悪役令嬢は「ボンバイエ!」と叫ぶ
「シェリンダ、お前のような性根が腐った女をこの国の王妃にするわけにはいかないし、わたしはお前を愛することなど絶対にできない」
王立学園の卒業パーティーの夜、わたくしの婚約者候補であるハインリヒ王子が冷たく言い放った。
彼はこのガスラクト国の第一王子で、わたくし、シェリンダ・フォートン伯爵令嬢は彼の婚約者候補なのだ。青い瞳に金髪が輝くすらっと背の高い王子は、細く長い手足が蜘蛛の様……いいえ、大変高貴な雰囲気を醸し出す、生まれながらの優男……ではなく、繊細な美男子だと評判だ。
「わたしのところに来た報告では、お前は他の婚約者候補を蹴落とそうと様々な画策をし、特に可憐なマリー・ヤウェン男爵令嬢に数々の嫌がらせをしたそうだな?」
「嫌がらせを、ですって? わたくしがマリーさんに? このわたくしが、マリーさんに、わざわざ、直々に、手を煩わせて嫌がらせを?」
わたしはヒョロヒョロした青臭い……若鮎のようにしゅっとしていると大人気のハインリヒ王子に言った。
「まあ、それはおかしなお話ですわね。お言葉ですが、このわたくしはそのようなレベルが低いことは致しておりませんわ。だって……」
わたしは扇で口元を隠し「どこを見ても、このわたくしは他の皆さまよりも抜きんでた才能と美貌で満ち溢れていますもの、蹴落とす必要などこれっぽっちもございませんでしょう?……まるで金太郎飴のように……」と妖艶に笑いながら言った。
「切っても切っても魅力が溢れてくる『クイーンオブ金太郎飴令嬢』とは、このわたくしのことですわ」
「……お前は時々、訳のわからないことを言う……」
ハインリヒ王子はそう呟いた。
「いや、まあ、とにかくだな、マリーに嫌がらせをして泣かせてきたお前は、今日限りで婚約者候補から外させてもらう」
「あらまあ、またまた殿下がおかしなことを」
わたしは扇の陰でほほほほほと上品に笑った。
「その男爵令嬢が、嫌がらせにあって泣くですって? 殿下、わたくしに言いがかりをつける前に、その『嫌がらせ』とやらの裏付けをきちんとお取りになった方がよろしいですわ。どうせ男爵令嬢の申し立てしか証拠がないんじゃないかしらねえ……ええ、自分で持ち物を壊したり、階段から落ちてみたり、ドレスを汚してみたり、池に飛び込んで頭に藻をつけてみたり……あれはなかなかよろしかったわ。緑色の藻に塗れて、大変なカッパらしさがございましたもの。ええ、ガスラクトの夏の風物詩になりそうなカッパらしさでしたわ」
「カッパ??? またお前は妙なことを……いや、そうではなく、お前はマリーが自演していたと嘘をついて、この純真な令嬢を辱めるつもりか⁉︎」
その手をつかんで太腿に押しつけたら骨がぽきりと折れそうな、細身体型がキモい……いや、妖精のように美しいとされているハインリヒ王子の腕に「ハインリヒさま、わたし、怖い……」とカッパ娘……ではなくマリー・ヤウェン男爵令嬢がすがりついた。
「あらまあ、恐れ多くもガスラクト国第一王子殿下に向かって『ハインリヒさま』などとお名前呼びをなさるなんて! もしや、もうマリーさんが婚約者に決定してらっしゃるのかしら?」
わたしは驚愕の表情で叫んだ。
「あらまあ、知りませんでしたわ! そうでしたの、マリーさんが次期王妃に決定なさっていたのね!」
「いや、それは……」
モゴモゴと口ごもるハインリヒ王子の顔を、潤んだ瞳のマリーが見上げる。
と、そこで王子の取り巻きたちから待ったがかかった。
「おい、勝手に決めつけるな!」
これは騎士団長の息子のカーク。
「あなたはどうして何も考えずに発言をするのですか? マリー嬢に失礼ですよ」
これはガリ勉生徒会長。
「マリーちゃんは、そんな抜け駆けなんてしない!」
キモい『ちゃんづけ』で呼ぶのは、弟キャラを意識している一学年下のランダル坊や。
どれもマリー・ヤウェン男爵令嬢にたぶらかされている、アホなイケメンでございますわね。
「いいえ皆さま、わたくしにはわかりますわ。だって、婚約が決定していないのに名前呼びするだなんてはしたないことを、仮にも貴族の子女であるマリーさんがするわけございませんもの。そうなんですわね、おめでとうございます」
