7. 信じるということ
「……それに関しては謝る。本当にすまない」
連れてこられたのはリジーナの部屋。先程の話の内容について聞かれると、オーヴィルはただ平謝りするほかなかった。
「いや、別に謝って欲しくて呼んだワケじゃねえ」
出航して間もないというのに、リジーナの部屋は大量のモノで溢れていた。彼女は浮遊するガラクタの中から酒瓶を器用に掴み取り、一口飲んでから差し出してきた。
「ほら、飲みな。宙賊団にいた頃仕入れた密造酒だ」
「あ、ありがとう」
リジーナがしたように、瓶に直接口を付けて一気に呷る。舌と喉をプラズマ弾で焼かれるような刺激がオーヴィルを襲った。
「う゛ぁっ、これはキツいな」
「だろ? あたし好みの味だ」
続いてリジーナが取り出したのは、塩漬けイクラの缶詰──模造品や組織培養品ではない、本物のイクラだ。これも宙賊時代の略奪品だろうか。
無重力の船室に飛び散らないよう缶の蓋で器用に押さえながら、スプーンですくった琥珀色の球体達を口に運ぶリジーナ。オーヴィルもそれに倣って一口いただくことにしたが、空間を汚さず上手に食べるのは中々難しい。
「正直な、会う前から薄々気付いてたんだよ。伝説のエース、『ワイルド・カード』──そんなカミサマみたいな奴、本当はいやしねぇッて」
リジーナの指摘が耳に痛い。オーヴィルはただ、窓の外を見つめながら聞き流す他なかった。3人共同での戦果を自分単機のものだと騙ったのだから、バレれば叱られて当然だ。
「あたしだけじゃない。サムの奴は士官だから実際の戦績データを見れば一発だし、多分さっき部屋の外で聞き耳立ててた連中も半信半疑くらいなんじゃねえか?」
オーヴィルは肩を落とした。隊長もリジーナも、自分を持ち上げるようなことを言っておきながら、自分が嘘つきだということは最初から知っていたのだ。
「でもなオーヴィル、アタシやサムは初めて一緒に飛んだとき、そのことを指摘しなかった。あんたが有る事無い事吹き込んだ、他の仲間だってそうさ。何故か分かるか?」
リジーナは真っ直ぐな瞳でオーヴィルの顔を覗き込む。心の底まで見通すようなその視線が恐ろしくて、目を逸らすこともできなかった。
「さあ……俺が尻尾を出すのを皆で待ってたんじゃないのか? 当然さ、こんな嘘つきのホラ話なんて」
出来ることなら、今すぐどこかの穴蔵に引きこもりたい気分だ。だが、リジーナの反応は意外なものだった。
「……あ゛ーもう! そう卑屈になんなって!」
頭を搔きむしるリジーナ。それからもう一口酒を呷り、オーヴィルにも勧めながらこう切り出した。
「あたしが言いたいのはな、今の人類にはおとぎ話が……心の支えが必要だってことだよ。皆信じたいんだ、伝説のエースの存在を」
「……心の支え?」
「そうさ。少なくともこの艦隊の中じゃ、『ワイルド・カード』の伝説はかなり知れ渡ってる。本当か嘘かは分からなくても、自分達を救ってくれるヒーローがいるかもってだけで、救われる奴らがいるんだ」
その時、ドアをノックする音が響いた。リジーナが扉を開くと、そこにあったのはサミュエルの姿だった。
「隊長!」
背筋をぴんと伸ばして敬礼するオーヴィル。だが酒瓶やおつまみが浮遊している室内では、何とも締まらない。サミュエルもその不釣り合いな敬礼に苦笑するしかないといった様子だ。
「話は大体聞かせてもらった。すまないな、俺も実際の戦績を知りながら、あんたを担ぎ上げたんだ」
「どうして……?」
リラックスした調子で話しかけるサミュエル。リジーナが酒と缶詰を勧めるが、サミュエルは会釈してそれを断った。
