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16話

「やめて!!何をするんですか」


 私は思わず学長様の腕にしがみつきます。

 学長様の手にある手斧が振り下ろされることのないように。

 目の前に横たわっている人を傷つけさせまいと。

 学長様は無理にそのまま斧を叩きつけるつもりはないようで静かに私を見下ろしてきました。

 思わず見つめあうことになった彼女の蒼い瞳に呑み込まれるような感覚を抱きながらも、いったいどうしてこんな事になっているのか頭を巡らせます。


 学長様の伝言を届けるために村の入り口まで走ると、そこには丁度辿り着いた具合の集団が馬車から降りているところでした。

 その中にあの浅黒い肌の先輩を見かけたことでその方たちが学長様が仲間と仰られていた方達なんだと分かりました。

 学長様の言葉を伝えてからの彼等の行動はとても機敏なものでした。荷物の中から全身を覆う服装を取り出しては着込み、更には分厚そうな革手袋を身に着け、頭からにすっぽりとマスクを被る。

 ただ一人の知己であった浅黒先輩を除いて、ただでさえ知る顔がいないその場にいた誰もがどれが誰か見分けすらつかなくなりました。

 

「…ったくいつ着ても窮屈だなぁ、これは」

「別に嫌なら着なくていい」

「冗談、冗談ですよ副学長。旗色は黒でしょう、着ないわけないでしょう」

「そうか、献体が増えなくて残念だ」


 会話の意味はよく分かりませんでしたが、浅黒先輩の言葉に周りが笑ったところを見るとそれはきっと面白い言葉遊びだったのでしょう。

 浅黒先輩が副学長と呼ばれる立場だったことにその時初めて知りました。


「さてとそれじゃあ道案内も任せていいのかなお嬢ちゃん」

「ローラです。一度学び舎の中で会っているのですが覚えていませんか」


 私としては忘れようもありません。

 記念すべき入学の日で楽しい事の連続が始まった素晴らしい日、そして学長様に出会えた日。

 副学長様がマスク越しに私の顔を覗き込みます。

 鳥…を模しているのでしょうか、妙な形のマスクの無機質感に少し怖くなってしまいました。


「覚えていない。何か学び舎関連の事で話でもしてたんなら俺じゃなくて事務長の方を頼りな。見ての通り俺は忙しい」

「いえ、そういうのではなく。入学の日に道に迷っていたところを助けてもらったんです」


 入学…迷子…と、口の中で反芻し、やがて思い当たった様子で声を上げられました。


「おお!あの時の小娘か。そう…そうだ、学長に目を掛けられていた奴か」

「いやそんな、別に私は」

「いいや、お前がそう謙遜する必要はない。『なるほど』今回の件も合点がいった」

 

 正味なところ、私に向けて話しているわけではないのでしょう。

 副学長様が話している後半部分はほぼ独り言のようでした。

 私には副学長様が何にについて合点がいったのか知る由もありません。けれど何か大きな間違いを犯している時に過る、霧の中に一人取り残されたような不安を抱きました。



※※※



 教会まで案内をすると、彼らがまず始めたのは掃除でした。

 それも異常なほど念入りに。


「あの、こんなことよりも先にするべきことがあるんじゃ」

「これも大事な治療の一環だよ、お嬢ちゃん。こんな不衛生なところに押し込んでおく方が体に悪い」


 周りの流れに流されるように私も掃除を手伝っていますが、焦りからふと溢した言葉を近くにいた誰かが答えてくれました。

 というかもはや誰が副学長であるのかも私には分かりません。

 とはいえ、元々だってここは十分に綺麗していました。

 治療の一環と言われても納得しかねます。


「若いねぇ」

「確かに私はここにいる誰よりも年下でしょうけれど…」

「言葉の綾だよ、大人だってなら不服そうな態度くらい隠しな」


 ……そう言われては返す言葉もありません。

 それこそ子供じゃないんです、嫌なことがあるたびに癇癪を起こしているわけにもいかないでしょう。

 この掃除が一段落着くまでは完ぺきにやろうと心に誓います。

 この意気込みの勢いのままに誰もが手を出すの嫌がるような悪臭のする便の桶に手を伸ばしたその時でした。


「やめとけ」


 先ほどの方が私の腕をがしりと掴んで止めたのです。


「そうだな……、もうお嬢ちゃん一人じゃないんだ。自分たちがいる。お嬢ちゃんはもう帰ってもいいんじゃないか」

「そんなわけにはいきません。私が始めたんです、私には最後まで見届ける責任があります、たとえどのような結果になるとしても」

「そんなものは存在しない、ただの思い込みだ。率直に言おう、邪魔なんだ出て行ってくれ」

「嫌です」


 私が助けを求められ、私が治療し、私がこうしてしまった村なのです。

 そんな私が逃げることはやっぱり駄目です。

 ついさっき逃げようとした私が何を……、だなんて私が一番思っています。

 頼れそうな人が助けに来てくれたから安心した?

 一人じゃないから気が大きくなっているだけ?

