2. 爪と牙
「レーダーに反応。IFF応答あり……味方だ、増援が来たぞ!」
惑星プロスペリウスI周回軌道上。小さな貨客船「チャイカ」を守る2機のHF「ガーディアンII」のパイロット達は、突然現れた味方の反応に歓喜した。今の今まで、もう生きて帰ることなど出来ないとさえ思っていたのだ。
「助かる、のか……? 俺たち」
ビームガンのエネルギーは底をつき、機体の推進剤も残り僅か。民間船の盾となって絶望的な戦局を掻い潜り、12機編隊だった部隊は今や2機。漆黒の宇宙空間の彼方から飛来する光点は、二人にとってまさに希望の光だった。
「貨客船チャイカとその護衛機へ、これより安全圏への誘導を行う。そのままの進路を維持してくれ!」
「チャイカ了解、本船の軌道情報を送信する」
ヘッドセット越しに届くのは救援機の若いパイロットと、貨客船チャイカ船長の通信音声。
チャイカは軍艦でも何でもない、プロスペリウスIとその双子星プロスペリウスIIを結ぶ小さな連絡船だ。慣れない戦闘宙域を飛ばされ、ピークに達した船長の疲労が声色にも表れている。
「……おい、あの機体見てみろ。あの肩のマーク」
僚機に促され、頭部カメラのズーム倍率を最大まで上げる。先陣を切って進む群青色のHF、その左肩では写実的な筆致で描かれた道化師が笑みを浮かべていた。
「このエンブレムは……!」
「そうだよ、伝説のエース『ワイルド・カード』に違いない! 俺たち生きて帰れるぞ!!」
貨客船チャイカへのランデブー軌道上。救援に向かうシヴ隊の3機。音の無い宇宙空間、オーヴィルの駆る「エンフォーサー」の機内に響くのは時折機体を小粒のデブリが叩く音と、チャイカ護衛機からオープン回線越しに届く歓喜の声だけだった。
「なあ、あんた本当にあの『ワイルド・カード』……オーヴィル・ドロッセルマイヤーなのか!?」
通信規則を一切守らない口語で、護衛機のパイロットが尋ねる。編隊の先頭に立つオーヴィルは、はにかみながら返答した。
「ああ、そうとも」
「やったぜ! なあ、帰ったら後でサインくれよ。皆に自慢したいんだ」
マシンガンのような褒め言葉の連打に、オーヴィルは内心に渦巻く黒い感情の渦を悟られないよう、顔面を笑顔の形に凝固させて取り繕った。持ち上げられて悪い気はしない。だが自分は皆が信じているような、完全無欠の英雄とは程遠い存在なのだ。
「……紳士諸君? 盛り上がってるトコ悪いけど、喜ぶのは戦闘宙域を出てからにしたらどうだい」
一足も二足も早い祝賀ムードに水を差したのはリジーナだ。その発言に相乗りする形で、隊長のサミュエルも割って入る。
「その通りだ。護衛対象を我々の艦隊に合流させて、祝杯はその後で上げるとしよう」
サミュエルがそう言い終えると同時に、オーヴィルの眼前のHUDに光点が一つ追加された。空母グリソムの位置座標。ここに貨客船とその護衛を誘導するのが今回の任務だ。
「シヴ1よりチャイカとその直掩機へ、目標座標データを共有した。我々の母艦がここに控えている」
「感謝する。奴らにまた見つかる前に、こんな宙域からは早くオサラバしよう」
「奴ら」。不穏な匂いを孕んだその単語を、サミュエルは聞き逃さなかった。
「『奴ら』?」
「ヴァールだ。さっき俺たちの隊を襲ったバケモノ、まだこの近くにいるかもしれない」
ヴァール──外宇宙の彼方で生まれた、終わりなき悪夢の生命体。二人の会話越しにその名を耳にしたオーヴィルは、体感気温が低下したかのような錯覚を覚えた。
