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主人と召使いのその日暮らし

作者: 魅社和真

ごきげんよう、皆様。わたくしの名はシシア・ローズハートと申します。


いい名前でしょう?わたくしも自負しているの。

シシアといういかにも愛されそうな名も、ローズハートというどこから見ても名家な姓も。

…そしてこの全てを結論付ける容姿も、わたくしが高貴なる血筋だと訴えかけているのよ。






「お嬢様。配達人が来られたと思うんですが、お金どこにやったんですか?」



ジロジロとぶしつけな視線でわたくしが泥棒したかのように問うてくるのは、古くからわたくしに仕えているギドというわたくしの1つ上の召使いだ。



「お前は!主人を泥棒扱いする気っ!?お前なんて今日限りよっ!明日から来なくていいわ!」



ふんっ!言ってやったわ!あのわたくしを舐め腐った召使いに!


きっと歳が近いからわたくしをバカにしているのだわ。今度の召使いはもっと従順で賢いのを買わなくては。



わたくしの怒りを横目に耳をほじりながらほー、ほー、と聞いているのかいないのか分からない面倒くさそうな返事をするギド。本当に解雇してやる!!


「べつに辞めてもいいですけど。…お嬢様、今の全財産いくらですか?」


「まぁ、卑しい!退職金が欲しいのかしら?残念だけれどわたくし、ちゃんと仕事をする人間にしかお金は払わなくってよ?」



ギドはこうやって突拍子のない事を言っていつも我が身を守ろうとする。


そんなに辞めさせられたくないのなら、どうしてわたくしに楯突くのかしら?理解に苦しむわ。



「で、お嬢様の宝物庫にはいくら程の資産があらせられるのでしょうか?」



食えない笑顔でわたくしに頭を下げる専属召使い。

まったく、今更わたくしに媚びへつらっても無駄だと分からないのかしら?本当にダメな召使いを雇っていたものね。

頭が痛くなってくるわ。今更になって焦り出すなんて…



「ふん、しつこい男…でも嫌いじゃないわ、その姿勢。お前のその勇気に免じて、金額だけ教えてあげるわ。ただし、金額だけね」



念押しを忘れない。わたくしはわたくしを不快にさせる人間になど死んでも金を払わない。死んでもだ。


口紅を付けずとも真っ赤に艶めく女の唇が、痺れるような恍惚とした声で告げる。






「1200円よ」








その昔。とある国の端っこで、小さな命が産声を上げた。



「まぁ、なんて可愛らしい女の子かしら。まるで天使のよう」



「泣き声まで愛らしい。これは傾国の美女に育つぞ」



生まれた娘はシシアと名付けられた。


娘は1つ、2つと歳を追うごとにさらに美しく育ち、その天真爛漫な姿で幾人もの人々を虜にしていった。



「シシアちゃんは本当に可愛いわねぇ。天使みたい」


「ああ、我が家にこんな美しい贈り物を届けて下さった神様に感謝しなければ」



娘は両親にとっても自慢の娘だった。


眩しい程の淡い金髪と、大地が瞳に映り込んだような色彩豊かな翡翠色の瞳。滑らかで山頂の真雪のように穢れの無い肌。


己の血筋から生まれたとも信じられぬ程に、その娘は異端だった。


しかし、不貞を疑う余地もない程に娘の姿は天使そのものだった。



故に両親は天からの贈り物、とその娘をとても大切に育てた。




…―しかし、今となってはそれがいけなかったのかもしれない―…





「ぱーぱ!わたくち、どれいがほしいわ!」


「ど、奴隷!?シシア、一体何処でそんな言葉を…!」


「まーま!わたくちのおひろめはいつなのかちら?」


「し、シシア?落ち着いて?貴女にお披露目パーティーは無いのよ!?」



シシアは自分が貴族の子女だと思い込んでしまったのである…。



そもそも、ローズハート家は庶民であり、貴族云々とはまったく…キノコとサメぐらい関わりが無いのだ。


しかし長年、天使として奮発した高い服を着せてもらい、天使に汚い食べ方をさせるわけにはいかない!と庶民の考える高貴な食事作法を教え、誘拐されたら大変!と、近所の知り合いに頼み護衛もどきをしてもらった結果…



「ぱーぱ!きょうは、おちゃかいのれっすんがあるわ!いつものごえいをつけてちょうだい!それと、なたりーがわたくちのせんぞくじじょになりたいそうだから、ふくりこーせーをきっちりつたえておいてね」



自分を貴族の…それもかなり上の位置にいる存在だと勘違いしてしまったのである。



「…シシア。あれはお茶会のレッスンじゃなくておままごとと言うんだよ。それと、あの方達は護衛じゃなくてルキ君とシルティちゃんのお父さん達だよ。ご厚意で送り迎えをしてくれているだけだよ。あと、ナタリーちゃんには断ってきなさい」



父は悟った。己の娘に大変な事をしてしまったのだと。



娘可愛さで天使。と呼んでいたはずが何故か本当に天使のように錯覚してしまい、いつの間にか子煩悩から崇拝者のように娘を崇めていた事に、ようやく気付いたのだ。


シシアが5歳の頃の事である。



「どうしてよ!ぱーぱ!!じゃあ、ししあのおきがえはどうするの!?おこうちゃは?ヘアメイクは?ひどいわ、ぱーぱ!!」



わあぁぁ!!と失恋したかのように泣き出す娘の姿に父は困り果てた。娘は既に手遅れだったのである。



それはともかくとして、ローズハート家に人を雇うお金などある訳もないので、父自らナンシーに断りを入れ、怒るシシアに我が家は庶民なのだ、と教え込む事に父と母は歳月を費やした。



…しかしその甲斐なくシシアは現在18歳。絶賛行き遅れの令嬢もどきと成り果てて、父と母はついに全てを放棄した―…





ガンッッ!!



