神の使いと魔神の子
第3根橋砦の戦いが間もなく開戦する。
エマとウィルはこの日が運命の日となることをまだ知らない。
屋上に全色のリーフ箱が1箱ずつ運ばれると、ジールは各箱に世界樹の枝を撚り合わせた綱を結び、エマに持たせた。砦前では魔族軍が目前に迫り、屋上前部では弓兵が雷の矢を放っている。いよいよ開戦したのだ。
「姫様、この綱をもち意志を込めるのです。皆を奮い立たせ魔族を討てと」
エマは困惑した。
「え、この綱で? 樹法は世界樹製の特別な器具、樹法具を用いないと発動しないんじゃないの!?」
「伝説ではユニオン様は七色のリーフを手に奇跡を起こし、その姿はまるで世界樹そのものであったと言われております。ここからはわしの推測ですが、七色の適正を持つものはその体が樹法具の役割を果たすのではと」
ジールは真剣だ。エマも信じるしかないと思った。
「わかった、やってみる」
「必ずやできます。できるという確信、その意志が大事ですぞ」
エマは集中した。我が民が目下の戦場で魔族と相対しその身を尽くし国を守っている。ならば私はその兵に尽くそう、この身、この信念を懸けて。
(我が兵に魔族を討ち払う力を……! 貸して、世界樹!!)
――エマが意志を込めた瞬間、戦場の時が止まった。
雷の矢は宙で止まり、両軍の叫び声も消え皆が石化したように固まっている。世界はエマを除いて全て色を失い、まるでエマに世界中の色彩が集まったようだった。
ただ一人エマだけがゆっくりと宙に浮かび上がり空中で停止すると、エマの髪を束ねた世界樹の髪留めが甲高い音を立てて割れ、その美しい金の長髪が広がり、七色の光の筋を放射状に放った。光と共に世界は彩りを取り戻し――
――そして時は動き出す。
綱でつながったリーフの箱からそれぞれの色の光が天高く激しい勢いで立ち上ったかと思うと、樹教国軍の樹法具に詰められたすべてのリーフが輝きを放ち始めた。
弓兵が射つ雷の矢は勢いを増し一矢で魔族を撃ち抜き、剣兵が振るう炎剣は燃え盛る炎をさらに立ち上らせ、眼前の魔族を一太刀で凪ぎ払う。兵達は興奮と歓喜と感謝と復讐の入り雑じった雄叫びを上げ、次々と魔族を討った。
「こ、これは……予想以上じゃ……」
ジールは驚きのあまり言葉を失った。エマに駆け寄ると、箱のリーフは全て消滅していた。
「なんとあの量のリーフが一瞬で……これはいかん」
突如エマは光を失い屋上に落ち倒れ込んだ。意識はなくひどく疲労している。ジールが体を支えた。
「あの量のリーフを一瞬で使ったのじゃ、相当な生命力を消費したに違いない。……おい、誰ぞ姫様を治癒室へ運べ!」
「はっ!」
近くの兵にエマを預けると、ジールはウィルに話しかけた。
「姫様の樹法はおそらく一時的なものじゃ、いま樹法具に詰められているリーフだけが輝いておる。あれを使いきれば効力は切れるじゃろう。姫様も倒れ、次はない。次はお主の番じゃ」
「はいっ」
ウィルはジールの洞察力に感心しつつ、強い覚悟を持ってジールの言葉を待った。
「よいか、お主の役割は敵将を討つことじゃ。この数の軍勢は姫様の樹法が切れては耐えきれん。敵将を討てば敵軍は必ずや退くだろう」
ジールは一瞬躊躇ってから続けた。
「……本来ならば使うべきでない力じゃが、今はそうも言っておれん。お主の資質はな、自身の身体強化じゃ。おそらく体の一部が獣化するじゃろう」
「え……それって……」
ウィルはちらりと砦前の魔族を見た。
「その通り。魔族の使う邪法じゃよ。あれは元は人じゃ。わしはその昔、敵を知るべく魔族を生け捕りにし邪法を研究したことがある。」
ウィルは一気に頭が混乱した。俺は魔族なのか……? ジールは続けた。
「かの採掘王ディグ・ディガーは知っておろう。彼もお主と同じくリーフ適性試験でリーフを全て枯らしたと言う。そして採掘王は邪法を用いて体を強化し大陸中に穴を掘ったのじゃ」
ウィルには何の話をしているのかわからなかった。ジールの話が頭に入らない。
「樹法はリーフと樹法具に意志を込めるが、邪法は意志の力で大地の生命力を吸い上げその身に獣を宿す。ウィルよ、難しく考えることはない。ただ魔族を討つことを考え、意志を込めよ」
「……はい」
ウィルは邪法について考えることをやめた。自分はここに何をしに来た、第3根橋を守らねば。そのために敵将を討つ。それだけだ。
(世界樹に認められずとも、この身が役に立つのなら……触れる命を守れるのなら……悪魔にでもなる!)
突如ウィルのダークブラウンの短髪は夜の闇より尚暗い漆黒の毛となり全身を覆った。その体毛は鋼のように硬い。ウィルの体格はメキメキと軋む音をたて倍ほどに膨れ上がり、ウィルだったものは狂った狼のような雄叫びをあげた。
「ヴォォォォォォオオオオオオ!!!」
エマの樹法とは異なり時は止まらなかったが、まるで時が止まったかのように戦場にいた全員が震え上がる。その姿は魔族よりも魔族らしかった。
ウィルの頭のなかに混沌が流れ込む。
――……を……滅ぼせ…………を……滅せよ……――
(何だ……わからない……そうだ……敵将を……!)
ウィルは砦の屋上から跳び上がり、驚くべき跳躍で軍勢を飛び越え、敵将のもとに降り立つと、ウィルの腕から漆黒の鋼の刃が延び―――
一瞬で敵将の首を刈った。
誰も動けなかった。何が起きたのか理解できたのはジールただ一人だったが、ジールも声を失っている。
ウィルの頭に流れ込む混沌は時と共に強くなっていく。
――樹…国を……滅ぼせ……世…樹を……滅せよ……――
(この声は……いったい……)
ウィルの意識はそこで途絶えた。
ウィルだったものは再び雄叫びをあげ、暴れ始める。腕の刃は人の身丈の倍ほどにまで延び、周りのものを見境なく薙ぎ斬っていく。幸い敵軍の中心に単身飛び込んだので、樹教国軍を刈ることはなかったが、伐るものを選んでいるようには見えなかった。
「いかん、暴走しておる!」
ジールは我を取り戻し慌てて箒に跨がると、ウィルだったものの上空に飛び、全力を込めて豪音轟く炎雷を落とす。濛々と上がる黒煙の中ジールがウィルを抱き上げ砦の屋上に戻ると、ウィルはもとの姿に戻り、気を失っていた。ジールは疲労を隠せず座り込む。
「やれやれ、久しぶりに全力を出したわい、あれで止まってくれて良かった……さて、こいつはどうしたものか」
ジールは空を見上げてウィルの横に倒れた。
……
将を失った魔族軍はすぐに撤退した。第3根橋砦は無事持ちこたえたのだ。さらに奇跡的なことに、樹教国軍の被害はほぼなかった。後にこの戦で砦屋上から一部始終を見ていた弓兵はこう言ったという。
――あれはまるで世界樹の頂から舞い降りた神の使いと、地を這い暴れ回る魔神の子のようだった、と。