わたしはゆっくりと扇で煽ぎながら、周りの皆さんに言った。
「今夜は特別な夜になりましたわね。おめでたいですわねえ」
ほほほと笑うわたしに、中途半端な筋肉男子のカークがつかみかかってきた。
「黙れ、この迷惑女め!」
「きゃあああーっ、痛いわ、何をなさるの? 乱暴はおやめになってくださいませ」
わたくしは、カークが触れる前から悲鳴をあげた。
「おい、俺はまだなにも……」
「か弱い女性に暴力をおふるいになるのが、騎士団風のやり方なんですの? カークさまはずいぶんな英才教育をお受けになっていらっしゃいますのね、まったくあきれましたわ」
「こっ、この……」
「いやああああーっ、あーれーっ!」
「やめろ、カーク!」
今度こそ本当に暴力をふるわれそうになって、股間を蹴り飛ばそうとした時、カークの魔の手からわたくしを救う大きな背中が目の前にあらわれた。
「お、叔父上! どうしてここに……」
「不穏な空気を感じて、外部の警備から飛んできたのだ。カークよ、たおやかな伯爵令嬢に乱暴な振る舞いをするなどとは、男の風上にも置けないことを……貴様は恥ずかしいとは思わんのか!」
目の前で、小山のような筋肉が盛り上がり、ふっとい腕がブォンと振るわれた。
「ぐわはあっ!」
「まあ、なんて頼もしい殿方なのかしら……使える筋肉は素晴らしきものですわ……」
わたくしの視線は筋肉に釘づけになった。
どうやら勢いよく殴られたらしく、カークが遙か遠くまで吹っ飛んで行くのが見えた。カークの叔父だという男性はわたくしの方に向き直り、心配そうにわたくしを見た。
「甥が大変失礼しました。姫、お怪我は……」
「ボンバイエーーーーーーッ!」
わたしは、野生の熊のようにごっつごつのガタイをした、筋肉の塊が人間に化けたようなその人を見て、歓喜の雄叫びをあげた。
「ああもう、最高に素晴らしいですわ! あなたのような素敵な殿方にお会いできるなんて、やっぱり今夜は特別な夜でした!」
「……は?」
「あなたのお名前は? なんておっしゃるのかしら?」
「……騎士団所属の、フェルナード・ライアスと申します……が?」
「わたくしはシェリンダ・フォートンと申します。ああ、この国にフェルナードさまのような肉体美に溢れた殿方がいらっしゃったなんて、感謝感激ボンバイエでございますわ!」
「……いえ、あの」
わたくしは、伯爵令嬢としての優雅さを失わないようにしながらも、この胸の奥に燃え上がる熱き炎を彼に向けてメラメラと放った。
「不躾でございますが、フェルナードさまは……独身でいらっしゃいますの?」
「はあ、あの、恥ずかしながら未だに独り身の……」
ええ、ええ、そうだと思いましたわ!
「ブラッヴォー! ナイスファイトーッ! ボンバイエーッ!」
溢れる熱情を、わたくしはパーティー会場に放った。
そんなわたくしの愛らしい姿に絶句するフェルナードさまは、やや挙動不審気味になりながら言った。
「……ええと、あのですね、フォートン伯爵令嬢」
「いやですわ、そんな他人行儀な。わたくしのことはシェリンダとお呼びになってくださいませ」
「……なぜ、そうなるのですか?」
わたくしは、ようやく見つけた理想のタイプの男性に向かって言った。
「それでは、フェルナードさまがご存知ない状況をご説明いたしますわね。実はわたくし、先程ここにいる皆さまの前で濡れ衣を着せられて、無実なのにカークさまに暴力を……あっ、思い出したら、なんだか気分が……」
「伯爵令嬢!」
わたくしはふらりと筋肉に倒れかかり、まんまとフェルナードさまのたくましい腕に受け止められた。汗の香りと一緒にほのかにコロンの爽やかな匂いが混じる。
フェルナードさまったら、意外におしゃれさん。
よく見たら、顔もなかなかハンサムだわ。
スーパーハンサムな筋肉に気を取られて気づかなかったけど。
わたくしのハートの真ん中に、何かがズキュンと刺さった。
「あ……フェルナードさま……」
素敵な青い目をなさっているわ。
ハインリヒヒョロヒョロ王子よりも、1万倍くらい素敵な……青。
……あらやだ、本当にめまいがしてきたわ。
「大丈夫ですか? なんとおいたわしい……やはり、カークのやつに……」
