ディグ、世界樹を掘る
鉱山街を発ち、西へ西へと向かうディグ。
世界樹に出会い、何を想うのか。
ディグが西へ西へと歩いている頃、第2根橋では樹教国軍と魔族の小競り合いが生じていた。
「黄の一族、突撃ーっ!」
砦から中隊長が叫ぶと、世界樹製の槍を構えた小隊が気合いを込め、雷を纏った槍で魔族に突進していく。両腕が獣のように濃い体毛で覆われ、樹教国軍よりも頭ひとつ大きい魔族がそれを打ち払う。
「緑の一族、援護射撃せよ!」
砦屋上から世界樹の木矢の羽壺に緑のリーフを込めた小隊が、旋風を纏った素早い矢を、魔族に向け雨のように降らせた。
――この時代では、まだリーフ適性試験による資質選別の手法が確立されておらず、家系によりリーフ適性を推察し、一族ごとに小隊を編成していた。そのため、樹法を使える精鋭兵の数は限られ、攻め手に欠けていた。
一方で魔族も、個体によって部位は違うものの腕や足など体の一部が獣化している以外は人と変わらず、少し体格が大きく、力が強い程度であった。
このため、両軍の力は拮抗し、3百年続く樹教国と魔族の戦争は膠着状態だった。
……
「これが噂に聞く世界樹かあ、遠くから見てもでかかったが、近くで見るとホントでっっっけえなあ……掘ってみたいな、どんな感触だろ」
ディグは王都に着くと、期待に満ちた顔で世界樹を見上げた。大地の声とは違うような気がしたが、世界樹からも微かな声を感じる。
ディグがどこから掘ろうかウロウロしていると、見回りの兵に呼び止められた。ディグは体格が大きくただでさえ目立つ、ましてニヤニヤと不敵な笑みを浮かべうろつく筋骨隆々の男は、兵にとってさぞ不審に思えただろう。
「おいっ、貴様何者だ……ん!? その右腕、貴様まさか魔族か! おい、誰か援軍を! こいつを捕まえるぞ」
兵はディグの右腕を見ると顔色を変えて叫んだ。ディグの濃紺の体毛に覆われた右腕は、兵にとって獣化した魔族の腕にしか見えなかった。
「えっ、なんだなんだ!? 何で追ってくるんだよっ」
ディグは何が何だかわからなかったが、反射的に逃げる。ディグは戦争と無縁の鉱山街で育ったため、魔族の姿に関する知識はなく、自分の腕が魔族と見間違われるなど微塵も思い付かなかった。
ディグは穴堀で鍛えられた強靭な足腰で、王都に数多く架かる橋々を翔ぶように渡り、地上に表出した世界樹の根を登っては降り、時にくぐり、めちゃくちゃに王都を走り回った。
「ふーぅ、何とか撒いたか。さっきのやつ、この右腕がなんだとか言ってたな……隠しといた方が良さそうだ」
ディグは腰掛け鞄から風呂敷を取り出すと、右腕に巻き付け、世界樹の幹に向かって歩きだした。
気がつくと、ディグは世界樹の幹や枝を伐り加工する区域、木工区に辿り着いていた。木工区では世界樹の幹に沿って幾つもの工場が立ち並んでおり、故郷に響いたつるはしの音と似た、世界樹の幹に斧を撃ち込む音が響きわたっている。その音がディグは心地よかった。
「いいね、この感じ……おーい、俺も伐らせてくれー!」
ディグは幹の側に立っている老人に声を掛けた。老人の傍らには巨大な斧があったが、老人の腰はひどく曲がり、背丈は成人男子の半分程で、とても巨大な斧を振るう力があるようには見えない。老人はディグに振り返ると嬉しそうな顔で答えた。
「む、なんとよい体格じゃあ、伐りたいならばこっちへ来い」
ディグは老人のもとへ駆け寄った。ディグは自分の身の丈ほどもある巨大な斧をちらりと見て言う。
「じーさん、でっかい斧持ってるなあ、それ使えるのか?」
「ほっほっ、人を見かけで判断しなさんな。ほれ」
老人は緑のリーフが詰まった世界樹製の壺に祈りを込めると、巨大な斧が風に浮きひとりでに幹を伐り始めた。ディグは驚きのあまり顎が外れるほど口を開ける。
「なんだこりゃあ……じーさん魔法使いか!?」
「お主、樹法を知らんのか。どこの田舎から来た。まあこれ程緻密に風を操れるのは樹教国広しと言えど、このわし、緑の一族族長、ウィンド様くらいなものじゃがな」
老人――ウィンドは自慢げに言った。ディグは自分に様をつけるウィンドにやや呆れつつ、尊敬の念を抱いて聞く。
「俺は鉱山街から来たもんで、ジュホウ?……なんてのは見たことも聞いたこともねえ。俺の名はディグ。じーさん、伐りがてらそれ教えてくれねえか」
「よかろう、ではわしと共にここを中へ伐り進んでくれんか」
