5. 血の雨に濡れて(後編)
《警告。オーバーG》
《燃料供給システムに異常発生》
「分かってる!!」
警告灯のイルミネーション。平坦な声で機体の損傷を告げるシステムボイス。オーヴィルはそう吐き捨て、表示されている全てのアラートをオフにして眼前の敵に向き直った。これで少しは集中できるだろう。
彼我の距離、わずか15メートル。互いに間合いを保ち、隙のない構えで白兵戦に飛び込む機会を伺いつつ、獣と狩人は睨み合っていた。
眼下には、焼け爛れた大地と煮え立つ海。滅びの大地と化した植民惑星を見据えるオーヴィルの脳裏に、この星に生きていた人々の顔がふとよぎった。
肉親も友人も、もう生き残ってはいないかもしれない。いま護衛している貨客船のように、首尾よく脱出できた者は一握りだろう。そうだとしても、オーヴィルにはたった一人、生きていて欲しい人物がいた──妹のエメットだ。ドロッセルマイヤー家に生まれた日から、オトナ達の都合にまみれた世界を嘘と虚栄で生きてきた兄妹にとって、お互いだけが唯一心から信頼できる存在だったのだ。
だからせめて、妹の生死を確かめるまでは死ぬわけにはいかない。そう決意を固めたオーヴィルが、スマートPDWの銃口にライフルグレネードを装着しようとした、まさにその時である。
《衝突コース。旋回せよ。旋回……》
「ぐっ!? う、うわぁッ!?」
油断をした。叩きつけられるような衝撃が機体を襲う。ノイズ混じりの視界いっぱいに、醜悪なヴァールの姿が映っていた。もしここが真空の宇宙空間でなければ、眼前の魔物の咆哮が耳をつんざいていただろう。
先程まで射撃武器の間合いにいた敵が隙をついて急加速し突撃。一対の腕でオーヴィルの機体を抱きかかえるように拘束し、鎌状に発達したもう一対の腕を今まさに突き立てようとしている──自分の置かれた状況を理解するまで、オーヴィルはコンマ数秒の時間を要した。
(これは……まずい!)
このままでは先刻撃破されたガーディアンIIと同じく、全身を滅多刺しにされてスペースデブリの仲間入りをすることになるだろう。だがオーヴィルの乗機エンフォーサーは、白兵戦を行う性格の機体ではない。スラスターとアクチュエータの力だけでは、屈強なスキャヴサイスの拘束を流れることは不可能だ。
《第1エンジン、フレームアウト》
《姿勢制御装置損傷。安定を維持できません》
合成音声が死のチャントを唱える中、ついにスキャヴサイスは姿勢を大きく変え、獲物にとどめを刺すべく大鎌を振り上げる。その瞬間──わずかではあるが、エンフォーサーの右腕の拘束が緩んだのである。恐らくこれが最後のチャンスだ。
「でえぇッ!!」
コクピット狙いの大鎌を、エンフォーサーのマニピュレータが振り払う。全身を拘束された状態から放つパンチはまるで体重の乗っていない、子猫の喧嘩のような頼りない一撃であったが、致命の一撃を逸らすには十分だった。
そしてその手の中には、先程装填しようとしていたライフルグレネードが握られている。着弾すれば5000度の高熱で対象を焼尽するサーマイト焼夷弾は、エンフォーサーの鋼の掌で白煙を上げていた──パンチとともに弾頭を敵の身体に叩きつけ、信管を作動させたのだ。
捕らえられてなお必死の抵抗を見せるエンフォーサーに苛立ってか、スキャヴサイスは乱杭歯の並ぶ口を大きく開けて吼える。そして。
「──これでも食ってろ!!」
この瞬間を待っていた。星のようにまばゆく輝くサーマイトは、高熱で半ば融解しつつあるマニピュレータとともに怪物の口にねじ込まれ、その全てを滅却せんと燃え上がる。
炎。人類が初めて手にした叡智の証。恒星表面に匹敵する熱量が舌を焼き、喉を焦がし、脳を沸騰させる。中枢神経を一度に焼き尽くされたことでスキャヴサイスは痙攣とともに絶命。喉奥まで突っ込まれたマニピュレータを引き抜くと、頭蓋骨が白い灰と化して無重力空間に霧散した。
「や、やった……」
汗の滲む手のひらを操縦桿から引き剥がし、オーヴィルはようやく、自分の呼吸を意識するだけの余裕を得た。モニターが捉える深宇宙の魔物は最早ぴくりとも動かず、完全に死んだように見えた──その時までは。
「なッ!?」
首無しの獣が起き上がる。右肩の肉が泡立ちながら隆起し、焼灼された本来の頭部に代わる二つ目の頭を形成し始めた。
「こいつ……再生しようとしてる!」
「シヴ9! 後退しろ!」
左腕だけでスマートPDWを構えるエンフォーサー。だがサミュエルからの通信が、単機で継戦しようとするオーヴィルを押しとどめた。
「隊長──」
後方を振り向くと、サミュエルのデヴァステイターは砲口に放射性の光を爛々と湛え、まさにヘビー・フュージョン・ブラスターの発射体制に入ったところだった。耐熱シールドを構え、遮光バイザーを下ろした試作砲戦HFの姿。全てを察したオーヴィルは、再生しつつあるスキャヴサイスの顔面にナイフを突き立てて動きを封じた後、最大戦速でその場を離脱した。
「最終ロック解除──照射開始!!」
つい先程までエンフォーサーがいた座標に向けて、白熱した死が解き放たれる。宇宙空間を漂う大小のデブリが高エネルギーの熱線に炙られ、星屑の群れのように輝きを放つ。
高熱とガンマ線で乱れる視界の中、オーヴィルはスキャヴサイスの最期を見た。人類の叡智が産んだ破壊の光に全身を呑まれ、その身体を構成する元素を瞬時に気化させられたスキャヴサイスは瞬時に生命活動を停止。蒸発した肉体は星間物質の一部と化し、骨の一欠片も残すことなく消滅したのであった。
「──照射完了。目標沈黙を確認」
5秒間のビーム照射を長いと取るか、短いと取るかは感性の分かれるところであろう。スペースコロニー1基を半年間稼働させる核融合燃料のエネルギー全てをその5秒間に注ぎ込んだデヴァステイターは、全身から冷却剤の白煙を上げ、背部ジェネレータから巨大な核燃料キャニスターを投棄しながら向き直った。
「シヴ9……オーヴィル、無事か?」
「……おかげさまで」
眼前で炸裂した戦略ビーム兵器の威力を前に、オーヴィルはそう答えるのが精一杯だった。
「お前が奴を引き付けている間に、貨客船は安全な航路に退避できた。我々も帰還しよう」
「なーサム、さっきあたしが斬った奴の死骸知らないか?」
チェーンアックスの刃に挟まった蛍光色の肉片を指先で取り除きながら、リジーナのチェルノボーグが合流する。
「どこかに流されていったんじゃないか? そんな物探してどうする」
「いやァさ、怪獣学者のガリ勉どもにいい値段で売れるんだよアレ」
「世界がひっくり返った今、買ってくれるアテがあるとは思わないけどな。さぁ、帰るぞ」