瞳が、僅かに見開かれる。

まさか、とでも言うように。

彼は、私の瞳の奥を、魂の芯を、彼の持つあの不思議な力で見通そうとするかのように、じっと見つめた。そして、何かを確信したように、彼の表情が険しさを増していく。

「……お前、まさか」

彼の唇が、微かに震えていた。

「俺たちの痛みだけじゃない。ゴードンやリーシャが抱えている……あいつらの過去の傷まで、お前、一人で背負い込んでいたのか……?」

その問いは、答えを求めるものではなかった。

自分の想像を遥かに超えていた、私の力のおぞましい代償の正体に、彼がようやく辿り着いたことを示す、戦慄の呟きだった。

私の肩を掴む彼の指先に、ぐっと力が込められる。

それは、私を責める力ではない。

目の前のどうしようもない現実に、ただ歯噛みするような、無力感と怒りに満ちた力だった。



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