「っひ!い、いきなり大きな音を出さないで頂戴!びっくりしたじゃない!!」



ぷんすか怒りながらギドから距離をとる。


何?解雇されると聞いて今更絶望しているのかしら?滑稽だわ。

でもテーブルを叩くのはやめて頂戴。嫌よ、わたくし。また木を継ぎ足して修理するの。


わたくしが怒っているのに無視ばかりする護衛騎士兼、門番兼、料理長兼、庭師兼、御者兼、召使いのギド。

ほんと、誰にお給金を頂いていると思っているのかしら。


わたくしが何とかお言い!!と叱責すれば、ギドは細い目を蛇のように見開き血走った目でわたくしを見つめた。


まぁ!なんて育ちの悪い!お里がー…


「1200円じゃあ召使いなんて買えねぇよ!!そもそもお前庶民だろうが!!働けよ!それでどうやって生活すんだよっ!!えぇっ!!」


「ひいぃ…!!」



唾を飛ばしながらわたくしの襟元を掴み上げ揺さぶるギド。


怖いわ。わたくしお金目当てでこのまま殺されるのかしら。嫌よ!そんなのっ!!



「お、お金ならは、払うわ!だから…い、命だけはっ!」



「はあぁ!?1200円か?1200円の事言ってんのか!?いらねぇわんなモン!!働けって言ってんだよ!!分かってんのかお前!シシアァ!!家賃も払えないんだぞ!?どうやって暮らすんだよ!!野宿か?野宿すんのかぁ!?シシア!!」


「やだぁ!野宿したくないいいぃぃ!!」



やだやだ!と床に転がり全身で拒絶を表す。野宿なんて庶民もしない事を何故わたくしが!!



しかしパーパでもしょうがないしょうがない。と、すぐに許してくれる秘技をもってしても、この陰険召使いは眉間に皺を寄せるだけで手も貸してくれない。

なんて心のさもしい奴!!



「お前今何歳だよ。18だぞ?それが許されるのは7歳までだ。立て、シシア。実家に帰って家業の食堂を手伝え。そして俺に給料を払え」



偉そうにわたくしを見下ろしながら勝手な事を言い放つ。

誰が拾ってくれたと思っているのかしら!何か言い返さないと腹の虫が収まらないわ!



「お前っ!100円で買われた分際で勝手な事言ってんじゃないわよっ!!そんなにお金が欲しいならお前が働きに出ればいいでしょ!?わたくしの召使いをしながらっ!!」



その瞬間。頭の両端から潰されるような圧を感じた。


圧が回転を帯び、まるで頭部を抉るかのように圧迫する攻撃をわたくしはギドから受けた。わたくし命名の技、ギドリルがギドから放たれたのだ。



「いだあぁいぃ!!やだぁ痛いよおぉ!!ごめんなさい!!ごめんなさいぃぃ!!」



尚もギドリルは止まらない。


わたくしの目からポロポロと真珠のような涙が零れようが、子猫がみーみー鳴いているような泣き声をわたくしが漏らそうが、この男はわたくしが心から反省するまで決して止めない。

ギドという男はそういう男なのである。



「過労死するんじゃああぁぁ!!!?いいか!?俺は今6種類の仕事を全部1人でこなしてるんだぞ!?6人分を!1人でだ!!本当なら俺の給料は1ヶ月分だけで200万以上はいってんだよっ!!それが!今!実質給料無しだぞ!?しかもずっとお前が居るしで休みなんて24時間無しっ!!金を払えやああぁぁ!!!!」



狂ったように叫びながらわたくしにギドリルをし続けるギドは泣いていた。ギドが泣いているのを見るとわたくしも悲しい。


わたくしはギドに素晴らしい提案を思いついたので提示してみる事にした。



「ぎぃ、ギド!わたぐしっ!あだらしい使用人っやどうがらぁ…!!」



「はあぁっ!?来ると思ってんのか!?正気かよお前!!そもそも人雇おうとすんなっ!!庶民のクセしてお高く留まりやがって!!100円で釣れたのは俺だからだぞ!?調子にに乗ってんじゃねーよ貴族モドキがっ!!」



「ごべんなざい!ぎど~!!…ひっく、ず…っ、図に乗っで…ごめんなざい~!!わぁぁぁぁぁああ!!バーバぁぁ、マーマぁぁ!!たずけてええぇぇ!!」



火に油を注ぎギドリルのスピンが120%を超えた辺りでシシアの精神が崩壊した。



ギドはシシアの扱いが父や母よりも上手い為、シシアの手綱を引けなくなった両親がシシアを独り立ちさせるために、故郷から2山程離れた親戚が前に住んでいたこの家にギドごと放り込んだのは4年前の事である。



