プロローグ 天使の降りた日
主人公がとにかく変態ですいません;
あれは、一体何時の日だったか。
いつものような変わりなき日常。
朝起きて、学校に行き、放課後に友と戯れ、家で寝る。
ただそれの繰り返し。
いつまでも続くと思われた。確かにいつかは終わる日常。
しかし、それは私たちが全く予期せぬ事態によって、何の予兆もなく終わりを告げられた。
――天使だ。
あれは私こと、逢境陽介がいつものように日常を繰り返そうとしていた時だ。
2年で生徒会長になった私が、3年となり新たな若輩者どもが校内に入って来て、てんやわんやしていた、そんな時だ。
いつも山積みされる書類の数が何倍にも増え、さてどうして抜け出したものかと書記兼監視役である田宮君の動向を見切ろうとしていた時だった。
校庭で、天使がいる、と誰かが叫んだ。
最初は取るに足らない事だと思った。所詮誰かがコスプレでもして騒いでいるのだろう、と。
そのコスプレをしている者が幼女であるというのなら、私は田宮君の監視の目と信頼を無視してでも校庭に飛び出たことだろう。
何故か校舎の3階に位置するこの生徒会室だが、窓から飛び出てでも外にでる覚悟があったのだが。
私はそんな事を刹那とも取れ得ぬ時間で熟考し、くだらないと鼻で笑いながら無機質に書類に目を通した。
だが、私の予想を反して、事態は異常で、そして切羽詰まった物だった。
――校外で、銃声が響いた。
いや、それは正確には銃声ではないのだろう。ただ、私の耳に届いた音は、確かに銃声としか呼べないもので、同時に全く違う物だったのだ。
その荒々しくも、透き通ったような銃声が、あたかも悠久の刻のように連続して響いた。
校内に轟く、校舎の壁が破砕し、崩壊する音……そして生徒達の驚愕の悲鳴と叫び。
その時、私は初めて事態が異常な物だと気がついた。
いつの間にか私の背後に回っていた田宮書記が、窓を眺めていた。
その顔は見る見る内に青ざめ、目は驚愕のあまり大きく見開かれている。
途端、田宮書記はその場でしゃがみ込みながら、所かまわず嘔吐しだした。
私はそんな田宮書記に近づいてから屈み、なるべく優しく、刺激しないように背中をさする。
さすりながら顔を上げて、窓を通じていつもの青い空を見上げる。
そんなことをしても外で起こった――或いは今も起こっている惨劇がどのような物かはわからないのだが。
それでも、私はいつもの青く広大な空を八つ当たりのように睨みつけながら、汗が頬を伝う感覚を感じていた。
少しの間田宮書記の様子を見ながら、ある程度落ち着いてきた所を見計らい、私はすぐさま窓にかぶりついた。
その時見た光景を、私は未だによく覚えている。
正確に言うには――忘れられない、だ。
白い少女が、校庭の真ん中で立っていた。
それは、あまりにも普通な光景だった。それだけだったならば――
異常は三つあった。
一つは『彼女』を取り巻く世界だ。本来、運動部や体育の授業などで皆が汗水流す青春の地が、彼ら彼女らの真っ赤な鮮血で赤い世界に彩られていた。
そんな絵本でよく見る地獄のような光景――そんな世界の中央に、返り血一つ浴びずに少女が超然と立っているのだ。
それは、地獄に舞い降りた天使にも見えなくはない。だが、現実は全くの逆だった。
二つ目は少女が持つ、彼女の倍はあるだろう、見たこともない仰々しい兵器だ。
まるでそこらに落っていたガラクタを適当にくっつけたような鉄クズの塊。
それはものすごい勢いで、光の玉――陽の光みたいに煌めく球形の物体を次々と吐き出していく。
ここからでは視界が切れていて見れないが、校舎に向けて撃たれているそれらは、恐らく生徒を標的に捉えているのだろう。
止まぬ悲鳴がそれを物語っていた。
そして、もう一つの――異常。
白いワンピースに身を包んだ少女。
人目見て惹かれる端正で、幼い――それこそ天使のような容姿をしながら、そして同時に恐ろしいほど無表情な少女だ。しかし『それ』のせいで全く視線が顔に向かない。
その事に驚きと戦慄を感じながら、食い入るように『それ』を見つめる。
少女の背中に生えた――黒い翼。
夜のように漆黒で、陰のように黒く、そして闇のように優しい――両翼。
それは少女の背中から生え、天の光を浴びているかのように優雅に空中で風に揺らめいてた。
……堕天使。
私の脳内に一つの単語が浮かんで、すぐに消えた。
確かに、それは世に言う堕天使のように黒い翼を携えている。
しかし、私のこの瞳に映る彼女を、堕天使と呼んだのではあまりにも失礼だと……思った。
それは正しい言葉なのだろう。それでもそれは『正確』ではなかった。
私には、彼女が――巨大な光線銃を構える彼女が、この世に舞い降りた天使にしか見えなかったのだ。
少なくとも、この異様で、異常で、特異で、そして侵すことの許されない神々しさは、紛れもない『天使』であると、私は思った。
しばし呆然と『天使』の殺戮ショーを見つめていた私は、はっと我に返りすぐに今現在起こっている状況を正確に判断しようとして――
ーー背後で、もの凄い勢いで開かれるドアの音がした。
