20話
「では事の顛末を伺いましょうか、学長殿」
その部屋は事務長室と名乗るには狭くて簡素に過ぎた。
美術品といったたぐいのものは一切なく、あるのは実際に使っている実用品ばかり。応接室ではないにしろ花の一つもない様は殺風景と言わざるおえない。しかし机や椅子、棚が置かれている中、部屋の角から並んでいる金庫の数がここがただの執務室でないことを主張している。
学長と呼ばれる女は足を組み、ソファの背もたれに深くもたれかかっては事務長に問いかける。
「事の顛末、ね。どの事なのかとは流石に問わないが、私がそれを君に説明する義務はあるのかい?」
ここは学び舎だ。
この学び舎はこの学長のみによって作られたと言っても過言ではない。
この学長に人が集まり、より具合の良いように形を成していったのものがこの学び舎である。
だからこの女がここを去ればここはもう学び舎だったものでしかないし、この女が去った先で新しく人が群れればそこが新しい学び舎となるだろう。
つまりは彼女を除いてここの誰もが替えの効くものでしかない。
そんな人物が明らかに不機嫌な様子で質問を投げかけてきた。
それはこの学長という人物をよく知らなければ詰問されていると思ってもおかしくないものだ。
「義務はもちろんありません。しかしここの経営と金を任されている以上、それが脅かされるというのであれば聞く権利がこちらにはあるでしょう」
ひどく不機嫌に聞こえるが彼女の言葉はあの彼女の言葉は「面倒だから帰っていい?」という意味しか持たないことを事務長はよく理解していた。
「ふむ…、『初めてみるとまでは言わないが、なかなか珍しい症例だったのでね。できればこの記憶が鮮烈なうちに資料に纏めたいのだが』」
「物珍しい玩具が手に入ったからとそう浮足立たないでください」
ぐぬぬ…、とでも言いたそうな顔で学長は少し黙った。
「人なんていくらでも……「そりゃいますとも。けれどこの私ほどここを上手く回せる人を探すのは些か手間でしょうなぁ」」
今度こそ事務長の態度に目尻を掻くことで不快感を露わにしたが、肝心のその相手はそれに気付いているのかさえ分からないほど表情にも身体の所作にも動揺は見られない。
「しがない詐欺師の私をここまで重用して下さったのには感謝していますがね。貴女がいなければ此処が成立しないように、また私がいなければ今までのように成り立たないのも事実です。それは貴女の目的としても不都合なのでは」
「分かった分かったよ、降参だ。別に此処がなくなろうと構わないが惜しくは感じるだろうさ、何分都合が良いのだからね」
組んだ足を解き、少しは佇まいを直した学長はこう続けた。
「それで事の顛末という事だが、君の言う事というのはあの少女の事を指すのかな」
「えぇもちろん。貴女が時々遠征する事は珍しいことではありませんからね。それよりもわざわざ貴女の口添えで入学の枠を増やした子の話をお聞かせ願いたい」
事務長は何かを思案するように天井を見上げ、
「そもそもが分からないのです。彼女は普通の村娘と言って差し支えない、多少は知識を持つのかも知れないが此処でやっていくにはあまりもお粗末だ。今回の件がそれを証明しているでしょう。一体なぜあの娘を金すら取らずに招き入れたので?」
答えが返ってこない事が不自然な程度には静寂が続いた。
学長を見てみれば当の本人は背もたれに腕を掛け何処ともない中空を見つめている。
「…学長、聞いてます?」
「聞いてる聞いてるよ、ただ何処から話したものかとね。…端的に言えば偶然目についたからだよ」
「恋をしただなんて言いだしませんよね、まさか貴女が」
思いもよらない言葉に事務長は意表を突かれた。
そもそもが恋心どころかまとも人の情さえ持っていると思っていなかったのだ。
それが自身の権限を使って近く置く理由を作ったとなれば邪推するのも無理はない。
「その言いぐさは少しばかり腹が立つな。とはいえ違う、性的嗜好に合っていたという意味合いではない。あれの入学時のテストの回答を見たことはあるかい」
「いいえ、専門的な知識がありませんからね。見たところで分かりませんので」
「見事に迷信と過去の間違った解釈ばかりだった。それでいて面接の記録には自身の村では随分と頼りにされていると書かれているじゃないか」
商品を売りつける状況でその商品の悪いところを挙げるわけがない。
