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4. 血の雨に濡れて(中編)

「乗客の皆様! 落ち着いて、身体を屈めてください! 頭を下げて!」

 宇宙港を発って3時間半。小さな定期連絡船「チャイカ」の船内に、乗務員の怒号とアラート音、そして乗客の悲鳴が響き渡る。地獄もかくやという惨状と化した客室に、エメット・ドロッセルマイヤーの姿はあった。

「酸素マスクを着けてください! 赤ちゃんはしっかり膝に抱いて!」

 惑星プロスペリウスIへの軌道爆撃が始まる直前、人波を分けて潜り込んだ脱出船。その客室は今や、文字通りの戦場と化していた。小箱のような頼りない船で戦闘宙域を突っ切り、護衛に付いていた鋼鉄の巨人──ヒロイック・フレームも今はいない。ここに来るまでに数え切れないほどの襲撃を受け、その度に小さな客船は傷付いていった。船体に空いた大小の穴には板切れとテープで取って付けたような補修を施すしかなかった。照明の落ちた客室、赤い非常灯に照らされながら、助かる見込みのない重傷者が手当てもされず無重力空間を漂っていた。

 10歳のエメットにとって、何もかもが初めての体験だった。両親から離れて一人で出歩くことも、個室のない格安のフェリー船に乗ることも──そして、こんなに大勢の人の死を目の当たりにすることも。

 絶え間ない叫び声、そして隣の乗客が遺書をしたためるペンの音をBGMに、窓際の席に座るエメットはただ漆黒の宇宙を見つめていた。浮かぶデブリを掻き分けて、四つ腕の魔物が迫り来る。

「うっ、うわあぁぁ!」

 パーサーの一人が上げた金切り声を合図に、乗客達は一斉に窓の外に視線を移す。乱杭歯に長い舌を這わせ、手を伸ばせば届きそうなほどの距離から、異形のヴァールは食材を品定めするかのような爛々とした目で船内を覗き込んでいた。


 あ。私、ここで死ぬんだ。


 不思議と、恐怖感はなかった。今ここで死ぬことになったって、この船の乗客の大半を占めるオトナ達と違って、子供が失うものはあまりに少ない。お金とか権力とか家族とか、そんなものを抱えているから死ぬのが怖くなるんだ──なんて、良い歳して泣き叫ぶオトナを見て思ったりもした。

 でも強いて言うなら、兄の活躍する姿を見られないまま死ぬのは少しだけ惜しい気がした。HFパイロットの兄は、今この瞬間もどこかで戦っているだろう。新進気鋭の若きエース、付いた二つ名は「ワイルド・カード」。愛機には道化師のエンブレムを付けていて──

「おい! あっち見てみろ!」

「ヒロイック・フレーム……援軍だ! 助けに来てくれたぞ!!」

 客室の一角からざわめきが広がる。皆が指差す方向に視線を移すと、宇宙の彼方に一つの光点。最初はただの点にしか見えなかったそれはこちらの船に急速に近付き、8.5メートルの機兵の姿を取った。

 今にも船に喰らい付こうとしていたヴァールは敵の気配に気付き、その動きを止めて振り返る。しかしその直後、HFが放ったバースト射撃が背中に突き刺さり、苦悶の表情を浮かべながら船から引き離された。

「いいぞぉ!!」

 船室の誰かが手を叩いて叫んだ。その瞬間、絶望感に満たされていた船内の空気が変わったのを感じた。

 ネイビーブルーの塗装が施されたHFは青白い光跡を残す射撃を断続的に叩き込みつつ、全速力でヴァールへと突撃する。エメットの乗る輸送船を飛び越える刹那──その左肩に、兄の言っていた道化師のエンブレムが描かれているのが見えた。

「『ワイルド・カード』──」

 エメットは思わず、兄の二つ名を呟いていた。兄の駆るHFは最大速度の勢いのまま、異形の敵の鳩尾目掛けて強烈な飛び蹴りを食らわせる。

「よし! 殺っちまえ!!」

「その調子だ! 俺たちの宇宙からバケモノを追い出せ!!」

 乗客達が口々に、窓の向こうに声援を送る。その多くが決して浅くはない傷を負っていたが、先程まで船内を支配していた暗い表情は最早ない。彼らは皆、コロッセオで剣闘士試合を見守る観客のような熱気に包まれていた。

 深宇宙から現れた獣と、その獣を狩るために生まれた人造の機兵。二つの巨大な力が幾度となくぶつかり合う。曳光弾(トレーサー)、バイオニードル弾、そして鉤爪のぎらつき。二者の殺意は宇宙空間に多様な光となって放たれ、漆黒のキャンバスに極彩色の抽象画を描く。

「わぁ……」

 いつしかエメットはひび割れた窓に張り付き、目の前で繰り広げられる死と破壊のスペクタクルを食い入るように見つめていた。

 初めて見る戦争。メイドと運転手付きの屋敷に住み、生まれたその日に結婚相手まで決められていたエメットにとって、最も縁遠いはずの世界。それはあまりにも美しく、抗いようのないほどに魅惑的だった。

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