表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/19

0. オトナなんて

 星が降った日のことを覚えている。


 14歳のエメット・ドロッセルマイヤーは、春が来るたび思い出すのだ。その頃のエメットはあまりに幼く、止めることなどできなかった。一つの惑星が滅び、3兆人の命が宇宙に消えることも。そして他ならぬエメットの兄──オーヴィル・ドロッセルマイヤー少尉が最後の戦いに臨むことも。




「──えー、では前回の続きから。テキスト28ページを開いて」

 午前8時50分、始業のチャイムが鳴り渡る。エメットはその日も頬杖をついたまま、眠気を誘うハゲ教師の声を聞き流していた。

「我々人類が宇宙植民を進める上で、これまで何度か異種族との武力衝突があったことは前回話しましたね」

 人類が地球を離れ、太陽系外に開拓者を送り始めてから数世紀。この教室に押し込められ、教育用端末の画面を睨んでいる40人の生徒は皆、地球の土を踏んだことがない世代だ。

「中でも最も悲惨だったのが、皆さんも知っている敵性生命体『ヴァール』の侵攻です。それにより人類は……」

 だが、どれだけ時代が進もうと、科学がいくら進歩しようと、変わらないものもある──学校だ。一定年齢の子供をかき集め、教室というプレス機で圧縮成型し、心も体も一律の形にする一種の工場。型にはまらない不良品は捨てられる。

 ──私もきっと、不良品だ。

 エメットはそう心の中で呟き、ため息をついた。ここでは、「個性」とか「独創性」なんてのは、エラーでしかない。オトナ達が望んでいないから。


「……エメット。エメット・ドロッセルマイヤー」

 不意に名前を呼ばれ、思わず背筋がピクリと動いた。教卓に顔を向けると、大型液晶パッドの前に立つハゲ教師が、まっすぐこちらを見据えていた。

「はい?」

「当てたぞ、エメット。今の質問の答えは?」

「えー……マイナス1です」

「今は世界史の時間だぞエメット。反省文! それと後で職員室に来るように」

 この教師は、なにかと理由を付けて生徒にペナルティを課すのがお好みのようだった──いや、オトナは皆そうなのかもしれない。

「因みに正解は『ヒロイック・フレーム』だ。この人型機動兵器の投入によって、ここ──君達の住んでいる『プロスペリウス星系』は滅亡を免れることができた」

 ヒロイック・フレーム──略称、HF。その単語はエメットの記憶のカサブタを抉る。外宇宙の彼方で生まれた巨獣、ヴァールを屠るために作られた人造の機兵。

 エメットの兄は、そのHFを駆るパイロットの一人だった。長期遠征任務から帰るたび、戦場での武勇伝を聞かせてくれた、大好きだった兄。彼はあの日も出撃し──そして、そのまま帰ってこなかった。

「エメット・ドロッセルマイヤー。君の兄上は先の大戦で人類を守った”英雄”だと聞いているぞ。君も少しは見習って、態度を入れ替えたらどうだ」

「──違う!!」

 脳で考えるより先に声が出た。兄がどうして死ななければならなかったのか、それを知らない奴に兄を語られたくはない。

「英雄なんかじゃ……ない」

 クラスの全員の視線を浴びながら、エメットはそう付け加えた。教壇のハゲは怒りに震える手で眼鏡を外し、瞼をピクつかせながら静かに言い放った。

「エメット。授業の邪魔だ。君には2週間の重カウンセリングと、精神安定用ナノマシン剤の処方を予約しておく」


(……冗談じゃない)

 追い出された教室の自動ドアが閉まるのを確かめてから、エメットは中指を立てた。オトナは皆こうだ。こんな生活が続くなら、自分の居場所はここじゃない。

 ショルダーバッグから取り出した上着を羽織る。男物の、古い軍用パーカー。左胸に「オーヴィル・ドロッセルマイヤー」と刺繍されたそれを身に纏うと、エメットは廊下の窓から飛び出した。


 2階から飛び降り、校庭の人工芝を踏みつける。暖かい春風さえも疎ましい。隠し持っていたガムを口に放り込み、校門に向けて歩き始めたとき、不意に声を掛けられた。

「おい」

 女性の声。オトナの声。

「……嫌だ。絶対戻らない」

 オトナが声を掛けてくるときといえば、要件は「アレをしろ」か「ソレをするな」のどちらかだ。エメットの両親がそうだったように。

「ああ、違う違う。あたしゃこの学校の関係者でもなんでもないよ。サボりたけりゃサボりゃいい」

 女性はそう言うと、敵意が無いことを示すかのように歯を出して笑った。

「エメット・ドロッセルマイヤー、だろ? あんたを探してたんだ」

 名前を呼ばれ、校門へ向かう足が止まる。だが、小麦色の肌と、鋭い目付きをしたこの女性に心当たりは無かった。古いカーゴパンツにデニムジャケット。足元に視線を移すと、スニーカーの口からは生身の足首ではなく、金属製のパイプが覗いている──彼女の片脚は義足だった。

「……んぁー、忘れちゃったかぁ。無理もないよな、5年前にちょっとだけ会った相手の顔なんて」

 エメットの怪訝な視線に気付いてか、長身の女性はそう言って頭を掻いた。

「リジーナ・クロルジク。あんたの兄貴──オーヴィルの葬式で一緒だったんだが、まあ覚えちゃいないよな」

「お()ぃの知り合い……?」

 問いかけると、リジーナと名乗った女性は、ああ、と答えた。

「兄貴の件で伝えたいことがあってさ。ちょっと時間いいか?」

「えっ? でも……うわっ!?」

 突然のことに逡巡するエメットだったが、迷っている時間は与えられなかった。エメットの手を取り、リジーナは歩き出す。

「さ、行こう。クソ眠い授業なんかよりよっぽど聞く価値ある話だ」


 リジーナに連れられ、たどり着いたのは小さな公園だった。高層ビル群の隙間に作られた、ベンチとゴミ箱があるだけの広場。地球ザクラが誇らしげに花を付けていたが、平日昼間に見に来る者などいない。

