32.恐れる者
人々の目がバニラに集まった。痛い視線だった。誰もが、奇異の目でバニラの目を見ていた。俺は、バニラを連れてそこを離れようとした。しかし、バニラはそれよりも先に、いつも通りにっこりと笑って、
「お姉ちゃんの顔、珍しい?」
とバニラを指差した小さな子どもの顔を覗き込んで言った。
子どもは頷いた。
「でもね、これは珍しいけどおかしいことじゃないんだよ?」
「でも、みんなと違うよ?」
「じゃあさ、君と同じ顔の人っているかな?」
子どもは少し考えて
「お父さんと似てるって言われる」
「似てるけれど、同じ顔じゃないよね。だから、似てる人は居ても、全部同じ顔の人っていないよね?」
「うん」
「だから、お姉ちゃんの顔も珍しいけれど、みんなと同じところがあって、みんなと違うところがあるんだ。だから、これはおかしいことじゃないんだよ」
「へぇー」
少年はまだまじまじとバニラの顔を見ていた。バニラは何も言わずただ笑顔で彼を見ていた。やがて、子どもは飽きたのか、そっぽを向いた。バニラは体を上げた。
俺は小声で
「大丈夫か?」
と尋ねたが、彼女は何を心配しているのか分からないといった様子で
「えっと、何だっけ?」
と笑った。彼女は強い。いつも明るくて、元気一杯で、まだ小さな少女だと思っていた。けれど、彼女は俺が思っていたより強かった。俺に会うまで一人で旅をしていたという。ならば、このようなことがいくらでもあったのだろう。けれど、彼女は自分の顔を隠すわけでもなく、堂々とさらけ出し、笑った。
そんな彼女を人から遠ざけようとした俺が何だか恥ずかしかった。
それから何度もバニラの方に奇異の目が向けられたのが分かった。けれど、バニラは笑い続けた。そして、いつの間にか辺りが暗くなりだした頃、俺は魔法で光を呼んだ。広場を半分も埋める人だかりはいつの間にか俺たちしか残っていなかった。運よく腕輪を手に入れたものもいたが、手に入れるより先に日が暮れてしまったために帰ったものもいた。俺たちも今日は手に入らないだろうと帰ろうかと踵を返そうとしたときだった。
「お嬢さん」
としわがれた声でバニラを呼び止める声。それまで熱心に腕輪を編み、売っていたベニゼラという者だった。バニラはいつも通りの笑顔で、
「うん、何?」
とベニゼラに向き合う。ベニゼラは震えた声で語った。
「お主は若いのに強いな。いつか会った若い薬師と同じだ。彼女はこの地を去ってしまったが、昨日のことのように彼女のことを思い出せる。彼女は強い女でな。どんな辛い現実でも受け入れたよ。彼女が今、幸せであることを願うばかりだ」
「彼女…?」
「ああ、名前を言ってなかったな。キハンナという薬師だ。ほれ、黒花病の治癒薬を生み出した」
黒花病? 俺はその病を知らなかったが、バニラは知っているようだった。
「あの、黒いあざが体中に広がるという?」
「ああ、そうだ」
そう言って、ベニゼラは目深く被ったフードを脱ぎ払った。そして、俺は息を呑む。しかし、バニラは特に驚いた様子もなく
「綺麗な顔ですね」
と言った。それにはベニゼラですら目を見開いた。
フードの下には、頬だけでなく、首、額まで花のような形の痣が点々と浮かび上がっていた。思わず顔を背けたくなるほど、ひどい顔だった。
「カカカカッ」
ベニゼラは腹を抱えて笑った。
「この顔が綺麗か。お主相当の神経のようだ。その痣のよしみで格安で腕輪を売ろうと思っていたが、気が変わった。持っていくといい!」
ベニゼラはどこからか白と橙で編まれた腕輪を取り出し、バニラに押し付けた。
その後は気をよくしたベニゼラに半ば強引に裏通りにある酒場に連れ込まれた。
「お主ら旅でもしておるのか?」
「ええ、そんなところです」
「恋人同士か? 仲良さそうだしな」
酒の入ったコップを傾けながら、ベニゼラは俺たちに言葉を投げかけた。バニラは照れながら
「そう見えますか?」
俺は冷静に
「違います」
と応えた。バニラがふくれっ面で俺に何か言いたげだったが、無視した。バニラは気に入っているが、そういう意味ではない。恋人というより、妹という感じがした。本人に言ったら、悪乗りされそうなので言わないけれど。
ベニゼラはそんな俺たちの様子をケタケタと笑いながら見ていた。
バニラは俺の脇腹を肘で突き
「私の何が不満なの?」
