76.勇剣と武道家
部屋に戻って、入り口近くにあるレンティオのベッドが空なことに気がついた。
どうせまたどこかに飲みに行ってるのだろう。
俺はダルスを起こさないように足音を忍ばせて、ベッドに腰掛けた。見張り台でバニラと少し話しただけでは、眠気はやってこなかった。深く息を吐きながら、ベッドに倒れこむ。
気持ちが晴れなかった。
ただ、その原因がいまいち分からず、ため息ばかりが漏れた。
何度目か、何十度目かのため息をついたとき、俺のではないため息が横から聞こえた。驚いてそちらを見るとダルスがこちらを睨んでいた。
「悪い、起こしたみたいだな」
「ああ、だな。お前うるさいよ」
「ごめん」
身をわずかに起こし、頭を下げる。ダルスはそのまま寝る様子もなく、逆にベッドの上に座った。
「あのさ、何かあった?」
「いや、別に…」
「別に、で済まされるようなことじゃないんだろ? そうやって横でため息ばかり吐かれるとこっちが疲れる。てか、気になって眠れん。話せ」
「あー、まぁ、何でもないんだ」
自分でもよく分からない気持ちの沈み。分かっていたら、ため息なんかついていない。
また、意識せずにため息を吐いていた。
「おいおい、辛気臭いな。そんなんで大丈夫か?」
「分からない」
自分でも驚くくらい、弱弱しく、自信のない言葉だった。
今度はダルスがため息を吐いた。
「あのなぁ、お前がどうであれ、今回の戦いはお前とバニラにかかっているんだぞ。そんなんでどう魔王と向き合うんだ?」
「分からない」
どうしてだろうか。俺は追い詰められているような気がしていた。いや、それはあながち間違ってはいない。時が迫っているのだ。勇者が、魔王と向き合う時が。
「情けねぇな」
自分のことをそんな風に言ってみた。するとダルスは問いただした。
「ああ、情けねぇな。で、どうするんだ?」
「どうするって?」
「情けないのは分かってんだろ? だったら、情けなくならないために、何をするんだ?」
「あー、何だろうな」
背中から、ベッドに倒れこむ。差し込む月明かりが反射して、ほんの少しだけ天井の板目が見えた。
「なぁ、どうしたらいい?」
自分では答が見つからなくて、ダルスに返した。ダルスは不服そうに腕を組み、俺を見下ろし、はき捨てた。
「知るかよ。自分で考えろ」
最もだった。自分でそれを分かっていたのに、人に言われて少し腹が立った。自業自得だと分かっていたから、自分が嫌になった。
「どうしたいんだよ?」
「えっ?」
不意にダルスは投げかけた。
「だから、どうしたいんだよ!」
「さぁ、どうしたいんだろうな…」
それすら分からず、俺は腕で両目を覆った。目を閉じて、真黒の視界。鼓動が鮮明に聞こえて、呼吸に集中した。
ふと、目を開ける。
「なぁ、ダルス。預言って絶対だと思うか?」
「何だよ、いきなり」
「まぁ、いきなりだが。どう思う?」
「預言? あれだよな、エズワルドを勇者に選んだって奴だよな」
「ああ、そうだ。あれでは事の成否は分からないが、魔王に立ち向かえるのは一人の勇者だけだって言うんだ」
ダルスはしばし腕を組んで唸った。彼は頭を使うことがあまり得意ではないから、ちょっと悪いことをしてしまったかもしれない。
「つまり、魔王と勇者の一対一だよな」
「ああ、そうなるな」
「でもさ、それって普通じゃねぇか?」
「えっ?」
ダルスはベッドの縁まで進み出て、身振りを交えて説明した。
「ほら、武道って基本一対一だろ? 二対一とか三対一ってすごい不公平じゃん」
「ああ、確かにな」
「だから、一対一になるのは当たり前なんじゃないか?」
俺は一瞬呆然とする。
そんなことに今さら気付いたからだ。
かつての勇者アークロイは魔王に自分と自分を手助けするものとで挑んだ。結果として勝ったのだが、俺はそれに疑問など抱かなかった。むしろ、今回の勇者と魔王の闘いで勇者が九人もいると聞き、全員で挑めば何とかなるんじゃないかとすら思っていた。
もちろんそんなことなど決してならなかったが、こちらの数が多いことに俺は安心していた。
預言は、勇者と魔王の一対一を望んでいる?
