【03】暗黒騎士レナザムド VS 従者トアル③決着
「吠えたな贋勇者!」
僕の宣言が聞こえたのだろう、さらに怒りを上乗せした長槍の切っ先がもう数歩先の位置まで迫っていた。
まともに喰らえば当然、革鎧などあっさり貫通しての串刺し確定だ。
だから僕はそこで腰を直角に曲げ、思い切り頭を下げた。
「な!?」
その動きで荷袋上部の天蓋がべろんと前方に垂れ下がる。
そし暗黒騎士の槍が向かう先は、露わになった荷袋の内部だ。
「なんだ、これは──」
いま僕の位置から内部は見えないが、暗黒騎士のリアクションは僕がそれを初めて見た時とほぼ同じだった。
──そこには、彼の鎧よりなお濃くて深い、真の闇が広がっているはず。
「くっ、離せっ!」
その闇にずるずると呑み込まれていく槍を引き戻そうとして、暗黒騎士の両脚に力が込もる。それが、頭を下げている僕にはよくわかった。
「このっ!」
このままでは埒が明かないと判断したか、中腕の黒い双剣で荷袋の下の僕に斬りつけようと暗黒騎士が構えた瞬間──びゅるびゅると奇妙な振動が僕の背中に伝わる。
「なんだ、これは! いったい、何を飼っている?!」
暗黒騎士の、さっきよりだいぶ切迫した声を尻目に、僕は好機とばかり【浮揚】を解除しつつ、両腕を肩紐から引き抜きざま暗黒騎士の股の間をくぐって、背後へと回り込む。
瞬間、見上げた横目にちらりと映ったのは、黒剣にからみつく紅くて長い舌のよう何か。ちなみに、それが合計三本まであることを、僕は知っている。
「冒険者協会指定、神話級稀少秘宝──【暴食の荷袋】」
暗黒騎士の背後で荷袋の正式名称を告げながら、僕はその広い背中の半ばに、両手の平を優しくそっと押し当てた。
「……なんだと……」
絶句する暗黒騎士。まあ、冒険者協会なんて組織はとっくの昔に魔蹂将の手で壊滅済みだけど、定められた各種の標準には未だに権威が残っている。なにかと便利だからね。
「荷袋は秘宝が大好物でね。天蓋を開けたら最後、近くにある秘宝はかたっぱしから貪欲に収納するんだ」
彼が必死に引き離そうともがく背後で、僕は淡々と解説しつつ、両手から【冷却】の魔法をダブルで放出し続ける。鎧の中は、もうキンキンに冷え頃だろう。
神話によれば魔族の始祖は、世界の北端に連なる魔山嶺の火口、マグマの底から生まれたとされ、そのせいか魔族は一般的に寒さへの耐性が低い。
もちろんこれで倒せるとは思っていない。だからこそ自動迎撃も僕に反応しないのだ。
けれど鎧の中身が僕の予想通りなら、それなりの効果はあるはず。
「……で、収納品の出し入れふくめ、荷袋は自身が認めた『所有者』の命令しか聞いてくれないんだよね……」
ちなみにその所有者は僕でなくて、僕にとっての主人でもある勇者リュクトその人だ。彼の僕へのはじめての無茶ぶりが、「荷袋を背負って付いてこれるなら、従者にしてやってもいい」だったことを思い出す。
「う、お──おおのれえええ!」
怒りと憎悪と──そしておそらくは寒さに震える雄叫びを上げながら、暗黒騎士が後方に跳躍して離脱するのを、僕は真横に転がりながら避けた。
そのまま荷袋に駆け寄り、天蓋を戻しつつはみ出した三本の舌も内側に押し込むと、【浮揚】を発動させつつ背負って立ち上がる。
そして、すかさず暗黒騎士の状態を視認。
初手で下敷きにした右下の手と、槍ごと荷袋に呑み込まれた左下の手は肘から先が手甲ごとない。しかし、そこに覗くのは腕の断面ではなくて、なにもない空洞だ。
迎撃時しか動かない上腕もあわせて、彼が六本腕の異形の巨人ではなく、巨大な鎧を内部から魔力で操る「魔鎧使い」だという僕の予想が裏付けられる。であれば、鎧さえ破壊できれば勝機はある。──まあ、鎧破壊がいちばん難しいのだけどね。
中段の手の黒い双剣が見当たらないのは、舌に奪い去られたのだろう。その手ぶらになった中段に、上腕の迎撃用手斧と円盾を持ち替え──ようとして彼は、寒さに操作が狂ったのか盾の方を取り落としてしまう。
忘れてはいない。相手は、素手で石像の頭を粉々にする剛力の主だ。まともにやり合えば相手にならないことはわかっている。それでも。
──いま、ここで決める!。
僕は【浮揚】の出力を上げてさらに重量を軽減しつつ、前傾姿勢で暗黒騎士に向かい一直線に駆け出していた。
「クッ──!」
兜から洩れる短い嘆息。手斧をかまえて迎え撃つ彼はしかし、再び荷袋の口が開く可能性を考えてしまい、下手に動くことができないのだろう。そこに。
「喰らえっ!」
僕はショルダータックルの体勢で突っ込む。
最後の踏み込みに【増強】を上乗せしつつ、同時に【浮揚】の出力を抑えて重量を上げた背中の荷袋を、暗黒騎士にぶちかます!