シシアがそれからさらに3年程前の11歳の頃に連れてきたギドという12歳の少年は、100円しか支払われていなかったにも関わらずそれはよくシシアの為に働いてくれた。


両親は涙した。衣食住以外ろくに給料も払わない娘に仕え、偉そうに命令を飛ばす娘に両親である自分達も注意出来ない事を心の底から詫び、見て見ぬふりをした。




ーそんなある日、衝撃的な事件が起きた。






「いい?わたくしが帰ってくるまで此処でわたくしを待っているのよ?」


「はい。お嬢様。ごゆっくりお遊びくださいませ」



ギドがやって来て3ヶ月経った頃。

その日シシアは友人であるシルティの家へ1人で入っていった。



その姿を見た次の日、時間は軽く昼を越した頃に再度シシアはギドの前に姿を現した。



…そう、次の日である。仲が良いことに「わたくし、今日はシルティのお家に泊まってあげても良くってよ!」とのシシアの一言で急遽お泊まりが決まったのである。



ギドが来る前からよくあった事なので両親は帰りが遅いシシアがこの日もシルティの家に泊まっているのだろうと、ギドが付いている事もあり大して気にはしていなかった。


シルティの両親もまさか玄関でギドがずっと待っていたとは思っていなかった。

そもそも元護衛だったシルティの父すら、護衛役を3ヶ月前に解任されてからはシシアに新しい護衛がいる事を知らなかった。


そしてシシアはギドをは自身の影の護衛だと思っているのでギドの事を周囲に話さない。

その日もシシアはシルティ一家に見栄を張った。



「いらっしゃい、シシア。早いじゃない!今日は迷わなかったの?」


「わたくしが迷う訳がなくってよ!シルティの家だって、一体何度来たことがあると思っているのかしら?1人でここまで来てやったわ!」



嘘である。



実はシルティの家まで行くのに8回は道を間違えかけた。


ギドに指摘され、いつもなら40分かかる道を新記録の12分で到着することに成功したのである。



…つまり…誰もギドが1人、シルティ家の玄関で待たされているという事を知らなかった。



ガチャ


「あら?…ああ!そういえば待たせていたんだったかしら?忘れてたわ」


「………………」


「…あっ!ギド!隠れなさい!!お前の存在は内緒なんだからっ!!」


「………………」


「じゃあね、シシア。また…?あれ…?シシア、その人は?」


「あー!!もうっ!!バレちゃったじゃないの!わたくしの影の護衛なのに!!ギドの役立たず!!ばか!!まぬけっ!!」



シルティにギドの存在が知られた事で大きく腕を振って怒りを露にするシシア。


動きに合わせて揺れるドレスが愛らしいが、そのドレスが3度揺れた瞬間、事件は起こった。



ドシャアアアァァッッ!!


「ぉぶっっっ!?」


「シシアっ!?」



巨大な雪玉がシシアの顔面に直撃した。

そんな衝撃に慣れていないシシアは簡単に雪のベッドへと仰向けに倒れこんだ。



ああ、そういえば昨日すごい吹雪でシルティと寒いから一緒のベッドで寝ようねって話して、くっつきながら寝たんだっけ?暖かかったなぁ。


などとどうでもいい事を考えていたシシアだったが、自身を心配するシルティの声で瞬時に覚醒した。





ーわたくし、ギドに雪玉をぶつけられた!!召使いなのに!わたくし、ご主人様なのに!!






シシアは怒った。それはもうカンカンである。


冷えた雪玉の衝撃で真っ赤になった鼻の先が痛々しいシシアは、怒りで目を吊り上げながら役立たずの召使いに注意した。



「おま、お前!ご主人様になんてこ、ごっ!ぶっふ!!や、やめな…ぶぅ!?止めなさいっ!ギドっ!!」


「…………………」



ガスッ、ガスッ、ガスッ、とえぐい打撃音を奏でながら無言で雪玉を投げ続けるギド。


シシアは報復を夢見るが、ギドの雪玉が一向に止む気配が無くされるがまま状態だ。



シシアは己の身を守るために蹲り小さくなっていたが、ギドの攻撃はシシアが雪だるまになり姿が見えなくなるまで続いた。



一応シルティとシルティの父は雪玉を投げるギドを止めようとしたのだが、その時触れたギドの肌が凍傷を起こしそうな程冷たく…また、チラリと見えた彼の肌が若干紫っぽかった事と彼の怒りようで全てを悟り止めるのをやめた。




…そしてシシアの雪だるまが形成された事で、動きを止めたギドに今度こそ報復してやる!と息巻いたシシアは、おとなしくしていればいいのに雪の中から這い出てギドを罵倒した。



「お前っ!絶対、絶対許さないわよ!!パーパにも言いつけてやるわっ!!わたくしにこんな事をしておいてっ、普通の生活が送れると思わないことね!もう許さないわっ!!お前なんて解雇よ解雇っ!治療代も払ってもら「うっっっっせえんだよおおおぉぉぁあ!!!?パーパに言ってみろやあぁ!!お前、ただの一般人じゃねぇかぁぁっ!!何が治療代だぁ!?一般人は自然治癒すんだよっ!!それより俺に治療代払えやああぁぁ!!!?」



慟哭するようなギドの叫びが村中に響いた。



山に囲まれた村にその声は3度こだまし、言われた事を理解出来ていないシシアはポカーンと口を開けたまま呆けていた。



しかしこだまが止んだ頃、やっと理解したのかさらに顔を真っ赤に染めたシシアは、無謀にもギドに反論した。



「何ですって!?わたくしが一般人?まったく、学のない使用人を飼うとこういう事になるから嫌なのよ!一般人と貴族の違いも分からないのかしら?お前の怪我と、わたくしの怪我では重さが全然違うのよ!!舞踏会に出られなくなったらどうしてくれるのよ!!」