 そうです、その通りです。

 どう揶揄られようと仕方ありません……それほどひどいことを私はしようとしたのです。

 私はもう逃げません、逃げたくないのです。


「……はぁ、わかったわかった。『なるほど』、責任感の強さは一丁前に持っているみたいだな。なら外で灰の湯と湯冷まし作りを手伝ってこい。掃除は手が足りている」


 桶に伸ばす手にさらに力を込めたところで、先に根負けしたのは相手の方でした。

 掃除を手伝わなくて良い理由を挙げられ、別の仕事を振って下さっているのですからそれを断る理屈はありません。

 私は彼の言葉に従いました。

 火を焚き、水を沸かし、木灰を混ぜる。

 何故こんなものを作っているのか、それすら知りません。

 掃除やこんな訳の分からない物を作るよりもっと他にやるべき事があるのではと不安が募ります。

 ……いいや逃げないと決めたのです。せめて仰せつかった事くらいはやり遂げましょう。


「水を汲んできてくれ。あればあるだけいいんだ」


 水を汲み、水を汲み、水を汲む。

 川と水を沸かしている釜を幾度か往復しただけで腕が千切れそうなほど痛みます。

 ほどなくして、


「目標量の調製完了、つぎは先の人員に合流する形で患者の対応に回るぞ。……それと嬢ちゃん、とりあえずだがこれでも付けときな、無いよりはましだ」


 と、手袋と大きな布を渡してくれました。


「これは…」

「はぁ、顔の下半分を覆うように巻いておけ。……あぁ手袋はちゃんと手に履くんだぞ」

「そ、それくらいは」


 手袋くらいは使い方を知っています。

 とはいえ布の方は分からなかったのは事実で…、思わず知っているとついて出そうになった言葉は尻すぼみに消えていきました。

 口を隠すように巻き頭の後ろで結ぶも、布を取り上げられそれを半分に折り、鼻を覆いかぶさるように巻かれ頭の後ろで再度留められました。

 布が二重に口と鼻を覆って少し息苦しい感じがします。


「慣れろ」


 何を抗議したつもりもなかったのですが、先に釘を刺されました。


「あのこれは一体どんな」

「自衛だよ、本来は俺たちのように全身を覆う方がいい」

「そんな、病は剣や弓矢とは違うんですよ。こんなものじゃ」

「あぁそうかもしれないな。が、そうじゃないかもしれない」


 どうしてでしょうか。

 肌を出すことなく全身を覆う服を纏っていて当然顔だって見えていないのに。

 この人はきっと、笑っている。


「楽しいよな。もしこの状態の俺が病に罹れば少なくともこんな皮でできた服じゃこの病には防護にならない可能性が出てくる」

「何がそんなに楽しいのですか」


 先ほどから学長様のお連れの方々と話していると違和感が沸いてきます、それもえもしれない恐怖を伴って。

 何を楽しいと思うかなどその人その人によって違うなんてことは当たり前の事なのですが。

 それは分かっているというのに、なんなのでしょうかこの不安は。


「未知が既知に変わるのが、だよ。その既知を初めて知ったのが俺だと胸を張って言えるなら極上だな」

「死人がでているんですよ、この病に冒されたら死ぬかもしれないんですよ」

「命の危険があると理解したうえで俺もお前もここに残っている。そうだろう? 結局は同じ穴の狢だと思うんだがね」


 違うと私は即答できませんでした。

 私が死ぬかもしれないここに残り続けようとしている理由は何?

 助けを請われたから?

 後に引けなくなった? 

 ただ苦しんでいる人を助けたい?

 そんなものは少し前にほっぽり出して逃げようとした時点でここに残り続けてる理由になりません。

 やはり助けがきてなんとかなりそうだと思っているから残っている、そんな卑しい考え方が1番しっくりくる自分に嫌気がします。

 だとすれば私はまたどうにもならなくなりそうになったら逃げるのでしょうか。

 何とも簡単に逃げる自分が想像出来てしまいます。

 ……ただそう、例えこの場の全員がこの病に冒されようとも学園長達は最後まで居続けるのだろうとそう思います。

 えぇ、私は彼等のことは何も知らないのですからこれは私の勝手な妄想でしかありません。

 けれど思わずそう考えてしまう、不気味な印象を彼らから受けたのです。


「そろそろ患者の選別も準備も終わって忙しくなる頃だ、ほれ」


 教会の方を見て様子を確かめると腰についていたポーチを一つ外し、私の方に放ってきました。

 急に投げられ焦ったものの何とか取り落とさずにつかむことに成功します。中には鋏が一本と巻かれた布がポーチいっぱいに入れられていました。


「まだ手伝うというなら必要になる。足りなくなれば周りの奴からまた貰え」

「これだけあってまだ足りなくなるのですか?」


 思わずといった様子でしょうか。面につけられた視覚用のレンズが私を捕らえ、数舜止まりました。


「……『なるほど』」


 ここにきて何度目かのなるほどです。人の口癖もうつると聞きますし、もしかすると学長様の口癖だったりするのかしらと考えてしまいます。

 何か私には足りていない知識があるのでしょうか。それこそ呆れられて言葉を一瞬でも失ってしまうような何かが。


「そんな量じゃまったく足らんさ。しかしそうか、そういう様子ならお前はまず慣れることだな。教会の中に入って率先して学長達を手伝うと良い、そこが一番過酷だ」

「過酷…ですか」

「そうだ。手を出すのに臆するようなら、せめてただ見ていろ」


 その時にこの方が慣れろと言ったのが、布で口を覆っている息苦しさと慣れない仕事に対してだと私は思っていました。

 それは違った。違ったのです。


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