第11話:初めての四人での依頼
私が『赤錆の剣』の仮メンバーとなってから、数日が過ぎた。
変わったことといえば、カビ臭い宿の馬小屋隣から、三人が間借りしている宿屋の屋根裏部屋に移ったことくらいだ。彼らの厚意だったが、私は家賃分として日雇いの雑用を続け、食事も一人で済ませることが多かった。
彼らも、どう私に接すればいいのか戸惑っているのが分かった。あの夜に芽生えかけた絆は、まだ脆く、お互いの間に見えない壁が厳然として存在していた。
「――依頼、どうするかな」
その日、ギルドの依頼掲示板の前で、カインが腕を組んで呟いた。
ゴードンとリーシャが、どこか落ち着かない様子で隣に立っている。そして、私は少しだけ距離を置いて、その輪の外から彼らを見ていた。私たちが四人で依頼を探すのは、これが初めてだった。
「ゴブリンの一件で、みんな慎重になってるみたいだな。Cランク以上の依頼が余ってるぜ」
ゴードンの言葉に、リーシャが不安そうに眉をひそめる。
「でも、いきなりCランクは……」
「そうだな」
カインはしばらく掲示板を吟味していたが、やがて一枚の依頼票に指を止めた。
「これにしよう。『Dランク:巨大猪の討伐』。森での素材集めついでだ」
Dランク。ゴブリンの群れと同じ推奨ランクだ。ゴードンとリーシャの顔に、緊張が走るのが分かった。私も、無意識に自分の手をぎゅっと握りしめていた。
「……ルシ」
カインが、私を振り返る。
「お前は、無理だと思ったらすぐに言え。支援はしなくていい。自分の身を守ることだけ考えろ」
それは、私を気遣っての言葉だと頭では理解できた。だが、その言葉は同時に、「お前は戦力として数えていない」という宣告にも聞こえてしまう。私はただ、無言でこくりと頷くことしかできなかった。
森の中を進む四人の間には、気まずい沈黙が流れていた。先頭を歩くカイン、そのすぐ後ろにゴードンと私、そして最後尾をリーシャが警戒しながらついてくる。誰もが、これから始まる戦いに、そしてお互いの存在に、神経を尖らせていた。
やがて、目的の獲物は、派手な音を立ててその姿を現した。
「グルルルルォォッ!」
身の丈は荷馬車ほどもありそうな、巨大な猪。グレートボア。その名の通り、両の牙は鋭く湾曲し、血走った目でこちらを睨みつけている。ただの猪ではない。立派な魔物だ。
「来るぞ! ゴードン、正面で受け止めろ! リーシャは目を狙え!」
カインの冷静な声が響く。作戦はシンプルだ。前衛が足止めし、後衛が弱点を突く。
ゴードンが雄叫びを上げて斧を構え、グレートボアの突進を待ち構える。その姿を見て、私は意を決した。
(大丈夫、あの時のように全力じゃない。少しだけ、ほんの少しだけ……!)
代償の恐怖に震える手を抑えつけ、私はゴードンに意識を集中し、限定的に【サンクチュアリ・フィールド】を発動しようとした。
だが、その瞬間。
「うおおっ!」
ゴードンは突進してくるグレートボアの凄まじい圧力を前に、体を固くした。斧を振りかぶり、その勢いを止めるべき局面。しかし、彼の脳裏に、あの時の恩人の姿がよぎった。
――俺の判断で突っ込んだら、もし、誰かが怪我をしたら……?
その一瞬の躊躇が、彼の踏み込みを致命的に鈍らせた。
「ぐっ……!」
ゴードンの体勢が、グレートボアの衝撃に耐えきれず、大きくよろめく。
「ゴードン!」
カインがすぐさまフォローに入り、グレートボアの側面に剣を叩きつける。金属的な音を立てて火花が散るが、致命傷には至らない。
「リーシャ、今だ!」
カインが無理な体勢で作り出した、ほんの一瞬の隙。リーシャは矢をつがえ、狙いを定める。しかし、自分に真っ直ぐ向かってくるグレートボアの血走った目に、彼女の家族が殺された光景が重なった。
――私が矢を放つことで、もし、もっと事態を悪くしてしまったら……?
矢を放つべきタイミングは、コンマ数秒。その躊躇の間に、グレートボアは体勢を立て直し、再び暴れ始める。
リーシャが放った矢は、狙いを外れ、虚しく木の幹に突き刺さった。
歯車が、全く噛み合わない。
「くそっ!」
カインが悪態をつきながら、一人でグレートボアの猛攻を捌く。その背中を見ながら、私の心臓は恐怖で凍り付いていた。
仲間たちが、傷ついていく。助けなければ。力を、もっと強く……!
でも、あの苦痛がまた私を襲う。あの魂を引き裂かれるような感覚が蘇る。嫌だ。怖い。
私の心は恐怖と焦りの間で引き裂かれ、仲間たちに流れる力は、安定しない川の流れのように、強くなったり弱くなったりを繰り返すだけだった。
「――邪魔だ!」
ついに痺れを切らしたカインが、低く吠えた。
次の瞬間、彼の動きが、それまでとは別次元のものに変わった。
グレートボアの突進を、最小限の動きで紙一重に躱す。まるで、次にどこに牙が来るか分かっているかのように。そして、すれ違いざま、彼の長剣が流れるような軌跡を描き、グレートボアの太い首筋を深々と切り裂いていた。
巨体が、地響きを立てて倒れる。
あまりにも、あっけない幕切れだった。
しかし、そこには勝利の歓声はなかった。
「はあっ……はあっ……」
ゴードンは肩で息をし、悔しそうに自分の斧を握りしめている。
リーシャは、唇を噛みしめ、ただ俯いていた。
カインは、剣についた血を振り払いながら、無言で私を一瞥した。その目には、失望とも、焦りともつかない複雑な色が浮かんでいる。
私も、彼らの視線を受けることができず、ただ自分の足元を見つめていた。
全員が軽傷を負っていた。打撲や切り傷。命に別状はないが、Dランクの魔物一体に、四人がかりでこのザマだ。
ギルドに戻り、換金所で報酬の銀貨を受け取る。しかし、その分配の時ですら、重苦しい空気が流れるだけだった。
誰もが口には出さない。
けれど、心の底で、同じことを感じていた。
――これでは駄目だ、と。
私たちが本当の「仲間」になるには、まだあまりにも多くのものが足りていなかった