たかが村人に舞踏会の機会など巡ってくるはずもなく、ただ1人自分が一般人だと理解していなかったシシアだけがギドの発言に反発していた。


シルティ一家は、ギドの言う事によく言ってくれた。と涙し、背景になったまま傍観している。



シシアが息を切らせて怒鳴っている最中、ギドはゆっくりとシシアにフラフラした覚束ない足取りで近づいた。



「お前の替えはいくらだっているけれど、わたくしの替えはいないのよ!?そんなことも分からないなら辞めてくれて…ぎゃああっ!?」



ドシャッ!と再度雪に仰向けに倒れこむ。


近づいてきたギドを叩こうと両手をブンブン振っていたシシアにギドが足払いをかけて転ばせたのだ。



キュッ…キュッ…キュッ…キュッ…



「?…何やってるの?マッサージのつもり?今更わたくしに媚を売ったって無駄よ。さっさとわたくしの目の前から………あ……あら?………………う、腕が……………体が…動かない…………?」



シシアの体は雪で固められていた。

ギドが力いっぱいシシアの周りの雪をシシアごと固めた事により、1人では絶対に起き上がる事が不可能な程シシアは大地と一体化した。



シシアは困惑した。体が自由にならない事など生まれてこの方風邪すらひいた事のないシシアには初めての事である。


加えて雪がシシアの体温を奪い、冷えてゆく体に判断力も失ったシシアは、先程罵っていた相手であるギドに愚かにも助けを求めた。



「ギ…ギドっ!!わたくしを早く出しなさい…っ…!じゃないと…ゆっ、ゆっ、許さないわよっっ!!」



若干涙目で偉そうに命令するシシア。何故己をそんな状態にした人間に助けを求めるのか。

理由はシシアがアホだからである。



そんなシシアを見下ろしていたギドだったが、命令を聞きゆっくりとしゃがむとシシアに顔を近づけた。



「え?助けて欲しいんですか?俺、一般人ですよ?そんな恐れ多くてお貴族様に手なんて貸せませんよー」



笑顔でそう言うとシシアに背を向けて去ろうとするギドに、シシアは恐怖を感じた。

生まれて初めて感じる死の恐怖だ。



「待って!!まってまってぇぇっ!!助けてよおっ!ギドぉ!!死んじゃうよお!!」



そうシシアが幼子のように声を上げるとギドはピタリと動きを止めた。



死んじゃう。死んじゃう。と涙目で訴えるシシアに再度振り返り近づくと、助けてもらえる、と安堵に笑顔を浮かべるシシアに微笑んだ。



「お嬢様。俺はあなたが此処で待っていろ、と仰るから俺は雪が降りしきる中でずーっと待ってましたよ。ええ、それは指先が変色する程に。普通はですね?建物の中で待たせるんですよ。どんなに金を持っている性格の悪い貴族でも外で待たせたりはしないんですよ。吹雪の中を。それにお嬢様はシルティ様のお家に泊まられましたね?何故一言俺に言付けておかないのでしょうか?俺に死んで欲しいんですか?ベッドもさぞ暖かかったのでしょうね?羨ましいです、本当に…」


「そ…そうなの?で、でも、雪のベッドは最低ね…早く出して?わたくし…寒くて死んじゃう…早く温かいスープが飲みたいわ…」



ブチッ



「お前俺の話聞いてたかぁぁ!?お前のせいで俺、体の感覚ねぇんだわ!!切断しなきゃなんねぇかも知んねぇんだわ!!それをお前、温かいスープだぁぁ!?誰が飲ませてやるかっっ!!お前はこのままこの雪のベッドで1日過ごすんだよ!!分かったかシシアァァ!!」


「やだあああぁぁ!!お家かえるのおおぉぉ!!」



火が付いたよう泣き出すシシアに、近辺の村人はなんだ、なんだ?と様子を見に集まってきた。


その中にはシルティ家にお泊まりのお礼とご挨拶を…とやって来ていたシシアの両親もいた。



「そもそもお前ただの庶民じゃねぇか!!何使用人雇ってんだ!!金持ちぶってんじゃねぇぞ!?ただの庶民のクセに偉そうにしやがって!!自分の事は自分でしやがれ!!夢見てんじゃねぇぞっっ!!」


「できないよぉぉ…シシア、手伝ってもらわなきゃ、できないよぉ!!」


「出来るわドあほがっ!!庶民なら皆自分達でやってんだよ!!迷子になるなら地図くらい持てや!それと、お前に舞踏会とかねぇから!!庶民は入れねぇから!!」


「シシア、庶民じゃないもん…。シシア、ローズハート家の…」


「だーかーらぁぁああ!!お前は!いいか、シシア!シシア・ローズハートは庶民だ!!ちょっと顔が良いだけのただの村娘なんだよ!!分かったら俺に謝罪しろ!!そして治療代を払え!!」


シシアには理解出来なかった。上等な服を着せてもらい、マナーを叩き込まれ、護衛を付けてもらえたのは庶民だったなら一体何だったのか?