わたしは盛り盛り筋肉騎士のフェルナードさまの瞳を見つめながら、弱々しく首を横に振った。
「いいえ、どうぞおよしになって。カークさまをお責めにならないで。すべては誤解が生んだ悲しい結果なのですから……でも、おかげでわたくしは、もう今後の縁談を期待できない、哀れな身の上の令嬢になってしまいましたの……」
わたくしは震える声で訴えかけて、頬にざっくりと傷痕が残るフェルナードさまの男らしく凛々しいお顔に笑いかけてから、目を逸らして「ふっ……」とため息をついた。
「ええ、フェルナードさまの甥ごさまのせいで……わたくしはもう、修道院にしか行けない身に……」
おい、俺が何をしたーっ⁉︎ という叫びが聞こえるけれど、フェルナードさまには聞こえない筈だ。彼の腕の中で、か弱き美貌の令嬢が失意に身体を震わせて、目に涙を溜めて彼の瞳に訴えかけているのだから。
「一度……お嫁に……行ってみたかった……」
「……くうっ! すべては甥の不始末のせいなのです! あなたのような愛らしい女性に不幸な人生を送らせるわけにはいかない! しかし、俺は……」
細くて華奢な体型の男性が優美だと言われてモテるこの国では、プロレスラーのような筋肉を持つフェルナードさまは女性から敬遠されるのだ。
しかし。
このシェリンダ・フォートンにとってはそうじゃない。
なぜなら、前世のわたくしはプロレスラーの皆さまをこよなく愛する、筋肉至上主義の喪女だったのだから!
素敵な筋肉に『ハァハァ、筋肉萌え、ハァハァ』と心密かに興奮して、秘めた想いを秘めっぱなしでこの世を去った、喪女の処女だったのだから!
この盛り上がった筋肉を、絶対に逃すものですか!
わたしは儚げな笑みを浮かべて、少しだけ恥ずかしそうに言った。
「ごめんなさいね、フェルナードさま。あなたのような素敵な方に甘えるなんて、身の程知らずのわたくしを許してね?」
「そんな、あなたを許すなんて……許しを乞わなければならないのは、あのような粗暴な甥を持つ俺の方だというのに……」
なんで俺が悪いのかーっ! という叫びが遠くから聞こえるけれど、気にしない。
「まあ、フェルナードさま……本当にお優しい方なのね……」
そっと目を伏せて、長いまつ毛を見せつけるように振るわせる。
「……駄目なわたくしは、あなたに頼ってしまいそうで……なんだか怖いわ……」
「フォートン伯爵令嬢、こんな俺でよければいくらでも頼ってくれ!」
「シェリンダ、と……」
「シェ、シ、シェリンダ、姫……」
「フェルナードさま……」
その女に騙されるなーっ! って、ちょっとうるさいわね。
「あの、わたくし……できることなら、フェルナードさまの、お、お嫁さんに……ああ、恥ずかしくて言えないわ……」
わたくしは、彼の分厚い胸板に顔を押しつけるようにして、顔を隠して照れて見せた。もちろん、服の奥にある筋肉を感じ取りながら、スーハーすることも忘れなくてよ。
「どうしましょう……」
「シェリンダ姫! どうか俺と結婚してくれないか? こんな無骨な男だが、あなたのことを全力で幸せにすることを誓う!」
「まあ、フェルナードさま、嬉しいわ! わたくし、謹んでお受けいたします。不束者ですが、どうか末長く可愛がってくださいませ」
きゃっ、恥ずかしい! と、また胸に顔を埋めると、フェルナードさまは「なんて愛らしい姫君なのだ! こんなにも美しく可愛らしい方を、俺の妻にしても許されるのだろうか? ああ、神よ、この幸せをどう感謝したらよいのかわからないが、ありがとうございます……」と震える手でわたくしの髪を撫でてくれた。
ああ、なんて幸せなのかしら!
ボンバイエーッ!!!
こうして運命の出会いをしたわたくしたちは、交際を重ねて相思相愛になり、すぐに結婚式を挙げた。
ハインリヒヒョロヒョロ王子は、婚約者候補の誰かと正式に婚約したらしいけど、それはカッパのマリーさんではないらしい。
でも、そんなことはどうでもいいのよ。
わたくしはシェリンダ・ライアスになり、今日も旦那さまの素敵な筋肉を愛でるのに忙しい毎日を送っているのですもの。
え?
どうやって愛でているかって?
それは、オトナのお・は・な・し♡
fin.