10 最初からわかっていた男
本来痣があるのは全て左腕ということになる。彼女の痣があるのは右腕だ。代々受け継いできた痣は全員右腕。
「そ、な、な、あああ!?」
頭をぐしゃぐしゃと掻きむしり悲鳴をあげる。自分は神の子の子孫、つまり神の子孫だと信じて疑わなかった。それが全員に畳み掛けられるように否定された。屈辱であり、信じられないことであり、口では説明できない気持ちが次々とわき起こって叫ぶ以外にできない。そうだ、こいつらが全部悪い。おかしなことを言っているこいつらさえいなくなれば……。
「ムハンダゥバ! 全員殺せ!」
その言葉に全員に緊張が走った。この男に果たして勝てるかどうか。
(腕は折れてるが、瞬発力はそれなりにある。逃げるための時間稼ぎぐらいやらねえと)
ナイフを構えるルオだったが、意外にもムハンダゥバは動こうとしない。しかも折れているはずの腕は元通りの方向に戻って布で固定までしている。どうやら彼女の死角になる位置でルオに見えないように手当てをしたらしい。
「何をしているの!? 殺せ、殺せって言ってるの! お前の家族を皆殺しにされてもいいの!?」
「おーい、命令されてんぞ」
ルオの呼びかけにも全くのも無反応だ。ただ不気味にその場に立ち尽くしている。
「言葉通じてないのかな? 早口だったし」
サカネの疑問にルオは小さく笑う。チラリとルオの顔を見たサージは別の意味で緊張が走った。なぜならその笑った顔は獲物を前にした狩りをする者の顔だったからだ。
「それはねぇなぁ。通じてないどころか、ペラペラに話せると思うぜ。なあ?」
最後の「なあ?」に対して、ようやくムハンダゥバは動きを見せた。棺桶に近づき左手で持ち上げると今度は壁に突き刺さっていた自分の剣を右腕で引き抜く。折れている腕でできているとなると、どうやら応急手当で問題なく腕が使える処置の仕方を知っているらしい。
「さっき俺とじゃれあってた時、俺の言葉に全部腹立ててただろ。顔見てりゃわかる」
「……よく見ているじゃないか」
流暢な言葉で話すその姿にサカネとサージはもちろん、ラクシャーナも驚いて声が出ない。
「で? お前その目的はなんだ。言葉がわからないふりをしてその女に従ったふりをしていた。神への信仰が強い一族だ、この嬢ちゃんと目的は全く同じだったところか?」
「……」
「えーっとつまり?」
理解が追いついていないサカネがサージに問いかける。サージは緊張した面持ちだ。
「この女がやろうとしていたことと全く同じだったってことだよ。工芸品から神の子供が使っていた武器や防具の再現をしようとした。そのためにあの女の権力や資料を利用しただけだ」
ラクシャーナは多少の手がかりを求めて王子を利用した。それと全く同じことをムハンダゥバにやられていたのだ。学校などない、教養もないと思っていたムハンダゥバはとっくの昔に公用語を学んでいた。それもかなりの短期間だ。
全く同じことをされていたという事実は、ラクシャーナのプライドを粉々に打ち砕くものだった。金切り声のような叫び声をあげて近くにあるものを全てムハンダゥバに投げつける。当然それらは全て避けられてしまうが。
すべての黒幕はラクシャーナだと思っていた。しかし実際はムハンダゥバだった。野性的な生活をして人間というよりは動物に近いようなもの、それこそ家畜のようなものだと思っていたのに。
「その様子だとその女にもティムラを飲ませていたな。さっきから異様な雰囲気だと思ってた。目つきも興奮状態も中毒者の症状そのものだ」
「少しずつ飲ませれば本人は気づく事は無い。自信満々にほざいていたから同じことをやっただけだ」
淡々と語っていたムハンダゥバはここにきてようやく嬉しそうにニタリと笑う。その顔は本当に不気味だ。
「なるほど。教会で強い権力を持っている彼女なら全てを彼女の責任にできますからね。あなたは目的を達成したら逃げればいいだけ。これ以上にないくらい都合の良い道具だったわけですか」
エルの言葉に小さく鼻で笑う。
「自分が神の子孫など思い上がるのも甚だしい。神は子供など残していない、神は神のみ。そこに描かれている三人はただの人間だ。この国に住む奴が勝手に話を脚色した。だからこそ扱いやすい、馬鹿しかいないから」
そう言うと力いっぱい絵を切りつける。壁に描かれていた三人に大きな亀裂が入った。三人の者達すべて首のあたりだ。それを見たラクシャーナは発狂する。
「何をしているのおおお!? 貴重な絵が、歴史を示す価値ある絵が、あああ!!」
「こんなもの、我が部族に伝わる剣と盾の絵を真似ただけだろう。この国の建国よりもはるか昔から我らは代々引き継いできた。お前はただの盗人の末裔だ」