「これだけデブリが浮いてちゃ、一次レーダーは何の役にも立たない……奴ら、残骸と死体に紛れて今も俺たちを狙ってるんだ」
先程までの浮かれぶりが嘘のように、護衛機のパイロットの声色に恐怖の色が浮かぶ。
シヴ隊、チャイカ、そしてチャイカ直掩隊がお互いの座標を認識できているのは、それぞれが軌道や位置の情報を送信し合っているからだ。当然、味方機以外の存在は自分の位置を教えてなどくれない。敵を探し出すには一次レーダー──電波を周囲に照射し、反射して返ってきたものを受信することで位置を割り出す──を用いるのだが、今は探知の障害となるスペースデブリがあまりにも多すぎる。
「俺には嫁と、あと一月で生まれてくる息子がいるんだ。だからこんなところでくたばる訳には──」
「──不明機接近! 速いぞ!!」
「なッ……」
刹那、一行の眼前で光が爆ぜた。突如として現れた黒い影はガーディアンIIの1機に狙いを定め、すれ違いざまに斬撃を繰り出したのだ。機体の上半身は瞬時に斬り飛ばされ爆発、後には力なく漂う脚部だけが残された。
「畜生、よくも!!」
僚機の破片が炎の雨となって降り注ぐ。もう1機のガーディアンIIはプラズマピストルを抜き、未知の影が飛び去った方角に向けて緑の光弾を乱射した。しかし次の瞬間、彼は自らの不覚を悔いることになる。
「新たに不明機1接近! 6時方向だ!!」
「なんだって……ぐわぁっ!?」
敵の反応を捉えたサミュエルが警告したが、すでに遅すぎた。宇宙の闇の向こう側から現れた「それ」は、ガーディアンIIの背後を取って突撃し、鎌状に発達した鉤爪で、不運なパイロットの操る機体を深々と抉っていた。
「──見えたぞ、『スキャヴサイス』だ!」
「畜生、た、助けてくれぇッ!!」
悲痛な叫びが通信回線を満たすが、既に手遅れであることは明らかだった。一対の腕でガーディアンIIの両腕を拘束したまま、もう一対の腕で装甲の薄い脇腹を滅多刺しにする。
「ああ゛っ、ひッ、ぐあぁぁぁッ……!」
軍用HFのプラスチール装甲を紙切れのように引き裂きながら、深宇宙の魔物が嗤う。4本の腕と鞭のような尾を持ち、その体躯は大型HFに匹敵する異形のヴァール──強襲生命体「スキャヴサイス」。
最早原形を留めていないガーディアンIIからパイロットを引きずり出し、まるで壊れたオモチャを捨てるように放り投げると、スキャヴサイスは次の獲物──シヴ隊の3機に狙いを定めた。そしてそのすぐ背後に、1機目のガーディアンIIに奇襲を仕掛けたもう1体のスキャヴサイスが合流する。
「あっと言う間に2機も……!」
一瞬の殺戮劇。操縦桿を握るオーヴィルの手に汗が滲む。もし運命の歯車の角度が少しだけ違っていたなら、あの鉤爪の餌食になるのは自分だったかもしれないのだ。
「シヴ1より全機へ、散開して迎え撃つぞ!」
死の恐怖に呑まれそうになるオーヴィルを、サミュエルの落ち着いた声が繋ぎ止めた。
「民間船には指一本触れさせるな。我々の腕の見せ所だ!」
──そうとも。俺は「ワイルド・カード」、戦場の道化師オーヴィル・ドロッセルマイヤーだ。オーヴィルは心の中でそう言い聞かせ、自分を奮い立たせた。虚勢を張って銃を構え、出来る限りの大声で返答する。
「シ、シヴ9、了解!」
「シヴ3了解。さァ、ダンスの始まりだ!」
各々の得物を携え、3機のHFが戦闘態勢に入る。後に「連合戦線」と呼ばれる戦いの渦の中で、新たな衝突がまた一つ始まろうとしていた。