4 サージの苦悩は何だったのか
そう言うとルオは部屋から出る。集中できるように一人にしてくれたらしい。サカネは改めて自分が作っているものを見た。平面ではなく丸みがかったものや角のあるものの方が自分は筆がよく動く。立体的でなければダメなのだ。
自分のものづくりは特殊だという自覚がある。絵の具を塗り始めてからここには溝が必要だとかここには傷があった方が良いから、と途中で削り始めることが多い。赤や黄色など鮮やかな色は際に入っている方が色がより際立つし、藍など暗い色は表面にあった方が美しく輝く。めちゃくちゃにしか見えない、なんとなくこっちの方が良いだろうと思って作ってきたが。
「母ちゃんかあ。厳しいけど優しい人だったな」
両親の仲が良かった事はなかった。仲睦まじい姿など一度も見たことがない、というより二人が一緒にいるところなどほとんどなかった。村には同い年の子供が少なく仲が良いというわけでもなかった。なぜかいつもサカネ達に突っかかって馬鹿にしてきた。
自分が何かをしたわけでもないのになぜか相手は常に上から目線で、サカネたちを見下すような発言が多かった。
一度だけおとなしい性格のサージが人が変わったように怒り狂ったことがあった。自分の体つきがなんとなく女っぽくなってきて胸が膨らみ始めた頃。揉めるぐらいには大きくなったのかと意地悪を言ってきていた奴らがニヤニヤしながら、サカネの服を引っ張ってきた時だ。喧嘩が弱いくせにいきなり相手に殴りかかった。数は向こうの方が多かったのでサカネが参戦しても負けてしまったが、それ以来誰も突っかかってこなくなった。というよりも村人から冷たい視線を受けるようになった。
「――は、やっぱり野蛮だな」
「体つきが女になるのが早い。これだから――は」
「さっさと出て行けばいいのに」
あの時は幼くてなんて言ってるのかわからなかった。サージが事情を話し、母がなんでいきなり殴るんだと怒った時だ。サージは泣きながらこう叫んだのだ。
「母ちゃんと同じ目に合わせてたまるか! 母ちゃん全然幸せそうじゃない!」
意味がわからなかった。そしてそれを聞いた母はその場に泣き崩れサージをきつく抱きしめた。そしてずっと謝っていた。
ガリガリと木を削っていく。悲しみの色をのせて、しかし悲しいだけでは立ち上がることができないから、それを守るための土台となる硬い成分が入った絵の具でしっかりと周りを覆う。
「同じ目に」
さすがにこの年になればその言葉の意味がわかる。両親は結婚したのではない。おそらく母は食べ物などを調達するため村に立ち寄った。その時父が一方的に……。
子供ができたから、育てることにしたのだ。自分の家族に助けを求めなかったのなら、母は一人で彷徨っていたのかもしれない。自分たちがいなかったらきっと母は父、いや、あの男と一緒に暮らしてなどいなかった。
サージはそれを知っていたのだ、おそらく両親が口喧嘩の時に何かを口走ってしまったのだろう。そして周囲も自分たちを遠巻きに見ていた。あの時の意味がわからなかった単語やっと思い出した。
「薄汚い混ざり物、かあ。混血ってことか。少民族とか、遊牧民とか、一つの住処を持たない人たちを見下してたんだなあそこの連中。アホくさ」
涙がこぼれそうになる。最初から自分たちは嫌われていた。しかし父親が一番金を生み出す職人となったので、すり寄る為に表立った嫌がらせをしてこなかっただけだ。
色を乗せていく。ギラギラとした鮮やかな色は見ていて気が滅入ってしまうから薄暗く。でもいつか、きっと心が穏やかになる時がある。涙は流していいのだ。それが溜まれば水たまりとなり、池になり、湖となる。
「そっか、だから太陽の光が」
青色は太陽の光で鮮やかに輝いているように見える。湖も照らされればきれいだ。川もきらきらと輝いている。気分が沈んだ色ではなく照らされれば輝く色。
「あの馬鹿。母ちゃんのこと知って自分だけ苦しんでたのか。自分たちが産まれなかったら母ちゃんは自由だったのに、なんて。まさかと思うけど母ちゃんがいやいや俺たちを育てたとか勘違いしてたんじゃないだろうな」
僕たちの作ったものってみんな喜んでくれてるのかな。ぽつりとそう漏らしていた。幸せって何だろうか、自分は何のために作っているのだろうか。迷っているくせに自分の片割れには相談できなかった。
「俺に……アタシに、母ちゃんたちの事情を知って欲しくなかったから。馬鹿じゃないの」
同じ女性だから、傷つき方は自分の比ではないと思ったのだ。だから人形に対して警戒心を抱いていたのに、サカネそっくりの人形が人質にとられているように見せられて頭が真っ白になってしまった。
もしも、サカネが母のように男の好きにされてしまっていたら……。
「そんなにアタシのことが大事なら、ガラにもなく悩んでないでさっさと言えっての」