私がすぐに振り向き見ると、いつの間にか田宮書記がちょうど部屋を飛び出る所だった。
その勢いはすさまじいもので、兎に角この場から逃げようと必死なのが見て取れた。
そのあまりにも軽率な行動に私は嫌な予感がして、引き留めてこの場に留まるように説得しようとして――
――瞬間、世界が破ぜた。
それは本当にいきなりだった。
生徒会室の扉の向こう――先ほど田宮書記が飛び出した廊下側の壁が突如爆破したのだ。
その衝撃で揺れる校舎。さすがの私もその場でよろめき、すぐ側にあった私の机にもたれるように体重を預けた。
粉塵で薄白く染まる視界の中、私は誰かの人影を廊下の先で見た。
最初それは何とか難を逃れた田宮書記の姿だと思った。が、晴れてきた世界の先に佇む者は田宮書記ではなく――
「てん、し……」
そこにいたのは、数秒前まで私が見とれていた――廊下側とは反対の、校庭にいるはずの黒い翼の天使だった。
しかも、私はてっきりその場で立っていると思っていたのだが、本当は飛んでいたのだ。
黒い――漆黒の両翼を羽ばたかせ、空中で光線銃を構えて浮遊していたのだ。
そのあり得ない光景に――そしてさっきよりも近くで見た、何処か神聖めいた『天使』の姿に――私は心奪われた。
「……美しい」
私の口から飛び出たのは、恐怖による叫び声でも、絶望の断末魔でもなく、それは本当に、純粋な感動だった。
天使はそれを聞こえていないのか、それとも聞こえていて無視しているのか、銃の照準をはっきりと私に向けた。
それでも、私は、そんな天使の小さな『動き』すら見ほれてしまって自分の命が危ういことをすっかり忘れてしまっていた。
天使の持つ巨大な兵器の先端が、光を凝縮しているのかのように眩しい輝きを収束し始める。
もうじき、発射の準備が整う。そう頭の端で理解しつつも、私の思考は『天使』によってほとんど埋め尽くされていた。
もっと近くで、もっと側で、彼女を見たい。そんな自分でも常軌を逸した行動を取ってしまった私だが、それが幸をなした。
前に進んだおかげで、私の視界に今まで入らなかった『現実』が映る。
――それは血だらけで倒れる、田宮書記の姿だった。
頭から吹き出た血が廊下を、そして彼女の身体を赤に染めていた。
もう、動くこのない。死者と化した田宮書記委員。
それを目の当たりにした時、ようやく私の頭に血が通い、正常な判断が行動を促す。
――逃げろ……!
魂の叫びのように警告を放つ脳内に頷き、すぐさま行動に移す。
今、この場を切り抜ける方法は、一つしかない。
それは一か八かの賭。
失敗すれば命はない。しかしやらなければどちらにせよ死ぬだけだ。
それならばーーと、私はすぐさま身を翻して駆ける。
目標である窓にーー窓の外の世界に向かって一直線。
窓の外、校庭に出れば今なら校門から外に出られる。
何故なら、天使は今確かに背後で私を殺そうとしているのだから。
少しでも躊躇うことは許されない。最早振り向くこともできない。
だからこそ私は、何の躊躇いもなく、窓へ向かってダイブし――――――
「――――――なっ!」
ようとして、止まる。
そしてあり得ないはずの光景に私は息を飲んだ。
私は、思い違いをしていたのだ。
誰がそうだと言っただろうか――
誰もそんなことは一言も言っていない。
私が勝手にそうだと思っていただけ。
そんなことはあるはずないと、そう勝手に決めつけていただけだった。
確かに、窓の向こう側の世界に――私のすぐ背後にいるはずの天使が、こっちに向けて銃を構えていたのだ。
そう……『天使』は、一人ではなかったのだ――
その衝撃の事実に動きを止めてしまった私を、熱い衝撃が胸を貫く。
「は……ぁあ……がはっ……!」
自分の口から際限無く血が飛び出し、息を吸おうとすればするほど吐血が喉に絡み、詰まる。
最初は衝撃だけで自分がどうなったのかわからなかったが、腹に違和感があった私はそこに手を這わせ、理解した。
私の腹が、丸い円形に抉り取られ空洞を作っていた。
――ぐちゅぐちゅ
腹の中に納められた暖かく、そして柔らかい肉の感触に私は吐き気を覚え、その場で倒れ込み激しくせき込む。
激しい、灼けるような痛みが腹を中心に全身に広がり、そしてそれが一瞬で引いた。
最早痛みも感じなくなった私は、五感すらも朧気に感じつつも、霞んだ視界で最後に見た。
私を無表情で、そして何処か寂しげに見下す『天使』を――
私はそんな『天使』に、何かを残すために口を開く。
すでに開いているのかも、そしてちゃんと声を出せているのかもわからなかったが、それでも私は天使にこの思いを伝えたかった。
――ありがとう、と。
私の瞳に映る『天使』が本当に、僅かに、微かに、微笑んだように見えた――
それが、全ての始まりの日だった。
退屈で、平凡な日常は終わりを告げて、新たなる日常が降り掛かった日。
これが桜坂高校生徒会執行部会長、逢境陽介の『明日』が終わりを告げて、『今日』が始まった最初の日であった。
少しでもおもしろかったら幸いです。
どんな感想でも構いません一言だけでも頂けたら非常に嬉しくて悶え泣きます。