6話
「あら、ローラさん」
学会が終わり、講堂から出るところを後ろから声を掛けられました。
その声の主は初日にアユ様と共に仲良くなったアレクシス様でした。
「アレクシス様も参加されていたのですね」
「えぇこの武器軟膏の発想は私には無いものでしたのでいったいどういう理屈なのか気になりまして」
武器軟膏とは怪我をした人物にではなくその怪我を負わせた武器の方にこそ怪我を悪化させるミアズマを纏っているいるのでその武器の方に怪我を良くする軟膏を塗ることで回復を促すという手法でした。
………はい、
「まさかとは思いますけれどアレクシス様」
「いえ流石に…、けれど怪我をした人を二つのグループに分け武器軟膏による治療とそうでない治療を施したという実験で武器軟膏による治療の方が功を奏したのは何故なのでしょう?」
確かにそうなのです。先ほどの演者様はその理屈とともにそれを実証するための実験とその成果を朗々と語っていたのです。
とはいえ私も違和感を覚えていますし、他にこの学説を聞いていた先輩方はどこか呆れている様子で他の演題に関しては最低でも一つは質疑があったのですがこの武器軟膏の演目に関してはそれがありませんでした。
もっともこの武器軟膏の演者様はその様子を誇らしげに胸を張っていらっしゃいましたが。
「感覚的に間違えていると思っても私たちがそんな言い分をしてはいけないですよね」
「ええもちろん。けれど私も今、同じ気持ちですわ」
周りがそうと言っているからそれが正しいというつもりはありませんが、ここは高名なる学び舎です。当然、私なんかよりも知識の豊富な方がいます。それも一人二人といった話でなくたくさんです。違和感どころか答えに辿り着いている人だっているはずです。
その先輩方が何も口に出さなかったのは一体どういった理由からなのでしょうか。
「一つ、誰も知っている当たり前の技法だから
二つ、実験結果の偽証である
三つ、実験結果は正しいがこの論説は問題がある
さて新入生の君たちに分かるかんなぁ」
投げかけられた声の主は一月前にこの学び舎を案内してくれた先輩でした。
「おうおう、突然会話に割り込んですまんなぁ。ただあんまり可愛らしい会話が聞こえたもんでなぁ」
そういう先輩の様子は偽りなく気まずそうなご様子でした。
何かを知らない人に賢しら気に語る人は何度か見かけましたが、世の中にこのような方もいらっしゃるのですね。
その物腰の柔らかな態度に優しそうな印象を感じました。もっとも初日の行動を考えるに我が弱いというわけでもないのでしょうけど。
どうにもこの学び舎には癖の強い方が多い気がします。
「結果の偽証が一番あり得そうなところでしょうか。この名高き学び舎でそんなことをするような方がいるとは思いたくありませんが」
アレクシス様が嫌悪を露わに口にします。
私も最初にそれを思いつきました、それが故意的であれ不幸な事故であれ実験の治ったグループと治らなかったグループが入れ替われば治療用の怪我に塗る軟膏と武器軟膏どちらが効果があるというのも当然入れ替わるのです。
ですが、
「もちろんこの学び舎にもそういう輩は出てくるよぅ。どんな理由かは人それぞれだけんど、何よりもやれば出来るんだからそりゃあやらかす奴らはでてくるさぁ」
「それじゃあ……」
「だけんどこれはそれとは別だぁ。三択に入れといてなんだけんどこれは結果が正しくとも間違っていてても関係がなぃ、それ以前の問題さぁ」
…この先輩の性格の良さはひとまず横に置いておきましょう。
実験結果の正しさ自体は関係がない、質疑がなかった事で私はそう思いました。
そもそもこの学会においてどれほど完全無欠に見える論説だとしても質疑を問うことは一種のお約束です。
純粋に分からない点を指摘するにしろ、間違っていると反論を口にするにしろ貴方の論説には議論すべき値があるという賛辞を送っていることになります。
だからそれが行われないということは何かある。
と、入学したてほやほやの私に学会を見る際の注目すべきところとしてアユ様が教えてくれました。
だから私は純粋に疑問思っていたことを怒られると覚悟しながら言います。
「実験に用いられた傷を癒す軟膏に問題があったのではないでしょうか」
「……ほうほぅ。あれは巷では多く出回っている由緒あるものだが、何故その考えに至ったのかね?」
先輩の何かを考えるような返事の間に、今までの間延びしたような口調でないことに、息の詰まるような威圧感を感じました。
