71.勇者の力
俺は本当に父さんに似ていた。
母さんと似ていると言われた事はほとんどない。嫌でもあったが、俺が拒んでどうにかなるような問題でもない。
母さんの顔かたちをしたそれは母さんの微笑を浮かべて俺を受け入れようと一歩一歩近づいてきた。
俺は一歩一歩後ずさる。
母さんは二年前に死んでいた。
それを受け入れていて、目の前のそれを気味悪く感じた。
死者に対する侮辱というものが、目の前にあった。
しかし、母の顔をしたそれに手を挙げることが出来なかった。その顔が、それを思いとどまらせ、ただ後ずさるしかできなかった。
「どうしたのよ、ラズルフ。何でさがるの?」
ずいっと身を乗り出し、俺との距離を縮めようと図るそれ。
俺はついに手を突き出してそれを押しやった。
「もうやめてくれ!」
それの肩を掴んだ俺の手は、異様に冷たい感触が伝わった。
「どうしたって言うのよ?」
「もうやめてくれ。幻なんだって、分かってる」
俺は顔をうつむかせた。
情けない顔をしていると分かっていた。
女の形をしたそれに懇願するというのもどこか男として悔しいが、とにかく今はそうするしかなかった。
それの顔を直視できず、俺は苦々しくゆがめる顔を横に逸らした。
視界の端で、それの口の端が釣りあがる。
「あら、やっぱりあなたは一人で何も出来ないのね」
わずかに目を見開いた。
「昔からそう。父さんや私の影に隠れて、ビクビク怯えてるだけ。誰かが護ってくれると思っているんでしょう? でも、今はどう? 今は誰もいない。あなたを護ってくれる人は誰もいない!」
俺は肩を掴んでいた手をいつの間にか中途半端に浮かせ、わなわなと震えていた。
尚もそれの言葉は続いた。
「あなたは何もできやしない! 勇者? 成り行きでやらされているだけでしょう? 嫌なんでしょう? 他の誰かに押し付けられたらいいと思ってる!」
ずっと足を引き、そいつから後ずさる。
「どうしたの? どうして退くの? 事実だから? そうよね。あなたは卑怯なの。村から出られて喜んでる。村の下らない風習から、私から逃れられて嬉しいんでしょう!?」
自らの胸に指を突きたて、怒鳴るそれ。
さっきまで浮かべていた懐かしく、気味の悪い微笑みは掻き消え怒りに染め上がっていた。
顔だけでなく、声すら記憶と同じ。
その声はいつも俺の名を愛おしく呼んでくれたのに、怒りに満ちた言葉を投げつけた。
「どうして否定しないの…?」
急に弱弱しく、戸惑いを見せた。
「やっぱり、そうだったのね…? 私から逃れたかったのね?」
目は潤み、声は震えた。
「あの日、レンティオだけじゃない。あなたも私から逃げた! だから私は死んだの。違う?」
その言葉は脳裏にあの日の光景を鮮明に浮かび上がらせた。
――――土砂降りの雨。地はぬかるみ、そこに倒れる母は泥だけではなく、自らの血に汚れていた。口は何かを伝えようと必死に動かす。しかし漏れるのはかすかな吐息だけで言葉にはならなかった。母を挟んで対峙する父と村長。
俺はただ、父の影に隠れて…
「うわあああああ!」
俺は頭を抱えてその場にしゃがみこんだ。
それは邪悪を顔に張り付かせ、そっと俺の肩を抱く。
「そう、あなたはただ隠れていただけ。私を助けようともしなかった。そして誤解を解こうとすらしなかった。違う?」
「あ、ああ…」
意味のない声が漏れる。
俺の耳にそれの声が染み込んだ。
「あなたは何も出来やしない。ただ隠れるだけ。人に頼るだけ。そう、勇者なんて相応しくないのよ。今すぐ剣を捨てなさい。
それがあなたに出来る最良の選択よ」
俺は震えてなかなか思い通りに動かない手を背中に回していた。
さっきまでなかった『ミリート』。今はしっかりとその柄を握ることが出来た。
わずかに持ち上げ、白銀の刀身を晒す。
いつもより剣が重く感じられた。柄から伝わる陽炎のようにおぼろげな感情。
『ミリート』は怒っていた。
そうか、俺が勇者に相応しくないと気付いたからか。
剣を抜く手をさらに上げた。
刀身は徐々に露になっていく。
そういえば、初めて『ミリート』を振るったときメルアンと喧嘩したっけ。ほんの少し前なのに、まるで遠い昔のよう。
あの頃はまだ自分が勇者だなんて想像すらできなかった。
けれど、結局今も勇者で…。
俺はふと顔を上げた。
母の顔をしたそれが微笑みながら小首をかしげた。
俺はどうして勇者なんかやっているんだろう?
その問いに思いつくと、まるで鉄砲水に呑み込まれたような錯覚に襲われた。
めまいして、足元がふらついた。
『ミリート』から手を離し、頭を抱えた。
思い出せ。『ミリート』は何て言った?
