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17話

「君は?」


 手斧を振り上げた手を下すこともなく学長様は私にそう問いかけます。

 その言葉は短く、意味合いをどうとでも受け取れるようなものでしたが、不思議と学長様の言葉は単純に名前を問われていると分かりました。

 私にとっては学び舎で一言二言でも話せたことが特別であったとしても相手にとってはそうでもない。

 そんな当たり前の事に少し胸が痛みました。


「ローラ・ローズです」

「あぁそうだそうだ、ここの始まりの子だ」


 始まり?

 その意味をすぐに思い当たれず言葉が出ません。


「ここで会ったよね? ちゃんとお使いを果たしてくれてありがとう」


 こんな状況でもなければ舞い上がりたいお言葉です。

 けれどそうではない。

 もし今私が思い立っている意味の言葉ならそれは否定しなければなりません。

 私じゃない、私が…いや私は!


「違う、違います、私が始めたわけじゃありません!こんな酷い……地獄は!!」


 それは止めどないものでした。

 こんな地獄の始まりだなどとそれはさすがに受け入れられません。

 私はこんなことがしたかったわけじゃない、こんな有様にしたかったわけじゃない。


「……どうやら誤解があるようだから訂正しよう。始まりの子と言ったのはうちと今回の機会を繋いでくれたという意味でだ。君がこの現象を引き起こしたなどとは考えていない」

「現象…?」

「嘔吐、熱発、皮膚の黒変から壊死、そして生命の終わり。この一連のことだ」


 学長様は興味もなさそうにそう答えます。


「さあもう分かっただろう? 早く離してくれないかな」


 何を分かったというのか、私にはさっぱりでした。


「……分かりません」


 それは酷くか細いもので、学長様には上手く伝わらなかったことでしょう。


「それが…それがどうしてこの人の足を切ることになるんですか!!」

「分からないな、君も切り落とそうとしていたのではないのかね?」


 答えられる言葉はありません。事実その通りでしたので。

 確かにあの時、おかしくなっていた私はそれをやろうとしていたから、それさえなくなれば治るとたいした根拠もないのにも関わらずそう信じきっていたのです。

 ですがどうして学長様はそれが分かったのでしょうか。いえ鋸があの場に投げ捨てられていて学長様にとってこの行動が自然のものであるならば……。


「あの時の私は正気を失っていたんです。いくら悪そうな状態だからといって、その手や足を切り落とせば治る?そんな馬鹿な話があるわけがありません」


 怒られるのを怖がる子供のように俯きながら、どうにか言葉を絞りました。

 「何を馬鹿なことを、人を治す立場の者がそんな錯乱をしてどうする」と叱責が飛んでくるものだと身が硬くなる。

 けれど返ってくるはずのものが何も来ませんでした。

 沈黙に耐えられなくなり、こわごわと顔を上げると学長様と目が合いました。

 私はその瞬間に一つだけ理解しました。きっと彼女はこう言うのでしょう、


()()()()()