ウィンドはディグの期待に満ちた眼差しが嬉しく、口にバターでも塗ったように滑らかにペラペラと樹法のことを話した。2人で世界樹の幹を伐り進みながら、世界樹のことも説明した。樹教国では世界樹の幹や枝を伐り、樹法を使うために必要な樹法具のほか、様々な道具に加工して使うことなど、ディグは暗い中幹の放つ淡い光を頼りに伐り進みながら興味深く聞いた。世界樹の幹は故郷の鉱山より硬く、つるはしで切り込むと木とは思えない甲高い音がした。
「なあじーさん、これホントに木か? まるで岩を伐ってるみたいだ。あとさ、さっき幹や枝って言ってたけど、根は使わないのか?」
ディグは初めて見る世界樹が不思議で疑問が尽きない。大地とは違う声も徐々に大きくなる気がしたが、何を言っているのかは聞き取れなかった。
「世界樹はただの大きな木ではないからの。これだけ大きければ硬くなければ折れてしまうわ……世界樹の根じゃがな、あれは切れん。幹や枝よりも硬く、さらに切れたとしても根に命を吸われるのじゃ」
「なんだって!?」
「根は水分や栄養を吸う器官じゃろ? 世界樹はその力が強い。切った者は命を吸われ一瞬で老い、死んでしまう」
ディグは驚き、恐怖した。平気な顔で恐ろしいことを言うウィンドに違和感を覚える。
(何だ……俺がおかしいのか? 何でそんな怖い木を有り難がってんだ、この国は)
ディグは話題を変えることにした。
「ところでじーさん、これどこまで伐り進むんだ? 木材が目当てじゃないよな、これじゃただの穴堀だ。俺は穴堀好きだからいいけど」
ウィンドはニヤリと笑みを浮かべ答えた。
「その通り。わしは掘っておるのよ。わしは人一倍緑のリーフの感受性が高くてな、リーフに呼ばれたんじゃ。幹の中心へただ掘れと」
「……何だそりゃ、まあいい、付き合うぜ」
ディグはウィンドの言葉に驚きつつ、その驚きを隠して相槌を打つ。というのも、ディグにもようやく世界樹の声が聞き取れるようになったが、ディグにはこう聞こえていたのだ。
――来るな……我が……から……去れ……――
(俺は歓迎されてない、じーさんだけ呼ばれてるってことかな……黙っとこ)
「ぬっ、もうすぐじゃ」
ウィンドの最後の一堀で突然開けた空間に出た。2人は幹の中心まで掘り進んでいた。そこは大きな"うろ"のようで、幹が放つ淡い光で仄かに明るい。うろの中心には釜ほどの小さな窪みがあり、中には七色のリーフが詰まっていた。
(幹の中なのに何で葉っぱがあるんだ……?)
ディグが不思議そうに見回していると、ウィンドが言った。
「ここにわしを呼んでおったのじゃな……実に神秘的じゃ、世界樹の力を強く感じる。この窪みはまるで天然の樹法具のようじゃな……いや、世界樹そのものじゃから、オリジナル―原典というべきか」
ウィンドはしばし目を瞑ると、独り言を続けた。
「ふむ、ここに意志を込めよと、そう言っておるのじゃな。むっっ……」
ウィンドが窪みの前に立ち意志を込めると、緑の光が立ち上ぼり、緑のリーフが数枚消滅した。
「ふむ、これはどういうことじゃろう、研究が必要じゃな……おいディグよ、そなたもここに立ち意志を込めてくれんか」
「へっ? あ、ああ……」
ディグは嫌な予感がした。うろに入ってから世界樹の声はより一層強くディグを拒否していた。
「意志を込めるったってよくわからんが……ふんっ」
突然窪みのリーフは全て色を失い、枯れた。同時に、ディグの右腕が暴れ、膨らみ、巻いた布を破り散らす! 右腕はメキメキと音を立てて軋み、うろの窪みを襲おうとした。
「うおっ……なんだいきなり……っ! おさまれ……っ!」
「何じゃその右腕は、お主魔族じゃったのか!?」
ディグは左腕で右腕を押さえ込み、うろを出る。少しでも窪みから離れた方が良いと直感した。掘り進んできた薄暗がりの穴でうずくまり、荒ぶる息を整えて心を落ち着かせる。
「フーッ! ……フー……っ……はぁ……はぁ……」
ディグの右腕が落ち着くと、ウィンドは一旦深呼吸して息を整え、静かにディグに話しかけた。
「大丈夫か……ディグよ、穴堀を手伝ってくれたこと感謝する。短い間じゃが道中の会話でわしはお主が悪い者ではないと確信しておる。が、その腕ではこの国におることはできん。上手く隠して出て行った方が、お主のためじゃ……」
「その方が良さそうだ……じーさん、ありがとよ、色々教えてもらって嬉しかった」
ディグはウィンドに一礼し、別の布で右腕を隠すと、掘り進んだ道を駆け戻った。駆け戻る道中にも、ディグの頭に幾度も世界樹の声が響く。
――去れ……我が心臓から……出ていけ……――
悔しいやらわけがわからないやら、ディグは意味もわからぬ涙を流しながら走った。とにかく、自分が世界樹に拒否されていることを強く感じ、ディグは樹教国を後にした。