――――ラズルフ、決して惑わされるな。目的を忘れるな。
目的…。
そうだ。俺はここに何しに来たんだ? 何か重要なことがあって、それをするためにここまで来たんだ。
そうだ。俺は魔力を、魔力を払うために。そのために来たんだ。
俺を見つめていたそれの顔から微笑が消えてゆき、何もうかがえない無表情へと変わってゆく。
それが片手を上げると、辺りの様子は一変した。
それまで、尖塔のような魔石が乱立していた光景がすべて黒に塗りつぶされた。光のない、ただただ真黒い空間に、それと俺だけがいた。
自分とそれだけは、真黒い空間に呑まれずただ立っていた。
それは淡々と言った。
「さすが勇者、かな」
それの姿が陽炎のように真黒い空間ににじみ、歪む。そして先ほどまで辺りに乱立していた魔石と同じ色の肌、目、髪をした裸の女性が現れた。
裸であるのに、艶かしいとは思わなかった。まるでそれが当たり前のように受け入れられ、目にして少ししてから裸だということに気が付いた。
裸だが、その身の丈よりも長い髪が体にまとわりつき、それが衣服のような役割をしているのかもしれないと思った。
『その気配、その眼差し、その意思。どれをとっても気に入らない。人間って大っ嫌い。いつも私たちの上を行く。私たちにしか出来ない重要なことがあるのに、時に彼らはそれを無視するから』
それの独白は続く。
もはや愚痴と言ってもいいだろう。
『『意思』はあなたを祝福した。それは人間としては稀。認められた証。けれどそれだけでこれから立ち向かう災厄に果たして打ち勝てる? あれも『意思』と同じ。いうなれば『本能』。けれど『本能』は人間より生まれる無限の負を取り込み、力とした。そして『狂気』となり、狂える王、魔王となった。あなたに彼が止められる?』
真っ直ぐに向けられる問い。
それにとって、素朴な疑問。けれど俺にとっては勇者の根幹に対する問いだった。
俺は頷いた。
「止める。できるできないじゃなくて、やるんだ」
『人間って時に勇気があるのか馬鹿なのか分からなくなる。ただ今言えるのは、あなたは無謀ってことね』
ため息をつくそれ。
馬鹿にされたようだが、俺はなんと言っていいのか分からなかった。腹立たしいが、それの言うことはまた正しかったからだ。
『まぁ、いい。勇者よ。一つ試させてもらう』
さっきの悪趣味なことは何だったのか。
気を取り直したそれは辺りを真っ暗にしたときのように片手を上げた。
すると今度は真っ白で果てのないまぶしいくらいに明るい空間に変わった。
『あなたは今最も魔王を討つに相応しい。けれど、あなたはその力を制御できる?』
「力? 制御?」
それが何を言っているのか、俺は分からず反芻した。その様子を見てそれは呆れたように口を開けた。
『あら、勇者なのにそんなことも知らなかったの? 勇者というのは勇者という存在と共にそれに相応しい力を授かる。これまでに会った勇者すべて、秀でたものや特異なものがあったでしょう?』
それに言われ、ふと記憶をめぐらせる。
そういえば魔王の生まれ変わりオルミオは嘘を聞き分けられると言った。カルティスは魔法に秀でていた。
全員は知らないが、それが言うそういうものがどういうものか、ということだけは分かった。
『勇者は負けると授かった力を勝者に譲る。けれどその力はそのまま譲られるわけじゃない。勝者の勇者の力を増強するだけ。あなたの授かった能力は何?』
「えっ…」
ピンと人差し指を俺に突き立てるそれ。
俺は思わず言葉を失う。
俺は勇者として何の能力を授かったというのだ?
「『ミリート』じゃ、ないのか…?」
『『ミリート』はあなたを選んだ者にして、あなたの剣。力ではない』
「そうなのか…」
俺は腕を組んで考えた。しかし、頭をいくら回してもそれに相応しいものが思いつかなかった。
ずっと考え込んでいる俺に業を煮やしたそれ。
片腕を素早く振ると手から光が炸裂した。しかし光は一瞬で収縮し、鋭い刃となった。それを振りかざし、俺に切りかかる。
「え、あっ!?」
慌てて飛び退き、それを避ける。
避けた俺を追い、振り上げ、薙ぐ。
どれも寸でのところをかすり、服を裂いた。
剣を持たない俺はただ下がる、避けるしか出来ない。
『ほらぁっ!』
刃を突き出し、俺の心臓を狙うそれ。
本気で殺そうとしているのか。
身を翻し、刃は背の後に突き出された。翻した反動で、それまで力なくだらりと垂らしていただけの手がそれの肩に。その肩は丁度、刃を握っている方だった。
『くっ!』
声を漏らし、光の刃を地に転がす。
刃は地を転がって少しして、一瞬弱弱しく煌いて消えてしまった。
女の姿をしたそれに偶然とはいえ手を上げてしまった。俺の頭は急に冴え、罪悪感がふつふつと湧いてきた。
しかし、それはまるで何でもないように姿勢を正して、悔しそうに口の端を吊り上げた。
『なるほど。それがあなたの能力』
「はぁ?」
思わぬ言葉に間抜けな声で返す。
いや、待て。さっきのはあくまで偶然だ。何をどう考えても俺の能力なはずがない。
内心俺は慌てていたが、それを全く知らないそれは会心の色を滲ませていた。
『負けよ、勇者。さすが『意思』から祝福を受けているだけある…。あまく見ていた』
何がどういうわけか知らないが、それがそれで満足したならそれでいいのだろう。
俺はどこか納得がいかないもやもやを押し込み、してやったりの笑みを浮かべた。しかしどこか引きつっているように思えた。




