【02】暗黒騎士レナザムド VS 従者トアル②激闘
◆◇◆
「ではゆくぞ、勇者よ!」
広場に暗黒騎士レナザムドの発する重低音が響いた。
六本腕それぞれに、背負っていた剣や斧や盾を構えながら、巨体にそぐわない高速で一瞬に間合いを詰めて来る。
それに先行して、凄まじい魔力と殺気が突風のように吹き付けた。
──うわあ、やっぱり無理だろこれ。
人間にとって魔族は天敵で、それはもう生まれながらに本能に刻まれている。
まして相手は魔族の最上級存在である魔蹂将。
それを前にした人間は、蛇姫に睨まれた蛙王子の喩えそのままに、足がすくんで何もできなくなってしまう。そして、なすすべもなく蹂躙されるのだ。
訓練された王都の軍隊さえも、そうして壊滅させられたというわけだ。
「ごめんなさい!」
人々の期待を裏切ってしまうことに謝罪しつつ、どうせあの鎧には刃が立たないだろうから、おととい立ち寄った街で買ったばかりの中古品の長剣を鞘に戻す。
僕だって、できることなら魔族と戦いたい。この街を守りたい。でもその力がないから、せめて勇者の従者として手伝いをしているのだ。
そして僕は、暗黒騎士にくるりと背を向けていた。
『えええ?』
人々のざわめきに心が痛む。けど、やっぱりさすがに無理だ、こんな化け物とまともに戦って勝つのは。
「なんのつもりだっ!」
背後から荷袋越しに暗黒騎士のイラ立つ声がする。
同時に続けざま襲う激しい衝撃。荷袋をめちゃくちゃに斬りつけているのだろう。
その一撃ごとが、僕にとってはおそらく致命傷だ。
「だから、ごめんって」
斬りつけながら前方に回り込もうとする暗黒騎士にあわせて僕は、荷袋を中心に円を描くように動く。
なので彼の眼前にはいつまでたっても荷袋だけが立ちふさがる。
まあこのように、まともにやり合う気はないからこそ謝ったんだ。
何はともあれ僕の手足はすくんだりせず、しっかり動いてくれる。だてに勇者の従者として、その傍らで何度も魔蹂将との戦いに巻き込まれながら生き延びてきたわけじゃない。
「……きさま、なんだその袋は……」
そしてさすがに彼は、どんなに斬りつけても傷一つ付かない巨大荷袋に、違和感を覚えはじめたようだ。
「なんなんだろうね、僕もよく知らないんだけど」
──なんでも、暴食の魔獣ケルベロスの胃袋で出来ているとか、いないとか。
「ふざけるのもいい加減に──しろっ!」
その答えがだいぶ癪に障ったのか、騎士はいちど手を停めると体勢を低くする。そして荷袋の下をくぐらせるように、右下の腕に構えた三日月型の蛮刀で僕の足元を横薙ぎにしてきた。
「おっと」
脚力を瞬間【増強】し、縄跳びの要領で跳躍してやり過ごしつつ僕は、空中でそのまま両足を抱え込む体勢をとる。
と同時に、超重い荷袋を持ち歩くため常時かけている魔法を──
「──【浮揚】、解除」
取り消した。その結果、僕は両足ではなく荷袋の方から、地響きと共に着地することになる。つまりは凄まじい重量の塊が、暗黒騎士の蛮刀と手元に襲いかかり──容赦なく下敷きにしていた。
「なんだと!」
手をひとつ潰されたにしては薄めの驚愕を見せる暗黒騎士にすこし違和感を抱きつつも、荷袋からするりと両腕を抜いた僕は、前かがみのまま動けない彼の背後へ素早く回り込む。
重石を背負っていない上に魔法も解除しているので、めちゃめちゃ体が軽い。
無防備な暗黒騎士の広い背中を駆け上った僕は、前かがみになることで生じた兜と鎧の間の間隙に、抜き放った中古剣の先端を突き刺す!