 仮面の下で顔が見えなかった他の方々もこの言葉を発した時、きっとこんな目をしていたのでしょう。

 こんな…汚らわしいものを忌避する冷たい目を。


「見ろ」


 あの人はそれでもせめてまだ務められる仕事を与えてくれて、あの人はせめて最低限に形になるようにしてくれた。


「痛い…、痛いです、やめて」

「見ろ、これはお前が作り上げた光景だ」


 学長様は手斧を持っていた手で私の頭をむんずと掴んで現実を突きつけて……くれました。


「違う違う…、だってさっき学長様だって言ってたじゃないですか。私がこんな地獄をつくったんじゃないって、私のせいじゃないって!!!」


 目の前にある光景が変わったわけじゃない。

 熱に魘される人、便を垂れ流す人、黒変した皮膚の疼きに耐えかねる人、吐瀉物を詰まらせかけむせ返る人、どっちを向いてもどこも見てもこの場には苦しむ人であふれている。

 違う違うちがう私のやりたかったことは、本当に私がやりたいことは、


「…っここは!私がここに来る前からそうだった!!私がこうしたんじゃない、私は関係ない!!!」


 叫びは建物に反響し、それが消えた後には耳が痛くなるほどの静寂が宿りました。

 そして私の慟哭ができたのはたったそれだけです。


「いいや、それは間違いだ。始まりが君でないのは確かだ。けれど、君が医を掲げて携わったのならそれからあとは君の咎で君の責任だ。

 この青年だが、もしかすると君が着た頃にはまだ元気だったんじゃないか?君がこの事態を収束できていればこんなことにはなっていなかっただろうね」


 学長様は目の前のベッドに寝そべっている男性が見えるように私の頭を向けさせます。

 どうして今まで気が付かなかったのでしょう。

 今まさに学長様が斧を振り下ろそうとしているのは私をここまで案内してくれていたターレンさんでした。


「こ、この人が私に…、助けてって」

「そう。そのままこの村を離れていればこうなることもなかっただろうに不運だったね」


 そんな言い方はあんまりです。

 彼はこの村を救いたくてあんなにボロボロになるまで街でお医者様を探していたのです。確かに私は無力だった、けれどそれならなんで…なんで!!


「そこまで言うならどうして…、どうして学び舎が最初から動かなかったのですか」

「学び舎は君が考えているような病に臥せる人を助ける集まりではないよ。そんなことは医者にでもやらせておけばいい」


 私は学長様は助けに来たとそう思っていました。

 けれど学長様はそうではないと言っている。

 なら何をしにここへ、いやそれどころかそれならこの村の人たちは助からないの?

 私にもう邪魔をする気力が残っていないことを察してか、学長様は斧で彼の腕に狙いを定めました。

 この病を治すことができない、けれどこれだけは伝えなければならない、それが振り下ろされる前に。


「その人は海の男なんです。腕でも足でもなくなれば漁に出ることができなくなってしまいます、どうか切り落とさずにいられませんか」


 私にとって…、いえターレンさんにとってとても大事な事。

 どれだけの思いがこもっているのかは私にも分かりません。

 学長様にそんな思いは届きませんでした。


「腕を一本落として生きるか、このまま死ぬかだ」

「だとしても本人の話も聞かずに…!」

「言っただろう、これは不始末の後処理だ。本来、私たちはここにはおらずこの村の連中はみんな死んでいた。こちらの落ち度だからね、命は助けてやる。あとは知らない、気に入らなければ後で自分で死ねばいい」

「そんな…そんなの、あんまりです!!」


 誇りに思っているものを勝手に取り上げるだなんて行いはどう考えても間違っています。

 せめてターレンさんご本人とよく話し合うべきです。

 ただ…それは…



「何でも自分で選べるなんてのは聞こえがいいけどね、時には()()()()()()を理由に諦めるの方が幸せな事もある」

「それは学長様が決めることではないと思います」

「もちろん、だから私は私の傲慢で彼の命を救おう。だからきちんと生き残ってから誇りに殉じて死ぬか、誇りを捨てて生き汚く生きるのか決めればいい。

 少なくともこんな生死の狭間を彷徨っている時にそんな大事なことを決めるべきではないよ」


 そう言う学長様からは哀れみも諦観も優しさも何も感じられませんでした。ただただいつも通りで、まるで感情というものが見えません。

 あるのはただこの目の前に臥せっている人の命を救おうという()()だけ。

 これはきちんと考えておかなかった私の罪だ。

 何をすればいいのかも、何をしたいのかもよく考えないまま聞こえの良い目標を掲げてふわふわと動き回った。だから手に負えなくなった時に簡単に放り出そうとした、逃げようとした。降って湧いた幸運に簡単に縋りついた。

 もっと自分が何をするべきなのか何をできるのかそして何をしたいのかを良く考えるべきだった。

 今の私にあるのはこの病気を治してほしいでもこの人の誇りも守ってほしいだなんて自分では叶えることもできない我儘だけ。

 実現できないからと言ってこのまま学長様達を手伝えるほど私は感情を殺せませんでした。

 だから……逃げました。

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