とりあえずシシアが理解出来たのは、今この状況から脱するにはギドに一刻も早く謝罪しなくてはいけないという事だ。



「ご…ごめん、なさい…」


「あ?聞こえねぇわ。何に対して?そんで俺の待遇どうする訳?考えてからものを言え」



取りつく島もない。シシアのその場しのぎの謝罪だけでは許されぬ程、ギドの怒りは限界突破していた。


しかし、1人…いや、2人だけ、シシアの発言に瞳を輝かせた者がいた。



「セ…セイラ…シシアが…っ!シシアが謝ったぞ!!」


「ええ、ええ聞きました。あなた…!私、あの子が人に謝る所を初めて見ました…!!」



シシアの両親である。彼らは歓喜に震えた。まるで新しい時代が来るような、そんな光を目の当たりにしたかのように2人はそろって瞳を潤ませた。



娘がまともになるかもしれない。



その希望が2人の諦めていた心に大きな希望を抱かせた。


そして思った。この少年を逃すまい、と。



「私が治療代を出そう!!」


「!!パーパ…!」



シシアは安堵した。父が助けに来てくれたのだと。この悪魔から自分を救ってくれるのだと。


しかしその愚かな願いも、次の瞬間瞬く間にぶち壊された。



「ありがとうございます。旦那様。しかし、私はシシアお嬢様から治療代を頂く事が重要なのです。旦那様からは受け取れません」


「っ…しかし私は 君を離したくはない!!どうすればシシアの召使いとしてこのまま居てもらえるだろうか!?何でも言ってくれ!!」


「パーパ!?どうしてこいつを雇うの!?シシア、こんな事されたのにっ!!追い出してよ!パーパ!!」


「………じゃあ、給料は5万程度で構いません。しかしシシアお嬢様からは絶対に1万は取り立てて下さい。お嬢様の身の回りの物を売ってでも。あと、治療代もお嬢様のお金でお願いします。ベッドの天蓋を売ればそこそこお金にはなるでしょう」


「分かった!それで君がシシアのそばに居てくれるのなら!」


「!?パーパ嘘よね?嫌よ!わたくし、お小遣い5000円なのに!天蓋もダメ!!あれはお気に入りなの!!虫が来なくて助かってるのっ!!」


「冬に虫はいませんよ?お嬢様?見えない虫でも見えているのでは?それと、お小遣いが少なくてもお嬢様のペンダントや服を売ればいい話です。良かったですね?これでまた一緒にいられますね。誠心誠意、お世話させていただきます」


「やだああああぁぁぁ!!パーパああぁぁ!!やだよおおおぉぉ!!」




ーこれが革命の起きた7年前の出来事である。





その後、シシアはギドにより救出され事なきを得た。

ギドも先程までの態度が幻だったかのように普段と変わらぬ様子でシシアに仕えていた。


ちなみにギドは両手足を切断せずに済んだそうだ。



そんな事件があったというのに、喉元過ぎれば何とやら。シシアは10日 程ギドに怯えておとなしくしていたが、時間が経つにつれ



「召使いのくせにわたくしに楯突くなんて、なんて躾のなっていない駄犬なのかしら?このままお前の態度が変わらないようなら減給も考えなくてはね」



…と、上から目線に戻った。



そしてギドが再度豹変し、シシアが謝り倒すという一連の流れを7年経った今でも続けている。






「ーで、俺の今月の給料と家賃…どうすんの?」



偉そうに主人用に柔らかいクッションを乗せた椅子にふんぞり返るのが、シシアの唯一の使用人のギドである。


アメジストのような薄紫の短髪に赤い瞳のギドはそれなりに顔が良く、モテている。


しかしシシアのせいで婚期を逃し、シシアと共倒れするように未だ独身の彼は家庭を持つことを諦め、シシアとその日暮らしを決め込んでいる。



だが、現在の雇い主であるシシアの残金がまさかの1200円である。これには流石のギドも頭を抱えた。



月一でシシアの両親から送られてくる仕送りは6万5000円で、5万はギド。残りはシシアのお小遣いとして支給されている。


ギドの給料は家賃と食費、その他生活費に充てられ、まともな給料はシシアから強奪する1万円だけだった。



ちなみにシシアのお小遣いは、あまりにも可哀想だという事で14歳から1万円にアップした。

そこからギドへの給料として1万円を支払っているが、そこからさらにギドに食費が足りない場合のみむしり取られる生活を送っている。


…しかし今回はそれどころではないのだ。



「お前ほんと…はぁ…。バカじゃねぇの…………。6万も、何に使ったわけ?」


「……………………近くの…………………孤児院に……………」


「バカかお前ぇぇっ!!俺らが孤児院行きだわぁぁっ!?何を貴族みてぇに寄付なんかしてんだよ!!そんなのは金に余裕がある奴がやんだよっ!!それを、おまっ、お前えええええぇぇぇええ!!!!」


「ごべんなさい!!ごめんださい!!もうしないでず!!ごべんなさい!!」


今日はシシアの両親から仕送りが届く日だった。


そしてその日は運悪くギドが少し起きるのが遅く、さらに運が悪い事にシシアが早起き出来た日だった。



シシアはギドより早く郵便物を受け取ると、中身を見て驚愕した。



(6万ある!!パーパがお小遣いを増やしてくれたのね!!ありがとう、パーパ!!)