と眉間にしわを寄せて問い詰めてきた。そういうわけじゃないんだけどな。俺は面倒だったが、誤解されるのも嫌だったので、
「不満とか、ない。別にそういうわけじゃない」
とだけ言っておいた。バニラは盛大なため息を吐いて、それから酒を煽るように飲んでいった。これは止めたほうがいいのだろうか。俺は迷った末に、結局何も言わずに置いた。
「あの腕輪、どうやって作っているんだ?」
俺はバニラを放っておいて、ベニゼラと話すことにした。
「ああ? ああ、あの腕輪? 簡単だ。編んでいるときに魔法を使うんだ」
「魔法?」
「ああ、循環の魔法だ」
「循環…」
何となく分かるような分からないような…。
俺の様子を察して、ベニゼラは説明してくれた。何でもいいから話したかっただけかもしれないけれど。
「体の機能を補強する魔法だ。たいてい腕輪を必要とする奴は魔力に抵抗がないからな。体に蓄積されていくんだ。それが毒素となって体に悪影響を引き起こす。だったらその毒素を体外に排出してしまえばいい。その機能を補うのがあの腕輪だ」
「へぇー」
つまり、魔力の影響を受けなくなるのか。
「あの魔石は何だ? ただの装飾か?」
「装飾か。そう考えることも出来るな。だが、魔法を使うには魔力が必要だ。魔力を安定して魔法に送り込むために魔石をつけた。あれを外しても使えるだろうが、効果は下がるかもしれんな」
「まぁ、外すつもりはないさ。あのままでも十分綺麗だしな」
バニラの腕できらめく腕輪。役目を得たためだろうか、存分にその存在を主張していた。ベニゼラは話を蒸し返した。
「お主は想い人などいないのか?」
俺は渋い顔をし、その話題が不快だと露にした。だが、ベニゼラは続けた。
「一人はいるだろう? そこのお嬢は違うようだがな。誰だ?」
誰と言われても、そんなのいないから困ってしまう。本当か? 俺のどこからかそんな疑問が湧いてきた。本当にそんなのいないのか? いないよ。押さえつけるようにその声を押し込んだ。そうさ、そんなのいない。だから…。
不意に王都で逸れてしまったメルアンの顔が浮かんだ。
なんで今メルアンを思い出すんだろう? ああ、早く会いに行ったほうがいいからか。きっと、『ミリート』を見て蒼白になるだろう。その様子を想像して、笑みが漏れた。
ベニゼラはいやらしい笑みを浮かべて俺を見つめていた。気味が悪いから、帰ることにした。
「そろそろ宿を探しにいく。バニラ、行くぞ」
一人酒瓶を空け続けるバニラに声をかけ、ベニゼラに礼を言って、店を後にした。
バニラは相当呑んだらしく、足はおぼつかず、視線は定まらない。仕方なく俺は彼女を負ぶさった。すると彼女は静かに寝息を立てて寝始めてしまった。
俺はどこでもいいから部屋を借りることにした。道の脇にあった宿に入り、部屋を借りたい旨を伝えると、快く貸してくれた。バニラがこの状態なので、今後のことについて話せそうになかった。だから、彼女を寝台に寝かせ、俺は窓際の長いすに腰掛けた。この部屋は寝台が一つしかなかったからだ。俺は毛布を見つけ、それに包まった。
窓から見える位置に月があった。月と言っても霧に覆われており、ぼやけてかろうじて存在を確認できる程度だった。
俺、これからどうなるんだろうな。
途方もない旅だった。舞い降りた災厄、魔王を討つことがこの旅に終わりを告げることなのだと分かっていた。しかし、その前に他の勇者に負けるかもしれない。殺されるかもしれない。けれど、それもいいと思っていた。俺には魔王に剣を振り上げるつもりはなかった。確かに魔力のことや、『ミリート』のこともある。しかし、なぜかそんなに大きなことに感じられなかった。俺、何のために旅をしているんだろうな。
「大丈夫だよ。私ならできる。だから、待っていて…」
バニラだった。どうやら寝言のようだ。そういえば、バニラは勇者であることに前向きだった。その口からはっきりと魔王を討つと言った。なぜ、そんな風に考えられるのだろうか? 相手は魔王であれ、王なのだ。剣を振り上げればただでは済まないはずだ。
ハーデンスのように?
俺は悪寒が走り、吐き気がこみ上げてきた。さっき呑んだ酒とは違うと分かっていた。
そうだ。ハーデンスは勇者であった。だけれど、王に剣を振り上げたために処刑されたのだ。あれは警告をしていたのではないだろうか。王を討つことは愚かだと!
