9 盗まれた棺桶
扉の取っ手に手をかける前に扉が勢いよく開いた。目の前には焦った表情のルオがおり、サカネを勢いよく自分の方へ引っ張る。次の瞬間、窓の割れる音とともに黒い何かが飛び込んできた。
サカネは隣の部屋に放り出されたがエルが受け止めた。侵入してきたのは色黒の男だった。ルオがナイフを投げるが難なくかわす。しかしかわした方向にすでにルオがいて蹴りを放っていた。その蹴りも男は片手で弾く。本来であればここは距離を詰めて致命傷となる一撃をルオにくらわせるべきなのだが。ルオの目の前で男は目を見開き咄嗟に後ろに飛び退いていた。
ルオとしても追撃が来るだろうと思っていたので男が距離をとったのは意外だ、しかもかなり動揺している。後ろにいるのはサージだけだが。
「ピカラ……」
男はそう呟くと、さらに近くにあった棺桶を見て「ヒャアア!?」と雄叫びのようなものをあげた。勢いよく抱き着くように抱えると再び窓から飛び出していった。窓の外を見るが棺桶一つ抱えていると思えないくらい早く、もう追いつくのが難しい距離となっている。
すべては一瞬の出来事だ、何か目的があって来たであろうに棺桶一つ抱えて逃げられてしまった。その事にルオは舌打ちをする。
「一体何が起きたんですか!?」
訳がわからないといった様子のサージをよそに、血相を変えたサカネが部屋に入ってきて叫んだ。
「盗まれた! まだ絵の具乾いてないのに!」
あの男が何をしたかったのかサージにはさっぱりだ。入ってきたと思ったら自分を見て驚いた顔をして、完成した棺桶を持っていく。自分たちを連れ去りに来たか、それとも殺しに来たのだと思ったのに。
「怒りはもっともですけど、なぜそんなことをしたのかが気になるところですね」
部屋に入ってきたエルはルオに問いかけた。
「サージを見てピカラっつってたな。そんで、棺桶見て雄叫びあげて盗んで逃げた」
「そういえば僕を見てびっくりしてましたね。今はこんな格好ですけど」
見ればサカネが身に付けていた装飾品をつけている。体型がわからないような羽織をつけているので一瞬女性に見えなくもない。
「おっさん、あの一族の言葉ちょっとわかるんでしょ? ピカラってどういう意味かわかる?」
「……あいつらが崇めてる神の妻の名前だったな。驚いたって事は無茶苦茶似てたんだろ、お前のその格好が」
その言葉にぽかんとしていたサージだったが、じわじわと怒りがこみ上げてくる。
「人のこと誘拐するわ、会心の出来のものを盗んでいくわ、人の事女だと思うわ。最悪だあいつ」
「っていうか本物の女がここにいるんだけど!」
「しょうがないだろ、お前は隣の部屋に吹っ飛ばされたんだから」
自分たちの最高傑作を盗まれて二人は怒り心頭といった感じだ。男が来た目的は二人の誘拐だとしてなぜ棺桶を持っていったのか。
「さすがになんで持っていったのかまでは想像もつかん。だが雄叫びあげるくらいに嬉しかったってなると、考えられるのは……」
「考えられるのは?」
「何か自分にとって都合のいい盛大な勘違いかましたってことだけは間違いねえわ。節穴だもんなあいつの目」
「確かに」
エルを含めた三人の声が見事に重なる。もともと小民族だ、かなり野生的な生き方をしてきているので見たものを見たままで判断する仕方のないことかもしれない。
「これ以上おかしな状況にならないように我々も行動に移しましょう。もしも彼があれを手に入れたことで何らかの目的を達成してしまったとしたら。職人たちが用済みとなって殺される可能性があります」
「確かにな、急がねえと」
「予定通りルオ、あなたはあの男を追って出入り口から地下に侵入してください。我々は別の出入り口から入って職人たちを救出しに向かいます」
「おっさん、あの棺桶絶対に取り返してよ!」
「俺の目的は時間稼ぎだ。稼げる時間が長くできる余裕がない、回収は自分たちでやるくらいに思っておけ」
ルオの真剣な声に二人の怒りはすっと下がっていた。その顔は今までの気の短いおっさん、という雰囲気は欠片もない。あの色黒の男と同じ、チンピラとも兵士とも違う独特の雰囲気。まるで戦士のような、そんな空気だった。
「無理しないでよ?」
「善処する」
「そこそこの無茶はしてください」
「なんだそりゃ。だがまあ確かに、それが必勝法かもな」
特に準備をすることもなくルオは窓から飛び出すと男を追って走りだした。棺桶一つ抱えていてはかなり走りにくいはずだ、まして男が走って行った方向は森の中だ。