いつもならギドがシシアに自分の分のお金を抜いた5000円を渡していたが、この日抜かれていないお金を見たシシアは、全額自分の物だと勘違いをし、自分のいつものお小遣いの5000円だけを残して全額孤児院に寄付をした。



「おかしいと思ったんだよ!昨日まであんなに大人しくしてたお前が今朝から偉そうに指図するから!!そしたらこのザマだ!!大体何なんだよ!この大量の花っ!!葬式でもすんのかよ!?」


「……………お、お姫様、みたいだなって………花道を作ろうと」


「てめぇぇええっ!!まだ言ってんのかぁぁ!?お前は庶民だろおがああぁぁ!?買ったんだろうがこの花!!返せや俺らの家賃!!食費!!!!」


「怒っちゃやだああぁぁ!!ぎどおおぉぉっ!!」



びーびーと泣き喚き床に転がるシシアに花弁を投げつけるギド。

一見天使のような少女に花弁が舞う美しい風景だが、その空間に幸せは欠片も感じられない。



しばらくシシアに花弁を投げ続けていたギドだったが、糸が切れたようにふっ、と床に力なく座り込んだ。



「………どうすんだよ。これから………。お前、山2つ越えるのにいくらかかると思ってんだよ………」


「………?ギド?……怒った?……ごめんね。ごめんね、勝手にお花買って。泣かないで?返してくるから泣かないで」



目を真っ赤に腫らしながらギドに四つん這いに這って近付くシシア。


調子に乗っていない時のシシアは、幼子のように無垢で人の涙に弱い。孤児院に寄付したのも、見栄からではなく「お母さんに会いたい」と言って泣く子供たちの心を少しでも慰められるものに使ってもらえれば、との考えでの行動だ。


シシアがそういう意味で寄付をしたのだろう事は長く一緒に過ごしてきたギドにも分かってはいる。

分かってはいるが…ギドにはよくやった。と褒める事が出来ないのだ。



「花は返品できねぇよ…。実家にも…帰れねぇだろ。…………今日、大家が来んだよ………追い出されるぞ、俺たち……」



これからどうやって生きればいいのか。そればかりがギドの頭を巡っていた。




お前なんてあの時会わなきゃ良かった。そしたら俺はもっとまともな生活が出来た。




そんな言葉が脳裏を過ったギドの頭を、シシアは慣れない手つきで優しく撫でた。



「ごめんね。シシアのせいで、ごめんね。ギドに迷惑かけて。……シシア、ギドがいてくれたら、追い出されても大丈夫だよ。だから、ねぇ、心配しないで?」


別人のように大人しくなったシシアにギドは大きくため息をつく。


あの一件以来、シシアはギドを兄のように思っていた。そもそもシシアがあのような高飛車な性格になったのも、元々はシシアが悪い事をしても注意できなかった両親のせいでもある。


このように甘えた子供のような言動も、ギドの前でしか出さないシシアをギドも妹のように思っていた。言っても出来の悪い子ほど可愛いのだ。



「…………何が、大丈夫だよ……。ろくに働けもしねぇクセに…」



独り言のように愚痴りシシアに背を向ける。その時、コンコンと家をノックする音が静かな空間に響いた。



「シシア、出るから、」


「…っ!おいっ!!」



静止も聞かずにシシアはしんみりした空気を振り払うように玄関のドアを開けた。


ギイィ、と年季の入った音が響くと、ドアの前にはギドの予想した通り大家が立っていた。



「おはよう。今日は仕送りが来る日よね?家賃を…あら?どうしたの?この部屋…」



大家はまぁまぁ、と大喧嘩をしたように花弁が散っている床を見て目を見開いた。



「ぁ…えと、花を…買い過ぎてしまって…」



汚くてすみません。とおとなしく謝るシシアに大家はさらに目を見開いた。



「えぇ!?シシアちゃんどうしたの?お淑やかなお嬢さんになっちゃって!」


「い、いえ…特に…。あのっ、お願いがあるのですが、いいですか?」


「どうしたのどうしたの。何でも言ってちょうだい?」


「おい!シシア!」



シシアも今からお願いする人間に高圧的に接しはしない。

どうしても叶えてもらいたいので、頑張ってギドに教えてもらった目上の人への喋り方で丁寧にお願いしてみようと思いついたのだ。



「あの、実はっ、今月のお金、無くなっちゃったので…!ら、来週まで、待ってもらえません、かっ?」



今から両親に手紙を書き、返事が届くまでは1週間かかる。

なのでその間まで家賃を待ってもらい、両親に事情を話しお金を再度送ってもらえないか打診しようとシシアは考えたのだ。



…しかしそれをギドが考えない訳がないのだ。

ギドがそれを提案しなかったのにはちゃんと理由があった。



「シシア!もういいっ!!俺がっ、何とかするから!!」


「あら?来月まで?うーん…できないのよ。そういう事は……でも…」



ギドが本当に絶望していた姿を見ていたシシアは、何とかするだなんて嘘だとすぐに分かった。

シシアも、もう追い出されるしかないと分かっていた。


しかしそんなシシアの予想に反して大家はにやにやしながらある提案をした。



「シシアちゃんが私の娘になってくれたら、この家の家賃はこれからずっと払わなくても良くなるわよ?」


「え?娘?」


「本当いいですから!俺達出て行きますんで!お世話になりました!!」



大家から引き離すようにシシアを家の奥へ押し込める。しかし大家はそんなギドに意も介さず玄関へと上がり込んできた。



「そう、娘よ。私の息子がね、お嫁さんを探しているの。シシアちゃんにぴったりだと思うわ!私もシシアちゃんみたいなお嫁さんが来てくれたら嬉しいし!」


「荷造りするので出て行ってください!!今までありがとうございました!!」


「どう?シシアちゃん。悪い話じゃないでしょ?シシアちゃんも、そろそろご両親とお兄ちゃんを安心させたいわよね?」


「………お嫁さん?でも…えっ?シシア、貴族…」


「シシアちゃん、庶民はお貴族様と結婚出来ないのよ。シシアちゃんは庶民なんだから。いつまでも夢見てないで、早く身を固めなさい?」



やってくれたな。と、ギドは下唇を噛んだ。


ゆっくりではあるが、ギドはシシアが庶民だという事を教えていた。お前のこういう所が庶民で、貴族はこういう事をしなければならない、と7年かけてゆっくりと理解させてきた。