もちろん良いところだけを語ったところで何か裏があるのではないかと疑い深くなるのが人間だ。
そういった駆け引きの類には事務長は自負を持っている。
「なるほど、分かってきましたよ。いつも通り面接には私も立ち合いましたからね」
事務長には学び舎の学生たちが探究し続けているような知識はない。
だというのにこの学び舎の采配を任されている理由は資産を運用する手腕と人を見る眼には余人と一線を画する才にあった。
人の嘘を見抜き、人の欲を唆し、人の感情を引きづり出す、総じて人の心を操ることがこの事務長と呼ばれている男には出来る。
それでいてなお……いいやだからこそだ。学長は得体が知れず気持ちが悪い。
「ふぅむ、いやしかしあの娘が嘘ついているようには見えなかったのですがね」
「ははっ、じゃあ彼女も人の心を持たない人でなしかい?」
「まさかあの娘はどこにでもいるような村娘ですよ、大概の人が常識だというような善悪の基準と倫理観を持っている。そのどちらもがズレているあるいは持ち合わせていない貴女とは全く違う」
それは残念と学長は肩を竦める。
「今期は私を出し抜ける輩などあのマユリア商会のクソガキくらいだと思っていたんですがね。これは天然ちゃんにはしてやられたかな」
面接の受け答えはすべて記録が残されている。
そしてその記録には事務長から見たコメントも追記されることがある。虚言や隠し事、あるいはその人物の危険性や有用性など、人によっては本来筆記と合わせて判断されるべきなのにすでに入学が決まっていることやその反対もある。
人を視ることに長じている事務長だがそれでも苦手なものはいる。
その筆頭は言うまでもなく学長のような人でなしだが、その他に嘘を吐いている自覚の無い者だ。間違ったことを言っているにしろ本人がそれを知らずに本当の事を語っているつもりであるならばそれを悟ることは不可能だ。
これが商談であれば他の判断材料からもそういった勘違いを排除できる。
がしかし今回のこれのような状況であれば情報が少なすぎる。ましてや、
「私は何度でも言いますけれどね。貴方たちが作っているこのテストの正答率でふるいにかけては駄目なのですか」
「駄目だ。それでは私達とは別のパラダイムを持つ者を見落としてしまう」
のらりくらりとこの場を適当に納めようしていた先までの言とはうってかわってだった。
「もちろんただの白紙回答なら切って捨ててくれて構わないよ。重要なのは私を満たしてくれる知識を持っていて尚且つそれを開示するつもりがある事だ。何も書かずにあのテストを返すのであれば自分の手の内を出す気などないのだろうさ」
「制作も採点もパンドラの人員が担っている理由はそこですか」
「その通り、あれらは私と似ている者を集めているからね。個々人に知識の差こそあれど目的は同じはずだ」
ところで、と学長は気恥ずかしそうに頬を掻いた。
「そのパンドラという呼び名は一体いつから、どうしてそんな名称が?」
「あぁ、それは私が便利良くするために決めて広めました。貴女たちの訪問や知恵を借りたいという話をよくされるものでね、その度にあの人たちとかあの集団というものなんですので」
「なるほど、では君のセンスか」
「いいえ、先ほども申し上げましたが私は決めただけです。貴女たちは各地でバラバラに呼称されていました、それを一つにまとめただけですよ。とはいえ貴女たちを表すに丁度良いと思いますよ、後に残るものが幸か不幸か分からない点も含めてね」
学長はまだ何か言おうと口を開けかけるが、面倒になってやめた。
そう、とだけ言い残し話は終わったとばかりに立ち上がる。
「一応確認なのですがね、来年はあの娘は特別枠でなくてよろしいですよね」
「ん、あの娘?……あぁ、もちろん」
その歯に物が挟まったような言葉は事務長にある予感をもたらした。
学長は新たなる知識や知恵にこそ興味を持っている、つまりはあの娘自体には興味がない。
興味があるものにはそれこそ自分の身すら顧みないがそれ以外のものには途端にズボラになる。
こと空振りに終わった今回の件。すでに学長の中ではあの娘は興味の対象から外れているのだろう。
だからだ。
「あの娘は今どこに」
大きく背伸びをして凝り固まった背中を伸ばしながら学長はおざなりに答える
「さあね?」