「私は父から人を癒す術を学びました。だから私はあんな蛇の糞やガマの油を使ったものが傷を癒せるとは思えません。
戦において鏃に土や人糞を付けるという話もあるというのに、いくら蛇が再生の象徴であるかと言って動物の糞が人の傷を癒すとは思えません」
お父さんの教えでは傷口に不浄のものが触れることがいけないことだと言っていました。
ならどうしてそんなものを材料にしたものが怪我を良くするのでしょう。
先輩は私を物珍しそうにのぞき込んでいます。
「なるほどなるほど、確かに学費免除を受けただけはあるのかもしれないなぁ。
この学び舎において起こった事象を広めるにはほかの生徒を納得させるだけの理由が必要になる。あの武器軟膏を証明するための実験は言ってしまえば患部にを塗らなかったグループと塗ったグループの対比にしかならない。
ではどうすればいいか分かるかね?」
「武器にすら軟膏を塗らない、何もしなかったグループを用意するべきだった……」
「その通りぃ、その上でどのグループよりも武器軟膏の処置を施した者たちの直りが良ければこの論の有効性を証明できただろうさぁ」
一つ先輩は溜息を溢しました。
「…とはいえあの演者は普段の周りへの態度が悪すぎだぁ。学び舎は素行の悪さなんか気にも溜めないが、だからといって接している人が何も思わないわけじゃない。
よほど頭に自信がなければ傲慢な態度は止めておいた方がいぃ」
先輩の言い分はもっともです。故郷の村でも勝手をすれば諫められるものでした。
しかしそれでは、
「正しいものも埋もれてしまう」
私の言いたかった言葉をアレクシス様が代弁してくださりました。
「……あぁそれは学び舎に集う者の誇りを信じてもらうしかないねぇ。もちろん、我々全員が間違えている可能性も否定はできない。
今までだって傲慢な野心家が幾人もここに来て成功した奴も失敗した奴もいる。けれどそのまま傲慢であり続けて成功し続けたものは一人しか知らない、それほど一人で多くの発明をし続けることは難しい」
「その一人って誰ですか」
そう口にはしても頭の中にはあの銀髪の麗人が浮かび上がっています。
「そりゃあもちろん学長様だよぅ、もっともあの人は傲慢というよりは自由というか悪い意味で天真爛漫というか。まぁ天才なんだろうねぇ」
コホンと、先輩が咳ばらいをし、
「とはいえそれでもやはり今回の論説は間違いだと断言するよぅ」
「もしかして新しい軟膏がここにはあるんですか?」
私の言葉に先輩は少し苦笑い。
「その問いに対してはイエスと答えるけんど、少し話が飛躍したね。まずはあの軟膏が使い物にならないことを実証するのが前さぁ。……考え方としてはね」
「……? 今までの軟膏がダメで新しく発明したってことですよね」
「違いますわよローラさん、今までの物がダメというのを広めて怪我の対処法を考えるって話ですわ」
「何か違いがありますか」
怪我に今までの軟膏を塗ったら良くない。
ならば新しいものの発見や発明、研究の結実を待つしかないような。
「そっちのアレクシスちゃんの方が目的をきちんと理解しているようだねぇ。
ローラちゃんはきっと頭の回転が速いからすこし足早に事を考えすぎてるようだぁ。ローラちゃんは例えばその新しい軟膏があるとして何のために使いたいのかな」
私は言葉に詰まりました。
質問の意味が分からなかったからです。
だって怪我を治すために塗る軟膏の使い道と言われれば怪我に塗るしか思いつきません。
「今、塗る以外にどんな使用用途がと考えているねぇ?
確かにその通り怪我に塗って使う物さ、けれどこの軟膏は物だから必要な人に売って金を稼ぐこともできる、世に出回っていない今なら自分が作ったと喧伝して名前を売ることもできるかもねぇ」
「あ!」
どうしてこんな簡単なことに気が付かなかったのでしょう。
いや分かってはいたのです、自分で今の会話で口にもしているのですから。けれど理解していなかった、実感できていなかった。
「気が付いたかぃ。言ってごらん」
「目的は新しい軟膏でなく人を癒すこと」
その通り。と先輩は私の頭を子供にするように優しく撫でてくれました。
恥ずかしい気持ちと悔しい気持ちがその手の暖かさに宥められていきます。
「私、お父さんに習ったのは人を癒す術だって自分で言ってました」
「なぁに人の目は二つそれも前にしか見えるようについとらんのだから、見落とすことなんて誰にでもいくらでもあるさぁ」
最後にポンと頭を叩くと先輩は笑って去っていくのでした。