「オーヴィルの奴、あんたのことを心配してたよ。もし自分が死んだら、独りぼっちで自棄(ヤケ)なんか起こしたりしないかって」

 隣同士ベンチに腰掛けながら、リジーナは小さなチョコレートブロックを勧めてきたが、エメットは首を横に振る。

「いらない。ガム食べてる」

 両親と兄を「ヴァール」との戦争で失ってから今まで、エメットは施設に預けられて生きてきた。この人生で学んだことは一つ──自分達は、オトナという看守に見張られた囚人のようなものだ、という事実である。がめつい成金だった両親も、時代遅れでカビの生えた学校とかいうシステムも、何もかも忌まわしい。それこそが、エメットがずっとリジーナを不信の目で睨んでいる理由だった。

 リジーナはそんなエメットの眼光にも動じることなく、なおも話しかける。彼女の視線は、エメットの軍用パーカーに向けられていた。

「それ、アイツのお下がりだろ? 大事だったんだな、兄貴のことが」

 この雁字搦めの世界の中で、唯一エメットに味方してくれたのが兄、オーヴィルだった。名家に生まれ、物心も付かないうちから結婚相手まで決められていたエメットも、兄と一緒の時間だけは「自分」でいることができたのだ。

 兄は、もういない。遺体も見つからなかった。エメットの手元にあるのはこのジャケットと、「戦死通知」と書かれた紙切れと、スペースデブリが入った骨壷だけだ。

「お兄ぃは、本当はパイロットなんてガラじゃなかった。親の都合で軍隊に入れられて、軍隊の偉い人の都合で死んだ。オトナに殺されたようなモンだよ」

 頭上で花を付けている、地球ザクラの枝に視線を移しながら、エメットはそう呟いた。そして再びリジーナの瞳をじっと覗き込みながら、胸中に渦巻く疑念と諦観を語気に込めて、こう問うたのだった。

「……それで、用事って? 何もかも失くしてカラッポの私は、今度は何を詰め込めばいいの?」

 一瞬の沈黙。リジーナはエメットから目を逸らし、前髪に付いた花弁を払いのけながら、わざとらしいまでの大袈裟さで溜息をついてみせた。きっと次は開口一番に怒鳴りつけてくるか、言い返せないのをいいことに延々と空虚な説教を続けるかだ。オトナは皆そうだ。だが──そうする代わりに彼女は、真摯な眼差しでエメットを見つめ、こう切り出したのだった。

「いいモノ見せてやろうか。これを見れば気分も変わるかも」

 カーゴパンツのポケットから何かを取り出す。固く握られた右手の中にあるものが何なのかは窺い知れない。

「……なに?」

「いいから。目ぇ瞑ってツラ貸しな」

 真摯な眼差しに押され、エメットはその声に従った。すると。

「……っぷ!?」

 リジーナの吐息とともに、何かが顔に吹き付けられた。目を開けると、眼前のリジーナの手に盛られているのは白い粉末。視界の周囲では、吹き散らされた粉塵が春の陽光を受けてキラキラと輝いていた。

「な、何これ……?」

 不思議と、咳き込む感じはしなかった。この粉塵の匂いには覚えがある──ような、気がした。イオン化した金属。冷たい星間物質。宇宙艦艇の空調の風。戦争の匂いだ。

「ちょっとした魔法……そう、妖精の羽根の粉さ。あるいは、政府御禁制の幻覚性マイクロマシン製剤──好きな方を信じるといい」

 視界が霞む。こちらを覗くリジーナの瞳。満開の地球ザクラ。何もかも。

「ぅ……私、一体、どうな、て」

「怖がっちゃいけない。今からあんたが体験するのは、あんたの兄貴……オーヴィル・ドロッセルマイヤー少尉の最後の記憶だ」

 平衡感覚が失われ、自分の存在そのものの現実感が薄れていく。懇々と語りかけてくるリジーナは、エメットの両肩を掴んでいてくれているようだったが、それもやがて認識性の彼岸へと溶けていく。

 ブラックアウトしていく視界。エメットは無意識のうちに、自分自身を──いや、身体を包んでいるオーヴィルの上着を強く抱きしめていた。

「あいつにはいくつかの名前があった。コールサインは『シヴ9(ナイナー)』、付いた二つ名は『ワイルド・カード』。でも、あたしにとっちゃあいつは『嘘つきオーヴィル』だった」

 輝く粉塵は、やがて星の瞬きに。ふわふわとした目眩は、やがて無重力状態の浮遊感に。そして、兄の軍用パーカー──それだけは、この異常な体験下でも変わらない。そして。

「──さァ、そろそろ到着だ」

 闇の中に漂う意識が、一つの像を結び始める。航宙母艦の格納庫。人型機動兵器HFのコクピット。兄がかつていたところ。

「ようこそ、5年前へ。そして、兄貴の頭の中へ」

 リジーナのそんな囁きが聴神経に伝わるのと、エメットの自我が消失するのはほぼ同時のことだった。潜在意識と、マイクロマシンが再生する映像の狭間を漂い、エメットはやがて兄の記憶を遡行し始める。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