その甲斐あって現在シシアは自称貴族から、貴族の血がどこかで入ってるかも知れない庶民レベルの自己認識に至るまで成長した。



なのに、今。シシアと出会って間もない他人がシシアに現実を指摘する。


それにギドは激しく憎悪した。

一生懸命水をあげて育てた花に他人が成長促進の薬を大量に投与し、枯らそうとしているかのようだ。


しかし無垢な花は自分が枯らされそうになっている事にも気づきはしない。



「………………結婚、したら……またギドと、この家に居れるの?」


「シシア!!」



震えた声でシシアがそう問いかけ、思わずギドはシシアに怒鳴った。



やめろ。俺といる事を考えるな。そんな事で人生を棒に振るな。



ギドの怒鳴り声も聞こえないかのように大家は頬に手を当て歓喜の声を上げた。


「まぁまぁ!シシアちゃんが乗り気になってくれて嬉しいわ!!そうね、お兄ちゃんとも一緒に住めるかはうちの子と相談してみなさい。あの子前からシシアちゃんを気に入っていたようだから、シシアちゃんが可愛らしくお願いすれば良いって言うかもしれないわ!」



結婚するとも言っていないのに、あたかも了承を得たかのような大家の反応に、流石のシシアもたじろいだ。



「ちがっ!あの、聞いただけで…」


「ちょっと待っててね!今うちの子連れてくるからっ!あっ、ギド君は隣町の薬屋にお使いを頼まれてくれるかしら?その間にシシアちゃんがうちの子に貴方も住めるようにお願いするから心配しないで?」


「はぁ!?おい!シシアに何させる気だ!!」



余談だが隣町までは歩いて2時間かかる。帰って来るのは4時間後だ。

そんな長時間、頭がお花畑なシシアを他人の息子(35歳)と二人きりにするなど、ギドには耐えられなかった。



思わず口調が乱れたギドだが、それにも気づかない様子で大家は上機嫌だった。息子の恋が叶って嬉しいのだろう。



「えっと、これとこれとこれ…あと、これも買ってきて頂戴!すぐ息子を呼んでくるから早く行ってきて頂戴ね!シシアちゃーん?ちょーっと待っててねぇ?」



にっこりシシアに笑顔を向けると、ドアを開けたまま服を下着が見えるほど靡かせながら大家はどこかへと走り去っていった。



ぽかーん、と口をだらしなく開けて呆気にとられていたシシアだが、ギドに腕を掴まれた事でハッと意識を取り戻した。


「はっ!えっ?わたくし…結婚?誰と?…え?…え!?」


「いいから逃げんぞシシア!!大事なモンだけ持って早く家から出ろ!!」



頭に疑問符を浮かべながらギドに言われた通り、家族写真などを懐にしまってゆくシシア。


「でも、ギド、わたくしが、その人にお願いすれば…」


「はぁああ!?バカじゃねぇのか!?お前分かってねぇだろ!!大家の息子だぞ!!あの髭生やした丸坊主男!!話出来るわけねぇだろっ!!」



ギドの脳裏に忌まわしい記憶が蘇った。



あれは、半年程前の出来事である。ギドがシシアを家に残し夕飯の材料を1人で市場に買いに行った帰り道。


パンで釣ってシシアに荷物を持たせれば良かった、と召使いだと思えないような主人をバカにした後悔をして家に着いた時、違和感に気づいた。


(ん?シシア、玄関開けっぱなしじゃねぇか。…………今まであったか?こんな事…)



朝、シシアに偉そうに見送られたギドは、ちゃんとシシアが玄関のドアを施錠するのを確認してから市場へ向かった。

ならば、なぜ今、警戒心もなく玄関は開けっ放しになっているのか?



…シシアが一度外に出て、閉め忘れたのかもしれない。そう思ったギドだったが、嫌な予感が止まらなかった。


帰りました、と言わずにゆっくりと家に忍び入る。


大丈夫だ。シシアの靴はちゃんとある。だが、それと一緒に見覚えのない靴が無礼にもシシアの靴の隣を陣取っていた。


(誰だ?人が来てるのか?男…シシアに男の知り合いなんていねぇだろ…)



じっとその靴を睨み、蹴るようにシシアの靴から引きはがすと何やら会話しているような声が奥から聞こえてきた。


どうやらシシアは無事なようだ。良かった。とほっと息をついて声の発生源へと近づくと、声がより鮮明に聞こえてきた。


「ねぇ、君、名前はぁ?」


「シシア・ローズハートと申しますわ。で、あなたはどうやってわたくしのお家に入ったのかしら?無礼でなくって?」



どうやらシシアが寛いでいると唐突にこの男が入って来たようだ。

この男を伸して兵士に届けようと拳を握りこんだギドだったが、この男の発言でそれは出来ないと気付く。



「そうかぁ…シシアちゃんかぁ!かわいいなぁシシアちゃんはぁ!お家はねぇ、俺の親が大家だからいつだって入れるんだよ?ま、前からさぁ、窓から君を見てたんだよぉ?かわいい子がいるなあぁって。気づいたかなぁ?」



