9 逆
「あれじゃあ体の重みを支えることができない。だから関節の部分を壊せば動けないと思って一撃ずつ入れてみたんだけど。たぶんこれ、関節の組み方が逆なんじゃないかな?」
サージの言葉にラクシャーナは叫んだ。
「そんなはずない、資料は完璧だった! あの家畜共わざと逆に作ったわね!?」
「それこそそんなはずないだろ。これは最初から作らせてたんだろ? まだ家族を人質にとられていると騙されていた時だ、必死になって作るさ。それにあいつらは人形師じゃない。逆かどうかなんてわかるわけないだろうが。それより」
ルオはラクシャーナが立っている絵から少し離れた場所にある別の絵の前に移動した。そこに描かれていたのは神の子の一人が盾を作っている様子だ。手には道具を持ち、その作業を手伝っているらしい他の兄弟たち。その道具の部分を指でこんこんと指し示す。
「絵に触るな家畜!」
「うるせえな、ちょっと黙ってろ。こんなもん大昔の人間が描いた落書きだろうが。で、サージとサカネ。これは何の道具だ?」
二人は絵に近づいてまじまじとそれを見る。劣化していてわかりづらく、しかも元々はっきりと描かれていないこともあってこれだと断定はできない。しかし二人とも顔を見合わせてうんとうなずいた。
「ノミ、かな?」
「ノミじゃないとしても、金槌を使って木を削る道具だと思います。でも変ですよね」
絵を侮辱されたと思ったラクシャーナは「何が変なのよ!?」と叫ぶ。そんな彼女を二人は真剣な眼差しで見ると二人同時に同じ言葉を言った。
「持ち手が逆」
「……は?」
言われている意味がわからずラクシャーナはそれしか言えない。しかしルオはやっぱりな、とつぶやいた。
「普通左手に持つじゃん。なんで右手で持ってるの?」
サカネが指さしたその絵には右手で道具を握る姿だ。左腕はやや持ち上げているが肘から上の部分が劣化で剥がれ落ちてしまっている。おそらく金槌を持っていると思われた。つまり今の技法と同じで金槌でノミを叩いて木を削っている様子に間違いない。
「ここにある絵、部屋に入って見た時から何か変だと思ってたんだよな。妙な違和感があるっつうか。だがそれもようやくわかった。ここに描かれている絵は全て左右が逆だ」
「な!?」
ルオの言葉にラクシャーナはそれ以上の言葉が出てこなかった。何を言われているのか理解できないほどだ。
「剣を持っている奴は両手で剣を握っているからお前はわからなかったのかもしれないが。普通は右腕が上に来る、左が上に来たら左利きだ。盾を持ってるやつも同じ、なんで右手で盾を持ってるんだ。普通は左だろ、右腕が空けば同じように武器を持ったり何か投げつけたりできる。神様の息子が全員左利きってか?」
ルオの言葉通り描かれている絵は全て左右が逆だった。動物や植物などが左右逆に描かれたところでわかるはずもない。しかし神の子供たちは道具を持っている持ち手が全て逆なのだ。ルオに何も言えずにいるラクシャーナに代わるように答えたのはエルだ。
「左利きというのはあり得ませんね。この国の経典では左利きは悪しき者の生まれ変わりとして殺されてしまいます。剣技はすべて右利き前提の型式となっているはずです」
「そんなはずない、そんなはずないわ! なんでいちいち逆に描くの! お前たち私を惑わそうとしているわね!」
「お嬢ちゃんよぉ、お前はガキの頃から何教わってきたんだ」
口を開いたのはルオの師だ。その顔は真顔にしか見えなかったが、ルオには怒りに染まっているのかわかる。
「人間が神を直接見る事は不敬にあたるって経典に書いてあっただろ。だから左右区別できるものを作るときは必ず左右逆に作る。そういったものがわからない物は抽象的にぼかす。はっきりと描かないのが暗黙の了解だ。ものづくりの職人の中では常識だぞ」
この国で生まれ育った人間の中ではこれは絶対に守らなければいけないことだ。たとえ教会の信者でなくても神に敬意を表す気持ちは誰にでもある。感謝の気持ちを持ち続けること。この地に、この国に生まれ育っていることを誇りに思うこと。それを敬意として神に示すことが自然と息づいている。それこそが本来の信仰だと、下町に住む全員が思っているのだ。
「本当の王家の人間だっつうんだったらよ、なんでそんなことも知らねえんだオメェは」
「この地下が真の王家の人間しか知らないなら、この絵を描いたのはあなたのご先祖様ということになります。神の血を引いているのなら、逆に描く必要などないでしょう。何故全て逆になっているのでしょうかね」
老人とエルの言葉にラクシャーナは何も言えない。そんな話聞いたこともない。いや、それよりもっと重大な問題がある。もしこの絵が、いや、残されていた資料も全て逆に描かれているのだとしたら。
「同じ場所に痣があるって大喜びしてたが、そりゃ勘違いだな」