12話
薬屋で出会った男性、ターレンさんに連れられてやってきたのは海の見える閑静な村でした。
じりじりと頭を焦がす太陽、偶に届く海からの独特な匂いと質感を運んでくる風ががとても心地よく感じられます。
村の大きさは私の故郷の村と大体同じくらいの規模。村の中を大分歩きましたが未だに人は見られていません。
「日中は皆さん漁に出ているんですか」
「あぁ大体の男はそうだ。流石に村長や鍛冶屋までは違うがな」
それはそうでしょう、とは流石に言いません。
ここに来るまでは幾分か落ち着かれたターレンさんでしたが目的に近づくにつれて気が急いてきているように見受けられます。
私の故郷の村でも大の大人を遊ばしておく余裕などなかったので日中村に人影がないのは当たり前のこと。
……だと思っていました。学び舎に来て驚いたことの一つは街中を歩けば真っ昼間から酒瓶を片手に路上を闊歩しては千鳥足になっている人がいたことです。
働かなくても生きていけるほど豊かになるのはとても幸せなことだと思いますが、お酒を口にしながら街中を当てもなく放浪していたあの人の目は幸せそうには見えませんでした。
「それでは患っている方々は今どこに? 教会でしょうか」
小さな村でも、いえ小さな村だからこそ熱心に信仰を捧げている人が多くなります。
嵐や雷、飢饉、日照りに獣。ここならそうですね、きっと不漁や海難事故もでしょうか。
そんな人の力では抗えないことに人がどうにか免れるように祈るのです。
小さな村では本当の意味でそれくらいしかできないから、せめて今以上の不幸がやってこないように。
ここが大きな国の大きな都市であればそれらに備えることもできるでしょう。
けれどそんな蓄えなどできる余裕があるとしても、その恩恵を受けられるのは限られた一部だけ。国の王様やその周りの偉い人々、大きな都市に住んでいる方々もその恩恵にあやかれるのかしら。
えぇ私が考えるように過不足なく蓄えを供給できるのならまだ幸せでしょう。けれど実際はより権力を持つ方々がその不安を癒せる分だけを余分に確保しているのいうのだから憤らずにいられません。
なら各々の村で備えればいいんじゃないかって?
そんな災害に備えるためにと大きな都市がかき集めているのは私の故郷やここのような小さな村々からです。
『小さな』というのは規模の話じゃなくて、有体に言ってしまえば力の大きさの話です。
税っていうのは実はただ毟り取っていくものじゃなくて、か弱い私たちが困ったときに助けてくれる対価なんですよ、知っていました?
私は知っていましたよ。実際に彼らが助けてくれたことはどんなに困っていてもありませんでしたけどね。
「そのはずだ。僕が医者を探しに出ていった時から変わっていなければだけどね」
「体調の悪くなったお父様から同じような症状の人が増えいき教会にまとめたという流れでしたよね」
病魔というものもそんな人の力では抗えないものの一つで神様に頼るもの、医者のいないところではそれが当たり前なんだとお父さんが言っていました。
たしかに嘔吐や下痢、熱にうなされる様や繰り返される咳、そういうことが人には起こりうると知らなければ悪魔や呪いのせいだと考えてもおかしくありません。そうなれば頼る先が神様になるのは自然な話です。
この話をお父さんから聞いた時に私は聞きました。
『教会の神父様なら治せるの?』
『できないよ。敬虔な彼らの現実は聖書の中にあるからね、祈りが届けば治る届かなければ治らない。要するに彼らは何もしない』
この時のお父さんの顔がひどく印象に残ったのでよく覚えています。
何かを諦めたようなそんな表情。
「そうですか」
「どうしたんだい?」
思わず低くでた声にターレンさんが訝しみました。
単なる過去の重ね合わせです、分かっています。けれどこれはきっと過去にお父さんが為せなかったことへの意趣返しになるのではないでしょうか。
そう思うと俄然、力がみなぎってくるのです。
「いえ大したことじゃないです、本当に。……絶対に治してみせます」