「……人類がまだ地球圏にいた頃はな、『恐怖』や『絶望』なんてのはただの想像上の概念でしかなかった。でも今は違う──そいつらは深宇宙から来た牙持つ魔物として、俺達人類の前に現れる」
懇々と語るサミュエルに、酒瓶片手に相槌を打つリジーナ。オーヴィルはただ、歴戦のベテランパイロットの説話に耳を傾ける。
「絶望に対抗できるのは信仰心だけだ。だがこうして人類が宇宙の彼方まで進出するようになった今、天の上にカミサマがいるなんて信じてる奴はいない」
「地球から見たら現に天の上に住んでるしな、あたしら」
「今の人類は絶望の淵にある。そして魂があちら側に引かれないためには、人々が信じられる伝説が必要なんだ。滅びの使者を打ち倒すヒーロー、『ワイルド・カード』の存在がな」
サミュエルはそう言うと、ポケットから小さな金属細工を取り出した。ペンダントのように見えるが、微細な歯車が精巧に組み合わさった機械で出来ており、筐体に刻まれたエングレービングからは青白い光が漏れている。
「隊長、これは……?」
「冒険商人だった知り合いから貰ったんだ。いつの時代に誰が作ったのかは知らないが、そいつはこの装置を『追憶』って呼んでた」
手渡された金属細工を受け取る。よく見ると、機械の隙間からはシャンパンの泡のような微小な粒子が絶え間なく出入りしている。青い光を放っているのはこの粒子のようだ。
「こいつは所有者の記憶や感情を読み取り、不壊の回路内に永久に保存する。そして内部から生成されるマイクロマシンを摂取した者に、その記憶を追体験させるんだ」
「魔法みてえだな。おとぎ話に出てくる妖精の羽の粉って奴か?」
サミュエルはオーヴィルの瞳をじっと見つめる。まるで、息子に語りかける父親のような視線だった。
「さっきブリーフィングがあってな、次の出撃はもうすぐだ。こいつを身に付けて、『ワイルド・カード』の伝説をしかと記録に残してやれ」
「でっでも、隊長は自分の本当の戦績を知ってるんでしょう? 全部でっち上げのホラ話だって……」
掌の上の小さな機械が、鉛の塊のように重く感じた。突き返そうとしたオーヴィルだが、サミュエルは半ば強引にそれを押し付ける。
「俺は何十人ってパイロットを見てきた。だから、あんたのことは初めて一緒に飛んだ時に分かった。あんたには才能がある」
真っ直ぐな瞳で言い切るサミュエル。
「そうさ。今までついてきた嘘を現実に変えて、後でその記録を妹ちゃんに見せてやるといいさ。喜ぶぜ、あいつ」
リジーナはそう言って肩をバンバンと叩いてきたが、オーヴィルにはどう返答するべきか分からなかった。誰もが自分を虚飾にまみれた張子の虎だと知っていて、それでもなお自分の背中を押してくる。背負いきれないほどの希望を背負わされて、一体どんな顔をしてHFに乗ればいい?
室内を気まずい沈黙が支配していたのは、どれほどの間だっただろうか。永劫にも思える数秒の空白を打ち破ったのは、音割れした艦内放送の音声だった。
「シヴ隊、バリソン隊、タントー隊! 以上の隊は総員、A格納庫に集合せよ。繰り返す……」
「お呼びが掛かったぞ。さぁ、行くか」
「イェア! 派手なパーティーにしようぜ、なぁオーヴィル?」
泰然と構えるサミュエルに、戦意の炎を滾らせてガッツポーズを取るリジーナ。オーヴィルの双肩には2人の期待と、数えきれないほどの人々の希望が背負われている。そのことを再確認したオーヴィルは軽く深呼吸すると、自らに言い聞かせるようにこう言い切ったのであった。
「ああ……やってやる。俺は不死身のエース、『ワイルド・カード』のオーヴィル・ドロッセルマイヤーだ!」