「ぬああっ!?」
響き渡る情けない声は、残念ながら僕自身のものだった。
腕力の瞬間【増強】を乗せた中古剣の切っ先が、魔族であろうと急所に違いない頸椎を貫く寸前のこと。
六本腕のうち上の左右二本が、人間の関節としてはあり得ない方角に曲がって、手にした円盾で頸椎を守りつつ、もう一方の手斧で僕に斬りつけてきたのだ。
暗黒騎士の背中を蹴って後方に離脱する僕の視界の中、彼はゆっくりと振り向く。
その右下の手は、肘から先がなくなっていた。
「姑息な戦い方を! それでも勇者か!」
蛮刀と腕を諦めて捨てたということか。加えて、今の上腕の動きや反応速度──日々、勇者様の無茶ぶりにさらされ、それに応えるため磨かれてきた僕の【対応力:Sランク】(自称)が何かを導き出そうとしている! ……気がする。
荷袋から離れて後方に着地した僕に、ふたたび高速で間合いを詰めてくる暗黒騎士。左下腕に構えた長槍を突き出し、その先端に怒りと殺気を一点集中させているのがわかる。
「勇者じゃないから!」
それを転がるように避ける僕。暗黒騎士の重装備の巨体に対して、速度だけはどうにか上回っていた。脚力の瞬間【増強】を織り混ぜれば、そうやすやすと致命傷を受けることはないだろう。
何度も言うけど、だてに勇者と魔蹂将の戦いのど真ん中、即死級の流れ弾が飛び交う修羅場を生き延びてはいない。逃走力もきっとSランクのばすだ。
「ならばさっさと死ぬがいい。私をたばかった人間どもも、すぐ後を追わせてやろう」
「どうせ元から、そのつもりだろうにっ」
逃げ回りながら、いつの間にか僕は広場の外縁部まで追い込まれていた。
すぐ近くに街の人々がいて、僕の無様な戦いぶりを、ざわめきながら見守っている。
本当に申し訳ない。なんとかしたいところだが、今のところ、はぐれた本物の勇者がひょっこり現れてくれるのを待って時間稼ぎするくらいしかない。
──問題は、勇者が絶望的に方向音痴だということ。
あの荷袋を担ぎ続けていることで体力に自信はある、けれど、いずれ限界は来るだろう。
今も、ぎりぎり避け損なって左肩を掠っただけで上着と革鎧ごと皮膚がざっくり裂け、血が腕をつたって石畳にぽたぽた滴っている。
「──がんばって、勇者様!」
そのとき耳に飛び込んできたのは、聞き覚えのある声。見て確認する余裕はないが、サリアさんのものだろう。
「みんなもほら、よく見て! どんなやりかたでも、勇者様は私たちのために戦ってくれてるんだよ!」
ざわめきが引いていく。そして、まばらにだけれど声援が聞こえ始めた。
不思議なことに、それだけで胸の奥からなにか温かいものが全身に拡散して僕は──まだまだ戦えそうな気がしてきた。
「目に光が戻った、か。……忌々しい……」
暗黒騎士が、吐き捨てるように言ったそのとき。
……かつーん。
乾いた、間の抜けた音が聞こえた。見ると暗黒騎士の背後、住民の小さな男の子が立っていて、腕に抱えた小石を精一杯の力で投げつけていた。それが、暗黒騎士の兜に命中した音だった。
「ほう。こちらのほうがよっぽど、勇者に相応しいな」
男の子の方を振り向く暗黒騎士。無防備な背中にすかさず斬りつけるけれど、上腕の円盾が超反応で刃を弾き、手斧が鼻先をかすめる。
いやあああ────!
客席から聞こえる女性の絶叫は、きっと小さな男の子の母親だろう。
「お相手せねば、失礼と言うものだ」
そう言って暗黒騎士は、真ん中の二本腕に構えた漆黒の双剣を悠然と振りかぶる。呆然と見上げる男の子の足はすくんで、もうその場から動くことはできないだろう。
それでも、彼こそは勇者だ。おかげで、僕は──
中古剣を鞘に納め、ゆっくりと、暗黒騎士の背中に右手のひらを添える。予測通り、上腕は反応しない。
おそらくこの腕は自動迎撃機構、それも一定以上の殺意なり脅威でなければ反応しない。男の子の投げた小石のおかげで、僕はそれを確信したのだ。
「──【冷却】」
右手のひらに、魔法を発動させる。
僕が仕えているいる勇者(本物)の好物は、よく冷えた果実酒──ではなくて牛乳の果汁割りである。
それをどんなときも最適な温度に冷やして提供しろ、という無茶振りに答えるべく修得した、「対象を凍結させずいい感じに冷やす魔法」が、これだ。
「ひゃっ!?」
意外にキュートなリアクションと共に、暗黒騎士の全身がびくんと震える。その隙に正面に回り込んだ僕は、いずれ銘のある魔剣だろうその黒い双刃をぎりぎりにかいくぐって男の子を小脇に抱きかかえ、外縁側に走る。
「勇者様!」
前方からの声に目を向けると、公園内に飛び出してきたサリアが両腕を広げていた。
「──名前、教えて」
「えっ?」
男の子を預けた瞬間、彼女は僕にそう問いかけてきた。彼女の申し訳なさそうな表情が、人違いを察したと語っている。
「トアル──トアル・ポアール。勇者リュクトの、ただの従者です」
それだけ伝えて僕は離脱した。広場の中央に放置した荷袋に向かって、一直線に駆ける。
「きさまは殺す! 絶対に殺すッ!」
僕の度重なるふざけた行動──まあこっちは必死なのだが──に溜まりきった凄まじい殺気を漲らせ、暗黒騎士が追いすがる。
振り切って僕は、荷袋の肩紐に滑り込むように両腕を通す。
そして【浮揚】を発動させその超重量を軽減しつつ持ち上げる。
その下には暗黒騎士の蛮刀と手甲が、石畳にめり込んでいた。
しかし、手甲の方にはヒビひとつ入っていない。それが、敵の全身を覆う鎧の備えた鉄壁の防御力なのだ。
それでも──
『がんばれぇー勇者さまぁー!』
声援が聞こえてきた。サリアだけじゃない、いくつかの声。混じっている子供の声は、もしかしたらあの男の子だろうか。
『勇者トアルさまぁー!』
その声が、力をくれる。僕は背中の荷袋に隠れるのをやめて、突進してくる暗黒騎士に正面から向き合っていた。
「来い、僕がお前を──」
ごくり、唾をひとつ飲み込んで、言い放つ。
「──ここで倒す!」