「あー、でも、これ。質問の答えになってねぇな。預言が絶対かどうかなんて俺にはわからねぇよ。そういうのはエズワルドに聞いたほうがいいんじゃねぇか?」
「さすがにそれは聞けないな。でも、聞いてくれてありがとよ。少し、気が楽になった」
「そっか、なら良かった。でも、今回のことで一対一でなくてもいいなら数で攻めてもありだと思うぜ。預言はそう言っているかも知れないが、あっちは二人の勇者を手下にしてんだ。もう気にする必要ねぇよ」
「そう、だな」
ダルスの言うことは、じんわりと俺にしみこむ。
少しの間互いに黙り込み、風が窓を騒がす音だけが流れた。風はあるけれど、月は綺麗だった。明日もきっと晴れるだろう。
ダルスにしては珍しく静かで落ち着いた声で切り出した。
「あのさ、ちょっと頼みたいことがあるんだけど」
「頼みたいこと?」
「ああ、カルティスのことだ」
俺はハッと息を飲み、続けるよう頷いた。
「あいつも勇者だ。ラズルフと対峙するかもしれない。もしそうなったとき、あいつを殺さないでくれないか?」
ダルスは頭を下げていた。彼にしては本当に珍しく、真摯な態度だった。
俺はすぐに答えることが出来なかった。軽々しく言うと、あまりにも失礼だと思った。だけれど、答えは決まっていた。その答えはあまりに重く、口にしてしまったら後戻りが出来ないものだった。
けれど、俺はその答をダルスに伝えた。
「ああ、もちろんだ。勇者として立ちはだかったなら闘うが、命まではとらない。誓うよ」
ダルスはそれを聞き、少しだけ安心したように微笑んだ。
そして、静かでまるで祈りのような声で言った。
「ありがとう」
それから少し経った。いつの間にか俺たちはそれぞれのベッドに横になり、背中を向けていた。
けれど、ダルスが起きているのは分かっていた。眠気はまだやってこなくて、ダルスもしばらく寝る様子はなかった。
「なぁ」
背中の向こうのダルスに話しかけた。ダルスは首も向けずに応えた。
「何だ?」
「こんなことを聞くのはちょっと立ち入っているかも知れないが、カルティスって武道家としての腕はどうなんだ?」
カルティスはカリュアでも嫉妬するほどの魔法師だ。しかし、それは勇者として得た力。本来は武道家で、それが彼をさらに厄介な敵として認識される原因となっていた。
初めてフレステレーヌを訪れた際、彼に関する噂を耳にした。女にも投げられたというもので、この話をする者たちがあざ笑うように話していたことから、彼はあまり強いという印象を受けなかった。
それだけではない。ダルスは以前に言っていた。彼と同門だったカルティスは師匠にもあまり好まれていなかったと。
ダルスは少しばかり黙り込んでから、渋々口を開いた。
「あまり、腕は良くないな。っても、俺はあいつと手合わせしたことがそんなにないんだ」
「そうなのか?」
「ああ、あいつは腕が悪いからって、師匠が組ませてくれなかったんだ。まぁ、きっと、それもあいつに対するあてつけの一つだったんだろうな」
俺は何も答えられなかった。なんていえばいいのか、分からなかった。何を言ってもダルスか、カルティスに失礼な言葉になる気がした。
俺は話題を変えようとわざと明るい声で尋ねた。
「そういえば、フレステレーヌってどんな仕組みなんだ?」
「どんな、仕組み?」
「ああ、武道の盛んな街なんだろう? けれどみんな家族で暮らしてる感じじゃなかった。どういうことだ?」
「ああ、そういうこと」
ダルスは俺が聞きたいことが分かり、腕を組んで唸った。
「どんな、か。どう説明すりゃいいんだ?」
「うーん、そうだな。ひとまずみんな家族で暮らしていないで、武道に励んでるってことは間違いないか?」
「いや、ちょっと違うな。同じ師匠の下についたらそれでもう兄弟だ。だから、家族と暮らしていないってのは間違いな。まぁ、同門同士で技を競い合ってるのは確かだな」
「へぇー。そういやダルスはいつから武道を習っているんだ?」
「いつから、か。はっきりとは覚えていねぇな。大体二,三つぐらいじゃないか?」
「そんな小さい頃から?」
「いや、これでもちょっと遅いくらいだ。一番望ましいのは立てるようになってからって言われているな」
いたずらっぽく笑うダルス。その話が本当なのか嘘なのかどうも判断がつけづらい。
「立てるようになってからって、まだ赤ん坊じゃないか」
「ああ、でもうちの門下でも毎年二,三人は来るぜ?」
「おいおい、孤児院かよ」
武道の門下と聞き、すっかり男同士の汗臭く暑っ苦しいものを想像していたが、子どもがたくさんの騒がしく微笑ましいものへと想像が上書きされた。
「でも、あんまり早すぎると途中で逃げるんだよ」
急にダルスは声音を落した。
「逃げる?」
「ああ、フレステレーヌが武道の街ってのはあながち間違っちゃないさ。けど、大半が武道家ってのはどうだろうな。確かに門下はたくさんあるさ。けれど、生涯武道を続ける奴はそういないんだ」
「どういうことだ?」
「武道家って、正直言ってかったるいんだ。規則や礼儀、師匠から技を教えてもらうには腕を上げないといけないし、そのためには先輩たちと技を磨かないといけない。自分が本当に武道家になりたいと思っていたり、武道が好きだったりしないと、続かないんだ」
「つまり、飽きるのか?」
「まぁ、そんな感じだ」
俺はぽかんと口を開け、目を何度か瞬かせた。
「俺みたいにここまで続いてる奴なんてごく少数。師匠と呼ばれるようになるまで続くかなんてわかんねぇよ」
「じゃあ、もし武道を辞めたら、ダルスはどうするんだ?」
「さぁ、な。わかんねぇや」
彼は寂しげに頬を緩ませ、疲れたように俺を見た。