俺はそれから眠りについたが、何度も夢を見て飛び起きた。その夢には必ず首だけのハーデンスが出てきて、『ミリート』を握る俺を狂ったように哂っているのだった。
王城の大広間は、人で溢れかえっていた。床に寝そべる者、壁に寄りかかる者、人々の合間を縫って往来する者、様々であった。
「治癒師は足りているのかしら?」
寝そべる者や、壁に寄りかかる者の多くは今にも事切れてしまいそうなものたちばかり。私は彼らに何かできないかと思った。
「待てよ、メルアン。今はカルティスとラズルフが先だ」
ダルスが釘を刺す。しかし、レントが
「いや、行ってもいいぞ。どうせ大人数じゃ動きづらい。それに、彼らだって助けを待っている。どちらが効率的だ?」
カリュアはやっぱりね、という顔をして私に数個の魔石を握らせ
「分かっていますでしょうけれど、無理は禁物です」
「もちろんよ」
微笑んで答えた。彼女は私がここで止めても絶対に止まらないということを分かっているのだ。ならば、応援してやるほうがいい、ということらしい。
「ある程度情報が集まったら戻ってきます。もしも、情報が集まらなくても日が沈む頃には戻ってきます」
カリュアは私にだけ聞こえるように顔を近づけ、声を潜めた。
「そちらもできる限り情報を集めてください。もちろん、治療が優先ですけれど」
「ええ、任せて」
微笑みあって、私はカリュアたちに背を向け、駆け出した。勝手に治療するのは叱られるかもしれないから、動き回る治癒師の一人を捕まえた。
治癒師は迷惑そうな顔を隠しもせずにこちらに向けた。しかし、私が手助けをしたい、と言ったら、引きつりながらも喜んでくれた。そして、浄化の魔法が使えると言ったら、抱きつかんばかりに喜ばれた。
「あっちのほうは、まだ治療されていない人で溢れているの。あっちをお願いしてもいいかしら?」
広間の左奥を指差して、治癒師が言った。私は、喜んで頷いた。
どうやら、治癒師というのはたくさんいるのだが、患者のほうが圧倒的に多くて間に合っていないらしい。本来なら王族や貴族の社交場となる広間を開放しても人が街に溢れている。このままでは患者を治療していても間に合わない。根本的な解決をしなくてはならないことを、身をもって実感した。
私は麻布の上に横たわる人の傍らに座り、彼の手を握った。
「大丈夫ですか? 今、治療しますから」
彼は、虚ろな目をこちらに向けた。その目に光はなく、ただ私を映しているだけに見えた。
見たところ、重度の魔力中毒と衰弱だ。これなら、浄化を行って、回復呪文をかければ、あとは彼の回復力に頼るのみだ。栄養と休息をしっかりしてさえいれば、元気になるはずである。
「人を侵し邪なるもの、その清き息吹をここに、プリフィ」
彼は、声を漏らした。風が付き纏い、彼の髪を揺らした。そしてすかさず次の魔法をかけた。
「癒しの灯を、ここに。トリートメント。」
白い蝶が舞う。彼はまぶたを閉じ、安らかな寝息を立て始めた。良かった。どうやら効いたようだ。
「神官さん、ちょっといいかしら?」
いつの間にか後にいた女治癒師が私を呼んだ。私はそっと握っていた手を置き、彼女の前に立った。
「何でしょう?」
黒い髪を高いところで結い上げた治癒師で、一瞬自分よりずっと上の方かと思ったが、よく見ると疲れが顔に浮かんでいるだけで、本当はもっと下のようだった。
「あなた、神官よね? 王都の神官かしら?」
「今は旅の神官です。その前はアクヴォの神殿に仕えていました」
「そうなの。見たところ、治癒の魔法を得ているようだけれど、彼らにうまくかかったかしら?」
彼女が何を言っているのか分からなかった。だから、首をかしげた。すると、彼女はもう一度噛み砕いて尋ねた。
「彼らに魔法の抵抗がないの。だから、かかりにくいでしょう?」
そこでようやく納得する。魔法が使えないものは魔力に抵抗がない。そして、魔法がかかりにくい。当然のことだった。
しかし、私はなぜかそのことを忘れていた。
「見たところ、あなたは腕の良い神官なのね。私なんて何回もかけ直さないと効果が出ないのに…」
治癒師は今しがた私が治癒魔法をかけた彼を見つめながら言った。彼も見て分かるほど酷い魔力中毒だった。魔法をかければ、かかりにくいはずである。いや、彼に限らず魔力中毒の人は魔法が使えない。魔力に抵抗がないはずだ。それなのに、どうして? どうして私の魔法は今まで何の問題もなく効いていた?