じりじりとシシアに近づく男にギドは心で舌打ちを打つ。大家の息子では兵士に突き出せない。とりあえず穏便に事を運ばなければ。



「それ以上わたくしに近づくのは許さなくってよ!早く出てお行き!!」


「違うよ?こっちは寝室なのかなぁって思って…あ、ベッドが2つあるんだね?こっちが噂のお兄さんの?」


「ちょっと!!勝手に入らないでちょうだい!!」



寝室へ無断で入る男を制止しようと怒りながら男を追いかけ寝室へ向かうシシアに、ギドは先程まで考えていた事を全て消し飛ばし寝室に飛び入った。





「おや?お客様ですか?うちの寝室に何か御用で?」





―その後、シシアがギドの背に隠れ、わたくしは何もしていない、こいつが勝手に入って来たとペラペラと喋り焦った男は「またね」と不穏な言葉を残して帰っていった。


それからシシア1人で留守番は危険だと感じたギドは、ちょっとした買い物にもシシアを連れて行き、二度目の被害には合わなかった。



しかし、夕食を食べている時に見えるのだ。

あの時の男が窓の外からカーテン越しにこちらの…おもにシシアがご飯を食べているのをじっと見ている姿が。




「あれは会話できるような男じゃねぇぞ!!それにお前があの男と結婚すんなら俺出てくからな!!2人でここで暮らせ!!」


「やだああぁぁ!!ギドも一緒がいい!!結婚しないっ!!ギドと一緒にいくうぅ!」



シシアを置いて家を出て行くギドをシシアは泣きながら追いかける。

シシアがギドの服の袖を掴むとギドは少し速度を落とした。



こうしてシシアの華麗なる令嬢生活は幕を閉じた。








そして現在…







「ギド!見てごらんなさいっ!!わたくしの作ったお菓子がこんなに売れたわ!!庶民の欲しがる物など、わたくしが分からない訳がなくってよ!!」



鼻息を荒くしながらシシアがギドに見せているのは、シシアのお菓子で稼いだお金だ。



元々家が食堂だったシシアは生まれ持っての才能なのか、料理だけは異様に得意だった。

それを利用し、大家に家を追われてからはあの村から少し遠く離れた山の空き家に2人で暮らし、シシアの3枚しかない洋服の内2枚を犠牲に材料を購入してお菓子を販売する事にしたのだ。


当然シシアはごねたが、ギドが出て行こうとすると1人山奥に置いて行かれるのを怖がり泣いて了承するのでギドにとっては問題なしだ。

それに実家に帰ればシシアも服を買えるだろう。



あの日から2週間程経ったが、シシアのお菓子の売れ行きがかなり良いので早くてあと10日で馬車代を稼げそうだ。


この家の住所がはっきりしないため「パーパ、マーマ、わたくしは元気です。だけどお金がありません」という手紙を両親宛にシシアが送ったものの、手紙の返事が届かず肝心の仕送りが無いので現在シシアの服は寝間着と普段着だけだ。


「すごいですね、お嬢様。では新しいお菓子を作って下さい」


「ちょっと!!何してるのよ!!これは全部わたくしのお金よ!!これで新しい服を買うんだから汚い手で触らないで頂戴っ!!」



すごいすごいとシシアをおだてながら布袋にお金を詰めていくギドの手を掴みお金を奪い取ろうとするシシア。

この2週間毎日続けているやり取りにギドも溜息しか出ない。



「これでご実家に帰られるのでしょう?服はそのあと買えばよろしいのでは?」



笑顔を崩さず布袋を決して離さないギドだが、シシアもまた離さない。どうしても服が欲しいのだ。



「いやよっ!わたくし、この服と寝間着しかないのよ!?耐えられないわ!!」



びくともしないギドの手の中の布袋を全力で引っ張る。全体重で引っ張るシシアに天罰が下った。



「うぎぎ………あっ!?ぎゃあああぁぁああっっ!?」



突然ギドが手を離した事により全身粉だらけのシシアは家の中を盛大に転がった。

小麦粉を巻き上げ床に倒れこんだシシアは、床に頭をぶつけ泣いた。



「いだあぁい!!いだいよぉ、ぎどおおぉ!!」


「おやおや、かわいそうに。あちらで少し冷やしましょう。痛いの痛いの飛んでけー!」



シシアの頭を心配そうに撫でながら懐に布袋をしまい込む。しかしそれに気付かないシシアはギドの呪文にご満悦だ。



「では私は残りのお菓子を販売して参りますので、お嬢様はごゆっくりお休みください」


「うん。シシア、ここで冷やして待ってる。…帰ってきてね?」



チラチラと様子を窺うようにギドを見るシシアにギドは優しく笑いかける。



「お嬢様がおとなしくしていたら帰ってきますよ」


「おどなしくするぅ!おどなしくするぅぅっ!!」



連呼し続けるシシアに背を向け家を出るギド。

5分程歩いた所で、全く…手のかかるご主人様だ。と大きくため息を吐いた。



(ま、帰って来ねぇなんて事はしねぇんだけど)



ギドは最初からシシアを見捨てる気などない。

ただ、自分に置いて行かれそうになって泣くシシアが可愛いだけで繰り返しているのである。



「早く実家に帰さねぇと。あいつ、貧乏に耐えられなさそうだしな」



俺は構わねぇけど。というギドの言葉は落ち葉の舞う山道で、誰にも聞かれる事無く消えた。





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