受け止めようと身構えていた暗黒騎士は、想定以上の大質量の直撃を受けてたまらず背中から石畳に倒れ込む。
荷袋と共にその巨体を押し倒した僕は、そこで再び【浮揚】を調整した。
そう、解除ではない。荷袋本来の凄まじい全荷重をもってしてもこの鎧を砕くことはできないと、右腕の手甲で実証済みだ。だからここで僕が使うのは。
「【浮揚】、反転──」
日々、【浮揚】の微調整を繰り返すなか、出力を弱めることで重量を増やす、という操作の応用としていつの間にか使えるようになっていた派生魔法がある。
それはいわば器用貧乏の向こう側──冒険者協会なきいま正式な認可は受けられないけれど、おそらくは僕の固有魔法だ。
「──【加重】!」
瞬間。周囲の空気が透明度を増して、視界に映るすべての色が鮮やかに変わったのと同時に、荷袋に猛烈な、支え切れない下向きの力が発生する。
ただでさえ凄まじい荷袋の素の重量が、僕の魔法で瞬時に何倍にも増大したのだ。
しかもこの魔法、実際に試すのはまだ数度目で、さすがの器用貧乏も微調整ができない。
発動したら最後、僕の魔力が尽きるまでひたすら最大出力なのだ。
石畳と荷袋に挟まれた鎧がみしみしと軋む中で、騎士の黒い兜が転がり落ちる。僕の胴まわりぐらいはある首穴から、青白い何者かがするりと這い出していった、次の瞬間。
──ずん、というシンプルな音とともに、暗黒騎士を中心に石畳が陥没し、巨大なクレーターが出来た。そして深い深いその底で鎧がぺしゃんこに潰れたのと同時に、僕の魔力も底をついていた。
超加重荷袋は、ただ凄まじく重いだけの荷袋に戻っていた。
「終わ……った……」
呟きながら、魔力切れでびくとも持ち上げられない荷物から腕を抜き、ふらふらと立ち上がる僕。
その前方で膝を抱えぶるぶると寒さに震えているのは、銀緑色の髪と病的に青白い肌をした、僕と変わらない年齢の少女だった。
彼女の髪からのぞく耳の尖った先端と、額の真ん中に生えた小さな角、そして作り物じみて見えるほどに整った美貌が、ただの人間ではないことを主張している。
だから実年齢は、凄く年上かも知れないし下かも知れない。
「くっ、ここ殺せっ、おおおまえのかかちちだっ」
がちがちと歯を鳴らしながら彼女は言った。兜を通さない素の声は、すっかり少女らしいものになっている。
僕は中古剣の柄に手をかけつつ、ゆっくりと歩み寄っていく。
「そそれとも……はは恥ずかしめるきかっ……!」
鋭い切れ長の目、鮮青の瞳でこちらを睨みつけてきた。
ぎゅっと抱えた膝の向こう、たぶん薄くて小さな衣類を身に着けているようだけれど、そのへんから必死に目を逸らししつつ僕は、彼女の華奢な肩に自分の濃紺色のジャケットをそっと羽織らせる。
「……え」
「しないよ、何も。きみだって、あの小さな男の子を傷つける気はなかっただろ。──たぶん、街の人のことも」
そう、あのとき彼女が男の子に振り下ろした魔剣には、一切の殺気がなかった。
僕がこれまで勇者と共に対峙してきた魔蹂将たちの中に、そんな「人間味」を垣間見たことは一度たりとてない。
「きみは鬼人だろう? たぶん、人間として育てられた」
鬼人。総じて、高位になるほど繁殖能力が劣っていくとされる魔族たちが、人間と交わることで産んだり産ませたりした半人半魔のこと。
そのほとんどは、物心つかないうちに魔族に連れ去られ、尖兵として育て上げられる。
しかし時折、魔族の手を逃れ人間として育てられる者もいた。
「…………」
彼女の沈黙が、僕の問いかけを肯定する。
成長するにつれ魔族としての特色が強くなるから、最終的には魔族にバレて連れ去られ、洗脳されてしまうのだが。中には彼女のように、人間としての意志を色濃く残し葛藤し続ける者も、ごく稀に存在するのだ。
彼女はきっと、勇者一人を倒すことで、この街の全員の命を守ろうとしていたのだろう。
「……どうせ、もう終わり。私が秘宝を手に入れられれ……られなけれれば、あとは奴が動く手筈……」
淡々と、言葉を紡ぐ。まだ口が回り切っていないせいで、緊張感は台無しだったけれど。
「魔蹂将──焔獄法師ジェインフェルの手で、この街ごとすべて灰燼に帰すだけだ」
……えっ。魔蹂将、まだいるの? 呆然とする僕の耳に、頭上からたくさんの歓声が飛び込んできた。見上げると、クレーターの縁から数人の住民たちがのぞき込んで、満面の笑顔で手を振っている。
もちろんその中にはサリアさんもいて。彼女は斜面をすべり下りると、僕の方を見つめながらまっすぐ駆け寄ってきた。──ゴクリと唾を飲み込む僕。
その勢いのまま彼女は、ひしと抱き着いていた。僕の横を通り抜けて、鬼人の少女に。
「レナ! どうして、あなたが!?」
「サリアおねえちゃん……街を守れなくて、ごめん……」
──しかし時折、魔族の手を逃れ人間として育てられる者もいた。
「レナなら、話してくれれば良かったのに」
「だって、秘宝なんか無いのは知ってたから。せめて勇者の首を持ち帰ればと思ったの……」
二人の会話にいろいろと察しながら僕は、思わず心の声を漏らしてしまう。
「勇者いったい、どこほっつき歩いてるんだよ……」